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草案の記事 (16)

しゅれでぃんがー 2021/05/21 23:17

 いつ頃からかテレビを見なくなり、お金に困って家財を売った時に介護生活でやむなく買った薄型テレビも5000円で売った。だから昨今のテレビ番組について、私は全く知らなかったりする。

 私の中でテレビといえば、夕方にやっていたとんねるずのやつ(もじもじ君とか覚えてる。みなさんのおかげでした、だっけ)とかウッチャンナンチャンが笑う犬やってた時とか。定番でいえばめちゃイケとか。ススマップスマップ(スマスマとか呼んでたっけ)。ポケビにブラビ。今思えば、私のテレビ時代は、バラエティー黄金期だったのかもしれない。稲垣吾郎扮するゴロクミとか面白くて好きだった。

 あの時代のテレビを見ていた身として、現代のVtuberたちの企画とかは見られなかったりする。Vがから騒ぎするとか。バカ決定戦とか。これらは、テレビ番組の企画者たちがやっていた番組だ。言い方は悪いがそのまま丸パクリである。こういうのって、モラル的にどうなんだろう。そう思ってしまう。たとえ面白くても、他人のふんどしをそのまま盗むようなやり方を素直にバラエティーとして見ることはできない。楽しかった過去の記憶が、今、目に映るVtuberたちのバラエティーを受け付けることを拒否してしまう。


 ゲーム配信者というのは、新作ゲームをイナゴのように渡り歩く。でも、その中でも二種類いる。それは、「プレイヤースキルが必要なゲームをする配信者としない配信者」だ。

 どういうことかというと、シナリオをなぞるだけで百人がプレイすれば全員が同じルートを辿るようなゲームだと、シナリオに対するリアクション芸しかその動画はコンテンツになりえない。だが、それはゲームのシナリオありきのもので、ゲームにおんぶにだっこな寄生型配信者である。自分には何もないから、ゲームのコンテンツ性に乗っかって再生数を稼ごうとする。

 それに対し、プレイヤースキルが必要なゲームとはなにかというと。FPSとかアクションとか、パワプロ系。百人が遊べば百人が違う展開、違う内容の配信になるゲーム。FPSや格闘ゲームは、その配信者のプレイスキル自体がコンテンツ性となる。むしろ、ゲーム自体にコンテンツ性が備わらず、それを遊ぶ人間に価値が出るというのが対戦ゲームの特殊な点である。これはある意味、健全な配信。プレイスキルにトーク力も備わればさらに付加価値のある配信となるし、大会やランクマッチ耐久なんかをすればそれ自体も企画物として力を持つ。私もこういう配信は、というかこういう配信だけは楽しめるので、よく見る。

 Vtuberはこれについて、面白い傾向がある。歌ってみたなんかで活動している人、エンタメ系で活動している人は。だいたいノベルゲームとか、ホラーゲームばっかりする。自身のゲームスキルにコンテンツ性が無いけれど、ゲーム配信以外で定期的に配信できるコンテンツが無いからゲームに寄生しているのである。こういうのを見ると、「この人は中身が無い人なんだな」、なんてぼんやり思ったりする。リアクション芸を極めたところで、元となるゲームというコンテンツが無いと動画が作れない。生放送ができない。じつにしょうもないと思う。


 そんな中で、とあるVtuberを見かけた。


https://www.youtube.com/channel/UCe_p3YEuYJb8Np0Ip9dk-FQ


 この人は、ずっと前にちらっと気になる切り抜きを見た時に知った。その切り抜きは、登録者数を増やすためにはゲーム配信しなきゃいけないのかなあ、と、マインクラフトをしながら雑談していた動画だった。これを見て、この人はすごく真面目な人っぽいなあと思った。純粋に歌だけでやりたいのかもしれない。けれど、歌だけ出していてもにじさんじでは埋もれてしまうのかも。

 にじさんじ自体、歌ってみた方面では弱い会社である。はっきり言うが、歌ってみたを出している人を粗方全部聞いたけれど、上手い人ってのは誰もいない。いや、普通に上手い人はちらほらいるが。「ものすごく上手い人」がいないのだ。だいたいが普段の活動で得た視聴者が宗教化して見ている歌動画ばかり。良くも悪くも普通。

 だが、この人は飛びぬけて歌が上手かった。「グッバイ宣言」や「ヴァンパイア」が私は気に入っているが、「キュートな彼女」をきちんと歌えているのがあまりにもヤバい。ボカロ曲ってのはおおよそ人類が歌えるような抑揚、ブレスの曲じゃないのに。ミックスしているとはいえ、ちゃんと聞ける形にまとまっていることに驚愕した。気が付いたら、この人の歌のファンになっていた。この人がホロライブで見た目の良い皮をもらっていたら、また結果は違ったのかも。なんてことを考えるのは失礼か。やめておく。

 この人は登録者数が少ない。半年超で10万人に乗っておらず、にじさんじの同期っぽい人たちのアカウントを見ると二倍くらいの差が付いている。ただ、動画を出していないわけではない。歌ってみたの投稿が活発だ。最近ウマ娘をやっているようだが、それ以外でのゲーム配信が極端に少ない。にじさんじは会社自体でゲームの企画を立ててマイクラとかの多人数ゲームをやってるので、そういうのに参加してるぐらいである。ゲームというコンテンツに寄りかからない、寄生しない活動をしている。とても好感が持てる。


 歌というのは、突き詰めると個人の趣味趣向で良し悪しが個人的に収束していく。歌について詳しくない時はとても良いと思って聞いていた歌っていた動画でも、今聞きなおすとミックスがきついだけとか、上手いけど声でデカいだけというか……なんというか、「ただ上手いだけ」の歌ってる人が多いことに気づく。あとは、原曲を改変しすぎてオナニー臭がキツい人とか。これについては、本当に好みが分かれてるだけかも。でも原型すらわからなくなるまでミックスするのはどうかと思う。ラップ化してるのとか、個人的にはダメ。変えすぎ。でも、それが良いという人もいるだろうから、結局は人による。


 歌が気に入ったからその人の他の配信を見るかというと、別にそういうわけではないが。この人の活動については、なんとなく応援したいと思う。ウマ娘も純粋に好きでやってるように見えるので、ゲーム配信として見てもすごく初々しい感じでほほえましい。リアクション芸するためにゲームを利用するような配信者(それが悪いわけではないかもしれないが)ばかりの中で、癒される。まあ、歌い方が好きなだけだから別にゲーム配信は見ないけど。

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しゅれでぃんがー 2021/05/18 02:00

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しゅれでぃんがー 2021/05/17 00:42

真面目

 私は昔、格闘ゲームに心血を注いだ時期がある。のめり込んだ本当の理由は、祖父の介護による精神的ストレスから逃れるためだったのだと、介護が終わった今だから思うが。上手くなるために、強くなるために努力した日々はどんな理由であれ本物だと思うので。なんやかんやで良い思い出だと自分自身を納得させている。

 今の時勢的に狭い空間に集まることができないので、今から格闘ゲームを始めようという人は大変だ。ネット対戦という文化が普及して家で格闘ゲームができる時代にはなったけれど。ちゃんと遊ぼうと思ったら、そのハードに対応したアーケードコントローラ(ゲーム筐体のコントローラー部分だけを抽出したようなコントローラー。以下、アケコン)を買わないといけない。これだけでけっこうな出費である。さらに、今だとレバーすらボタンになったコントローラー(ヒットボックスだったかな?)もあって、レバー勢とヒットボックス勢での性能差も論争を呼んでいると聞いたことがある。

 とある格闘ゲーム大会では、なんとヒットボックスコントローラーが使用禁止にされたこともあったんだとか。個人的には、自転車レースで本場イタリアとかの自転車のフレームを開発してるメーカーが廃業しないために、工場でのプレス加工などで作られる、自転車レースの協会が定めた基準を満たさない形のフレームは原則レース参加禁止になった措置みたいな話だと思ったりした。既存のレバー勢が新しい勢力であるヒットボックス勢に太刀打ちできないからと禁止にする。乱暴な措置ではないだろうか。

 話が逸れた。私は十数年前に格闘ゲームをやって、偶然にも同時期に同じゲームを始めた人がいたのでモチベーションを保つことができた。同時期に始めた人間がいて、そのゲームを開発したサークルの人が地元でゲームセンターを開業していて。さらにはそのゲームセンターで毎週定期的に対戦会、大会が行われていた。今考えても、これほどまでに恵まれた状況は無かっただろう。私が格闘ゲームを上手くなれたのは、大部分この運に救われたのだと思う。

 今日は、その同時期に始めた人とあったとある話をしよう。


 その人はGさんといって、格闘ゲームが上手い人だった。KOF(キングオブファイターズ)系のゲームがメインならしいけれど、だいたいの格闘ゲームを初めて触ってもある程度動かせるような、センスのある人だった。対する私は格闘ゲームずぶの初心者で、どうあがいても太刀打ちできない。結果、毎度私だけが筐体に100円をチャリンチャリンと入れまくることになる。私はそれもきつかったので、節約のためというのも強くなる大きなモチベーションだった。

 長く遊び続ける中で、その人にも勝った負けたができるようになり。新しく始めた子たちには10戦中9戦ぐらいは勝てるようになった。格闘ゲームは、ミスしなければ基本的に力量が如実に出るので。強い人が弱い人に負けることというのが基本的に無い。これはどうしようもない事である。そしてそれも私の自信となっていた。

 だが、ある時の何気ない会話で、彼がこんなことを言った。




「いや、E1さんは上級者じゃないですよ」





 この一言を聞いた時、私の中の格闘ゲーム熱というか、意欲が一気に霧散した。彼自体は会話していて唐突に真逆のことを言いだすことがよくある人で。この一言も多分雑談の中の唐突な逆張りだったのではないかとは思う。だが、言われた私自身が。この一言に至極納得してしまった。認めてしまったのだ。

 格闘ゲームと言うのは、キャラ差を覆すことができない。人間はミスをする生き物だから、そのおかげで勝った負けたが発生するけれど。お互いがミスをしなかったら、キャラ性能が強い方が勝つ。悲しいが、それがどうしようもない現実だ。それが嫌なら、弱いキャラを使う人間は、強いキャラを使う人間より千倍も万倍も努力しなくてはならない。そうしなければ、発言権すら与えられない。格ゲーマーの世界とは、そういう世界である。

 だが私は、弱いキャラがそれだけ余計に努力しなければいけないという現実自体を受け入れることを拒否した。割に合わないからだ。しかも、強いキャラを使う相手だって日夜努力をしている。お互いがお互いに努力し続けているのだから、差が埋まることなんてあるわけがない。なにより、ゲームだからといって。いや、ゲームだからこそ。「ミスしなければ勝てない」というコンテンツを、私は真剣に遊び続けることが出来なかった。

 遊び続けなければたどり着けない結論。だが、最後に得た答えは私にとって残酷だった。私が私なりに真剣に遊んでいても。上級者たちにはそれが「努力している」ように見えない。どうあがいても、「努力が足りない」の一言で済まされる。まるで別の種族、別の生命体のように。分かり合うことができない。意思の疎通自体が無理なのだ、と私は理解してしまった。その人たちの言う「努力」というのは、私にとっての「不可能」と同意義だったのだから。不可能なことをやれと言ってくる相手と、一緒に遊び続けることは不可能なのだ。


 今、一緒に遊んだ彼がどうしているのかは分からない。私が格闘ゲームをまたやり始めることもたぶん無いと思う。楽しい時間の先にあったのは、どうしようもない別れではあったけれど。あの日々は、間違いなく楽しかった。

 分かり合えない人たちとは別れる。どれだけ努力しても差は埋まらない。そこでさらに頑張るか、はたまた止めるか。私は、止めることも勇気だと思う。それが、自分を守ることに繋がる。


 結局のところ。「楽しく遊ぶ、楽しくなくなったらやめる」。それだけのことなのかもしれない。無理しても遊んでも疲れるし傷つくだけ。悲しいことだが、分かり合えない人たちとは交流を続けない方がいいのだ。そこで無理して合わせようとしても、お互いにとって悪い結果にしかならないのだから。

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しゅれでぃんがー 2021/05/07 00:17

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しゅれでぃんがー 2021/04/21 01:16

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