●それだけでもいいんです●

地獄の第一補佐官鬼灯様。



鬼にしては珍しいサラサラの黒髪に、切れ長で涼やかな目元、女のように長いまつ毛、筆で描いたような鼻梁。
ヘの字口に閉じられた肉厚の唇に、一切の感情を排除した、冷徹な凛々しい顔つき。
そしてさらに、185センチのすらりとした長身に、おそらく着やせするタイプであろう身体を、よからぬ妄想を出さずにはおれない黒い着流しで覆っている。



その仕事の厳しさから鬼灯を怖がる者もいるが、彼をこのように美の権化として見ている者もいる。
欠く言うその俺がそうだ。



一介の平獄卒である俺には手に届かない存在だと分かっていても、閻魔庁で時折見かける姿にはムラムラと男の情欲を沸き上がらせられずにはいられない。
その黒い着流しの下には、どんな美しい肉体美があるのだろう。
襟元から覗く白いうなじからして、たぶん肌はきれいなんだろうな。
書類を覗くその指からして、色は白いんだろうな。
その鉄壁の黒い着流しを剥いで、現れるのはきっと、下に覗く紅い着流し。
裸体に一歩近づいたその体のラインは、さらにその色香を湧き立たせるものなんだろうな。
性感帯とかあるんだろうか。触ったら敏感なのかな。それとも、不感症なのかな。



地獄に努めて百年、俺は時折目にする鬼灯様に淡い慕情を抱きながら、ほとんどは集合地獄のおねえちゃんと遊んで、そのけしからん、かなわぬ情欲を収めていた。





そんなある日、いつも通り、閻魔庁に勤めている黒縄地獄の決算を定期的に提出に訪れた。
すると、いた・・・。
両手で巻物の詰まった手押し車を押しながら、相変わらずの鬼らしくない整った風貌と色香で廊下を歩いていた。
俺はすれ違う瞬間、挨拶しようか、興味のない手にした書類に目を落としてそ知らぬふりをするか、迷ったが、結局話しかける勇気がなくてわざとらしく書類に目を落としてすれ違いをやり過ごそうとした。



するとその瞬間、なんと鬼灯様の足が止まった。



「そこの貴方」



急激に話しかけられ、俺は一瞬鬼灯様の声が聞こえなくなるぐらい、頭が真っ白になった。それでも反射的に「はい」と返事した自分を褒めてやりたい。
ここに勤務し始めて長らく、新人研修のとき以外は声をかけられることなく過ごしてきた俺は、百年目にしてかけられた声に心臓の音が耳まで聞こえるようだった。



「このあとお手すきなら、書類を渡し終えたあと、そこの資料室に来ていただけませんか?」



なんてことだ、鬼灯様からのお誘いだ。
俺は自分が何を言われているのか信じられなくて、体中の感覚が無になりながら、「はい」とだけ返答した。
今思えば、もっと気の利いた返事ができたものを、俺は二回とも「はい」という無味簡素な言葉で済ませてしまった。



あの鬼灯様が、俺をご指名で、人気のない資料室へ誘ってくださるなんて、こんなチャンスがあるだろうか。
遠くから見ている存在だった鬼灯様が、急に近しい存在に思えて、しかも日々妄想しているよからぬ展開まで期待して身体はこれ以上なく熱くなった。
頭は鬼灯様に声をかけられたことと、この後資料室でなにが待っているのかという期待だけに占められ、どうやって資料を届けたのか、行きの記憶は全くない。



気が付くと俺は資料室の前に佇み、簡素なステンレスのドアが、今日は石壁のように感じてきて、「資料室」と書かれた部屋の前で足を震わせていた。
生唾を飲み込み、俺は決死の思いでドアノブに手をかける。
ゆっくりとノブを回し、ゆっくりとドアを引く。



「失礼しますー・・・」



我ながら弱弱し気な声だと思いながらも、今の俺にはこのセリフを吐くだけで精いっぱいだった。
そして目の前には、巻物を素早く定位置に押し込んでいく鬼灯様の黒い着流し姿がある。
それだけで鼻血がでそうだった。
政見放送で見る動く鬼灯様も麗しいが、生の鬼灯様は次元が違う。



鬼灯様は入ってきた俺に気づくと、無表情な顔で「すみません」と一言言うと、こちらに手招きした。
あの鬼灯様が、俺に来いと言っている・・・
いえいえ、「すみません」は俺の方です。鬼灯様に近づけたというだけで、この先一か月は女に困らなくて済みそうです。



「来てくださってありがとうございます。本当に申し訳ありませんが、脚立代わりになってくれませんか?」



俺は一瞬、その意味がわからなくて思考が完全にフリーズした。




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