●それだけでもいいんです2●

「実は、この資料室で使っていた脚立が壊れてしまって、申し訳ありませんがあなたに脚立代わりになってほしいんです」



鬼灯様は相変わらず無表情だが、言葉の抑揚に少し申し訳なさが含まれている。さっきは泥人形のように思考停止していた俺だったが、今は鬼灯様の一言一挙手をミリ単位で逃すまいと、神経を張りつめて言葉に聞き入った。
そのせいで、少し気づいた。鬼灯様の口調は、俺に対する申し訳なさと、脚立が壊れたことに対する苛立ちも含まれていた。
仕事鬼の鬼灯様だから、物事がうまく進まないと機嫌が悪くなるのだろう。
しかし、今の俺にはどうでもいい。むしろ、壊れた脚立グッジョブである。



「お、俺でよければ・・・」



鬼灯様の期待に応えたくて、俺は反射的にそう返答した。しかし、それはとんでもない事態であるということが、その時の俺には理解できていなかった。



「それでは、大変申し訳ありませんがそこへ四つん這いになってください」



え?どういうこと?ケツでも蹴ってくださるのでしょうか?
あの白い足で・・・
職場で仕事の何でもない話をしているだけだというのに、俺のいかがわしい妄想は止まらない。



「草履は脱ぎますので、背中に乗って、高い棚へ巻物を置きたいんです」



暴走しかけた俺の頭は、それを聞いて急激に熱が冷めていくのを感じた。
つまり、高い棚に荷物を収納するために、馬になれってことなんですね・・・。
ハイハイ、俺は普通の獄卒よりもちょっとガタイがいいし、馬には最適です・・・。
いや、ちょっと待て。
あの鬼灯様が俺の背中に乗ってくださる!?
それってすごいことじゃないか?



再び妄想が燃え上がり、俺は体が熱くなるのを抑えられなかった。



「は、はい、いいですよ!俺の背中に乗ってくださるんですよね?どうぞ!」



そう言って、俺は一瞬で床へ四つん這いになった。
言葉の齟齬を感じた鬼灯様はちょっと首をかしげているが、その仕草がめちゃくちゃ可愛い・・・ヤバい・・・襲いたい・・・。



「それでは、失礼します。あ、棚はもう少し左側なので、指示するところまで移動してくれますか?」



そう言われて、俺は埃だらけの資料室の床を嬉々として這いずり回る。
膝が汚れようが、腕が埃掃除をしようが、そんなことは全然問題にならない。それどころか、今日の着ている服、清潔だったかな・・・と、俺は心配した。
毎日三日おきのローテて来ている作業着だが、今日は一日目だ。よかった。



「ああ、すみませんがそこで止まってください。それでは、上に乗らせていただきますので、少々我慢してくださいね。私、結構重いですから」



いいえ、あなたの重さを感じられるなんて、こんな幸せなことはありません。



「大丈夫です、遠慮なく乗ってください」



四つん這いの姿勢のため、下方しか見えない視界に、草履を脱ぐ鬼灯様の足がアップで繰り広げられる。
思っていたよりも足が白く、肌のキメも細やかで、それだけでゾクゾクした。
この足が、これから俺の背中に・・・



と思った瞬間、予想外の重量が背中にかかった。油断していた俺は体をグラつかせ、鬼灯様に
「大丈夫ですか?」と心配のお声までかけられてしまったが、それは光栄身に余る・・・俺が鬼の重さを忘れていただけです。
見た目が普通の鬼より華奢に見えるとはいえ、曲りなりなりにも鬼灯様も一介の鬼に変わりない。
着やせして見える黒い着流しのせいで細く見えるが、実際は筋肉を体中にまとっているのだろう。



俺は邪念を振り払って気合を入れなおす。ここで役立たずと思われてしまっては立つ瀬がない。百年に一度、あるかないかのチャンスをフイにするなど、許されないのだ。



四肢に力を込めて、俺は脚立になるべく精神を統一させ、己を鉄塊と信じ、鬼灯様のご希望に沿えるよう、立派な足場になろうと頑張る。
鬼灯様の両足が俺の背中に乗せられ、全体重がのしかかったが、覚悟を決めてみると思ったほど重くもなかった。
それよりも、背中で感じる鬼灯様の足裏のぬくもりが気にかかる。



例え脚立代わりとなってしまったとしても、あの鬼灯様に乗られているのだ。
千年一緒に働いていても鬼灯様に乗られる、などという体験をした者はいるかいないかだろう。
鬼灯様が手押し車の中の巻物を取って身をかがめているのだろう。体重移動を背中に感じ、俺はそれに合わせて力を込める。完全にあの鬼灯様の体温だ・・・。そう思うと体が熱くなってしまう。いや、熱くなってはいけない。
よこしまな考えを持っていると感づかれ、引かれてしまうかもしれない。
俺はただすれ違っただけの平獄卒で、たまたま鬼灯様の脚立になっているが、こんなお近づきになれるチャンスの一瞬で、鬼灯様に悪印象を与えるのは嫌だ。
この鬼灯様に乗られているこの瞬間こそ至高。四つん這いになってうつむいている俺は、顔を盛大にニヤけさせながら背中の重さと温かさに途方もない愉悦を感じていた。



「・・・・・」



ぐっと背中にかかる重力の面積が減り、少し足のふんばりが強くなったようだ。どうやらつま先立ちをしているらしい。
鬼はほとんどがデカい体躯をしていて、鬼灯様も例にもれず長身だが、それでも届かない位置に書類を置こうとしているらしい。



「届きませんね・・・」



鬼灯様の言葉に、なんだが俺が悪いことをしているような気分になってしまう。届けなくて申し訳ありません・・・。
不意に背中の重みがなくなり、俯いた顔から四つん這いの腕越しに、鬼灯様の白い足が地面に着地したのを見届けた。
ああ、至福の時間はもう終わりか・・・。
余計なことを考えず、思う存分あのぬくもりを味わい、記憶にとどめるべく全力を尽くすべきだった。
失ってから後悔してしまっても遅い。鬼灯様の足は、俺の背中から遠ざかって今は固い地面の上だ。
美麗な白い足は草履を履き始めている。やっぱり終わりなんだ。寂しい。



「重ね重ねすみませんが、今度は肩車していただけませんか?」



四つん這いの俺の上から、鬼灯様の言葉が降り注いだ。



か、肩車ですか?
いえいえ全くもって構いませんがあなたのほうがいいんですか、肩車ってことはあれですよ、太ももが両頬にひっついて尻が肩に乗るんですよ?
俺はそれを味わうんですよ?
マジか。信じられない。あわよくば匂いまでかげるかもしれない。俺の両肩に鬼灯様の体重が、そして顔の両側に太ももが・・・!



「はい!肩車でよければ!」



四つん這いのまま俺はいやに元気な声で返答してしまった。顔を上げて下から見上げる鬼灯様が、若干首をかしげていらっしゃる。
そうか、奇矯に思わせてしまったか。もうしょうがない。
俺は喜んであなたの肩車になります!日本語が変だがもういい!



「それでは、どうぞ!」



俺は資料棚に向かって土下座の姿勢を取り、その背中と肩を差し出した。


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