●夢白桃6●

ということがあって一週間。
その間、桃太郎は魂が抜けたような状態になってしまっていた。
頭脳が明瞭になるばかりか、考えるのは鬼灯のことばかりである。



(ああー鬼灯さん・・・)



あの黒髪、あの白い肌、あの肌触り、あの匂い・・・
全てを思い出すと体の芯が心地よい程度に熱くなり、桃太郎は隙があれば一日の大半を、この熱に浸って愉しんでいた。
しかしふと我に返ると、その人物との閨をあんな形で終わらせてしまった自分の不甲斐なさに、死にたくなるほど後悔する。
これまでぼーっとしていたかと思うと、いきなり地面に顔を伏せてむせび泣くのだから、従業員のうさぎも警戒して、最近は桃太郎に近づかない。



「おーい、桃タローくーん」



白澤に名前を呼ばれても、力ない返事でふらふらと歩み寄り、白澤の言葉も生返事で返していて、全く内容が身に入っていない。



そんな桃太郎を見てさすがに白澤も不審に思い、いつもは放任している桃太郎を捕まえ、彼の顔をまじまじと眺める。



「な、なんですか・・・」



白澤は桃太郎の周囲をぐるぐると回り、顔を左右から眺め、正面に向き直った時、口に手を当てて吹き出した。



「桃タローくん、好きな子できたの?」



からかうような声で白澤に指摘されたが、桃太郎は言われるまで自分の気持ちに気づいていなかった。



そうか、これは恋か・・・?



しがな一日中、その人のことしか考えられない状況は、普通に恋だろう、と自分でも自覚し、桃太郎は余計に胸が熱くなった。



(恋か・・・俺、鬼灯さんに恋してるんだ・・・)



自分の中途半端な気持ちに名前を付けられ、桃太郎は後悔するどころかストンと納得がいき、その直後、さらに熱い思いがこみあげてきた。
そして同時に、息ができなくなるほどの胸の切なさもこみあげてくる。



「ううっ・・・!」



白澤の眼前で、だあっと両目から涙を流し、情けない表情を晒してしまう。
さすがに驚いた白澤は一歩後ろに引き、ますます無残になった桃太郎の顔面を注視する。



「そ、そんなに好きな子なの?どういうこと?」



相手は恋敵の白澤だというのに、ようやくまともに相談できる相手ができた安心感で、桃太郎は白澤の白衣に縋り付き、声を出してその場で大泣きしてしまった。




「・・・で、その好きな子とする前に、暴発しちゃった・・・と・・・」



「ばい、ぞうなんでず・・・俺、もうぐやじぐて・・・!」



嗚咽を上げながら桃太郎は訴えた。涙をぬぐってもぬぐっても双眸からあふれてくる。ぬぐいきれなかった涙が地面にしたたり落ち、黒い染みを作っている。



「うーん・・・それは言っちゃ悪いけど、桃タローくんが悪いねえ・・・相手の女の子も、ショックを受けたんじゃないかなあ・・・」



追い打ちを下すような言葉を突き付けられ、桃太郎の息が詰まる。



「でも、それからその子と全然連絡とってないんでしょ?それもマズいよ。ちゃんと桃太郎くんの方から連絡して、謝っておかないと、わだかまりになるよ?」



「うう・・・でも所詮、俺なんて手の届かない存在の人だったんです・・・最初からそんな事、なかったって思えば済む話ですし・・・」



「済まないから、今君はこうして泣いているんじゃないか・・・。そんなんで、諦められるの?もう一回、抱きたくないの?」



「うううううう・・・そりゃ、すっげえ・・・抱ぎだいでず・・・」



自分の言葉に自分で打ちのめされ、桃太郎はその場に四つん這いになって、おいおい泣き始めた。
そんな桃太郎をため息交じりに見下ろし、白澤はスマホを取り出した。



「その子って名前は?僕も知っているかもしれないから、協力できるかもしれないし・・・っと、着信がある・・・げ・・・アイツか・・・」



白澤のそのうんざりした声に、桃太郎はピタリと泣くのを止めた。
それには気づかず、白澤はリダイヤルし、相手が電話を取るのを待っている。白澤が嫌がる相手、それは・・・間違いなく、あの人だ・・・



「あーもしもし?何か用?」



温厚な白澤には珍しく、剣呑な声で相手に話しかけている。
その電話口から、わずかでも声は聞こえてこないだろうか・・・聞きたい、あの人の声!



「え?追加で、はと麦とソウハクヒと雪ノ下が欲しい?なんだよ、化粧水でも作る気か・・・って、うわあ!」



いつの間にか白澤の顔にぴったりと頬を寄せていた桃太郎に気づき、白澤はスマホを取り落としそうになるほど驚愕する。



(ん?もしもし?なにかあったんですか?女性に叩かれたんですか?)



聞こえた、確かに聞こえた・・・。声色は飽きれた様子で色気のないものだったが、確かに鬼灯だ。もう鬼灯の声ならなんでもいい・・・。



「ちょちょ、ちょっと桃タローくん、どうしたの?今電話中だから、ちょっと待ってね」



そう言ってスマホを取り直し、白澤は桃太郎に背を向けて鬼灯と会話を続けている。
会話をすべき相手は、白澤さん、あなたが話しているその人なんです・・・などと言えるわけもなく、桃太郎はもう一度白澤に取り付いて電話口から漏れる声を拾い聞きしようかと思案したが、自分の膝を両手で押さえつけて、なんとかその衝動はとどめた。



そんな桃太郎の葛藤も露知らず、白澤はのらりくらりとたまに罵倒しながら鬼灯と会話を続けている。



「お香ちゃん元気ー?あ、この前入った新人獄卒で、髪の赤い子いたじゃん?あの子の電話番号聞いといて?だめ?なんで?」



いつも通りの軽い感じで白澤は女性あさりに熱心だ。目の前に鬼灯と言う素晴らしい果実がありながら・・・しかもこの男、女性と遊びながらその果実も、たまにたしなんでいるということを、桃太郎は知っていた。
それに気づくと、腹の底から熱い感情がこみあげてきた。
それは完全に嫉妬という名の熱だったが、そんなことは今の桃太郎にはどうでもよい。目の前の、いいとこどりばかりしている白澤が急に妬ましくなってくる。



「薬草は今日でも用意できるから、いつでも取りに来いよ。は?僕が行くの?毎回研究だって銘打って、タダでかっさらっていっちゃうそっちが来るのが妥当だと思うけどね?」



その言葉が耳に入り、桃太郎は急に慌てふためいた。
あれだけの失態を犯しておきながら、また顔を見合わせるなど、まさに合わせる顔がない。



嫉妬や困惑で顔を白黒させながら、桃太郎はその場でせわしなく体を震わせていた。



「全く、厚かましいにもほどがあるよ・・・ああ、ごめん、話の続きだったね。それで、桃タローくんが好きな子って誰?僕が知っているかもしれないから、協力するよ?」



知ってるどころか、さきほど会話していた相手がそうだとは、桃太郎は言えない。



「・・・白澤さんには絶対に言えません・・・」



絞り出すような声で言うのがやっとだった。桃太郎の心の中は、嫉妬と憧れと恋しさの情炎が渦巻いていて、頭が爆発しそうだった。



「ふーん、そんな水臭いこと言わずに僕に話してくれればいいのに。これでも顔は広いほうだよ?女の子のツテを使って、目当ての子と連絡が取れるかもしれないし」



その目当ての子が、今電話してた子だよ!
と大声で言いたかったが、桃太郎はギリギリと奥歯を噛み締めて耐えていた。



白澤と話をしていても苛立ちが積るばかりだ。
桃太郎は立ち上がり、薬草をとりに白澤へ背を向けた。



「この件については、放っておいてください・・・」



そう言い残して、桃太郎は草むらをかき分けて姿を消した。
取り残された白澤は、一つため息をついて呟く。



「さあ、どうしようかなあ・・・」



その言葉には、何もかも見透かしているかのような響きがあった。



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