●夢白桃15(終)●
「桃太郎さん」
「は、はい!」
キリッとした目で急に射すくめられ、桃太郎はその凛とした眼差しに心臓を跳ね上げてしまう。そして次の瞬間、鬼灯の美貌が消えた。
「すみませんでした」
現れたのは艶やかな黒髪と尖った一本角の先端で、一体鬼灯が何をしているのか、桃太郎はわからなかったほどだった。
が、鬼灯の放ったその言葉と行動がようやく合致し、謝られているのだと理解して死ぬほど慌てた。
「いやいやいやいやいや!こ、こちらこそすみませんでした!」
そう叫んで、桃太郎は鬼灯に秒で向き直って瞬で土下座した。
被害者の鬼灯がなぜ謝るのか意味が分からないが、とにかく悪いのはこちらだと桃太郎はすぐ理解し、瞬時に必死の謝罪をする。
「桃太郎さんが謝る必要はありません。すべてはアイツと私の責任です」
意外な返事を聞かされ、桃太郎は連続土下座を一旦止める。
アイツとは白澤のことだろうか?
「桃太郎さんが、最近様子がおかしい原因は、恋煩いだと聞きました。白澤さんから」
なんてこと言うんじゃアイツはーーー!
と桃太郎は目と鼻と口、体中のあらゆる毛穴から血が噴き出そうなほど憤慨した。
しかし顔色を朱に染めただけで、必死に叫びをかみ殺す。
「桃太郎さんは天国の住人で、時間は無限にあるんです。今は修行中ですが、真面目ですから、いつかヤツを追い抜いて立派な薬剤師になれると思います」
え?え?え?と桃太郎は鬼灯の口から紡がれる言葉に疑問符がわきっぱなしだった。
「ですから桃太郎さんは焦らず、期を熟してから想いを告げればいいんです。なにもあ説必要はありません」
そう言って鬼灯は遠くの山々に目を向け、見事な横顔を夕焼けに染めた。
(尊い・・・)
鬼灯の横顔の美しさもあって、桃太郎は的外れながら鬼灯に励まされたことに盛大な喜びと安堵を覚えていた。
俺が好きなのはあなたなんです、という言葉も感情も忘れ、桃太郎はただ鬼灯に魅入っていた。
こちらが悪いのに、鬼灯はあの晩のことを謝罪したうえ、自分に希望をくれた。
そうなのだ、天国の時間は悠久なのだ。
自分は今は半人前でも、いつかは一人前になって、目の前の麗人と肩を並べられる日がくるかもしれない。
そう思いを巡らせると、桃太郎はがぜんやる気がわいてきて心が熱を持ってきたが、同時に、鬼灯も謝ったのだから、自分も恥を忍んで謝らなければ、という申し訳なさが浮き上がってきた。
被害者に謝られて、加害者が堂々としているなんて、桃太郎には一番許せない。
「鬼灯さん!」
桃太郎は鬼灯に向き直って地面に両手をつき、深々と頭を下げながら叫んだ。
「ほんとすみませんでした!俺、不甲斐ないうえに最低なことをしてしまって、本当に申し訳ないです!」
その金棒で殴られてもいい。どうせ天国なのだから、死にはしないし、傷もすぐ治る。一瞬としばらく、痛いだけだ。
桃太郎にいきなり謝られた鬼灯は目を丸くしていたが、すぐにいつもの凛とした雰囲気に戻って、言葉を紡ぐ。
「いえいえ、そちらこそ、ヤツのせいで気分の悪い思いをさせてしまって申し訳ありません。
私で良ければ、いつでも身体をお貸ししますので、あまり溜め込まないようにしてくださいね」
その言葉に、桃太郎の頭が停止する。
いつでも身体をお貸ししますので・・・
いつでも身体をお貸ししますので・・・
ということは、また鬼灯と正々堂々、閨を共にする可能性がなきにしもあらずというわけだろうか?
それを聞いて桃太郎はこれ以上ない褒美の言葉に、頭を殴られた気がしてしばらく何も考えられなかった。
繰り返すのは、鬼灯の身体を・・・の部分だけで、あとは何を話しかけられても桃太郎の耳には入ってこない。
「もう二度とあのような悪戯はいたしませんので、ご安心を・・・それと、また三日後あたりにこちらへ来て薬の品を取りに来ますので、よろしくお願いします。これ、私の携帯番号です。」
そう言われて渡された紙だったが、桃太郎は気のない返事で、はあ、とだけ呟いた。
憧れのあの人の電話番号をゲットすることができて、有頂天にならざるを得ないはずなのに、今の桃太郎には身体を・・・のフレーズが頭を離れず、イマイチ反応が鈍かった。
「それでは、私はこれで。白澤さんにメゲずに、がんばってくださいね」
そう言い置くと、鬼灯は金棒を担いで立ち上がり、背中を向けてそのまま遠くへ歩き出した。
その後姿に声をかけることもできず、桃太郎はただ茫然と電話番号の紙を握りしめる。
(身体をあずける・・・電話番号・・・・)
ようやく事態が飲み込めてきた桃太郎の胸に熱い想いがこみあげ、立ち上がり、遠くの山々へ
大声で叫びだしたい気分になった。
「やったーーーーーーーー!」
そうだ、天国は永遠に続くのだ。自分が修行を積む時間はいくらでもある。いずれ白澤を追い抜くこともできるかもしれないという鬼灯の言葉を真に受けて、桃太郎は奮起した。
これまではラッキーで鬼灯に触れることができた。
今はまだ無理かもしれないが、遠い将来、自分は鬼灯を堂々と抱ける日がくるかもしれない。
そう思うと桃太郎は泣きそうなほど嬉しくなり、鬼灯から預かった電話番号をにぎりしめ、万歳三唱を一人大声で叫んだ。
極楽満月に帰ってから、桃太郎の機嫌がすこぶる良い。
いつもは冷ややかな目でみる花街への遊蕩も、今日は笑顔で見送ってくる。
「・・・なんだか、桃タローくん最近情緒不安定だね・・・大丈夫?明日帰ってきたら、ちゃんと診察してあげるよ?」
「いえいえ、俺は大丈夫です!なんか、こう、気持ちがふっきれました!」
キラキラした目でいう桃太郎を訝し気に見つめながら、白澤は薬屋を後にした。
閉じた扉の向こうで、
「やれやれ、アイツ、純情な青年になにふきこんだんだよ・・・」
と、一人苦々しそうにつぶやいたのは、誰にも聞かれず、紫雲の立ち込める桃源郷の空気に溶け去っていった。
(終)