Sui☆Sweets 2024/06/23 10:10

BL小説「今夜、君のナカで溺れたい」試し読み

第一章 仄暗い毎日の中で

 俺は早朝に登校するなり、旧校舎の使われていない教室に足を踏み入れた。窓際の壁に背中を打ちつけると、天井を見ながらずるずると尻を落とす。

 朝練のために早く来た生徒だけの学校は静かで過ごしやすい。俺にとっては数少ない一人になれる場所――だ。遠くで聞こえる運動部員の声でさえ、心地よい鳥のさえずりのように感じる。

 とくにここは旧校舎。利用する奴なんて、ほぼいないに等しい。煩わしい人間関係など気にせずに過ごせる空間は、至福の時と言っていい。

 足を開いて座った俺は、ポケットからスマホを取り出した。
 意味もなくSNSを流し読みしていく。くだらない呟きばかりだとわかっているのに、ついつい気にしてしまうのは、一人の時間を欲しながらも、どこかで誰かと繋がっていたいという欲求があるのだろう。

 誰かとワイワイ騒ぎたいわけじゃない――でも、一人きりだけの世界もまた苦痛。矛盾している感情だとは理解しているが、そう感じてしまう。

『あっ…あっ、そこっ。もっと…んぅ』

 楽しい静寂の時間を切り裂くかのように、男の甘い声が隣の教室から聞こえてきた。

「はあ……」
 思わず聞えてきえた声を耳にして、俺は盛大なため息を吐いた。

 一人の時間を奪ってきた声の主が誰だかは、わかっている。相手もまた、俺の楽しみを奪っているとわかっているはず――。

 わざと――やっているのだ。
 俺に聞こえるように、大きく甘い声を吐き出している。

『堅渡(けんと)、足を開いて』
『やぁ……まだ、だめぇ。早すぎぃ……』

 朝礼前に事を終わらせたい奴と、もう少し楽しみたい相手。

「いい加減に、場所を変えろよなあ」

 俺が、ここを憩いの場所にしていることを知っていて、あいつは……わざと隣の部屋でやってんだ。

 俺にあの声を聞かせるために。あわよくば、俺がその気になってくれたら嬉しいとか思っているのだろう。

「やってらんねえよ」

 俺はスマホで、意味もなくこれからの天気予報を確認する。

(あ、今日は午後から雨かよ。傘持ってきてねえし)

 朝、ベランダに干してきた洗濯物が帰宅までに濡れずに無事であってほしいと願いつつ、視線をあげて窓から見える空を見つめた。

 今のところ雨が降るような雰囲気は全くないが――数時間後ともなれば違うのだろう。最悪、自分の身体は濡れても構わない。ただせっかく綺麗になった洗濯物を、洗い直すことになるのは嫌だな、と感じた。

 しばらく取り留めもない考え事をしていた俺は、隣の教室のドアがガラガラと開く音で我に返った。

 ――やっと終わったか。

 立ち上がって、教室の入り口へと進んでいると黒い影が速足で通り過ぎていくのが見えた。
 少しだけ開けた扉から顔を出すと、乱れた制服を整えながら立ち去っていく男の背中が見えた。

(相手は同じ学生か……)

 先輩か、後輩か。
 後ろ姿ではわからなが――。高身長で、スタイルのいい男だってことはわかる。

(あいつが好みそうな体型だな)

 朝の忙しい時間に、あいつを抱くとは相当、溜まっていたのだろうか。朝礼の時間までに間に合うように戻るくらいだ。そこそこ真面目な奴なのだろう。

 相手によっては、授業の最中に呼び出してやっていることもある。放課後のときもある。学校内だけではなく、ホテルや相手の家で――と、それ相応の金さえ払えば、あいつを自由に抱けるらしい。

 金を出してまで、あいつを抱いて……何が楽しいのか。
 俺にはわからない世界だな。男が男を抱くのに、金を払う。それもお小遣い程度の安い金額ではなくて――。

 人によっては一か月間、バイトを入れに入れまくって……やっと抱けるという奴もいると聞いた。

 必死に働いて溜めたのなら、もっと他のことで有意義に使えばいいと俺は考えるが――そうじゃない人間もいるようだ。

 あいつを抱きたい……その一心で頑張る人間もいる。

「やっぱり、隣にいたんだ」
 隣の教室の扉がガラリと開くと、やけに明るい声の男が出てきた。

 トランクス一枚で、制服を手にかけたあいつ……堅渡が俺を確認すると、にやりと意味ありげに笑った。

「いるって分かってて隣でやってたくせに」

 俺は一瞥すると教室の奥へと身を引っ込めた。さきほどまで座っていた場所に戻り、床に座る。

「奏汰(そうた)がいるかもしれないと思うと、酷く興奮するんだ。金を貰っているんだから、それなりに興奮してあげなくちゃ、相手だって満足しないでしょ」

堅渡が俺の隣に座ると、制服のポケットから煙草を取り出した。吸えもしない煙草を見せつけて、悪ぶりたいのだろうか。

 綺麗な顔立ちの堅渡には、似合わない行動だ。中性的な顔と言うのだろうか。声もそこまで低くない彼は、服装によっては女性に間違われる。

 ボーイッシュな女子とも見える容姿に、堅渡はコンプレックスを感じているようだが、見ようによっては整った顔のバランスとも言える。

 日に焼けても黒くなりにくい肌は、いつも滑らかで肌荒れ一つしていない。家で入念な手入れをしているようには見えないから、もって生まれた性質なのだろう。

「金を貰って――ねえ。そこまでして稼いで欲しいものがあるの?」
「別に。向こうから、金を出すから抱かせてくれってくるから、抱かせてあげてるの。そもそも僕は金に興味がないし……」

 堅渡の言葉に、俺は『そうだろうな』と心の中で呟いた。堅渡は俗に言う『お坊ちゃま』だ。
 父親からもらえる小遣いは桁が一桁も二桁も違う。高校の合格祝いは、高級マンションの最上階だった。

 だが一人暮らしはまだ早いと、堅渡はなぜか腹違いの姉と同居生活を余儀なくされたが――。さらには使用人として、俺も住み込みで働かせてもらっている。

 父親が作った莫大な借金のせいで――俺には自由がない。
 やっと見つけた一人になれる場所ですら、もう堅渡に把握されて奪われつつあるんだから。

「金が欲しいわけでもない。相手を好きでもない。なのに、金を貰って身体を売るなんて……おかしい」
「売ってるつもりはないよ。僕にやめてほしいなら、条件をあげたでしょ? 僕に喧嘩で勝てば、僕はいつでもこの生活をやめるよ?」

 くすっと笑うと、堅渡が寂しそうな笑みを浮かべる。

「俺が勝っていいのかよ?」
(喧嘩……弱いくせに)

 家の跡取りとして蝶よ花よと育てられた堅渡には、人と殴り合うような野蛮な行為はしたことがない。

 泥水の飲むような底辺の暮らしを知らない堅渡では、俺には勝てないだろう。取り立てにきたヤクザに、父親を逃がそうと殴り合ってきた俺を……堅渡は知らないだろうから。

 母親は離婚してとっくに逃げ出し、父親も俺をたてにしてどこかに姿を消した。
 堅渡の父親が、借金の肩代わりをしてもらえてなかったら、俺はどこかに身売りされたか、臓器売買の商品になっていたかもしれない。

 当時、堅渡とは中学校が同じでクラスメートだった。住んでいる世界が違いすぎて、会話もろくにしたことがない間柄だったのに――と助けてもらえたときは驚いたものだ。
だが助かったと思ったのは束の間――今度は堅渡の家族の奴○と成り下がったのだ。俺は、堅渡の人間には逆らえない。

 あのとき、彼が俺を助けてくれたのは、ただ堅渡を見張る人間がほしかったのだろうと今ではわかる。

 大事な後継者が道を踏み外さないように――。変な連中とつるまないようにするために、常に監視できる駒が欲しかったのだ。

 高校生となった堅渡は、父親の目を誤魔化すこともせずに、堂々と遊び歩いているが――。怒られるのはいつも俺だ。

 それでも女性遊びをしているわけではないからいいと、夜遊びや授業のサボり行為には寛容になっているように思える。

 そんな大切な後継者である堅渡を、俺が殴るなんて出来るわけがない。怪我でもさせて、堅渡の父親からの怒りを買えばどうなるか……考えたくもない。

「奏汰は僕に手を出せないもんね」
 父さんが、怖いから――、そう堅渡が呟くと手に持っていた煙草を口に咥えた。

「やめろよ。不良ぶるの」
「口寂しいんだって。僕が本当に好きなヤツは、僕の気持ちを完全無視だからね」

 俺は沸き起こる苛つきを舌打ちに変えると、堅渡の口にある煙草を奪った。

(吸えないくせに)
 ただ吸うふりをするだけ。

 気管支が強くない堅渡には、煙草の煙は毒だ。本人だってわかっている。

「煙草、返して」
 堅渡が、手のひらを差し出した。

「返すと思う?」
「それとも煙草のかわりに、他のを咥えさせてくれるの?」

 堅渡の視線が、俺の股間にいく。

「甘えるな」

「甘えたいよ。僕の気持ち、知ってるくせに。そうやって……いつもいつも僕を苦しめる」
(苦しめているのは、堅渡たち家族だろ)

 俺はただ従うしかできないんだ。

「煙草も売りもやめたら、抱いてやる」
(男が抱けるかどうかは……責任がもてないが)

 堅渡が『ふっ』と諦めたように笑うと、「嘘つき」と小さく呟いた。

「本当だ」
「ただ抱くだけでしょ。恋人にしてくれるわけじゃない」

(じゃあ、俺にどうしろって言うんだよ)

 俺は、立ち上がると廊下に向かって歩きだした。

「ねえ! 奏汰、怒った? なあ、待ってよ――」

 教室を出て行こうとする俺に、堅渡は焦りか不安を感じたのだろう。大きな声で呼び止めると、俺を追いかけようと立ち上がった。

 俺は教室のドアを叩くと、今にも走り出そうとしている堅渡に振り返った。

「俺は無意識に堅渡を苦しめているかもしれないけど……俺だって堅渡に苦しめられてるってこと忘れるなよ。いい加減、従順な人間を演じるのも飽き飽きしているんだ」

 俺はゴンともう一度拳で、ドアを殴ってから教室を出た。

 悪いのは堅渡じゃない。

 互いの関係性が問題なだけ。自分の父親が残した借金のせいで、堅渡の家に縛られている。それがいけない。

 堅渡が抱く感情は、堅渡だけのもの。それを俺がどうこう言える立場じゃないのはわかっているのに――。

 旧校舎を後にしながら、俺はつい堅渡に対して感情を荒げたしまったことを後悔した。




終わり。
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