人類最期の二人の最期
人類は今、俺と隣に居る女の子の二人だけになった。
理由は何だったか…下らない戦争が発端だった様な気もするが、今となってはどうでも良い。
俺と彼女だけが生きていた、それだけが我々に残された事実だった。
「まだ動ける?」
「いや、もう殆ど動かせないな……」
「そっか、私ももう動けないや」
食糧や飲料は町を漁ればまだ有るだろう、この世界を見渡せば幾らでも生きていける術は残っている。
が、それを許さない事情が我々には在った。いつの頃からか身体の動きが鈍り始め、終いにはろくに動かすことも叶わなくなっていた。
何かの後遺症だろうか、今は知るよしも無ければ、特に知りたくも無かった。
「怖いか?」
「うーん、あんまり。二人だからかな」
「そうか、そうだな……」
「やっぱり、ここで正解だったね」
ふと彼女がはにかむ。
最期が差し迫っている事を悟った俺と彼女とで決めた事の一つ、全ての終わりを迎えるべく選定したのがこの場所だった。
町を一望出来る丘の上、そこが俺達に終わりを告げる場所だ。
そしてもう一つ、これは俺の我儘だったが、彼女に膝枕をして貰っている。
提案した時は恥ずかしいからと拒否されたが、生涯の夢だと力説したら納得してくれたらしい。
そして今顔を見上げれば、彼女も満更ではなさそうで少し安心する。
「未来ってさ、もっと明るいと思ってた。もっと皆幸せになってるんだろうなって」
「……ついに車が空を飛ぶ事も無かったな」
「えぇ、何それー」
「昔の人が考えた未来では車が空を飛んでるんだ」
「ふーん、変なこと知ってるね」
どうやらこちらのイメージが伝わってない様だったが、こんな些細な齟齬ですらも今となってはいとおしい。
これから先誰も味わうことの出来ない食い違い、多様性、共感、人類史において先人達から授かった尊く偉大なもの。それを今、終わらせる為に言葉を紡ぐ。
「なぁ……」
「うん?」
「そろそろ名前を教えてくれても良いんじゃないか??お別れも近い事だしな」
そう、俺は彼女の、彼女は俺の名前を知らない。お互いが孤独であった時に偶然出会った。
「えー、うーん」
彼女は名前を教えてもくれなければ、こちらが名乗ろうとするとそれも拒まれた。最期の二人になって何年かはそんな調子だ。
「あのさ、喋れなくなっちゃう前に伝えるね。私、死ぬことは怖くないよ?」
「それは俺だって……」
「ねぇ、聞いて……。死ぬことは怖くない、それはホント。でもね……死んだ先に何も楽しみが無いと、きっとつまらないよ」
俺の言葉を優しく遮り、彼女はそう言った。きっと最期の間際につまるつまらないで良い大人が諭されているのは広い世界でもここだけだろう。
「だから、次に目が覚めた時の楽しみに……ね?」
ー 次 ー
決して来る事のない次に対しての願掛け、祈り。その対象がお互いの名前だった。俺には些か少女趣味が過ぎるが、それを知っておくのも悪くはない。
「あぁ、そうだな。それが良い」
しばしの沈黙、穏やかな時間がお互いの体温を意識させる。ふいに彼女の手が俺の頭を撫でた。なんだ?と聞いてみれば、なんとなく、だったらしい。
不謹慎なのかもしれない、彼女は違うかも知れない、だが俺にとってみれば、人類最期の二人にならなければこの多幸感は一生掛かっても得られなかったと思わずにはいられないのだ。
「なぁ、神様って居ると思うか?」
この空気に当てられたのだろう、らしくない事を聞いてしまう。
「そんな質問するの珍しいね」
「そうか?良いから質問に答えろよ」
「んーそうだなぁ、良く分かんないけど居るんじゃない?」
「こんな世界でも、神は居る……か」
「だって、ここから見える景色とっても綺麗だよ」
彼女は目を細めて町の方を見る。つられて見てみれば、なるほどどうして……。
雲の隙間から幾つもの光芒が差し込み、町全体が淡く暖かい光に祝福されているようだった。
「この景色をさ、世界で私達二人だけが見れてるんだよ?きっと神様からのご褒美だよ」
「お前は……よく恥ずかしげもなくそういう事言えるな」
なんてのたまってはみたものの、内心同じ事を考えていた。彼女はと言うとしばし膨れっ面だったが、いつの間にか穏やかな顔に戻っていた。口には出さないが、きっと気持ちは繋がっているのだろう。
嗚呼……時間、か。
「これってさ、私達神様に祝福されてるんじゃない?最期の二人になって、よく仲良くいましたねー……ってさ」
「……」
「そっか、そろそろ……なんだね」
「……」
痛みも無く、眠るように、それが神様からこの愚かな無神論者に与えられた祝福だった。
先立つ事も無く、置き去りにされる事も無く、同時に人類を終わらせられる幸福。やがて意識は微睡んで、彼女と自分の体温は溶け合い、やがて一つになっていく。
「じゃあ……一緒……に……お休……みだ、ね……」
最期の景色は、彼女の穏やかな顔だった。
そして彼女の見た最期の景色は、きっとこの仏頂面だったのだろう。
「……」
「……」
人類最期の二人の最期、名前も分からぬ親愛なる者、唯一無二の最愛なる者と共に逝ける喜びを貴女にも。
誰にも語られる事の無い人類の歴史の最期。
争いの歴史、過ちの歴史、間違っても褒められた歴史ではないだろう。だが、その歪な歴史の最期は紛れもなく、慈愛に満ちたものであった。