めかぶ亭 2019/07/06 13:11

昔の同僚さんと食事した時の話

というわけで、タイトルの通りです.....

サークルに纏わる話でもあるのですが、大体は中の人のチラ裏なのでご了承くださいませ。


先日、キャンペーン日記でも少し話したのですが、昔勤めていた職場の同僚さんとだいぶ久しぶりに食事してきました。


その同僚さんは私が副業でエロ同人を作っていることを知っていたので(めかぶ亭で、という事までは知らないですが)、近所のランチビュッフェに入り席に座ると、おしぼりで手を拭きながらまずこう切り出してくるわけですね。

『副業のほうはどうなん?』と。

特に隠す必要もないので、私は言います

『今はもう副業じゃなくて本業でやってるよ』と。

こういう話の運びになると大体は次に出てくる言葉も決まっており、案の定

『そんなに儲かってるの!?』と『羨ましい』という言葉が出てきました。

この『羨ましい』というのは、儲かっているかどうかに対する感想ではなく、『仕事を辞めて自分の好きなことで食ってる』という点に対する『羨ましい』です。
ぶっちゃけて言うと、現状はコミッションの報酬払いと生活費、税金でほぼ全てが消えています。

こういった話の流れになった場合、一般論として『作家には作家の苦労がある』みたいな反論もありますし、中には同人作家=楽して食ってる、という偏見を嫌う方も最近は少なくないと思います。
それだけ同人作家という職業や生き方が多くの人に認められ、謂わば市民権を得たというわけで、それはとても嬉しいことです。

ただ、私は思うわけですね。私が人生の中で創作に携わることなく会社勤めだけを続けていたら、そして同僚のほうが同人作家を本業にしていたら、たぶん逆の立場になったとき私も自然と『羨ましい』と感じてしまうだろうなと。

別に同人作家が楽してるとか、自慢したいという話ではなく、社会の中で生きていくことはとにかく大変で、その社会生活から解放されるという点に対する、純粋な羨望を感じてしまうと思うのです。

中の人はまだ30手前ですが、中卒から社会に出ている手前、社会経験は30代半ばと同じくらいに積んでます。
中学卒業して15年ほど、本当に辛さと苦しさばかりの社会生活でした。

ですから私は素直に、『これはこれで大変なこともあるけど、でも会社行くよりは全然楽だね』と答えました。


尤も、この同僚さんは私が兼業時代にどれだけ苦労してきたかも間近で見てきています。

娯楽よりもサークル活動を優先したり、当たり前のように3時間睡眠の生活してたり、コミケ前とか徹夜しまくって完全にテンションがイカれちゃってたり、そういう私を見ているので、羨むことはあっても嫌味を言ってきたりということはありません。

そして私自身、社会人やっていた当時はコミュ症が祟ってとにかく社会生活が辛くてしょうがなく、『めかぶ亭の活動だけで食べてゆく』という当初は思っても見なかった目標に向けて、ただがむしゃらに手を伸ばしていた自覚もありました。

確かに今の生活は、特に精神面で社会人やってるよりはだいぶ楽です。
ですが、そこに至るまでに相当な苦労を重ねているので、『会社勤めよりは楽』という考えは特に抵抗無く言えるものでした。


食事が進むうち、話は自然と『努力は報われるのか』という方向に向かっていました。


多くの人にとって、これはまさに人生のテーマなのではと思います。
果たして努力は報われるのか、そして成功というものはどれだけが努力に依存し、それだけが運に依存しているのか。


私は常々『めかぶ亭で今こうして活動できてるのは運がよかったから』と考えています。
同僚の方にも素直にそう言いました。私の文章力でめかぶ亭がここまで大きくなったとは到底考えられず、やはりサークル創設者でありイラストを担当してくださっているめてんさんの存在が、私の人生には必要不可欠でした。


では、どのへんが運だったのか?


まず、私がめてんさんの創作を知れたのは文字通り『運命の出会い』だったと思います。
『運命的』と『運がいい』はイメージのだいぶ異なる言い回しですが、本質的には同じだと考えています。
性癖が似通っているという共通点だけで、ふたりの人間が運命的な出会いを果たしたのです。

次に、めてんさんが文章によるアダルトコンテンツ、言うなれば官能小説に大きな関心を持っており、私の書く文章を評価してくださったこと。
文章と絵を等価に考えてくださるクリエイターさんは決して多いとは言えないと思います。
もちろん、一般論として創作にかかる時間や手間、つまりは人件費的な面で等価と考える方は多いかと思いますが、『性的なオカズとしての価値』で言うと等価でない場合が多いと思います。
めてんさんは自分の描くイラストと私の書く文章を等価で考えており、私の文章があるから絵が描ける、とまで断言してくださっています。
運命的に出会っためてんさんが、文章に性的な価値を感じて下さる人であった。これは間違いなく奇跡と言えるでしょう。

そしてもうひとつ、めてんさんがイラストレーターとしての道を究めて下さったこと。
これはもう100%運とか奇跡とかそういう類です。
ここに私の努力的要素が介入する余地は微塵も存在しないでしょう。


このように、私の今の生活があるのは、運的な要素を多く含みます。
この生活によってどのような人生を歩み、それが最終的に幸せに終着するかは定かでありませんが、これが『人生ガチャ』だったら排出率0.001%とかそれくらいの抽選率だと思います。

上記した『幸運』はあくまで一例だと思いますが、この一例の中でもただひとつでも欠けようものなら今の私はめかぶ亭は存在しなかったわけです。


では、今の私があるのも、めかぶ亭があるのも、運の産物なのかというと、それは明確に否と言えます。


例えば、私とめてんさんは性癖の共通点を通じて運命的に出会いましたが、それは私がファンメールを送ったという切欠があったからであり、この切欠が無ければその後の奇跡も無かったわけです。
もちろん、めてんさんは私との出会いがなくても凄腕イラストレーターになってましたが、今の私やMagical girl BadEndシリーズを展開するめかぶ亭は無かったでしょう。


ファンメールを送るという働きかけも一種の努力だと私は思います。
その後に続く奇跡や努力に比べればほんの些細なことですが、しかしこの些細な努力がなければその後に続く奇跡や努力も存在しません。


もちろん、寝る間も惜しんで同人誌作ったり、めてんさんの性欲を満たせるような文章を書くために官能小説を必死に研究することでエロさや無様さのある文章を書けるように修行したり、それはそれは様々な努力も積み重ねてきました。

しかし、一番最初のたった一通のファンメールがなければ、それらの努力をする余地もなかったのです。


成功というのは一種の宝くじみたいなもので、買ったからと言って当たるとは限りませんが、買わなければ絶対に当たりませんし、たった1枚の宝くじが人生を変えることもあります。
つまり、努力が必ず報われるとは限りませんが、努力をしなければ報われることも決して無い、ということで、どこかの誰かもそんなことを言ってましたが、やっぱりこの考え方が正しいんだねという結論に達しました。


この結論に達した頃、テーブルの上にはデザートの盛られた皿が並べられていました。
たらふく食べた満足感のなかでプチケーキやフルーツを食べていると、同僚だった方はこう切り出します。


俺の努力もいつか報われるのかな、と。


もちろん、彼は同人作家ではありません。
会社勤めの一社会人で、副業のようなものも特にはしていません。
そして私と同じく、社会人生活を苦痛に感じるタイプの方です。

苦痛に絶えながら頑張るこの社会人生活の先に、果たして幸せや成功というものが存在するのか?

同僚さんはそう切り出したわけですが、しかし自分の中で答えは決まっているようでした。
正直にいうと、私も同じ答えでした。少なくとも、私が同人作らずに普通の社会人をやっていたら、出世や成功という類には無縁であったと思います。


それは世の中が努力を評価しないのかというとそういうワケではなくて、自分に素直になるなら、私が社会でしていた仕事というのは大して評価されるような仕事ではなかったのです。

もちろん、残業したり休日出勤したり、時には会社に泊まりこみしたり、そういった努力は10代の頃からしていて、おかげで母親と二人三脚で実家を買えた(35年ローンだけど)というのはあります。
ただ、それ以外の人生はものすごく平凡で特に幸もないものだったろうなと思うわけです。


同僚さんのほうも似たような自覚があるようで、質問の本質は『成功に繋がる努力とそうでない努力の違いはなんなのか』というところでした。


私が思うに、そもそも『成功に繋がる努力とそうでない努力』という考え方が間違えていて、実際のところ『努力』と『苦労』の違いなんじゃないかなと思います。


努力というものは積み重ねるものであり、苦労というのは耐えるものです。


つまりは能動的に成功を掴みにいくか、受動的に成功が訪れるのを待ち続けるかという違いであり、一般論として前者のほうが成功者になれる可能性は遥に高いです。


私が社会人としてやっていたことは、どちらかと言えば『苦労』でした。
行きたくない会社に出社し、給料の為に好きでもない仕事をこなし、ただひたすらに苦痛に耐えていました。


一方で、同人活動は『努力』でした。
めてんさんに気に入ってもらえる文章を書けるよう研究し、まずは作品をひとつ完成させられるよう努め、そして創作物を世に送り出すことで地道に知名度とフォロワーさんを増やしていきました。


努力という言葉の中には苦労に近い意味合いも内包されている節があるので、たしかに一見すると似たようなものに見えるのですが、しかし『努力』と『苦労』は明確に異なる意味を含めています。


『明けない夜はない』という言葉を引用するのであれば、確かに暗闇に耐え続ければいつかは日が昇るのかもしれませんが、それが200年先のことであれば寿命のほうが先に尽きてしまいます。


だったら、見つかるかはわからないし危険も伴うけど、それでも日の当たる地を自分から探しに行こう、もしくは暗闇のなかでも幸せに生きる術を模索しよう、それが努力というものなんだろうなと、私は思うわけです。


努力と苦労の違いについて考慮しないと、『こんなに苦労してるのに何故報われないんだ!!』となりがちですが、社会人というのはみな等しく苦労をしているものだと私は思いますので、同じ苦労をしているだけだと報われる確率はあまり高くないのかな、というのが正直なところです。
もちろん理想論としては、苦労した人がみな幸せになれることが最善なのは言うまでもありませんし、できることならそういう社会であって欲しいとは思いますが.....


この同僚さんとは哲学的な話をすることが多いので、今回も自分の今までやこれからについて考える上でとても良い機会になったなと思います。


最後に甘いものを食べた口直しでフライドポテトを軽く摘まんで、私と同僚さんは店から出ました。会計はこちらの奢りです。

別れ際に同僚さんは、俺も何か始めてみないとなと、苦笑いを見せながら言っていました。
何かをしたい、何かをしなければいけない、という漠然とした思いはあるのですが、今更自分に何ができるのかという苦悩や、社会人としての一日が終わるとどうしてもゲームやアニメに癒しを求めてしまう現実があって、なかなか行動に移せないそうです。

また1年後くらいに食事できればなと思います。その時は私も、胸を張って『それなりに稼げてるし回らない寿司か高級焼肉でも奢るよ』と言えるくらいになっていたいものです。


私もなんとかサークル活動だけで食べていけるようにはなりましたが、しかしまだまだ『成功』などと言えるような立場では全くありませんから、これからも更なる可能性を探求したり、より良い作品を作るために精進しないとなりません。

自営業者は社会保障の枠の外で生きる性質が強いので、社会人やめれてよかったー、という満足感だけで現状維持をしていれば、5年後10年後には地獄を見る羽目になるでしょう。


そうならない為にも、サークルの活動を充実させるための手段を積極的に模索し、めかぶ亭の作品を愛して下さる方々に満足度の高い『オカズ』をお届けし続けるよう努力を続けていきます。


その努力こそが、巡り巡って自分の人生のためにもなりますので.....

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