ヒロイン工学研究所 2020/05/22 23:32

「敗姫処分 No.2」制作後記 その2

経験が浅いので泥縄式に進める

4ページ漫画のような作品をのぞくと、ちゃんとまとまりのある漫画を制作したのは今回で3作品目となります。しかも最後に描いたのが2016年の8月なので、いざ制作に着手すると、どうしていいのかわからないことも多く、有名作品を読んで勉強しながら漫画を描くといった具合に泥縄式に進んでいくしかありませんでした。
毎日新たに学ぶことがあり、それにともない漫画に対する認識も変化していきましたが、その認識の変化が前半と後半で作風のブレを生んでいるのではないかという気がかりもありました。ただ、経験の浅さは今さらどうしようもないことですし、学習によって生まれるプラスの変化まで否定するのは馬鹿げているので、ブレが生じてしまった場合は最終調整段階で描き直すぐらいの覚悟を決めて、むしろこの機会に学べるだけ漫画のことを学んでしまおうと他の作品を読み漁りました。

漫画においてはすべてが演出

日々漫画を学ぶ中で見えてきたことは「イラストと漫画絵の根本的な違い」でした。これは以前から考えていた問題ではありましたが、今回は自分で漫画を描かなければならなかったので、自分なりの方針になるようなより明確な答えが必要でした。そこで考えたのが、
「漫画の絵は絵ではなく、それ自体が演出である」
という極論でした。
もっと正確に私が到達した結論を言うと、
「コマ割り、フキダシ、絵、効果線、描き文字などの漫画上のすべてのビジュアル要素はそのシーンの演出効果である」
という極端な一般化です。
この極論は特にイラスト出身である自分には必要な観点でした。なぜならそれまでの私はシーンに必要な絵をイラストを描くときと大差のない意識で描いて、その上にエフェクトや描き文字などの演出効果を足すことで漫画を描いていたからです。あくまでも別物である絵と演出を最終的にアレンジでドッキングする感じです。私のようにイラスト出身で漫画に挑戦しようとする人間は「漫画は描いたことないけど、少なくとも絵は描けるんだから、それを漫画っぽく演出すればいいや」という意識からこういうアプローチになりがちなんじゃないかと思います。ところがその方法だと、どうしても漫画特有のダイナミックさが出ないということに気が付きました。
ちょうどその頃、私はバトル漫画の参考資料として「BLEACH」を読みながら、主に描き文字のデフォルメセンスを研究していました。そのときにふとある疑問が湧いたのです。それは、
「描き文字と漫画絵との間に本質的な違いはないのではないか?」
というものでした。
例えば敵を一刀両断するシーンに「ズバッ」というオノマトペの描き文字を描き加える場合、普通はどうするか?まずはそのシーンに相応しい演出効果が何であるかを考えます。とにかくド派手な「ズバッ」なのか、それとも躊躇なくゴミ同然に相手を殺せる非情さを感じさせるような「ズバッ」なのか、そのシーンで求められる演出が違えば、「ズバッ」の形や大きさ、質感、配置も変わってきます。そして極端な場合は、もはや日本語の「ズバッ」という形に見えないぐらいのデフォルメが施される場合だってあります。それでも上手い漫画家が描けば「ズバッ」という感じが見事に出ます。
その形に見えないのに「ズバッ」という感じが出ているというのは、まさにそのシーンに合致した演出効果が出ているということです。おそらく我々は漫画を読むときに物の形や字の意味を個別に解釈し理解しているのではなく、ストーリー展開と演出のダイナミズムに乗っかりながら自分を作品世界に同調させているのだと思います。面白い作品ほど作画や台詞のミスが見逃されやすいのも、読者が形や字を追っているのではなく、演出を追っているからなのかもしれません。
ところでこの「そのシーンに相応しい演出効果と合致したときにリアリティをもつ」という原理は描き文字に限らず、漫画上のすべてのビジュアル要素に当てはまるのではないかと私は考えました。だから絵も描き文字も演出効果の一部であるという本質からすれば違いはないのです。
また、こう考えると、まず絵を描いてから(つまりキレイに形を作ってから)適当な演出効果を後付けするという私がやっていた方法がなぜあまり上手くいかなかったのかも説明がつきます。漫画における絵はあくまでも演出の一つなわけですから、描き文字を描く場合と同じように、そのシーンに求められる演出の方から形が作られるべきなわけです。
よく「絵が上手いことは漫画家になるための絶対条件ではない」みたいなことを聞きますが、もしかするとそれは「ストーリーさえ面白ければビジュアル要素はどうでもいい」という意味ではなく、「一枚絵として見たときに上手いかではなく、その絵が意図された演出効果の一部となって、結果的に読者をストーリーに引き込むことに成功しているかの方が重要だ」という意味なのかもしれません。


残念ながらこのことに気が付いたときは制作は終盤に差し掛かっていましたし、そもそも理屈がわかったところですぐに実践できるものでもなかったので、この発見は今回の作品ではそれほど十分に活かされていないかもしれません。今後はこの仮説を検証すると同時に、漫画的な演出センスを磨くためにはどうすればいいか?を考えることが課題になると思います。

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