コンティニュー画面の魅力について考える
「敗姫処分 No.2 add'l」に収録する映像作品として格闘ゲーム風コンティニュー画面を制作することになったという話は先日アップした制作後記の中で書きましたが、その制作過程で色々と勉強になったので備忘録用に記事にしておきたいと思います。
過去作品を研究
リョナ・ヒロピン嗜好のある方なら、対戦格闘ゲームやアクションゲームのコンティニュー画面で昂奮したことがあるんじゃないかと思います。そのほとんどは、戦闘不能になったヒロインがハァハァしているだけの単純なアニメーションのループなのですが、そこにはバトル中に体験する興奮とは違う独特の魅力があります。
こうしたシンプルに見えて味わいのある映像作品には目立たない小さな仕掛けや工夫が満載なので、自分で制作する前にまずはそこを解明しようと思い、主に90年代頃の作品を中心にコンティニュー画面の資料をネットで収集し研究しました。
場面転換の意義
まず重要なのは、コンティニュー画面がバトルやアクションが行われる通常のゲーム画面から一度場面転換して始まる独自の形式をもっているという点です。
これには例外もあって、例えばベルトスクロール型アクションゲームではプレイヤーが全滅したときに場面が転換しないままコンティニューのカウントダウンが始まるようなタイプ(例:メタルスラッグ)もあります。おそらくこれはゲームを中断させないための配慮だと思われます。
しかし、ヒロピン的に魅力的なのはやはり一度暗転したりしてそれまでのゲーム画面から転換しコンティニュー専用の画面に移行するタイプです。場面が転換しないタイプのコンティニューは全滅してもすぐにその場から再開できるので、プレイヤーの意識はバトルモードを維持できますが、バトルやアクションのフィールドから一度強○退場させられる場面転換型では意識が一度クールダウンし、そのことが戦闘不能になったことを印象付けます。
多くのコンティニュー画面はちょっと薄暗く、そこではさっきまでとは違いヒロインを操作することが出来ません。それはまさに地下の牢獄に拘束されてしまったような感覚です。つまり場面転換型コンティニュー画面というのは、さっきまでパワフルな戦うヒロインだった存在がプレイヤーがコンティニューしてくれるのを待つだけの弱い存在に転落したことを印象付ける効果をもっているわけです。
なお、対戦格闘ゲームにおいてはコンティニュー画面の前に会話シーンが入ることがあります。多くの作品では勝者の弁が一方的に発せられるだけですが、例えば「DEAD DANCE」のように勝ち誇る勝者の台詞に続き敗者の絶望的な台詞が入るような凝ったものもあります。また、多くの作品ではここで「ヒロインの負け顔」が表示され、敗北感がより視覚的にドラマチックに演出されます。ゲーム設計として考えるとテンポの問題もあるので一概にどれが良いとは言えませんが、敗北感の演出という意味では、「非場面転換型<場面転換してコンティニュー<場面転換して会話画面になりその後にコンティニュー」の順に豪華になると言えます。
BGM、SE以外のリズム的要素
格ゲー風のコンティニュー映像を制作する上で最初から決めていたのは、BGM、SEは使わないということでした。理由は簡単で、映像と音響の関係について勉強をする時間がなかったからです。下手に合成して完成度を落とすぐらいなら最初から音響なしでも成立するような映像を作ろうと思いました。
音響なしでもカットのタイミングや被写体の動き、カメラワークなどを通じて映像にリズムを作ることは可能です。他にも格ゲー風映像ならば、会話シーンの文字表示スピードやカウントダウンのペースなどでもリズムを調整できます。
こうしたほとんど目立たないような要素の微調整を重ねていくことで生まれるリズムは意識レベルで捉えにくい分だけ無意識レベルに訴えかける力をもっており、この作業は作品のコンセプトと深く結びつきながらクオリティーを左右するとても重要なものだとわかりました。
コンティニュー画面を通じて生まれるヒロピン感が「目まぐるしく転落していく過程」なのか「ゆっくりと絶望の奈落に堕ちていく過程」なのかといったコンセプトの問題は、主にこうした無意識レベルに刷り込まれるリズム的要素によって決まってきます。
シーン化によりドラマチックさを演出
ヒロピン嗜好に訴えるコンティニュー画面にはドラマチックさがあります。まずは「ヒロインが負けてしまった」という事実、それに続き「ヒロインは再び立ち上がって戦えるのか、それともこのまま敗者として消えていくのか」という二者択一の切迫感が高まり、そして最後には再起がかなわずヒロインが完全敗北(ゲームオーバー)したことがはっきりと印象付けられます。
もっとも簡略化されたケースでは、これらの段階はカウントダウンの数字と「GAME OVER」の文字表示だけで表現されます。ここにヒロインの負け顔や、ハァハァと苦し気な息をするアニメーションなどが加わるとさらにドラマチックさが増すわけですが、もっともドラマチックなコンティニュー画面はこの過程全体を一つのシーンとして描き出します。
このタイプの代表作は「ファイナルファイト2」です。
https://www.youtube.com/watch?v=DO9b1d4dung
まずプレイヤーのマキが全滅するとバトル画面から暗転してコンティニュー画面に転換します。そこに映し出されるのは地下を思わせる薄暗い空間に荒縄で両手を縛られて吊るされるマキの姿です。ここで敗北と戦闘不能の事実が「敵に捕まって監禁された」という状況描写を通じてよりドラマチックに印象付けられます。
そしてコンティニューのカウントが始まりますが、それと同時に下から水が迫ってきます。単に監禁された状況描写とともにカウントダウンが表示されるのではなく、タイムリミットの切迫が水責めのシーンとして描かれるわけです。カウントダウンと水位上昇が対応していることはすぐにわかるので、プレイヤーはカウントがゼロになったときに水位が顔まで達してマキが溺死する運命を予感します。カウントダウンというデジタルな表現を水位上昇というアナログな表現と対応させることで切迫感がより直感的になるだけではなく、「このままじゃ死ぬ」という意味付与までされてさらに強化されます。また、水位上昇と連動してヒクヒク動くマキのアニメーションのピッチが上がるので、それにより「迫りくる溺死に対する恐怖」が伝わってきます。
「表示された数字が減っていきゼロになるとゲームオーバーになる」というシステムをそのまま表現しただけの簡略化されたコンティニュー画面と比較すると、「ファイナルファイト2」のコンティニュー画面はこのシステムを「捕まって水責めされ死が迫っている」というシーンに置き換えることで一連の展開を意味をもったドラマに変換しています。この「意味をもったドラマの中で体験する焦燥感や切迫感」こそヒロピン嗜好にとっては何よりも重要なのです。ヒロピン視点から考えた場合、コンティニュー画面の魅力はコンティニューのカウントダウンというゲームシステムをいかにドラマチックに見せるかのギミックアイデア(例えばカウントダウンと水責めの水位上昇を対応させる)にかかっていると言えると思います。
ゲームオーバー=完全敗北の刻印
カウントダウンの焦燥感、切迫感は数字がゼロになったときに絶頂に達して、そこでゲームオーバーが確定すると、今度は一転してカタルシス性の放心と虚無感が広がります。この緊張と弛緩の関係は性的なオルガズム現象と似ていると言えるかもしれません。
「ファイナルファイト2」ではこの瞬間、映画のストップモーションのように動きが停止し画面が白黒に変わります。これは精彩と活動性を失う=死の暗喩として直感的に機能する演出ですが、これを「写真になる」という意味で捉えることも可能だと思います。言わば「その姿が既成事実として記憶に刻印される」というイメージです。カッコよく活躍していたヒロインも最終的には無残に完全敗北した姿で永久保存されてしまう、そんなフェティッシュな魅力をもった演出だと言えます。
具体的にどのようなゲームオーバー演出が効果的かは一概には言えませんが、コンティニュー画面が本質的に焦燥感を煽る性格のものであることから考えれば、それに続くゲームオーバー画面はさらなる焦燥感や興奮を煽るようなものよりもカタルシス的な性格をもったものが相応しいと言えるような気がします。
習作の紹介
過去のゲーム作品を研究した後、同人作品に収録する動画の制作に入る前に手元の自作絵を素材にして習作を作りました。せっかくなのでここで紹介しておきます。
対戦格闘ゲームの会話画面風の動画の習作です。
この動画の制作を通じて文字表示のスピードのわずかな違いで印象が変わることを知りました。
コンティニュー画面からゲームオーバー画面までの習作です。
見てわかるように完全に「ファイナルファイト2」をリスペクトして作った作品です。カウントダウンの切迫感をアナログ化するギミック(「ファイナルファイト2」では水位上昇)として接近してくる触手の群れを使っています。また、コンティニュー画面開始時にレンズブラーをかけることで場面転換した感じを出しています。
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