【雑記】三宅香帆氏 著 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

 三宅香帆氏の著書「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という本の内容が非常に衝撃的だったので、感想をこちらで共有したいと思います。

会社員だった頃の僕、ニートになってからの僕

 この本自体の内容とはあまり関係ないのですが、僕はかつて会社員でした。会社員をやめてからは就労移行支援やA型作業所などに入所してフリーターのような働き方をして、それすらもやめてからは現在のようにニートとして生活しています。

 世間一般的には確かに、ニートというのは会社員よりもはるかに楽な活動をしていて、ストレスも溜まりにくく、鬱病になるリスクも低いとされています。こうした一般的な認識には僕も大いに同意できるところで、僕がかつて会社員としてブラック企業で働いていた頃の仕事の大変さに比べると、今やっている活動など、何倍も楽なものです。

 しかし、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という本は、そういう思い込みにこそ落とし穴があると警告しています。

「ニートなら会社員よりも楽なはずだから、バーンアウトのリスクはない」という思い込み

 本著にあいては、仕事を頑張り過ぎてしまったために心身を壊してしまうことを「バーンアウト」と定義しており、人間が一度バーンアウトすることで鬱病などを発症するリスクがあると指摘しています。そしてこれは仕事のみに限ったことではなく、創作活動や趣味といった、仕事以外の領域でもしばしば発生することがあるのだそうです。

資本家による搾取と、自分自身による搾取

 搾取というと、「資本家が労働者を搾取する構図」というマルクス的な視点にしばしばなりがちですが、本著では「資本家による搾取」以外にも、「自分自身による搾取」という概念があると指摘しています。つまり、自分以外の誰かに強○されて頑張るのではなく、自分自身の自由意志によって頑張り過ぎてしまった結果としてバーンアウトし、やがて鬱病になっていく、そういう一連の危険なプロセスのことを、本著では「自己搾取」あるいは「自分自身による搾取」と定義しています。

 この、「自分自身による搾取」という概念はあまりにも衝撃的で、率直に、僕は「これはまさに今の自分に当てはまっているのではないか」とゾッとする思いでした。「ニートなら会社員よりも楽なはずだから」という思い込みが、いつの間にか無意識の内に、僕自身を「自己搾取」へと追い込んでしまっていたのです。

頑張り過ぎることは問題か?

 僕自身は、僕がそんなに過剰に頑張り過ぎていると思ってはいません。かつて会社員だった頃は鬱病になるほど自分自身を徹底的に追いこんで、死ぬほどつらい思いをしながら働いていましたが、客観的に見て今の僕のやっている創作活動はそう大してハードワークというわけではないです。一般的なサラリーマンの労働時間と比べても、その活動時間は短いだろうと思います。

 ただ、本著で警告しているのは、自己搾取状態に陥っている人ほど、なかなかそのことを自分自身で自覚できないため、そのままバーンアウトや鬱病に突入していってしまいがちということです。自分は過剰に頑張り過ぎている、自分は疲れている、そういった自覚が一切ないまま気づいたらバーンアウトして鬱病になっている、もしそんなことになればそれは確かに恐ろしいことだなと思いました。しかも僕は精神病院で反復性鬱病障害の診断を正式にもらっているので、(今は治っているとはいえ)鬱病が再発症するリスクがふつうの健常者の方に比べて何倍も高いです。

 もしかすると、気を付けた方がいいのかなと、少し心配になる痛いニュル工房でした。

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