とまりぎ亭 2023/12/12 22:07

体験を書かない!という話、あるいはスーパーカリフラジリスティックキング穴ドーシャス

「ホームセンターにドリルを買いに来た客が、本当に必要なものは穴である」

 なんて話もありますが、正直んなもんただの論点のすりかえ、屁理屈です。
 だって、ドリルで空けた穴を穴をもって完成とする人なんていないでしょ?
 穴を開けたら当然そこにボルトを嵌めるなり、棚を据えるなり、棚に花瓶を飾るなり、花を活けるなり——。
 だからって「最終的にお客様がお求めなのは花であるから、花をおすすめしました」なんてぬかしたらぶっ飛ばされますよ。はよドリルを売れドリルを。
 こんな言葉遊びを真に受けるより、詭弁を弄して人より賢い気分になったヤツの頭骨に穴をプロデュースした方がよっぽど達成感を得られます。
 ドリルを買いに来た客が本当に必要なものは穴を開けたという達成感なので。……あれ?
 あっ、やめて、頭骨に穴をプロデュースしないで。

 ところがですよ、

「お客様、こちら“穴”でございます」

「うむ、素晴らしい“穴”だね。ひとつもらおうか」

「お包みいたしましょうか? 
 ……あぁ、包んだらもう“穴”じゃないですね」

 とやれるのが、フィクションの素晴らしいところ、意義と言ってもいいと思います。



 前回の記事で渡辺さんが、

「エッチなシーンで自分の体験を書くのか、書かないのか」
 
 と議題をブチ上げてくださいましたが、僕の場合はどんなシーンでも自分の体験をベースにして書いてることってほとんど無いです。
 もちろん、フィクションじゃなく正しい知識や事実を書かなきゃいけない部分に関する取材や調査は別ですけれど。
 体験ベースじゃない視点からも何か書いてよ!!とのことだったので、とまりぎ亭の机上の空論代表としてオタク早口させていただく次第です。

 ですからこれはどっちの方法論が適切だ、とか、より優れている、という話ではなくて、
 どういった種類の神様を信じるか、という宗教みたいな話ですのでそのあたりご了承ください。
 (スーパーカリフラジリスティック予防線ドーシャス)
 (スーパーカリフラジリスティック予防線ドーシャスってなんだ?)
 



 我々の仕事って、イデアを提案することだと思うんですよね。
 かわいいのイデア。かっこいいのイデア。現実にないもの、空想の中にしか存在しないもの。
 こちとら最強の美少女を書こうとしてるんですよ。

 キングコングの話をするときに見覚えのあるゴリラの話はしたくない、というのが僕が信じる宗教です。
 「ゴリラと比べてあいつはさぁ!!」でコングを語らないでほしい。
 ゴリラは忘れて今目の前にいるコングの話をするんだよ!!
 それともあれか、そのコングは生ゴリを忘れさせてくれるほどキングじゃないのか!?
 隣に寝ているコングが、「今一緒にいるのはコングでしょ? ゴリラの話しないでよ」と拗ねたように囁きはしないか!?
 
 ……というのがまあ、抽象的な心構えですね。
 でも心構えは心構えであって、心構えだけじゃシナリオはできません。シナリオもある種の工業製品なので。

 ある架空の出来事Aを文章で描写する時には、主にふたつのアプローチがあると思います。

①:書きたい出来事Aに似た体験A'を言語化し、AとA'の共通項から描写Bを得る方法(体験に基づく方法)
 
②:写像A''を想起させるような描写B'を集め、書きたい出来事Aを書く際に用いる方法(体験に基づかない方法)

 「……あ? 何言ってんだコイツ」とか「逆順なだけで言ってること同じじゃね?」と思った方、正解です。
 ただ②にはひとつだけ①に無い良いところがあって、それは写像A''が現実に存在する体験可能な出来事A'でなくても良い、ということです。

 たとえば誰かの文章(描写B')を読んでいて、脳裏にキングコングが浮かんだとします(写像A'')。
 すると僕は今後、「キングコングを表現するための描写」として描写B'を使うことができるようになるわけです。キングコングを一度も見たことが無いにも関わらず。
 こういう描写B'を日頃からたくさん集めて覚えておけば、表現したい架空の出来事Aをいくらでもパッチワークすることができます。
 実は別の誰かの文章である必要すらもありません。
 体験も写像すらもなく単に言葉の口触り先行で書いてみて、読んで見た結果十分にコングみがあればそのまま描写B'として採択です。
 ただ言葉がかっこいいだけで写像が伴わないなー、五感に響かんなーと思ったら、ボツにして頭の中の描写B'の引き出しを開けます。
 徹頭徹尾おうちぼっちでできる作業です。

 もちろん、描写B'を集める受信感度を高めるために、体験A’がたくさん必要であることは否定しません。
 だけど実際の作業で描写B'を使う際に、受信のために積み重ねた体験A'のことを1秒でも思い出したりはしないですね。ほとんどの場合。
 昆虫採集に虫取り網は必要だけれど、標本箱を眺める際に「やっぱあの網がなぁ〜」とは思わないでしょう。頭の中は虫のことだけです。
 そういう意味で僕は、「実体験を文章に反映しない」タイプのライターなのだと思います。表に出てくるのはどちらも文章なのでプロセスの違いは分かりづらいですが、皆それぞれ頭の中では違うことをしているのだと思うと面白いですね。繰り返しになりますが、「どっちのやり方がいいよ」という話ではなく、自分にとって居心地のいい方法論の話です。
 あ、ちなみに昆虫採集をして標本箱を作ったことはないですよ。一度も。
 
 ところでスーパーカリフラジリスティック予防線ドーシャスはスーパーカリフラジリスティック伏線ドーシャスだったのですが、スーパーカリフラジリスティック予防線ドーシャスという言葉を見ると僕は傘を手に歌って踊りながら保身を図るメリー・ポピンズ先生を思い浮かべます。それは僕がメリー・ポピンズの映画を見て、体験したからだ、ということには間違いないのですが、傘を手に歌って踊りながら保身を図るメリー・ポピンズを表現するためにスーパーカリフラジリスティック予防線ドーシャスなどと書いたはずもなく、単に「予防線」という言葉の強調表現として「スーパー予防線」じゃ弱いし、いっちょ「スーパーカリフラジリスティック予防線ドーシャス」まで盛ったろ!!とふざけたところメリー・ポピンズが踊った次第でございまして。これがすなわち写像A''であって、今後僕はどんな物事であっても「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」の中にワカメがごとく混ぜ込めばポピンズ先生が胡乱に踊ってくれるという描写B'デッキを手に入れたということでありまして寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る処に住む処藪ら柑子の藪柑子パイポパイポパイポのスーパーカリフラジリスティックのグーリンダイグーリンダイのエクスピアリのポンポコナーの長久命のドーシャス

 あんまり話が長いから穴が塞がっちゃった。
 おあとがよろしいようで。

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