近況6/11 あくがれいづるたまかとぞ見る
先月末投稿した『淫ら舞の巫女たち』第一幕で、マガミタマ登場の際の演出を決めたので、遡及して昨年投稿したルリルナ番外編幽霊屋敷回にも同様の演出を追加してみました。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20540315
https://novel18.syosetu.com/n7452ij/
私の一番好きな和泉式部の歌を、意味を反転させてそのまま投入。
おおもとの歌は、
「黒髪のみだれもしらずうち臥ふせば
まづかきやりし人ぞ恋しき」
というものです。
この歌を最初に読んだ時はもう、シビれました。和歌という表現の枠の中で、ここまで直接的にエロティックな作品を、平安時代の女性が作れるんだ! っていう。もう衝撃でしたね。
平安時代の和歌って、直接的な恋を歌った場合でもやっぱりどこか、御簾を挟んでやり取りしているような、そういう距離感で言葉を交わしているような感じのものが多くて。そんな中で、自分の黒髪をかき上げる手、っていうダイレクトに同じ床にいる恋人がふわっと想起されるの、「ここまで踏み込んで書けるんだ!」っていうところにビックリしたんよね。
それでいて下品でもない。
女流文学って、時に男より大胆にこういう表現の踏み込みしてくるから凄いんだよな。日本文学の表現力に豊かさがあるとすれば、その何割かは間違いなく女性が切り開いてきたものだと思います。世界的に見ても珍しいことなのよ、これ。
私、個人的なイメージとして、「紫式部は構想力モンスター」「清少納言は編集力モンスター」とか適当な呼び方してるんだけどw
それで言うと和泉式部は「表現力モンスター」だと思う。同時代の水準と比べて、表現力が段違いすぎる。
「君恋ふる心は千々にくだくれど
ひとつも失せぬ物にぞありける」
あなたを思うあまり、心が砕けて粉々になってしまった、くらいまでならまぁ、表現としてありそうじゃないですか。けどそこで、「砕けた心の破片のどれ一つとして消えてなくなることがない」まで来ると、これはもう脱帽するしかないんだよな。自分の心の動きを観察して、比喩を使ってこうまで言語化できるの、ちょっと表現力異次元すぎるんですよね。
平安時代の和歌っていう枠組みで見てても、和泉式部だけはなんか別競技をやってるんじゃないかって、それくらい突出してる。
また、そういう女性作家たちの作品を、1000年の間守って保存し続けてた、日本という国も本当に大好きなんだよな。和泉式部の作風も、また清少納言のエッセイにしても、当時の主流の文学の傾向から言ったらけっこう異端だったはずでさ。でもだからって黙殺したりはしなかった。ちゃんと残したんだよね。そこは凄いと思うの。今と違って、多大な労力とコストをかけないと作品の保存ってできなかった時代だからね。
和泉式部といえば、有名な歌に
「もの思へば沢の蛍もわが身より
あくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る」
というのもあります。物思いにふけっていると、沢のホタルが、自分の身から離れてさまよう魂であるかのように見えます、っていう。
この歌自体は有名なんだけど、個人的に好きなのはこれに付随して語られてるエピソードで。
和泉式部がこの歌を詠んだのは京都の貴船神社に詣でた時だったのですが、この歌を詠んだ時、なんと神様である貴船明神の声がその場に聞こえて、
「奥山にたぎりて落つる瀧つ瀬の
たまちるばかりものな思ひそ」
「お前、あんまり思いつめすぎるんじゃねぇぞ?」と神様に直接声をかけられるような返歌をもらったという逸話があるんですよね。なんか、神様でさえ心配して思わず声かけてしまうレベルだった、みたいな話になってて。どんだけだよ!w
こういう昔の説話に出てくる神様、どことなくチャーミングで好き。
などとペラペラまくし立てておりますが、私自身の和歌の素養は決して高いものではありません。
何か、作中に出てくるマガミタマの登場にケレン味をつける演出が欲しいな、と思ってひねり出した和歌っぽいフレーズですが……これ、シリーズ続けていくうちに絶対苦しくなってくるなぁ、と今から将来の苦戦が何となく想像できてて。
こんな本を今ごろ慌てて読んでいたりしますw
なぁ俺よ、「泥棒を見て縄をなう」ってことわざ知ってるか?
そんな感じで、常に自分の足りないところに追われながら作品を書いておりますね。
しょうがないよな、作家は作品の奴○なので。作品様が「ここにこういう素材が必要だぞ」とおっしゃれば、作家は東奔西走してそれを集めてくる使いっ走りをするのが役割でございますw
大変だけど、まぁ頑張りますよ。
現在は支援者さん向け小説を粛々と進行中。本格的にエッチシーンに差し掛かり始めたのでここからはペースを上げられると思います。
そんなところで。