長い一日は桜の見頃を知らせる風情すらなく、ジリジリと進む太陽の示すに従って過ぎていた。
「興奮して声が大きかったから薬が出ただけで、量は少ないです。早ければ三週間もあれば出れますよ」
勤勉な看護師の助言だった。検査が終われば退院出来る。逆にいうなれば、不要な検査の為に足元を掬われてしまったのだ。
ハヤトは帰郷してから不自由な生活を余儀なくされた。離職による不自由以外の不自由がその身にはかかっていた。
亡き母が二十年来信仰した新興宗教が、イベント企画を嗜みにする趣味人と相性が悪かったのだ。好きなこと、楽しいこと、愉快なこと。心の拠り所にする活動を一つ一つ畳んでいかねばならなかった。
しかし、小規模なイベント企画を主催する根底には母の影響があった。まだ宗教にのめり込む前、ケーキ作りや毛糸のマフラーを編むそういう豆さが残っていた時期。
他所の家でおやつをご馳走になったと聞けば、手作りのベークドチーズケーキを持って行くように手渡された思い出。
小学生が数人集まってテレビゲームに夢中になる。そういう交流が家毎の躾の違いを知るきっかけにもなっていた経験。
三つ子の魂百までとの諺があるが、人生の指針に悩む時、経験が道導になる場合もある。
大人の階段を登るように。ゲームで遊ぶなんて事をしなくなった社会人が生活の速度を落としたのは、ハンドル操作を誤ったからなのかもしれない。将来が見通せなくなった。それは社長が変わった環境の変化だったのかもしれない。型に嵌った出世コースがあった訳ではないが、自身の持っていた信条や、自信が揺らぐ変化が青臭い高卒五年目程度のハヤトに訪れたのだった。
魔が差して続ける気力がなくなった。そういう衝動で動けるのが、配偶者を持たぬ独り暮らしの身勝手さだった。結果、食品工場と新聞配達を掛け持ちしつつ、著述業に挑戦する。どこにでもいる傾奇者になった。現代カルチャーを知るためにアニメや映画を嗜む。その生活にゲームが戻って来たのは、偶然、職場の先輩が声優業を行っていたからだった。
「今の若者は、昔に比べて十年も夢を諦めるのが早くなっている」
二十代中旬で諦めるご時世を憂いつつ、演者同士の交友関係を深めるツールとして携帯ゲームを嗜んでいる話をしていた。
年齢を超えて楽しめる話題、達成感や自己肯定感に直結するプログラム。ゲームを再び購入したのは、抜けているピースを補うためだった。
メタ的な発言をするなれば、サラリーマン的に働いている時に、上司と先輩が某ロボットアニメの話で盛り上がっていた際に、ハヤトは疎外感を抱いたのだ。アニメとして観ていない。それだけで蚊帳の外にいるのだ。それは、パチンコや、タバコや、女遊びでも同様に経歴が無いだけで話が合わない場合はあるだろう。言語が違えば、話の輪に入れない不満はマッハで増えるという実演を受けた事すらある。
世の中の情報が多様化すればするほど基礎的な知識の程度が変わってくる。退屈する時間も多くなる。周囲の話を理解する為の素養に新聞程度の読解が必要になるのかもしれないが、現存する市場が縮小の一途を辿っているのだから、国民の共通認識を提供するスタンスは揺らいでしまった。原因が何であれ、ハヤトには貪欲な意思があり、知識の吸収と定めた期間、思いっきり映画やアニメに没頭したのだった。
その流れで、ゲームに手を出して、初めての通信対戦を遊んだのだった。
遊ぶのが好きな少年時代を過ごしていた。自身の思い描く面白い遊びを考えて提供していた。そういうワンシーンが攻略本を読み込んだり、コマンドを覚えるといった正攻法ではない。敗北実況を催した。ハヤト少年自身が持ち合わせていないゲームをコントローラーだけ持って遊びに行く。立ち位置として永遠の素人が道化を演じていたのだった。
ぐにゃぐにゃ考えても埒が明かない時、とりあえず、刺激的な対戦の中で、自身が目指す目標をどこまで低く構えられるか。
「ゲームを辞めたキッカケは攻略動画を観た時に虚しい気持ちになったから」
社会人同士の会話の記憶がハヤトにとっては不安要素だった。プログラムを淡々と熟すだけのプレーヤーに成ってはいけない。求める答えを探して仲間を募って対戦会を始めた。
試行錯誤の末で、レギュレーション付きの対戦会を毎週開催するようになったのだった。しかし、ハヤトは携帯ゲームをただ楽しむのではなく。対戦動画を配信したいと考えた。特別変わった考えではなく。前例がないわけでもない。動画配信サイトにジャンルが出来上がるように世間に存在する行動のひとつだった。
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愛情とは相手を長生きさせる気遣いなのかもしれない。
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