[♀/読切小説]満たされない想い、満たされる時に
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無能一文 / 誇り高き無能者会議 2023/11/29 19:00
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無能一文 / 誇り高き無能者会議 2023/06/22 01:36
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無能一文 / 誇り高き無能者会議 2023/05/31 23:02
もしも、僕が宇宙人だったなら、と最近よく考える。
目の前に、一人の男子がいる。そいつは顔がまあまあ良く、勉強はできないが運動はよくできた。クラスの人気者だった。
そいつは、ははははは、と気狂いのような笑い声を上げた。僕はそいつの前で股間を抑え、蹲っていた。掃除の時間だった。
「あっれー、ボールだと思ったんだけどなあ」そいつはわざとらしく、ふざけた調子で言った。「わりー。また、田中の金玉だったわ」
一部始終を見ていたクラスの女子達が、ひそひそと囁き合っているのが聞こえる。その中には、くすくすという無数の忍び笑いが混ざっている。
「あは、田中くん、また秋山くんにおちんちん蹴っ飛ばされてる」
「あんなに何度も蹴っ飛ばされて、潰れちゃわないのかなあ」
「ぷぷ、田中、かわいそー。男子って、すっごく痛いんでしょお? ああやって、アソコ強く打つと」
そいつは粗野で、品位のない言動が目立つ人間だった。僕が人前ではとても口にできない単語も、平気で口走って恥じるところがない。けれども、小学校で人気者になるためには品位なんていう高尚なものは邪魔でしかない。むしろ、下品であれば下品であるほど良い。運動神経とサービス精神さえあれば、小学校ではヒーローになれる。そいつには抜群の運動神経があった。サービス精神も旺盛だった。クラスの女子達の前で、格下と見なした特定の男子の局部を蹴り上げてみせたり、時に無理矢理に下半身を露出させてみせたりする程度には。
「うーん、いや、やっぱりボールだわ。練習しよっと」
仰向けに突き飛ばされて、両脚を掴まれる。市のサッカークラブで鍛え上げられた足が、両脚の間に強引にねじ込まれる。ぐりり、と汚い上履きの靴裏がズボンの上から僕の股間を踏みにじる。僕はクラスの女子が見守る中、そいつに『電気按摩』の刑を執行された。
女子の一部が、悲鳴に近い黄色い声を上げた。女子のほとんど全員から失笑がもれた。
両脚を掴む手と、小刻みに振動する足裏から、そいつの高揚感が伝わってくる。異性の前で、同学年の男子に対し、圧倒的なオスとしての優位性を見せつけているこの瞬間の快感に、そいつは著しく興奮しているようだった。両脚を掴む手に、他人の股間を踏みつける足に、力がこもる。
僕は刺激の強さに気を失いそうになる。力が抜けた瞬間、そいつの驚く気配を感じる。
女子がわあ、と歓声を上げる。そいつが不必要なほどに声を張って、さも得意げに言う。
「うわあ、田中、ションベン漏らしやがった! 汚ねえ! 掃除中に何してんだよ!」
おもらし、おもらし、とざわめく女子の声。その中には、くすくすという無数の忍び笑いが混ざっている。
「大丈夫?」
伊藤絵里那が尋ねる。声の調子は優しい。
僕は大丈夫、と応える。大丈夫ではなくとも、大丈夫、と応えることにしている。
保健室で、僕は着替えを行っていた。男子の保健委員は休みだったので、女子の保健委員である伊藤絵里奈に『おもらしした子の付き添い』という汚れ役が回ってきたのだった。
伊藤絵里那は、僕があいつに虐げられている光景を目にして、笑うことのない数少ない女子だった。そういった場面に出くわした時、彼女は気の毒そうに目を伏せるか、唇を噛み締めていた。まるで、自分の無力さを恥じるかのように。
「……ごめんね。女子について来られるの、嫌じゃなかった?」
僕は大丈夫、と応える。大丈夫ではなくとも、大丈夫、と応えることにしている。
僕のことを、宇宙人みたいだ、と言ったのはあいつだった。こういう『事前に決めた対応』をなるべく行うことにしている具合が、そのような印象を与えたのかもしれない。あいつが主に言及したのは、僕の耳の形が少々変わってることだったけれども。
「……」
伊藤絵里那が、気まずげに僕を見ている。
僕は何か話そう、と思った。気まずげに僕を見る人間に対しては、僕は何かを話すことにしている。
「僕、宇宙人に見える?」僕は言った。
「ぜんぜん、見えないよ」伊藤絵里那は急きこんで言った。「あいつが言ったんでしょ? 秋山が変なだけだよ」
「そうだね。僕は宇宙人じゃない。僕は地球人で、日本人だ」
「うん」
「僕は、でも、僕が宇宙人だったら良かった、って最近良く思うんだ」
「え?」
「この前、読んでいた小説にね。出て来たんだ。宇宙人が。地球を視察に来た宇宙人だよ。宇宙人の星は凄い技術力を持っていて、この地球なんて百回だって滅ぼせてしまうんだ。この宇宙人は地球人の本質を自分の目で確かめるために、この地球にやって来たんだ。地球人がまともに交流するに値するかどうか、を試すためにね」
「そうなんだ……」
「僕がその宇宙人であったら良かったのに」
「うん……」そこでしばらく考える間を取って、伊藤絵里那は真面目な口調で言った。「でも、もし、そうだったらさ……田中くんは、どうするつもりなの?」
どうもしないよ、と僕は応える。どうかするつもりであっても、どうもしないよ、と応えることにしている。
「私、やっぱり、先生に言うよ」伊藤絵里那が深刻な表情で呟く。
どうもしないよ、と応えることにしている。事前に決めている。
でも、今この瞬間だけは、それが自分の本心に思えた。
目の前に、一人の女子がいる。その子は顔がまあまあ良く、真面目で勉強はできるが運動はあまりできない。クラスではさほど目立たない子。
その子はおどおどとした様子で、あいつ――秋山に迫られている。
「ほら、お前も面白いからやってみろよ」
「でも……」
「お前、そういう気弱なこと言ってるから、馬鹿にされて田中との相合い傘なんて描かれるんだよ。なに、お前、本当に田中と付き合ってるの? 好きなの?」
「ぜ、全然そういうのじゃないし、付き合ってないよ!」
「だったら、いいじゃん。言っとくけど、今やらないともう手遅れだからな。本当に付き合ってることになっちゃうからな。ほら、簡単だからさ。ここではっきりと、お前が田中のことなんて何とも思ってないって証拠を見せとけって」
掃除の時間だった。その子を動かすための、秋山の手際は見事だった。黒板にでかでかと描かれた相合い傘から始め、醜聞の濡れ衣を着せて騒ぎ立てる。逃れようとするその子の動きに合わせて、的確に望む方へと追い込んでいく。その子は見る間に追い詰められて、一つを除く退路の全てを断たれた。あからさまに残されたたった一つの退路を、その子は選ばされる。
秋山に気のあるらしき二人の女子に取り押さえられて、僕は尻餅をついた体勢で教室の床に座り込んでいる。秋山によって、両脚は開かれている。
その子は、僕に恐る恐る近づいてくる。震える手を伸ばし、秋山から僕の両脚を受け取る。その子の口元が、ごめんね、という形を結ぶのが見て取れる。
その子は、ゆっくりと自らの利き足を上げる。僕はよく知っていた。その子の利き足が左足であることを。
僕を取り押さえた二人の女子の身体が、強張る。教室内の空気が緊張で張り詰める。こういうことが起きるのは、この荒れた教室でも初めてだった。その子は秋山の指示した通りの位置へと、遠慮がちに足を運ぶ。きゃー、と女子の声が上がる。そう、そこで力を入れて、思いっきり踏みつけて――秋山が促す。
すう、と息を深く吸って。その子は、ぐっ、と息を止め、全身に力を込める。
ぎゅむううう、と踏みつけられる。ぐりぐりぐり、と踏みしだかれる。
今日、この世から消えてなくなってしまったあの子のことを想う。
もしも、僕が宇宙人だったなら、と考える。
また、考える。
(了)