[♂/読切小説/旧作]もしも、僕が宇宙人だったなら



 もしも、僕が宇宙人だったなら、と最近よく考える。

 目の前に、一人の男子がいる。そいつは顔がまあまあ良く、勉強はできないが運動はよくできた。クラスの人気者だった。
 そいつは、ははははは、と気狂いのような笑い声を上げた。僕はそいつの前で股間を抑え、蹲っていた。掃除の時間だった。
「あっれー、ボールだと思ったんだけどなあ」そいつはわざとらしく、ふざけた調子で言った。「わりー。また、田中の金玉だったわ」
 一部始終を見ていたクラスの女子達が、ひそひそと囁き合っているのが聞こえる。その中には、くすくすという無数の忍び笑いが混ざっている。
「あは、田中くん、また秋山くんにおちんちん蹴っ飛ばされてる」
「あんなに何度も蹴っ飛ばされて、潰れちゃわないのかなあ」
「ぷぷ、田中、かわいそー。男子って、すっごく痛いんでしょお? ああやって、アソコ強く打つと」
 そいつは粗野で、品位のない言動が目立つ人間だった。僕が人前ではとても口にできない単語も、平気で口走って恥じるところがない。けれども、小学校で人気者になるためには品位なんていう高尚なものは邪魔でしかない。むしろ、下品であれば下品であるほど良い。運動神経とサービス精神さえあれば、小学校ではヒーローになれる。そいつには抜群の運動神経があった。サービス精神も旺盛だった。クラスの女子達の前で、格下と見なした特定の男子の局部を蹴り上げてみせたり、時に無理矢理に下半身を露出させてみせたりする程度には。
「うーん、いや、やっぱりボールだわ。練習しよっと」
 仰向けに突き飛ばされて、両脚を掴まれる。市のサッカークラブで鍛え上げられた足が、両脚の間に強引にねじ込まれる。ぐりり、と汚い上履きの靴裏がズボンの上から僕の股間を踏みにじる。僕はクラスの女子が見守る中、そいつに『電気按摩』の刑を執行された。
 女子の一部が、悲鳴に近い黄色い声を上げた。女子のほとんど全員から失笑がもれた。
 両脚を掴む手と、小刻みに振動する足裏から、そいつの高揚感が伝わってくる。異性の前で、同学年の男子に対し、圧倒的なオスとしての優位性を見せつけているこの瞬間の快感に、そいつは著しく興奮しているようだった。両脚を掴む手に、他人の股間を踏みつける足に、力がこもる。
 僕は刺激の強さに気を失いそうになる。力が抜けた瞬間、そいつの驚く気配を感じる。
 女子がわあ、と歓声を上げる。そいつが不必要なほどに声を張って、さも得意げに言う。
「うわあ、田中、ションベン漏らしやがった! 汚ねえ! 掃除中に何してんだよ!」
 おもらし、おもらし、とざわめく女子の声。その中には、くすくすという無数の忍び笑いが混ざっている。

「大丈夫?」
 伊藤絵里那が尋ねる。声の調子は優しい。
 僕は大丈夫、と応える。大丈夫ではなくとも、大丈夫、と応えることにしている。
 保健室で、僕は着替えを行っていた。男子の保健委員は休みだったので、女子の保健委員である伊藤絵里奈に『おもらしした子の付き添い』という汚れ役が回ってきたのだった。
 伊藤絵里那は、僕があいつに虐げられている光景を目にして、笑うことのない数少ない女子だった。そういった場面に出くわした時、彼女は気の毒そうに目を伏せるか、唇を噛み締めていた。まるで、自分の無力さを恥じるかのように。
「……ごめんね。女子について来られるの、嫌じゃなかった?」
 僕は大丈夫、と応える。大丈夫ではなくとも、大丈夫、と応えることにしている。
 僕のことを、宇宙人みたいだ、と言ったのはあいつだった。こういう『事前に決めた対応』をなるべく行うことにしている具合が、そのような印象を与えたのかもしれない。あいつが主に言及したのは、僕の耳の形が少々変わってることだったけれども。
「……」
 伊藤絵里那が、気まずげに僕を見ている。
 僕は何か話そう、と思った。気まずげに僕を見る人間に対しては、僕は何かを話すことにしている。
「僕、宇宙人に見える?」僕は言った。
「ぜんぜん、見えないよ」伊藤絵里那は急きこんで言った。「あいつが言ったんでしょ? 秋山が変なだけだよ」
「そうだね。僕は宇宙人じゃない。僕は地球人で、日本人だ」
「うん」
「僕は、でも、僕が宇宙人だったら良かった、って最近良く思うんだ」
「え?」
「この前、読んでいた小説にね。出て来たんだ。宇宙人が。地球を視察に来た宇宙人だよ。宇宙人の星は凄い技術力を持っていて、この地球なんて百回だって滅ぼせてしまうんだ。この宇宙人は地球人の本質を自分の目で確かめるために、この地球にやって来たんだ。地球人がまともに交流するに値するかどうか、を試すためにね」
「そうなんだ……」
「僕がその宇宙人であったら良かったのに」
「うん……」そこでしばらく考える間を取って、伊藤絵里那は真面目な口調で言った。「でも、もし、そうだったらさ……田中くんは、どうするつもりなの?」
 どうもしないよ、と僕は応える。どうかするつもりであっても、どうもしないよ、と応えることにしている。
「私、やっぱり、先生に言うよ」伊藤絵里那が深刻な表情で呟く。
 どうもしないよ、と応えることにしている。事前に決めている。
 でも、今この瞬間だけは、それが自分の本心に思えた。

 目の前に、一人の女子がいる。その子は顔がまあまあ良く、真面目で勉強はできるが運動はあまりできない。クラスではさほど目立たない子。
 その子はおどおどとした様子で、あいつ――秋山に迫られている。
「ほら、お前も面白いからやってみろよ」
「でも……」
「お前、そういう気弱なこと言ってるから、馬鹿にされて田中との相合い傘なんて描かれるんだよ。なに、お前、本当に田中と付き合ってるの? 好きなの?」
「ぜ、全然そういうのじゃないし、付き合ってないよ!」
「だったら、いいじゃん。言っとくけど、今やらないともう手遅れだからな。本当に付き合ってることになっちゃうからな。ほら、簡単だからさ。ここではっきりと、お前が田中のことなんて何とも思ってないって証拠を見せとけって」
 掃除の時間だった。その子を動かすための、秋山の手際は見事だった。黒板にでかでかと描かれた相合い傘から始め、醜聞の濡れ衣を着せて騒ぎ立てる。逃れようとするその子の動きに合わせて、的確に望む方へと追い込んでいく。その子は見る間に追い詰められて、一つを除く退路の全てを断たれた。あからさまに残されたたった一つの退路を、その子は選ばされる。
 秋山に気のあるらしき二人の女子に取り押さえられて、僕は尻餅をついた体勢で教室の床に座り込んでいる。秋山によって、両脚は開かれている。
 その子は、僕に恐る恐る近づいてくる。震える手を伸ばし、秋山から僕の両脚を受け取る。その子の口元が、ごめんね、という形を結ぶのが見て取れる。
 その子は、ゆっくりと自らの利き足を上げる。僕はよく知っていた。その子の利き足が左足であることを。
 僕を取り押さえた二人の女子の身体が、強張る。教室内の空気が緊張で張り詰める。こういうことが起きるのは、この荒れた教室でも初めてだった。その子は秋山の指示した通りの位置へと、遠慮がちに足を運ぶ。きゃー、と女子の声が上がる。そう、そこで力を入れて、思いっきり踏みつけて――秋山が促す。
 すう、と息を深く吸って。その子は、ぐっ、と息を止め、全身に力を込める。
 ぎゅむううう、と踏みつけられる。ぐりぐりぐり、と踏みしだかれる。


 今まで見たことのない類の光景に、女子が一斉に歓声を上げる。秋山が馬鹿みたいな大声を立てて笑う。
「あははは、いいぞいいぞ。もっと踏め踏め!」
 秋山が上機嫌でその子を焚き付ける。顔はいつも以上に嗜虐の悦びに輝いている。自分以外の男が女の子に大切な部位を踏みつけられていることが嬉しいのか、あるいは女の子に自分以外の男の大切な部位を無理に踏みつけさせているのが嬉しいのか、はたまたその両方なのか。恐らくは、本人にもわかっていない。野卑な本能が命じるまま、行動しているだけだ。
 とにもかくにも、秋山ははしゃいでいた。本来女の子の下半身に受け入れてもらうために存在する男子の象徴となる器官を、女子達の見守る中、その対象となるはずの女子自身の足で踏みつけにさせる行為は、想像していた以上に痛快なものだったらしい。
「おい、どーよ、田中。気になってた女子に、上靴履いたままチンポ踏んづけられる気分は! 抱き寄せてキスしたい女子に、キスどころか、金玉踏み潰されそうになってる感想は!」
 大丈夫ではなくとも、大丈夫、と応えることにしている。どうかするつもりであっても、どうもしないよ、と応えることにしている。
 だけれども、大丈夫とも、どうもしないよとも、僕は言うことができない。僕は悲鳴にも喘ぎにも似た、意味の取れない声を上げることしかできない。
「ビビんな。やれやれ、もっとだ。踏み潰しちまえ!」
 つま先を赤く塗ってある女の子の上履きが、強く、深く、押しつけられる。ねじ込まれる。回転をつけて、リズムをつけて、ぐりりりりり、と。
 僕は息を止める。強すぎる刺激によってあらぬ方向に吹っ飛ばされた意識が、視線が、教室の後ろに貼り出してある情報を無作為になぞる。わけもなく、授業で書いた習字や、額に入った標語、ポスターの文字の表面だけを空虚になぞる。『友情』、『仲間』、『愛』――ぐりぐりぐり――『よく学び、よく遊べ』――ぎゅうううううう――『STOP! いじめ』――ぎゅるんぎゅるんぐりりりりり。
 あ、と呟いて。目の前が一瞬、真っ白に染まった。瞬間、今まで一度も味わったことのない感覚と共に、ズボンの中で性器がびくんびくんと跳ねる。股間がじっとりと温かくなる。
「って、うわっ、マジでか。また、もらした? ……違う、これ、シャセイだわ! うはははは、すげーよ、田中、シャセイしやがった! こいつ、女子にチンポ踏みまくられて、気持ち良くなってやんの!」
 イった、シャセイ、とざわめく女子の声。その中には、くすくすという無数の忍び笑いが混ざっている。
 息を乱したその子が、濃く染まった僕のズボンの生地を茫然と見つめる。相手の大切な部分を踏みつけにする動作を何度も繰り返したその子の顔は火照り、口元はかすかに緩んでいる。もう、その子の顔に一、二分前、「ごめんね」と声なき呟きを紡いだ時の余韻はない。
 『私、やっぱり、先生に言うよ』と真面目くさって言ってくれた時の誠実さは、ない。
「大好きな伊藤におちんちん踏んづけられてボクとっても気持ちいいよお、ってかあ? 田中ー、お前、変態だな! て言うか、なに勝手に気持ち良くなってんだよ。伊藤がまだ満足してねーだろ。ほら、伊藤、もっとやれ! このみっともない勘違いおもらしクンに、お前みたいな変態なんて何とも思ってねーってこと思い知らせてやれ! またションベン漏らすまで、踏んで踏んで踏みまくってやれ!」
 そう乱暴に指示する秋山は、一方で、その子に先ほどまでとは異なる熱のこもった視線を向けている。秋山は考えている。自覚はないかもしれないが、本能で考えている。田中の性器と尊厳と恋心を足の裏で散々に踏みにじり、男子としての存在を完全に否定したその子の下半身に、オレだけが特別扱いで優しく受け入れられてみたい、と。上靴を履いた足で田中の性器を散々に踏み潰した、その身体を抱いてみたい。田中は足でぎゅうぎゅうに踏んづけられてぐりぐりぐり、オレはチンポをこの子の奥にぎゅうぎゅう挿し入れてぐりぐりぐり、だ。田中はめちゃくちゃに踏み潰されてズボンの中で惨めなおもらし射精、オレはこの子の中に優しく受け入れられて気持ち良く中出し射精だ。あぁ、田中のヤツ、悔しがるだろうなあ――と。
 そして、僕は知っている。すでに六年生にして初体験を済ませたと豪語する秋山は、女子に関する限り、的を外したことがほとんどないことを。
 思考が中断される。ぎゅうううううう、ときつく踏みつけられる。ぐりりりりりり、と激しくねじ込まれる。
 両脚を掴む手と、小刻みに振動する足裏から、その子の高揚感が伝わってくる。両脚を掴む手に、他人の股間を踏みつける足に、力がこもる。息は荒く、鼓動もきっと早い。邪な遊びに頑なに参加せずにいたその子は、その種の遊びに伴う下劣な蜜の味への耐性がまるでなかった。そういう子を誑かす秋山の手口は、悪魔のように鮮やかだった。挑発されて、誘き出されて、邪な遊びの蜜の甘さを教え込まれて――僕の知る、静かに光を湛える宝石のような美質を備えた伊藤絵里那は、すでにそこにいなかった。その子は魔法をかけられたかのごとく劇的に、すでに跡形もないほど変質してしまっていた。その子は今、動作に没頭している。男の子のまだ見ぬ性器を足蹴にして、男の子にとって大切なはずの睾丸を自分の上履きの裏で蹂躙し続ける。新鮮で強烈な刺激に満ちた一種性的とも言える体験の前にあって、つい先日までその子を律していた道徳規範や心の中の芯は、土台からグズグズに溶け落ちてしまっていた。
 小刻みな振動が終わりを告げて、大きな動きに切り替わる。
 膝の辺りぐらいまで上げた足を、そこから勢いをつけて落とす。ずしん。重い一撃。続ける。一度、二度、三度。
「うおー、いい! 伊藤いいよそれ! マジ潰せそう。いけいけ、二度と変態シャセイできなくしちまえ!」
 そして、上履きの底を押し付けるように、ぐりぐりぐり。そのセットが終わると、もう一度、最初に戻る。足を上げ、落とす。ずしん。ずしん。ずしん。繰り返される強烈な金的。
 僕は刺激の強さに気を失いそうになる。力が抜けた瞬間、その子の驚く気配を感じる。
 女子がわあ、と歓声を上げる。
「あっ! やだあ!」その子も声を上げる。声は内心の興奮を反映して、高く、大きい。「田中くん、また、おもらししてる! おしっこだ、おしっこもらしだ!」
 おもらし、おもらし、とざわめく女子の声。その中には、くすくすという無数の忍び笑いが混ざっている。
 あはははは、と。こういった場では、今まで聞こえることのなかったその子の笑い声が、ひときわ高く教室内に響く。
「すっごーい。田中くん、おしっこの勢いで、ズボンの前、噴水みたいになってるよお。あはっ、世界で一番情けなくて恥ずかしいおもらしの噴水ね。あららら、噴水からおもらしの湯気まで出しちゃってんの――ふふ、ほら、かっこ悪ーいおもらしクンにはこれ。お・ま・け!」皆の反応に気を良くしたその子は、上げた足を失禁真っ最中の股間に勢い良く打ち下ろす。ズボンの表面でささやかな溜まりを作っていた漏らし立ての尿が、ぱしゃっ、と跳ねる。そして、体重を乗せて踏みつけにしたまま、足首を小刻みに回転させる。「さらにおまけに、ぐりぐりぐりー」
 真面目なその子らしからぬ行動に、教室中がどっと沸いた。女子達の冷やかす声が耳に届く。
「いやあん、田中くん、せっかく気持ちよーくおちっこおもらししてる最中だったのにー。かわいそー」
「きゃははは、絵里那、ひどーい。やりすぎだよー。相合い傘描かれた恨みー、ってやつぅ?」
「ぷぷぷー、良かったねー。田中ー。おもらし中におちんちん踏んづけられるなんて、誰も経験したことない貴重な体験ができてー」
 苦しそうに腹を押さえてひーひー言いながら、秋山が「すげー。すげーよ、伊藤。お前サイコー。お前ヒーロー」と最大級の賛辞を送る。
 男の子の誇りと尊厳を散々に蹂躙した興奮に酔って、自分が教室のヒーローになれた喜びに浮かされて、その子は今まで僕が目にしたどんな時よりも屈託のない笑顔で返す。
 いつの間にか、秋山に腰を抱かれていることを意にも介さずに。
 その子の耳元で、秋山が何事かを囁く。その子は頷いて、僕に向き直る。嘲りの対象となる排水を、いまだにズボンから続々と溢れ出させている僕を高い位置から見下ろし、神妙な口ぶりで言う。質問する。
「……ねえ、田中くん。もしかして、本当に私のこと好きだったの?」
 僕は目を伏せる。肯定しない。否定も、しない。
「そっか。そっかあ――」
 沈黙を肯定と受け取ったのだろう。その子は僕の目の前で、真面目くさった表情を一変させた。
 きゅっと目蓋を閉じて、舌を突き出し、あっかんべーをしてみせる。
「絶対やだよー、だ。田中くんみたいなおもらしクンと付き合うなんて、百億円もらってもおことわり!」
 僕は目を見開く。秋山が噴き出す。女子が沸く。それぞれの反応に満足したように、その子は満面の笑みを浮かべて続ける。
「――あはっ、世界で一番情けなくて恥ずかしいおもらしの噴水を眺めながら、ロマンチックな愛の告白ご苦労様。ねえねえ、おもらししながら女の子にフラれちゃうの、どうだった? おもらしが原因で女の子にフラれちゃったの、どうだった? ……ふふふ、やあい、おもらしぃ。フラれおもらしぃ。ねえ、一体、いつまでおしっこ漏らしてるつもりなのお? 恥ずかしい。六年生にもなって、二度も教室でおもらししちゃうなんてサイッテー。教室でまたおもらししちゃった罰として、田中くんとはもう口も利いてあーげない」
 教室中が再び、爆笑に包まれる。
「絵里那、鬼すぎー。ウケる」
「あーあ、田中、みんなの前でおもらししながら女の子にフラれてる! すごい恥ずかしーい!」
「あっあっ、田中、泣いちゃってるー。あはは、かわいそー」
 自ら作った水たまりの中に尻餅をついたまま、僕は

 今日、この世から消えてなくなってしまったあの子のことを想う。
 もしも、僕が宇宙人だったなら、と考える。
 また、考える。

(了)

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