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2024年 07月の記事 (8)

神原だいず / 豆腐屋 2024/07/05 19:00

【再掲 / 玲と悠馬⑩】victim

「いたっ」
 ホテルの一室。
 扉を閉めるなり悠馬が抱き着いてきて、あたしはしたたかに後頭部をぶつけた。
 絶対、明日あたりたんこぶになる気がする。

 涙目になりながら悠馬を睨みつけたが、彼の暴挙は止まらない。
 羽織っていた上着を床に乱雑に脱ぎ捨て、あたしの頬に何度もキスを落とす。
「ゆ、悠馬、せめてベッドに…んぐっ」

 抗議は、彼の舌の間に滑り落ちていった。
 唾液の泡立つ音、熱くとろけてしまうかのような舌の感触が一気に襲い来る。握った手は興奮からだろうか、震えている。
 やられてばっかりも癪なので、彼の腰をぐいと引き寄せて彼の口内を貪った。

 荒い吐息の隙間で、彼の上ずった喘ぎ声が聞こえる。
「あう、うっ、ぅん」
 もっとして、と強請るように舌を差し出すので、きつく吸い上げると悠馬の身体から力が抜けていく。
 視界の端で、彼の膝ががくつき始めているのが見えた。

 ここまで快感を積極的に受け止めようとしている悠馬を見るのは初めてだ。
 いつもなら理性が働くのか、押し返したり、逃げるように身体を引いたりするのだが、今日は全くその素振りが無い。

 彼の股の間に膝を差し入れて、肌に沿わせる。
 キスをしながら膝を前後に揺らし始めると、その微弱な刺激すら気持ちいいのか、身体をびくりと震わせた。
 あたしは、少しずつ彼の身体を愛撫し始める。
 背中や、首筋、胸板、脇腹に手を這わせる。時折、耳や乳首をきゅっとつまむと、彼は可愛らしい声を出した。

 そのうちに、彼の身体が沈み込んだ。膝が笑っていて、もう踏ん張れそうにないようだ。
 慌てて支えようとするが、いかんせん体重差があるうえに、お互いがお互いに身体を預けていたので、二人してホテルの床に崩れ落ちる。

 図らずも彼に覆いかぶさるような形になった。
 しばらく二人とも、体勢を変えずに見つめ合ったまま、ぜえぜえと荒い息を整えるかのように黙っていた。

 彼のはだけたシャツから覗く鎖骨の隆起をそっと指でなぞる。震える吐息が、彼の口から零れ落ちた。
 白くて綺麗な肌だ。
 今からの数時間で、彼の身体にいくつ赤が散らされるのだろう。
 そんな事をぼんやりと考えていると、悠馬が口を開いた。

 部屋は静かだ。彼が言葉を発しようと吸い込んだ息の音までも聞こえるくらいに。

「…どうしよう」
 その声は、自分の身に何が起きたのかさっぱりわからない混乱とともに吐き出された。
 彼は喉の奥でひゅっと息を飲み、顔を歪めた。

「自分がすごくはしたない事をしてるのは、わかってるのに」
 歪んだ顔に、赤みが差していく。
 彼はいつも、無駄な抵抗とわかっているくせに、最後の最後まで理性と恥で、欲を制しようとする。
 だけど、この日限りは違った。

 部屋に入った時点から、否、もっと前の段階から、彼は抵抗していなかった。
 飲み込まれてしまいそうなほどに深いその欲求は、彼の理性を完全に制御不能にしていた。

「あなたの餌食になりたい」
 自分が無意識に生唾を飲み込んだのがわかった。それと同時に彼の喉仏も、上下にごっぐりと生き物のように動いた。

「もっと…!」
 上ずったその声が、彼の理性の断末魔だったように思う。


それは、ホテルの一室に飛び込む数時間前。

 ため息一度。テーブルの上のお菓子に目をやって、もう一つため息。
 三時を指す時計を見てさらにもう一回ため息。
 眉間を指先でこりこりとかいて、駄目押しにもう一度ため息。

「みーちゃん、今日すっごくため息つくねぇ、どうしたの」
 映画研究会(とは名ばかりの菓子パサークル)の同期、小野寺くるみが私の顔を覗き込んできた。
 いつもにこにこ笑顔が絶えない、いかにも「女の子」といった可愛らしい彼女の、茶色くて大きな目と視線が合う。

 映画研究会に用意された小さな小さな部室には、彼女とあたし、そしてもう一人、国川香夏子しかいない。
 同期はこの3人だけ。

 一応、体面上は月2回の定例会なのだが、机の上にお菓子を大量に広げ、今日も今日とてどうでもいい事ばかりをベラベラとしゃべっている。

「何よ何よ?またあの可愛い彼氏の事で悩んでんの?」
 するめいかにかぶりつきながら、香夏子が嬉々として身を乗り出してきた。
 目は新しいおもちゃを見つけたかのように、らんらんと輝いている。

「…香夏子、めちゃくちゃ面白がってるでしょ」
「当たり前よ!人の色恋沙汰が面白くないわけないでしょうよ!」
 いっそ清々しいほどに即答されてしまった。
 香夏子のこういう裏表なくさっぱりしたところ、実は嫌いではない。

「まあまあ、一回話してみたら、すっきりするかもしれないしさ。何があったかくらいは、話してみなよ」
「まあ、それはそうかもね。じゃあ、話すけどさ…」



 悠馬って基本的に、いかがわしいビデオとか漫画とか、あと、雑誌? そういうの、あんまりみない人なのね。
 ほら、何度もお話してる通り、彼は生粋の恥ずかしがり屋だから。
 しかも、ビデオの中で女の人がされてる事を自分がされてるわけだから、思い出して余計に見れないのよ。

 ところがね、先週にあたしが悠馬の家に泊まりに行った時に、偶然見つけちゃったのね。
 ベッドの下にいかがわしいビデオが隠してあるのを。
 しかも、ついでにその横にその、あー、えーと

「いかがわしいオモチャ?」
「そう。ピンク色で震える系のオモチャ。なんでくるちゃん、知ってるの…」
「私も彼氏に使った事あるからねぇ」

 そっ、その話めちゃくちゃに気になるから、またあとで聞かせてね。
 そう、そのいかがわしいオモチャも一緒に隠してあったわけ。
 
 その場で問い詰めてみてもよかったんだけど、何だか見ちゃいけないもの見た気がして、あたし、慌ててそれをもう一回元あった場所に戻したんだよね。

 一瞬見ただけだから内容がけっこう朧気なんだけど、たぶんローションプレイだったのよ、内容が。
 身体にオイルだかローションだか塗りたくって、ぬるぬるにするやつね。

「それは私、彼氏とやった事ある!」

 かっ、香夏子まで…あとで詳しく聞くからね!
 でね、問題なのは、今までいかがわしいものを見てなかった悠馬が、急に見始めたって事なのよ。
 しかも、オモチャまで買ってるの。これってさ、これって、つまり。



「マンネリになってるのかもねぇ…」
「やっぱりそうだよね」
 私はもう一度ため息をついた。

「結構いろいろやってるつもりだったんだけどなぁ。筆責めとか、目隠しとか、手錠はめるとか…」
「まあ、確かに色々やってるけど、あんたが想像してる以上に彼氏の性欲が強かったのよ。それに、いつもどっちかの部屋でやるんでしょ、そういう事」
「マンションの部屋だと制約が多いからねぇ。できる事、限られちゃうかも」

 香夏子は新しいポテトチップスの袋を開けながら、こちらに向かってニヤニヤと笑った。
「たまにはラブホでも行けばいいじゃん」
「そうだよ。お家じゃできない事、いっぱいできるからねぇ」
 くるちゃんも、うんうんと頷いている。

 今までどうしてこの二人は、あたしと悠馬の話を引く事もなく聞いてくれたのか不思議だった。
 
 しかし、さっきからの言動といい、彼女たちは下手するとあたしより経験があるのではないだろうか…。
 くるちゃんと香夏子の彼氏たちは、一体どれほど喘がされているのだろうか…。

 そんな事を考えながら、震える手でポテトチップスを一枚取る。

「そ、それでやっぱり解決策としては…」
「ラブホ行きな」
「ラブホだねぇ」
「それ以外での解決策は…」
 二人は笑顔で言い切った。
「ない」 

 凍り付く私をよそに、彼女たちはスマホを取り出し、ここのラブホが安いだの、ここならビジネスホテルっぽいから見分けつかないだの、ラブホ談義に話を咲かせ始めた。

 一体、何なのだ。このカオスな空間は。
 現役女子大生が、嬉々としてラブホを語るこの空間は一体なんだ。菓子パの話題にしちゃ、スパイスが効きすぎちゃいないか。
 こうして私のため息が、再び映画研究会の部室に吐き出されたのだった。


 夕方五時。菓子パ(定例会)を終え、私は鬱々とした気分で自宅へと向かった。
 夕焼けの中、カラスがかあかあ鳴いている。
 というか、もはや「アホー」とののしられている気分である。
 ああ、家へと向かう足取りが重たくて仕方がない。

 一体どうすれば…。どういう伝え方をすれば、不自然じゃないだろうか…。
 いや、いっそ不自然でもなんでもいいから、彼が欲求不満になっている事には微塵も気づいていませんよ、という雰囲気を醸し出さなくてはいけない。

 信号を待っている間、腕を組んで考え込む。

 あの生粋の恥ずかしがり屋が、自身の欲求不満を気づかれたと知ったら、たぶん3日くらい布団から出てきてくれないに違いない。
 かと言って「欲求不満です」なんて、馬鹿正直に言ってくれる事も期待できない。

 確かに、割れたマグカップを隠したあの事件から、彼は自分がしてほしい事を少しずつ口に出せるようにはなってきた。
 とはいえ、まだまだ素直に甘えてくれない事も多い。

 信号が青色に変わった。
 人と車の流れが入れ替わり、横断歩道を足早に駆けていくサラリーマンたちに押されるように、私も歩き始めた。

 歩きながらさらに考える。

 やはり、ここはひとつ私が「欲求不満です」と宣言し、(形だけ)嫌がる悠馬を無理やりにでも連れていく、という流れが一番誰も傷つかなくて済む気がする。

 私自身、ラブホに興味がなかったわけではない。
 (できたら初回は、くるちゃんと香夏子と、ラブホ女子会とかそういう形で行きたかったけれど…)
 悠馬も悠馬で、私に無理やり連れていかれたんだ、という言い訳ができるわけだし。

 しかし、私の目論見は二秒後にあっさりと崩れ去った。

 不意に取り出したスマホに、何件もの着信履歴が表示されていたのだ。
 信号でうんうん考え込んでいる間に、悠馬から着信があったらしい。
 しかし、こんなに何度も繰り返し電話をしてくるなんて事は、今まで一度もなかった。

 とっさに嫌な予感が頭をかすめる。悠馬の身に何かあったのかもしれない。
 あたしは慌てて折り返し電話をかけた。

 もし、急に体調が悪くなったとしたら、出られるだろうか。コール音がいやに耳障りだ。胸騒ぎがする。
 お願いだ、せめて電話に出て…。

 スマホを握りしめた次の瞬間だった。ピッ、と軽やかな音がして、電話がつながった。
「悠馬?どうしたの?なんかあった?」
『玲…お願い、早く、来てほしい』
 明らかに声がおかしい。切羽詰まっていて苦しそうだ。息も荒い。

「何があったの?どこか痛む?苦しいの?」
『違う、頼む、早く』
 さっぱり状況がわからない。
 だけど、「違う」と言っているから、少なくとも病気や怪我で苦しんでいるというわけではなさそうだ。

「とりあえず悠馬の家に今すぐ行くから!それまで待てる?」
『待てる。でも、早く来て、おねがい』
 電話を切り、悠馬の家へ走り始めた。
 自分の息遣いが、ぜえぜえ、ひゅうひゅう、うっとうしくてかなわない。
 雑音を振り払うかのように頭を振り、足を進めた。

 五分後、あたしは彼のマンションの部屋の前に立っていた。
「悠馬!悠馬!」
 彼の部屋の扉を何度もガンガンと叩くと、しばらくして鍵が開く音がした。中からドアが開く。

 悠馬が顔をのぞかせたかと思うと、急にすごい力で部屋の中に引きずり込まれた。
 背後でドアが大きな音を立てて閉まるが、あたしは身動きを取る事ができなかった。
 彼があたしに思いっきり抱き着いてきていたからである。

「何?何、どうしたの、悠馬」
 明らかに様子がおかしい。
 抱きしめ返した瞬間、悠馬の身体がじっとりと熱を帯びている事に気づく。だけど、風邪を引いて熱が出ているわけではない事は確かだ。

 というか、これ、もしかして…。
「玲、どうしよう、からだ、変だ」
 目にいっぱい涙をためて、頬を真っ赤に染めた悠馬があたしに縋り付いてくる。

「どんな感じに変か、言えそう?」
「う、ずくずく、する。身体、熱い」
 いや、まさかな…。まさか、そんな事ないよな…と思いつつ、あたしは質問を続けた。

「あついだけ?」
「え」
「熱くて、身体ずくずくして、他に何かない?」

 その質問を聞いた瞬間、悠馬が明らかに動揺し始めたのがわかった。
 言いたい事があるのに、なんだか言いづらそうにしている。
 あたしの中の疑念が、だんだん確信に変わり始めた。

「わかった。質問を変えるわ。何か、得体のしれないもの飲んだりしなかった?」
「飲んだ…」
「誰かからもらったの、それ」
「あの、映画の、玲の、同期のひと…サークル棟で会ったときに…」

 あたしは頭を抱えた。やりやがった、あの二人…。
 スマホを取り出してすぐさま電話をかける。
 相手は2コールで出た。

『みーちゃん、彼氏さん、どーお?』
「どうもこうも。ばっちり仕上がってるわよ。あんたら何飲ませたの」
『なんかねぇ、香夏子ちゃんがこの前自分の彼氏さんに飲ませたヤバめのお薬だよ。ねぇ?』
「香夏子いるの?」
『代わろうかぁ?』

 電話の向こうでくぐもったしゃべり声が聞こえて、すぐさま香夏子の明るすぎる声が耳に飛び込んできた。
『いや、定例会の途中で席外した時に、彼氏さんとばったり会ったから、渡したのよ。せっかくだから楽しんでね』

 あたしは電話を切った。
 これは怒るべきなのか、感謝するべきなのか。頭が痛くなってきた。

 しかし、どちらにせよ悠馬が苦しそうなのは、変わらない。どうにかしてあげないといけない。
 あたしも、こんな状態の悠馬を見続けてたら、我慢できなくなってくる。

「玲…?」
「ラブホテル行こうか、悠馬」
 これが、あいつらのやり方か…と、どこぞのお笑い芸人のような事を思いながら、あたしは悠馬をラブホテルへと連れていく事にした。
 互いの利害が完全に一致してしまったのだ。仕方ない。
 とりあえず、あの二人はあとでシメる。

 かくして我々は、まんまと悪魔二人の策略によりラブホテルの一室へ飛び込んだ。
 電話した直後、ご丁寧に彼女たちはおすすめラブホテルのHPリンクを送り付けてきていた。

 とりあえず、あの二人は絶対に後でシメる。絶対だ。


 さすがに床で事を進めるわけにもいかないし、悠馬は薬のせいでひどく汗をかいていたので、シャワー室に無理やり連れ込む事にした。

「やだ、もう焦らさないで、頼むから」
 悠馬はもうもどかしいのか、小さい子のようにぐずり始めた。
 仕方がないので、彼の服を脱がせていく。
 上着をドアの近くに脱ぎ捨てたままだった気がするが、もういい。あとで回収しよう。

 シャツのボタンを一つずつ外して、肩からするりと剥ぎ取る。
 衣擦れの音と、肌に触れる度に悠馬が漏らすうめき声が、脱衣所を満たしていた。
 あたしまで媚薬を飲んだかのような気分になってきた。

 ベルトを外し、ジーンズを下ろそうとした時。悠馬があたしの手を掴んだ。
「下着は、自分でする…」
「何を今更」
「いい。いいから!嫌だ!」
 あまりにも必死なのが少し面白くなってきたので、悠馬の手を振り払って、そのままジーンズを下ろした。

「うわ、すご…」
 下着は先走りで濡れそぼっていた。
 すらりと伸びる白い太ももに伝い落ちる愛液が、脱衣所のライトを反射してなまめかしく光っている。
 あたしは、その太ももにそっと指を這わせた。

「見るな、見ないで、あ」
「みっともないくらいに濡れてるの、見られたくなかったのね」

 すぐに脱がしてしまうのは、もったいない。
 下着の端に指を差し入れ、下着のラインをなぞるようにして手を動かした。もう片方の手で、太ももを撫ぜ続ける。

 緩やかな刺激に合わせて悠馬の身体が反応する。
 あたしは、それを見ながら自然と自分の口角が上がっていくのを感じた。
「だから…焦らすな、って…ぅあ」
「嫌。焦らされてる時の君の顔が一番好きなのに」

 そう、その切なげに寄せられた細くて綺麗な形の眉、色気を滴らせた吐息をこぼすために半開きになった口、触られている部分を凝視した後に恥ずかしくなってきて不意に逸らした茶色の瞳。全部が好き。

「辛いでしょ。身体が疼いて、熱くて、触ってほしくて、たまんないんでしょ」
 悠馬はうなずいた。あたしは悠馬の耳元に口を寄せる。

「あたしだって、必死で我慢してるよ」

 彼が息を飲んだ音が微かに聞こえる。耳を舌先でちろちろと刺激すると、悠馬は身をよじらせた。
 最近分かった事だが、彼は乳首の次か同じくらいに耳が弱い。
 軽く舐めただけで、彼の口からは熱い吐息と甘ったるい声が零れ落ちてしまう。

「ぅあ、あう、うっ…ぅ、や、も、ああっ」
 可愛い。こんなに可愛い反応されたら、もっと虐めたくなってしまう。

 あたしは、シャワールームの扉を開けて、悠馬と中に入った。
 ラブホテルのシャワールームと言えば、ベッドの方からシャワールームの中が透けて見えるイメージを抱いていたが、ここはどうやらそうではないらしい。
 見る限りは普通のお風呂だ。

 だけど、ラブホテルの中、というだけで何だかいかがわしい雰囲気が増してしまう。

「そういえば、悠馬とお風呂一緒に入るの初めてかもしれない」
「え、あ、そうか…」
「あれ、入ったっけ。あたしが忘れてるだけかな」
「いや、お泊りする度に脱がされてるから、間違えて覚えてたみたい…」

 その節は大変ご迷惑をおかけしております。

 二人ともざっとシャワーを浴びた後、あたしはボディーソープを手に取り、お湯に溶かして泡立てた。シャボンの香りがふわりと漂っていい気持ちだ。

 あたしは悠馬の後ろに立って、「右手伸ばして」と言った。
 悠馬は素直に右手を伸ばす。
 二の腕に泡を置いて、すうーっ、と手首の先めがけて伸ばしていく。そしたら手で作った輪っかで手首をぐるりと一周して、もう一度二の腕に向かって泡を滑らせた。
 腋まで来たら、そのまま手を脇腹に沿わせていく。

「んっ…」
「くすぐったい?」
 悠馬はこくこくと頷く。
 可愛いので、そのまま脇腹を何度も往復して虐めてみると、悠馬は体をひくつかせた。

 あたしの手から悠馬の体がすり抜けていく。
「こら。逃げちゃだめ」
 あたしは、慌てて彼の身体を引き留めるように抱きしめた。
 彼が息を飲んだのがわかった。

 泡でまみれた手を彼の胸板の上で滑らせると、ゆっくりと弓のようにしなり始めて快感を逃そうとする身体。
 あたしはつんと上を向いた二つの突起の周りをやわやわと撫ぜ始めた。

「あ、あ、んっ、んぅ」
 焦らすようにくるくると乳首の周りを触り続ける。
 欲しがっているのは、もう身体のびくつき方からしてわかっているけど、強請るまでは永遠に焦らし続けてやろう。

 そう思った矢先、意外にも早く悠馬は首を振ってねだりはじめた。
「じ、じらさないで。も、つらい。きもちいの、ほしい…っ」
「気持ちいの欲しいの? どこをどうしてほしいの?」

 質問する間も手は止めない。一番悠馬が触ってほしいところには触れないまま、その周りをじわじわと焦らしていく。
 かくついた細い腰が前後に揺れて、彼の身体は欲しい欲しいと泣き叫んでいるけれど、言わない限りはしてあげない。

「ち、くび…」
「聞こえないよ」自分でも思っている以上に冷たい声が出た。
「ちくび、かりかり、し、して…っ」
「お願いする時は、なんて言うの?」

「ちくび、かりかりして、くださ、い、あ、あぁ、っあ」
「かりかりするだけでいいんだ」
 その程度じゃすまないって、自分でもなんとなくわかっているくせに。

「ふうう、ゆびで、はじいて…」
「ほかには?」
「きゅうって、つまんでほしい…」
「それだけ?」

 悠馬はゆっくりと首だけを動かしてこちらを見た。
 睫毛を震わせ、眼尻にきらきらした涙の粒をいっぱい溜め込んで、羞恥と欲望の間から必死で手を伸ばしてくる。

「…あぅ、な、なめて…っ、かんで、も、いっぱい、いじめて…」
「いい子。よく言えたね。舐めるのと噛むのは、ベッドでいっぱいやってあげる」
 あたしは、胸の奥がきゅうと締め付けられるような気分になった。
 もうちょっと意地悪してやろうと思ったのに。そんな切実な顔で見られたら、どうしようもないじゃないか。

 爪を立てて乳首を引っ掻く。
 暖かいシャワールームの中で、血液の巡りが良くなったのかほんのりと紅に染まる白い肌。
 そこにぽつぽつと浮き上がる小さな二つの突起を爪で引っ掻く。
 彼の理性が、まるでスクラッチのようにあたしの爪先にはがされていく。

 媚薬を飲んだのと、長い間焦らされ続けたせいで、悠馬はもう声を抑えようともしなかった。というか、できなかったの方が近い気がする。
 彼は、襲い掛かって来る快感を、もう抵抗もせずに受け入れていた。

「ぅううー、う、あ、ぁあぁ、あー…あ、ぁああ…」
 激しくキスをした後、口端から自然と唾液が零れ落ちていくように、彼の口端からは絶えず喘ぎ声が零れ続けていた。
 あたしが話しかけても、「あぁ」とか「ぅあ」とか、言葉で答えてくれない。

 指で乳首を弾かれるのに弱いらしく、人差し指で両方の乳首を弾き続けると、まるで笑い声かのような喘ぎ声を吐く。
「あっぁあ、あは、あ、あぁはあぁ、へ、あ、う、んんぅ」

 もしかして、これって俗に言う「アヘってる」状態なのだろうか。
 確かに彼は理性をぶっ飛ばす。
 それでも最後までなんとか会話ができるものなのだが、今はもう会話すらできそうにない。

「悠馬、気持ちいい?」
「んぅ、えへ、あ、は、へ、ぁああううう…っ」
 ダメだ。これだもんな。あたしは彼の顔を後ろから覗き込んだ。

 彼の目は虚ろで、口元にひくついた笑みを浮かべていた。
 あたしは手を止めた。

 彼の身体から泡を洗い流し、シャワールームから出る。
 ふらつく彼の身体をろくに拭く事もできないままベッドルームに向かい、二人してベッドに倒れ込んだ。

 悠馬は、不思議そうにあたしの顔を見つめている。
 まるでどうして飛行機が空を飛んでいるのか知りたがっている子供のようだ。
 あたしは、彼の両頬に手を伸ばした。

 火照った頬の熱が手のひらにじんわり広がる。そのまま見つめ合った。
「ぅ……?」
 悠馬が首を傾げた。それに合わせてシーツがずざりと乾いた衣擦れの音を立てる。

 今はキスさえしたくない気分だった。
 このまま二人見つめ合ったまま、眠れたなら、もうそれだけで満足なほどだ。

 なんとなく胸の内側がざわざわしている。このざわざわの正体をあたしは知っている。
 トラウマだ。前と同じ思いをしそうで、手が止まってしまう。
 頬に触れるぐらいで精いっぱいだ。

「水飲もうか、悠馬」
 あたしは悠馬の頬から手を離し、ベッドから降りた。
 裸足のまま、床に落ちていたリュックのところまで歩いていき、リュックサックの中にあるペットボトルを取り出す。
 キャップを開けて悠馬に渡すと、彼はそれを受け取って一口飲んだ。

「ちょっと落ち着いた?」
 悠馬はペットボトルをあたしに返しながら、こくりと頷いた。
「まだずくずくする? 身体」
「する、けど…さっきよりはまし」

 あたしはリュックにペットボトルをしまいながら、努めて明るい声で言った。
「今日は、おしまいにしよっか」
「れい…?」
「寝たらなんとかなるよ、きっと。そうだよ、媚薬って言ったって、ヤバい物飲んだ事には変わりないんだから安静にしてなきゃ」
「玲」

 あたしは床の上にリュックサックを放り投げた。どさりと音がして、それっきり部屋は一気に静かになった。
 何もかもが一切の動きを止めた。世界中の時が止まったのだと思うような一瞬だった。

 悠馬があたしをそっと後ろから抱きしめた。
「玲」
「……怖かったの」
 声が、震えてしまう。どうしてあたしが泣きそうになってるんだ。

「悠馬、初めてこういう事した時と、同じ顔してた…」
 怖い思いをして苦しむのはいつだって悠馬のほうなのに。

「怖いのと気持ちいいのがピークになって、頭の中がもうぐちゃぐちゃになってて、防衛本能で顔が笑っちゃってるの。だけど目が笑ってないの」

 初めてこういうことをした時もそうだった。
 あの表情になってすぐに、悠馬は高校時代のトラウマを思い出して、半狂乱になった。
 何度も何度も誰かに許しを請い、過呼吸寸前まで見えない何かを怖がった。

 悠馬はあの時、なだめようとしたあたしの手すら払いのけた。
 伸びてくる手の全てが、彼にとって脅威だった。
 震えが止まらないのに、抱きしめられる事すら恐ろしくて、必死で自分の腕で自分を抱きしめるしかない悠馬の姿は、あまりにもむごかった。

「戻ろう、今からでも世間一般の普通に戻ろうよ。男の人が上で女の人が下で。それがいいじゃんか」
 そう言うと、悠馬があたしから腕を離して、あたしの正面に回り込んだ。

「なんでそんな事言うんだ」
 まっすぐな目で追及してくる悠馬を直視できなくて、あたしは顔を逸らした。

「そっちの方がいいじゃんか。人体の構造から考えたって、世間体から考えたってそっちの方が普通だよ」
「普通って何がだ。普通が良いのか。今までの俺たちが普通じゃなくて、異常だったって言いたいのか」

 悠馬があたしの肩を掴んだ。だけど、あたしはまだ悠馬の方を見る事ができない。
「どの線引きで異常って言いたいんだ。俺が今まで玲に抱かれた事が、全部おかしい事だって言いたいのか。冗談じゃない」

 悠馬が無理やりあたしの顔を正面に向けた。
 声の調子からして怒っているのかと思ったが、悠馬の表情は全く違った。
 困惑しているようにも見えた。あたしに縋っているような目をしていた。

「玲は、俺を抱きたくないのか。本心から普通に戻ろうって言ってるのか」
「……だって、だって」
 目の端に溜まった涙が視界を歪める。悠馬の顔がちゃんと見えない。

「大好きだから……。大好きだから、悠馬の事、抱きたいし、可愛い顔いっぱい見たいし、いっぱい気持ちよくさせたげたいよ。だけど、悠馬に怖い思いさせてまで、エゴは通したくない。また、こういう事してる最中に悠馬が昔の事を思い出したら、あたし、たぶんもう悠馬の事、抱けないよ……。でも、そんなのやだ……」

 自分が支離滅裂で、とてつもなくワガママな事を言っている事が嫌で嫌でたまらない。

 悠馬があたしの涙を指で拭った。やっと、悠馬の表情がちゃんと見えるようになった。
 彼は、さっきよりも優しい顔をしていた。
「俺の事を抱くのが、辛い?」
「……辛くない。悠馬の可愛い顔が見れるから、好きだよ。でも、たまに、こんな風にどうしようもなく怖くなる」

 自分の手を見降ろすと、震えていた。
 固く握りしめて、開いて、また握りしめて、開いて、震えを逃そうとするけれど、おさまらない。
 見かねた悠馬が、あたしの手を握った。

「ごめん。怖い思いさせて」
 悠馬が謝る事なんか何もない。
 そう言いたいけれど、口を開いたら泣いてしまいそうで、あたしはぶんぶん首を横に振った。

「でも、社会科教室でされた事を忘れるのも、トラウマを完全に消すのも無理なんだ。多分なんだけど、抱いても抱かれても、思い出す時は思い出してしまう。これから先も、もしかしたら思い出して発作を起こす時があるかもしれない。それで玲を悲しい気持ちにさせたり、苦しめたりしてしまう事があると思う」

 悠馬は、困ったように眉を下げて笑った。
「今でも、トラウマでしんどい思い事をする時はあるからな。特に男の人と二人きりで個室にいたら吐き気がする。バイトの休憩室なんか大変なんだぞ。ハゲ頭の店長とでも、吐き気が止まらないんだから」

 悠馬はそう冗談めかして話した。だけど、あたしの手を握る悠馬の手は少し震えていた。
 あたしの知らないところで、彼はどれだけトラウマに苦しめられてきたんだろう。
 想像してあげる事しかできないのが、もどかしい。あたしが、代わりになれたなら。

「でも仕方ないんだ。トラウマとはもう一生付き合っていくしかないと思ってる。例え、あの男が土下座してきたって許せないし、トラウマが消えるわけじゃないから」

 あたしは知っている。
 人が冗談めかして話す時は、皮肉を言う時か、何かをごまかしている時か、面白い話をしようとしている時だって。
 そして、皮肉も言わずストレートに怒るこの堅物な男が、冗談めかして話す時は、何かをごまかしている時一択である事も。

 そしてごまかしている「何か」が、「恐怖」である事も。

 あたしは、ありったけの力で悠馬の身体をベッドに押し倒した。彼はびっくりしたような顔で、こちらを見つめている。

 あたしも、自分でこんな力が出るとは思わなかった。そして気づいてしまった。
 自分がどうしようもなく怒っている事に。

 彼を怖い目に合わせた男に、彼を救わなかった全ての人に、恐怖をごまかし続ける彼自身に、そして何より悠馬に恐怖をごまかし続けさせてしまった自分自身に。

「言って」
 頬を涙が滑り落ちていく。

「怖いって、素直に言って」

 滑り落ちた涙が、悠馬の頬にぽつりと当たって弾ける。悠馬の顔から一切の表情が消えた。

「怖いの、誤魔化さないで…」

 怖い思いをさせたくない。それすらも、あたしのエゴでしかなかった。
 あたしは怖がる悠馬の姿を見たくなかっただけだ。
 悠馬はあの日から今まで、そしてこれからもずっとトラウマと一緒に生きていかなければいけないのに。

 悠馬が腕を伸ばしてきた。あたしは彼の手を取って、自分の背中へ回させた。

「怖い」

 悠馬は、ぽつりとつぶやいた。唇が震えていた。泣くのを堪えているようにも見えた。

「怖い事、全部忘れたい」
「うん」
「だから、怖い思い出の餌食になる前に、あなたの餌食にして」

 悠馬の腕があたしの身体に絡みついてくる。抱き寄せられて、顔が近付く。
 今、きっと世界にはあたしと彼しかいないのだと、そう錯覚するほどに近く。

 互いの吐息しか聞こえなくて、互いの瞳の奥しか見えなくて、互いの体温しか感じない。

「全部忘れさせてほしい……」
 瞬きを一つすると、悠馬の目から涙が零れ落ちた。

「二度と普通に戻ろうなんて言わないで」
「……ごめん」
「俺が怖がっても、何度でも抱いて。ワガママだって自分でもわかってる。でも、愛してる人と肌を重ねる事は、涙が出るくらい幸せなんだって、身体に教え込んでくれなきゃ嫌だ。玲じゃなきゃ、嫌」
 
 彼の顔がぐしゃりと歪む。
「…お願い、早く来て」

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神原だいず / 豆腐屋 2024/07/04 19:00

【再掲 / 玲と悠馬⑨】Embrasse-moi

 これぞ、最高の昼下がりと言うべきではないか…?

 部屋の中には、ページがめくれるかすれた音と、扇風機のファンが立てる間抜けなふぉおおおーん…という音だけしかない。
 おそらく外では猛威を振るう日差しも、窓とカーテンをすり抜けてしまえば、部屋の中では牙が抜けて柔らかなものに変わる。

 悠馬はフローリングの上に寝っ転がって、あたしは悠馬のお腹の上に頭をのっけて、二人で傍らに積んだマンガを延々と読み続けている。
 
 時間を贅沢に消費しているこの感覚がたまらない。
 映画鑑賞会もそうだが、あたしは悠馬とこういう風に、同じ作品を共有して楽しむ事が大好きなのかもしれない。
 あたしは読み終えた7巻目をパタンと閉じて8巻目に手を伸ばそうとした。

 しかし、傍らに積んだ山の一番上は9巻目だった。
 寝っ転がったまま、右側をちらりと見ると、8巻目は悠馬の手元にあった。

「ゆうまぁ」
 悠馬は漫画から顔を上げずに「ん」と生返事をする。
「7巻終わった」
「ん」
 その後、何か言うのかと思って待っていたが悠馬は何も言わない。

「8巻まだ読み終わらない?」
 悠馬の目は漫画を必死に見つめている。
 紙面を隅から隅まで見渡しているのか、ビー玉のように2つの黒目がころりころりと動く。
 返事はない。

「悠馬」
 少し大きめの声でもう一度悠馬を呼ぶ。
「ん?」
 語尾が上がっているから、これは疑問形なのだろう。
 「何?」程度のつもりだろうか。相変わらず彼は顔を上げてくれない。

「8巻まだ読み終わらない?」
「ん」

 起き上がって悠馬の方をじっと見る。
 あたしのこのじとりとした視線に、微塵も気づいてくれそうにないようだ。
 8巻も読めなければ、悠馬もこっちを見てくれない。なんだかちょっぴり面白くない。
 あたしは良い事を思い付いた。
 ちょっかいをかけたら、少なくともこっちを見てくれるはずだ。我ながら名案。
 悠馬の脇腹を、1回つんっとつついてみる。

 しかし、反応はない。相変わらず悠馬は、ページをめくり漫画を読み続けている。
 もう一度、つついてみる。やっぱり反応はない。
 さらに、続けて2回つんつん、とつついてみる。

 いつもなら、くすぐったがったり、笑い声を漏らしたりするのに、今日は一切何も反応を示してくれない。
 今度は、漫画の表紙をつかんでいる節くれだった指にそっと右手を這わせてみる。
 相変わらず彼は綺麗な手をしている。しかし、綺麗な手の主はやっぱり反応してくれない。

 もう、ここまでくるとわざと無視しているんじゃないか? 
 キスの一つでもすれば、こちらを見るくらいはしてくれるだろうか。
 あたしは右手を這わせた手と反対側の手に、触れるか触れないかくらいのキスを落とす。

 すると悠馬がようやくこちらを見た。じろり、と鋭い目つきで。
「今、いいとこなんだからあとにしろ」
 それだけ言ってまた目を漫画に戻してしまった。
 あたしは、悠馬の不機嫌そうに寄せた眉間を凝視した。

 「あとにしろ」だって? つれない反応だ。
 しかし、あたしだってこの程度でめげる女ではないのだ。
 生粋の恥ずかしがり屋かつ素直じゃないこの男と付き合っていくには、時に少々強引に事を進めなくてはいけない。

 あたしは、悠馬が読んでいる8巻を引っ掴んで、取り上げた。
「あっ。おい、返せ」
 不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、悠馬がこちらを睨んでくる。
 それ、たぶん世間一般だと恋人に向ける表情じゃないとあたしは思う。
 理不尽なクレーマーに当たった後の休憩室とか、無礼な振る舞いをしてくる他人に対する表情で、仮にも好き合っている彼女に向ける表情では絶対ない。

 しかし、このあたしは、これしきでめげる女ではないのだ。

「あたしに好きって言ってくれたら返す」
 さあー、どうだ! 
 これなら恥ずかしがって、可愛い真っ赤な顔を見せてくれるだろう。
 期待を込めた目で彼を見たが

「愛してる」

 その期待は、一瞬にして崩れ去った。
 悠馬は真正面からあたしの目を見据え、ぴくりと表情も変えずに、言い切った。

 まさか愛してるとまで言われるとは思っていなかったので、あたしは手から漫画を取り落とした。
 悠馬は何も言わず、そそくさと漫画を取り返し、再び作品の世界に没入し始めてしまった。

 あたしは、がっくりと崩れ落ちた。
 しっかりしろ、あたしは、これしきでめげる女ではない。ないはずだ。
 ないと言いたいが、ちょっとどうにも頬が熱くて考えがまとまらない。

 あたしから悠馬に対して、「好き」とか「可愛い」とか言う事はたくさんあっても、悠馬からあたしへ愛情表現をしてくれる事はそう多くない。
 さっきも言ったけど、この男は恥ずかしがり屋かつ素直じゃないから。

 そのくせ(それゆえ?)、時々とんでもないほど重い一撃を放ってくる事がある。
 しかも、全くもって予想していないタイミングで。

 そりゃ、恋人どうし「愛してる」ぐらい言われた事はある。
 でも、前言われた時は頬にキスされた後で顔がよく見えなかった。
 今回は真正面からだ。だめだ、言い訳が多い。

 はっきり言おう。完全に今の一撃に、あたしはやられてしまったようだ。

 だってさっきから、心臓の音がこんなにもうるさい。
 猛暑から逃れて部屋の中に避難しているのに、どうしてこんなに体の内側が熱いんだろうか。

 ていうか、この男は言いっぱなしで何もしてくれないうえに、フォローも無いのか? 
 と愛してると言ってもらったくせに、贅沢にもあたしは悠馬を睨んだ。
 しかし、すぐさまあたしは表情を緩める事になった。

「君、顔、真っ赤じゃん…」
 悠馬は耳まで真っ赤にしながら漫画を握りしめていた。
 絶対、もう内容は頭に入っていない。

「うるさい、黙れ、玲の方がよっぽど真っ赤だ」
 そういいながら、彼は赤くなった顔を隠すように、漫画を顔に近づけた。

 あたしはまたしても彼の手から漫画を取り上げた。
「もう、返せったら!」
 悠馬は手を振り回して漫画を取り返そうとしてくるので、あたしは8巻を部屋の隅に放り投げた。
「俺のだぞ、おま、え…」
 吹っ飛んでいく8巻の方を見ながら怒る悠馬の赤くなった頬を両手で挟むと、彼はたちまち大人しくなった。
 二人して、タコみたいに顔を真っ赤にして見つめ合っているこの光景がどんなに滑稽か。

 眼鏡の奥、悠馬の黒い目がぐらぐら揺れている。
 あたしの頭の奥でも思考がぐらぐら揺れている。
 ここからどうするか、何にも考えてなかった。キスしようにも、ちょっと恥ずかしすぎてできそうにない。

 そもそもなんで、あたしは8巻を放り投げて悠馬と見つめ合おうとしたのか。自殺行為に等しいじゃないか。
 いけない、変な汗出て来た気がする。どうしよう…。そう思った次の瞬間だった。


 悠馬は、あたしがしているのと同じように、あたしの頬を両手で挟んで顔を近づけて来た。
 必然的に、唇が重なる。


 キスと呼ぶにはあまりに可愛らしすぎた。
 一瞬だけ、そっと触れ合った程度。
 触れ合ったところから全身に電流が走ったように、二人は体を引き離す。

 あたしは、心臓の上を手で押さえながら必死で深呼吸をした。
 落ち着かなくては。
 とりあえず、この火照りをどうにかして覚まさなくては。
 顔を上げると、悠馬も同じように深呼吸を繰り返していた。

 ばちりと目が合うと、二人してまた慌てて逸らす。
 どうしてだ。
 いつももっとすごい事してるのに、なんで軽くキスした程度でこんなに恥ずかしいんだ。どうしたらいいんだ。 

 頭を抱えているうちに、あたしは急になんだかおかしくなってきてしまった。
 ふへ、と口角がゆるむ。
 それを境に、じわじわと口角が上がっていく。だめだ、どうにも抑えられそうにない。
 人間あまりにも恥ずかしくなると、もはや面白くなってくるのだな、といらない見地を手に入れた。

 あたしはついにこらえきれなくなって、吹き出してしまった。

 急に笑い出したあたしを見て悠馬がぎょっとした顔でこちらを見て来る。
「な、なんで笑って…どうした…」
 頭がおかしくなったと思ったのか、悠馬が眉を下げて困ったような顔をした。
 あたしは構わずひとしきり笑い続けた。

 やっと落ち着いて、指先で涙を拭いながらあたしは言った。
「ちゅ、中学生じゃあるまいし…。キスどころか、目が合っただけで照れて逸らすなんて、付き合う前にもなかった事だよ。はあ、おかしい」

 悠馬は、頭をかきながら「…付き合う前はしょっちゅう喧嘩してたからな」とつぶやいた。

「だいたい悠馬が先に怒り出すんだよね」
「ちょっかいをかけてくるのはいつもお前からだった」
「懐かしいね。こうやって、しょっちゅう言い合って、うるさいって先生にも怒られてさ」
「ほんとに迷惑だったんだからな。俺はいまだに数学の先生に怒られた時の事、忘れてないぞ」
 そう言いつつも悠馬は笑っていた。

 あたしは、彼のその表情を見て、胸の内側がじんわりと熱くなるのを感じた。
 だけど、その熱の正体がさっきと違う事になんとなく気づいていた。

「愛してるよ、悠馬」
 その言葉が自然と口をついて出た。
「……ありがとう、俺も愛してる」
 悠馬は今度も目を逸らさなかった。

 自分の心の内を見せる事が得意じゃなくて、それでもあたしへの思いはストレートにぶつけてくれるこの男の事が、あたしはどうにも好きでたまらない。

 あたしは悠馬の服の裾を引っ張った。
 言葉はいらなかった。悠馬は目を閉じた。
 二人の距離がまた0になる。

 唇を離そうとすると、今度は悠馬があたしの服の裾を引っ張った。
 あたしは彼を抱きしめて、また唇を重ねた。
 何度も、何度も。
 自らの胸の奥にある熱を、口移しで彼に流し込む。


 たくさん辛い思いをした彼の胸の内が、この先いつまでも穏やかでありますように。

 そう祈りながら。

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神原だいず / 豆腐屋 2024/07/03 19:01

【再掲 / 玲と悠馬⑧】酔いが回って

 全力で問いたい。
 一体何なのだ、この状況は。
 なんで悠馬にベッドに押し倒されているのだ。
 これじゃいつもと逆だ。
 いや、押し倒されたというような色気もない。
 クッションも巻き込んでベッドにタックルされたかのようなこの雑多さは、一体何なのだ。

「なんで、かまってくれないの!玲、おれの事きらいなの?」
 キスしようと悠馬が顔を近づけてくるので、手のひらで頬を押し返した。
「いや、嫌いとかじゃなくて、君べろべろに酔っぱらってるじゃん…」

 事の発端は30分前、私のスマホに突然悠馬から意味不明の怪文が送られてきた事から始まる。

『えいはうまそこみおりに?』
「え、急にスマホ壊れた…?」
 お風呂上りで体がほこほこ、なんだかいい気分。
 ベッドに寝転がりながらだらだらとスマホをいじっていた。
 すると、急に悠馬から一切意味の分からない文が送信されてきたのだ。

 スマホを何度かたたいてみるが、特に変化はない。
 再起動してみても全然メッセージの文面に変化はない。
 あれこれ試しているとポシュッと軽い着信音がして、友人から
『来週って語学のテストあったよね?』
 と、普通に意味が通る文が送られてきた。

 ということは、悠馬の文はスマホのバグなどではなく、悠馬のスマホから送られた文章そのままなのだろう。
 余計意味がわからなくなってしまったが。
「えいは、うま、そこ、みおりに?エイ?海で泳いでるあのエイ?うまは馬?そこって、ど、どこよ…?」
 みおりに?に至ってはもう推測しようもない。

 もしかして。
 小説やドラマで恋人や友人から怪文が送られてくるという時は、きわめて危険な状況に巻き込まれている。
 悠馬も必死にメッセージを残そうとしたのかも。これは暗号なのかも。

 真剣に考えなくては、と思ってカバンからルーズリーフと筆箱を取り出した瞬間。

 ピリリリリリ、ピリリリリリ。
 着信だ。それも悠馬から。

「はい、もしも」
「うわっ!三河ちゃんじゃん!久しぶりー!覚えてるー?俺の事」
 言い終わらないうちにテンション高めの声が聞こえてくる。
 このスピード感、声のトーンはもしや。

「浅尾くん?」
「えっ、覚えててくれたの!まじで嬉しい!」
「いや、だって全然変わってないもん、しゃべり方。浅尾くん、相変わらずうるさいよね」
 高校生の時から本当に変わっていない。
 いつも、クラスの中心でよく笑いよくはしゃぎよく怒られていたうるさい、否、元気がいい男の子だった。

「いや、辛辣すぎじゃね?」
「…さお、要件言わな…と…」
 浅尾くんの声の後ろで、これまた聞き覚えのある声がする。

「え、阿波崎くんもいるの?」
 しばしの空白があって、電話の声の主が変わった。

「三河さん、久しぶり」
「うわあー、久しぶり!元気してた?」
 阿波崎くんも変わってない。
 浅尾くんと正反対で大人しくて真面目だったけど、あまりにも正反対すぎて逆に話が合うのか、浅尾くんとよく仲良くしていた。
 高校3年のクラスで阿波崎くんと仲が良かった悠馬は、彼を通じて浅尾くんとも知り合い、仲良くしていた。

 ぶっきらぼうな悠馬と、穏やかな阿波崎くんと、にぎやかな浅尾くんの3人組は、クラスのみんなからは不思議な組み合わせだと思われていたみたいだけど。

「元気だよ。ごめんね、急に電話かけちゃって。今、渡の携帯からかけてるんだけど」
「うん、悠馬に何かあったの?」

「いや、それがね。僕と浅尾が夏休みに旅行でここの近くに来たもんだから、渡と3人で遊んでご飯食べに行ったんだけど…」
「うんうん」


「…ってわけで」
「ごめんなさい!!今すぐ、馬鹿悠馬を迎えに行きます!」

 お風呂上り、ほぼスッピン部屋着のままでマンションを飛び出し、電車に飛び乗った。


 事の経緯はこうだ。

 浅尾くんと阿波崎くんと悠馬は一緒に遊びに行ったあと、晩ご飯を食べに行った。
 悠馬はお酒が全く飲めないので、ソフトドリンクを頼み、阿波崎くんと浅尾くんはお酒を頼んでいた。
 全員で2杯目を頼んだ時に、事件は起こった。
 店員さんが、ソフトドリンクとアルコールを間違えて渡したのである。
 運が悪いことに、ジュースの色とアルコールの色がそっくりで見分けがつかなかった。

 そして悠馬は、阿波崎くんが頼んでいたお酒をジュースだと勘違いして飲んでしまい、完全に酔っぱらってしまったのだという。
 酔っぱらった悠馬は本当にたちが悪い。いつもの5倍くらいたちが悪い。
 私はお酒が飲めるから一度、映画鑑賞会の時にお酒を持って行ったことがあるのだが、悠馬がべろっべろに酔ってしまったので、それ以降二度と悠馬とお酒は飲まないと誓った。


 連絡を受けた店の前に着くと、ひらひらと浅尾くんが手を振っていた。
 阿波崎くんの肩にぐったりと悠馬がもたれかかっている。

「ほ、本当にごめんね…!」
 息を切らしながら彼らのもとに走り寄る。
「いや、大丈夫だよ。というか、こればっかりはどうしようもないよ」
「とりあえず、渡の家までタクシーで行こうぜ。三河ちゃん、案内よろしく」

 タクシーに悠馬を詰め込み、悠馬の家へと向かっている道中だった。
「…いや、でも三河さんと渡が仲良さそうにしてて僕、安心したな」
 タクシーの中で阿波崎くんがしみじみとつぶやく。

「ほんとそれ!渡、酔っぱらってから三河ちゃんの話しかしねぇし」
 助手席に座っていた浅尾くんも振り返って悠馬を指さしながら言う。
「いいじゃーん、愛し合ってるねー!」
「ほんとに浅尾くん、うるさいままだね」
「おま、ほんと辛辣だな!照れてんだろ!」
 別に照れてない。ちょっと嬉しかったな、とか全く思ってませんから。ええ。

「いや、浅尾くんと阿波崎くんこそどうなの?どうせ、今も仲良くお付き合いしてるんでしょ?」
 阿波崎くんの顔を覗き込むと、彼は照れもせずに
「うん、今も付き合ってるよ。僕は浅尾の事、大好きだな」
 と言い放った。

「だってよー、浅尾君」
「ねえねえ、なんとか言ってよ、浅尾ー」
 二人してニヤニヤと浅尾君をからかったが、彼は真っ赤になって何も言わなくなってしまった。
「浅尾、恥ずかしくなったら急に静かになるよね。かわいい」
「…だって、急に、言うから」
 付き合うまでも付き合ってからも、いろいろな事があって、悠馬と一緒に彼らの悩みを聞いたりした事もあった。
 時には、二人とも泣くほど思い詰めている時があった。
 だけど、今、二人が幸せそうに笑っているから、私はなんだかとっても嬉しい。

 悠馬をマンションの部屋に放り込んだあと、2人はホテルへ帰って行った。
「悪い、俺たち明日には帰るから今日はホテルに戻るわ」
「ほんとごめんね」
「いやいや、こっちこそほんと悠馬が迷惑かけちゃって、ごめんね」
 またこっちに来る時は連絡してね、と言って2人と別れた。

 …さて。
 このベッドでのびてる悠馬をどうにかしないと。
 ぴくりとも動かないけれど、死んでいやしないだろうか…。

 心なしかほっぺがいつもより赤い気がする。
 悠馬の顔に耳を近づけると、すうすうと寝息らしきものが聞こえたので、どうやら死んではいないらしい。
 メガネを取ってあげよう。寝返りした時に割れたら危ない。
 起こさないようにそっとそっと、メガネのつるに手をかけた瞬間だった。

 天地がひっくり返った。
「…玲ぃい…好き…」
 えへ、とだらしない笑みを浮かべる悠馬が私の上に覆いかぶさっているではないか。

 そして冒頭に戻るわけである。
「んんんんーーー!」
「だから今日はだめだってば。酔ってるでしょ」
 悠馬はほっぺを膨らませて拗ねた。

「なんで!いつもは強引にしてくるくせに!なんで俺が甘えた時はだめなの!」
 ぽかぽかと肩をグーでたたかれる。地味に痛い。
「だから、あなためちゃくちゃ酔ってるじゃんか…大人しくしてください」
「酔ってるとか関係ない!」

 悠馬が私の肩にしなだれかかってきた。
 私にだけ効果があるフェロモンでも出てるのか知らないけど、ものすごく甘い香りがする。
「かまって、ねえ、お願い…。素面じゃ、はずかしくてこんなこと、できないもん…」
 ほーう。そういう事言っちゃうか。必死で突き放して我慢してあげてたのにな。

「えい」
「あっ」
 私に覆いかぶさっている悠馬の脇腹にぎゅっとしがみつく。
 そのまま、壁側にぐるりと回転するとあら不思議。形勢逆転だ。
 おでこと頬に何回もキスを落とす。
「さて、これで満足かね、悠馬さん」

「…う…」
 なんだ、その顔は。
 めちゃくちゃ嬉しそうな顔してるじゃないか、その顔はなんですか?
 口角が上がっているよ、おでこをおててで押さえてるよ、ほっぺが真っ赤っかだよ、なにこの可愛い生き物。

「うれしい…」
 悠馬を酔わせてみれば、理性大決壊の音がする。
「覚悟しなさいよ、悠馬…」
 さんざん煽っておいて、無事に済むと思わないことね。


「ひっ、はうぅ…っ、んぅう、み、みみ、も、なめないでぇ…」
 悠馬は耳も絶対に弱いとは思っていたけど、実はきちんと虐めてあげた事がなかった。
 しかし、こんなに気持ちよさそうな声を出すなら、もっと早くに開発してあげればよかった。

「んっ、や、あ、…うぅう」
 右の耳たぶを食みながら、舌でじゅっ、と吸い上げた。
 左は耳の後ろや、耳穴のあたりをくるくると人差し指で触れるか触れないかくらいで、撫でてあげる。

「ひ、ぅう、ゃ、はう、んぅう…」
 必死で私の手を押しのけようとしているが、全く力が入らないらしい。
 手首を持っているだけになっている。

 耳の外側をゆっくり舌で舐め上げると、悠馬が体をよじらせて喘いだ。
「んんんぅ、それ、や…」
「あら、これが好きなんだね」
 もう一度、ゆっくり舐め上げ、折れ目の部分を舌でちゅるちゅると刺激する。

「ひっ、や、あぁ、みみ、や、やだ、あぁあん…」
 執拗に舐めていると、悠馬の声がどんどん熱を帯びていく。
 酔っているからか知らないが、いつもよりスイッチが入るのが早い気がしてきた。
 今日、ものすごい可愛い顔が見られるかもしれない。
 ちょっとだけ期待で胸がわくわくしてきた。

「ふーーっ」
「ひぅうう!?」
 息を唐突に耳に吹きかけると、悠馬はより一層高い声で鳴いた。
 よほど驚いたのか、目をキョロキョロさせている。

「へへ、かわいい…悠馬、もっと耳の奥まで犯したげようか」
「うぅ、う…」
 迷ってる迷ってる。素直に言うのが恥ずかしくて迷ってる。全然こっち見てくれない。

 お、目が合った。

「して…?」
 首かしげちゃうのまでワンセットなのが控えめに言って可愛すぎるな。
 私の彼氏、すごいな。
 これは全人類が平伏すレベルの可愛さだと思うし、なんなら自主的に平伏してほしい。

「いいよ」
 耳穴の周りを一周、れろっ、と舐め上げる。
「ひっ…」
「まだ、入り口だよ」
 もう一度、舐める。もう一度。
 少しずつ感覚を狭めていき、れろれろ、くちゅくちゅ、と音がするまで耳穴付近を虐め続ける。

「んはぁあ♡んっ、んぅう…」
 内ももどうしをすり合わせているのが視界の端に見える。
 きっと下着は少しずつ愛液でじっとりと濡れ始めているころだろう。まだ触ってあげないけども。
 わざと音を立てながら舐め続ける。
 時折、耳の穴の中に舌を割り入れると悠馬の体が一層大きく跳ねた。

「ぁあ、う、ぅうう、んん、ん♡」
 少しずつ耳の中に舌を進めていく。最初は浅くちろちろと素早く出し入れを繰り返した。
「んぅ、ひっ、あぁ、そ、それ…ぁ、ああ♡」
 悠馬が逃げようとするので、頬に手を添えてぐっ、と口元に近づけた。
 今度はゆっくり、奥深くまで舌を入れ、ぬろろっ、と引き抜く。

「んんんんぅう…」
 もう一度、ゆっくりゆっくり奥深くまで舌をねじこみ
「ひうぅう…んっ」
 またゆっくりゆっくり引き抜く。
「ぁ、や、やぁああ♡」

 これを何回も何回も繰り返す。
「悠馬、腰揺れてるね」
「…っだ、だってぇ…んんんっ」
 悠馬の腰がいやらしく揺れている。
 着衣でもこの色気なのに、脱がせたらもう我慢が効かないかもしれない。
「だめでしょ、耳だけでそんな色っぽい声出して腰揺らしてちゃ」

 ジーンズの上から悠馬のペニスをそっと撫でた。
「んっ、んぅ」
「まだズボンの上からしか触ってあげない」
 何度も軽く上下に撫でているだけなのに、悠馬はたちまち息を荒くして喘いでいる。
「ひ、ひぁ…っんんぅ、や、ぁ…っ!」

 やたら気持ちよさそうにしているので、耳を虐めるのも再開してあげると、悠馬はさっきよりも激しく身をよじりだした。
「んぅうう、はぁ…っ、ぁ、あ、ああ。れ、れいぃ…あ、だめ、いっぺんに、あ♡だめぇ…」
 少しずつ舌を抜き入れするスピードを速めていく。
 耳元からちゅこちゅこと、さらにいやらしい音がする。

「悠馬は、耳犯されてこんなに感じちゃうんだね」
「ぅ、ぅううん、はうぅ、や、ぁあああ、ひぁあっ♡」
 ちゅぐちゅぐちゅぐ、ぐちゃ、ちゅこ、ちゅく、水音がどんどん悠馬の脳を支配していく。

「脳まで犯してあげようか」
 手近にあったタオルを悠馬の目元に巻き付けて、視界を奪った。
 そして一気に耳の奥まで舌を割り入れ、できる限り早いスピードで悠馬の耳を○す。

 悠馬が口端から唾液を垂れ流しながら喘ぐ。
「ぁあああっ、こ、これ、だめ、ら、らめ、や、脳みそおかされちゃ、うっ…♡」
 ほんとに虐め甲斐があるな。
 ここまでぐずぐずに感じてくれるのは嬉しい反面、ほんといつも心配になってしまう。
 たまに突然ねっとり、ゆっくり舐めてあげると、折れるのではないだろうかと思うほど腰が跳ね上がる。

「ぁ、あ、あ、あ、あぁああ♡んんんっ、も、らめ、おかしくなる…っ、めかくし、とって、や、これ、らめ…」
 ついに悠馬の呂律が回らなくなってくる。
 ジーンズのチャックを下ろすと、すでに下着は濡れそぼっていた。
 やっぱりそうだ、今日、やたら感度が良すぎる…。
 目隠しされているのも相まって余計に感じているのだろうか。

 耳を犯し続けたまま、ふにふにと下着の上から悠馬の中心を刺激する。
「ひぐっ、ひぁ、ぁああ、んんっ」
「下着、めちゃくちゃ濡れてるね。気持ちよくて先走りいっぱい出しちゃったの?」
「んんんぅうーー…っ、ひっ、あぁ、う」
「答えて」
 悠馬のペニスをぎゅっと握る。

「ひうぅ!」
「答えてよ、ねえ」
「ぁ、ぁうう…きもち、くて、あ、う、いっ、ぱいでちゃ、でちゃったの…っあ、あぁ♡」
 だめだ、可愛すぎてもうどうにもできない。
 ちゃんと言えたご褒美に、キスをしてあげよう。

 口の中に舌を割り込ませると悠馬の熱い舌が必死に追いかけてきてくれる。
 よっぽど嬉しいのだろうか、なかなか離してくれない。
「ぅ、ふぅ…んっ」
 本当に可愛い。
 キスをしながら、下着の上からまた虐めると、悠馬の体は気持ちいいところをかすめる度に、びくびくと跳ねている。

 ちゅぱっ、と音がして二人の唇がやっと離れた。
「はふ…っ、ふ、う…も、おねがい、も、ちょくせつ、さわって、おねがい…」

 この声は本当にずるい。
 いつもの低くて落ち着いた声はどこへやら。
 ただでさえ、普段から悠馬のお願いなら何でも聞きたいと思っているのに。
 そんな切なそうに上ずった声で強請られたら、断る理由なんかどこにもない。
「いいよ」
 だから、無意識のうちに許してしまう。

 悠馬の下着をずり下ろしていく。
 直接、そっと優しく触れるとそれだけで悠馬は口元を抑えて声を我慢しようとしている。
「触っただけだよ…?」
「んぅ、だ、だって、みえないから…」
 ぬるっ、と上に手を滑らせる。
「んんんぅう」
 次は下に。
「ひぁぁあ」
 もう一回。また上に、下に。

 ぬるぬると手を滑らせて刺激すると悠馬はまた私の手首をつかんだ。
「や、はや、はやい…だめ、い、いっちゃ…」
「何言ってんの、1回イったくらいでやめたりしないから安心してよ」
 ぬちゃぬちゃといやらしい音が部屋を支配する。
 悠馬は体を弓なりに反らせて必死に快感を逃そうとしているが、もう限界が近いようだ。

「だ、だめ、い、いく、いっ、ちゃう…ぅう♡あぁああああん♡♡」
 大きくびくんっ、と悠馬の体が跳ねたあと、白濁がどくどくとあふれ出してくる。
「ぁ、ぁぁあ…っ、はう」
 そのまま間髪入れずに片手で先っぽをひっかいて、もう片手で上下にぬるぬると刺激すると悠馬はさらに乱れた。
「えっ、やっ、なに、なにしてるの、まって!ぁっ、ぁああ、ひうあ、やっ…」
「待ちません」
「ぁああ、やぁあん♡いま、い、いっ、いったからぁあ♡いま、だめ、らめ、い、いじっちゃ、あぁ、さきっぽ、らめぇ、らめ、はうううう♡♡」
 悠馬は首を横にいやいやと駄々をこねる子どものように振り続ける。
「もっかい、イこうね、悠馬」
「や、やだああ、やだああああ♡あ、ま、また、またいっちゃ…!」
 ベッドの上でのたうちまわる悠馬はひどくいじらしい。
 どうしてこんなに嬲りたくなるのだろう。不思議な人だ。

 前髪は汗を吸ってペタリとおでこにくっついている。
 耳や首まで真っ赤にしながら、必死に歯を食いしばって快感に耐えている様は何というか非常に嗜虐心を煽るというか。
 目隠しの下の目はどうなっているんだろう。

「~~~っっ!!♡」
 2回目はあまりの快感に、もう声も出ないまま悠馬は果てた。
 白濁はさっきより多くないがそれでもびゅく、びゅく、と零れ落ちている。

「な、なんでぇぇ、おねが、て、もう、とめて…っ、も、いけない…いけないぃいっ」
「やだよ、止めない。だいたい、悠馬もう勃ってきてるよ」
「ひぁ、も、ぁ、だめ、だめ、おかしくなる、せめて、めかくしとって、きもちいいのいっぱいきちゃうから…っ」
 悠馬の体を起こし、後ろから抱きかかえるような形にする。

「わかったわかった。じゃあ最後にするから、悠馬が気持ちいとこ全部虐めてあげるね」
 耳を犯しながら、右手は乳首に、左手はペニスに持っていく。
「らめ、いっぺんは、ほんと、らめ、こわれる、こわれちゃ、こわれちゃうから…っ」
「でも悠馬、期待してるでしょう。気持ちいいところ全部いっぺんになじられて、頭おかしくなっちゃうくらい気持ちよくされる事、期待してるでしょ」

 悠馬は、少しだけ考え込んだあと、ゆっくりとうなずいた。
 顔が見れないのが残念だけど、きっとすごく虐めたくなる顔をしているから、見るのはやめておこう。

 乳首をひっかき、ペニスを上下にしごき、耳の奥深くまで舌で○す。
 一度に三か所も責められて、悠馬はたまらず体をよじらせて逃げようとした。

 だけど、逃がしてあげない。逃がすわけにはいかない。
 乳首を虐めている腕で悠馬の上半身をがっ、と抱き寄せ、自分の脚を外側から悠馬の脚に絡めて、ぐっと外に広げる。

「はあうううう、らめ、あぁああ、ぁん♡も、だめ、これ、きもちよすぎて…あ、あ、ひうう♡も、おかしくな、る…っ」
 先っぽを親指でぐりぐりと虐めると、悠馬は体をひくひくと震わせた。
「ん、ん、んんんんぅう♡も、だめ、や、きもぢ、ひぅうううう」

「…好きだよ」
「やっ、あぁ、~~~~~っっ♡♡」
 悠馬は最後にがくがくと体を震わせながら精を吐き出した。
 3回連続で出したからさすがに薄くなってはいたが、手にはてらてらと悠馬の愛液が張り付いている。
 悠馬はぜえぜえと息をしながら、私の肩にもたれかかってきた。
 体に全く力が入らないようだ。

「ごめん…虐めすぎた…」
 事が終わると、急に頭がさえてきた。
 どう考えても、酔っぱらいにやる所業ではなかった。
 思いっきりがっついてしまった…。
 翌朝、殺されるのではないだろうか。冷や汗が滝のように流れ落ちる。

「あ、そういえば目隠し…」
 慌てて彼の目隠しを取り、顔を覗き込むと、ぐずぐずにとろけた瞳と視線がかち合う。
 虐めてる最中に目隠しを外さなくて心底よかったと思った。
 
 気持ちよさで放心状態になって、さっきから微妙に焦点が合ってない感じがする。
 ビー玉のような丸い黒目がころころと動くその様の色っぽさ。可愛い。
 じっと眺めていると悠馬が口を開いた。
「もうだめ…」

「え?」
 悠馬がずるるる、と崩れ落ちた。

「え、うそ、悠馬!悠馬!悠馬―――!」


「確かに昨日酔っぱらって、阿波崎にも浅尾にも玲にも迷惑かけた。それは本当に悪かった。ごめん。あとでお詫びに何かする。だけど、どう考えてもお前もやりすぎだよな?なあ?」
「申し訳ございません…」
 翌日、案の定悠馬に死ぬほど怒られて、平謝りをする羽目になった。

「何かお詫びします…。何なら今からデートしようよ、最近行けてなかったしさ」
 悠馬はしばらく黙ったあと、立ち上がってすたすた歩いて行ってしまった。
 ううん、さすがに今回ばかりは本気で怒らせたかもしれない。
 どうしよう…と思案するもつかのま。

「何ぼおっとしてるんだ、早く準備しろよ」
「えっ」
「行くんだろ、デート」
「えっ」
「えってなんだ、玲が言ったんだろ」

 悠馬が振り返った。面食らっている私を見て、少し照れたように笑った。
「…阿波崎と浅尾見たら、俺だって玲とデートしたくなったんだよ、ほら早く」

 すさまじい衝撃波をまともに食らってしまった。
 心臓が死ぬほどバクバクする。
 これは、やはり惚れた方が負け。何でもお願いを聞いてあげたくなってしまう声だ。
「しよう、デート!私は映画館と水族館とゲームセンターと最近できた新しいカフェとショッピングモールに行きたい!」
「どれか一つにしなさい」

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神原だいず / 豆腐屋 2024/07/03 19:00

【再掲 / 玲と悠馬⑦】7月13日

 俺が一体、何をしたって言うんだ。

「ひ、ぐっ…ぐぅ…っ」
 どうして、こんなにつらい目に合わなければならないんだ。

「やめて、おねが、おねがい、やめて…っ!
 どうして俺なんだ。


 それは、高校一年生の夏だった。
 今でも日付を覚えている。7月13日。
 身体を滑り落ちていく汗と涙、精液の不快さ。埃っぽい、社会科教室の床。
 ずきずきと痛む背中。
 もう顔も思い出せないけれど、俺を組み敷いたあのクラスメイトの、欲でぎらついた目。

 それから始まった真っ黒で救いがたい日々、恋焦がれた一人の女の子、安堵で崩れ落ちた瞬間。

 全部全部、一生忘れる事はないだろう。

 高校一年生。
 その日、日直だった俺は、先生に授業で使った地図の運搬を頼まれて資料庫と化した旧校舎にいた。
 社会科資料室の奥に地図を立てかけ、ふうと一息ついた時、後ろで扉がガチャリと音を立てた。
 振り返ると、同じクラスの男子が立っていた。
 どうしたんだ、と声をかける暇も無かった。

 そこから、初めてを暴力的にかっさらわれるまであっという間だったからである。

「あ、いた、いたい…っ」
「うるさい…っ!」
 クラスメイトは、自分が締めていたネクタイを外して、俺の口の中に無理やり突っ込んできた。
 苦い布を必死に噛み締め、痛みと屈辱に耐える事しかできない。

 気持ちよくなんかなかった。
 前戯もほぼなく、十分にほぐされもせず突っ込まれたせいで、すさまじい圧迫感と痛みが襲って、息ができなかった。
 クラスメイトが動く度に、貫かれた場所から痛みが広がる。

「むぐ、ぐ、ぐう…っ!う、うぅ…っ」
 俺の中心は完全に萎えきっていた。
 体を冷や汗が伝う。
 もう、やめてくれ。許してくれ。
 俺の何が悪かったのだろう。彼とは同じクラスになってから、二言三言会話をしただけなのに。

 血が出ているのだろうか、埃っぽい部屋は少しずついやらしい水音でいっぱいになっていく。耳元で荒い息が聞こえる。
 怖くて怖くて必死に目をつぶった。

 突然、彼は陰茎を抜き、俺の手首を離した。
 横目でちらと見ると、赤く痕が残っている。
 社会科資料室の床でぐたりと動けなくなった俺を見下ろしながら、彼は俺の体に向かって精を吐き出した。その瞬間、彼は小声でぼそりとつぶやいた。


 俺ではない男の名前を。


 口からネクタイがずるりと抜かれる。唾液でテラテラに光るネクタイはもはや何か気味の悪い生き物のようだ。


「悪かった」
 彼は一言それだけ残して部屋を出ていった。教室の外でガタガタと音がして、足音が遠ざかっていく。

 謝るなら俺のこの痛みを消し去ってくれ。
 こんな理不尽に体を暴かれて、挙句の果てそれが自分ではなく別の相手への欲情を発散するためだなんて。
 こんな事、誰にも相談できない。
 どうしたら、いいんだろう。怖いのに、痛いのに、一人で抱え込むしか方法がない。

「誰か助けて…」
 セミの鳴き声がどこか遠くの方で鳴り響いている。
 誰かのすすり泣きがひどく近くで聞こえるが、それは俺のものだったんだろうか。


 その事件以来、俺はクラスの誰にも心を開く事などなかった。
 それまでに友人は数人いたけれど、付き合いが浅かった事もあっていつしか、距離があいていった。
 いつも、教室の隅で一人ぼおっとしていた。
 誰かと関わる事が怖かった。
 また、何か危害を加えられてしまうんじゃないか。
 手が自分の方に向かって伸びてくるだけで、身構えてしまう。
 手が少し触れただけで、恐怖で声が出なくなる。

 俺を襲ってきたクラスメイトは、夏休み後に転校していた。
 文句の一つも言ってやる事ができなかった。

 情けなくて、苦しくて、だけど怖いから誰とも関わりたくなくて、学校も休みがちになったし、部活動もやめてしまった。
 小さいころから大好きだった剣道を、本当は続けたかったけど、それどころじゃなかった。

 そして、2学期のとある日。
 ついに出席日数が危うくなって、放課後に担任に呼び出されてしまった。

「渡、このままのペースで休み続けると、出席日数が足りなくなるかもしれない。お前は、成績はいい。だけど日数が足りない生徒は留年になるんだ。できるだけ学校に来てくれ」
「…はい」

 職員室の端。
 面談スペースと称されたその小部屋で、担任と向かい合って座って二人。
 机の下の手が震えている。個室で誰かと二人きりになる事も怖かった。
 担任がそんな事してくるはずないのに、恐怖で頭がいっぱいになる。

「何か、悩みごとでもあるのか。例えば…友人関係でうまくいってない事があるとか」
「いえ」
 いえるわけがない、あんな事。だいたい、もうあのクラスメイトはいないのに。

「親御さんと何かトラブルがあったわけではないよな」
「…いえ」
 早く、外に出してほしい。声が震える。
 そのとき、俺の様子がおかしいのに気づいたのか、担任が俺の肩に手を置いた。
 身体から一気に血の気が引いていく。

「だ、大丈夫か、お前」
「いや、あの、あ、ちが、大丈夫です」
「体調悪いんじゃないのか、顔真っ青だぞ。今すぐ一緒に保健室に行こう」
「ひ、ちが、やめて、なんでもない!なんでもないんです!失礼します!」

 俺は椅子から勢いよく立ち上がり、ダッシュで職員室から出た。
 泣きながらめちゃくちゃに走った。どこに向かっているかもわからない。
 何から逃げているのかもわからない。
 前も見ずに、無我夢中で走っていると

「うわっ!」

 突然誰かと思いっきりぶつかってしまった。
 正面衝突して、二人とも尻もちをつく。
「いたた、びっくりした…」
 目の前で、一人の女の子が困ったように笑っていた。
 セーラー服の右胸にある校章の色は、赤色。同じ学年だ。
 だけど、彼女の顔を見た事は一度も無かった。別のクラスの子だろうか。

「ご、ごめん。前見てなくて」
「いいよ、あたしも前見てなかったから。…あれ」
 彼女は、俺の顔を覗き込んできた。急に距離を詰められたので、一瞬後ずさる。

「あ、ごめん、距離近かったね。いや君、泣いてるのかなって、思ったんだけど」
「…」
「なんか、あったの?」
「…なんでもない」
「あ、彼女に振られたとか?」

 ニヤニヤと笑いながら聞いてくる彼女に、何だか無性に腹が立った。
 こっちは必死で悩んでいるというのに。一人で耐えているっていうのに。
「あんたには、関係ない!」

 そう叫んで、俺はその場を走り去った。
 二度と関わり合いになりたくない、あんな奴。
 いつの間にか、悲しい気持ちは完全に怒りへとシフトされていた。

 この時、ぶつかった女の子は一体誰なのか?
 そう、お察しの通り、三河 玲である。

 当時は彼女が俺を救ってくれる事になるなんて、つゆほども想像していなかったのだが。


 なんとか出席日数をぎりぎりでクリアし、2年生に進級するころには、少し気持ちも落ち着いてきていた。
 どうせ人と関わるのが怖いなら最初から関わる事もなく、のらりくらりと一人で過ごそうと決めて、始業式の日、教室に入った。
 苗字が「渡(わたり)」で万年名簿番号は一番最後なので、教室の一番隅の席に座る。

 教室は人がまばらだったが、しばらくするとがやがやと女子数人のグループが教室に入ってきた。
 部活の知り合いなのか、去年クラスが同じだったのか、ぺちゃくちゃとおしゃべりをして楽しそうだ。

 まあ、関わり合いになる事もないだろうと、机に突っ伏して眠ろうとしたその時だった。

 振り返ったグループの女子一人と目が合った。
 なんだか見覚えがあるような、ないような。
 次の瞬間、彼女が
「あーっ!」
 と大きな声を出した。

「なになに、どしたの、玲」
 周囲の女子はびっくりして彼女を見たが、彼女はお構いなく俺の席に近づいてきた。

「ねえねえ、去年さ、廊下でぶつかった人だよね。あの、泣いてた!」
「げっ」

 最低な気分だ。
 泣いてた事もばらされるし、一番関わり合いになりたくないタイプだと思っていた奴が同じクラスだし。

「やばいよ、あんた嫌がられてるじゃん」
「えー?ひどい、仲良くなりたいと思ったのに」
「やめときなって。一人でいるのが好きなんだって、きっと」
「そうなの?君、一人でいるのが好きなの?」
「…ほっといてくれよ」
「ほら、玲、行くよ」

 そうだそうだ、もうほっといてほしい。
 中途半端に関わって傷つけてくるなら、最初から関わり合わないでくれ。
 その時、彼女がぼそりとつぶやいた声が聞こえた。

「どうもそんな風には、見えないんだけどなぁ」
「…え」

 振り返った時には、彼女はもう友人たちと一緒に教室の中央に向かっていた。
 一人取り残された俺は、しばらく彼女から目を離す事ができなかった。
 あのヘラヘラ笑っている女が、本当にさっきの言葉を言ったんだろうか。

 最後に、彼女がぼそっと言った言葉の意味を考えあぐねていた。
 彼女は、俺の何を見て「本当は一人でいるのが好きじゃない」と思ったんだろうか。
 頭の中に、少しずつ少しずつ疑問符が生まれ始めていた。


 それからというもの、彼女はしょっちゅう俺に構ってくるようになった。
 今は、彼女がずっと話しかけてきてくれたおかげで、他人と再び関わり合う事に少し前向きになれたから、本当に感謝している。

 だけど、当時は全くそんな風に思ってなかった。

「わたりー、渡悠馬くーん」
「…うるさい」
「眉間に皺寄せちゃって、老けちゃいますよー」
「…しつこい」
「にこって笑ったら絶対可愛いのに!」
「いい加減にしろ!しつこいって言ってるだろ!」
 
 最初の席替えで、隣の席になった事が運のつきだった。
 彼女はいつもいつも暇さえあれば俺をからかった。
 授業中に問題を解いているときも、移動教室の準備をしているときも、朝学校に来て、夕方帰るまでずっと。
 友人が多い彼女は、おしゃべりが上手で、口下手な俺からすればかなりうるさい存在だった。

「三河さん、渡くん。仲良しなのは良い事だけど、静かにしなさい。授業中よ」
「いや、仲良しじゃな…」
「おしゃべりする暇があるなら、次の問題を解いてもらいましょうか。はい、じゃんけんで負けたほうが前に出て」

 数学担当の市川先生は口元に笑みを浮かべているが、全く目が笑っていない。
 相当に怒っているようだ。
 有無も言わさぬ迫力で、こちらをじろりと見つめてくる。
 ついでに、クラスメイトたちもにやにやとこちらを見つめてくる。

 隣の席にいた三河が、机をシャーペンでこんこんと叩いてきた。

「…ねえ、渡が解いてよ。あたし、あんな三角形とか円がぐるぐるしてる問題わかんないよ」
「俺だってわかるか。あれ、特進クラスが解くような問題だぞ」
「じゃあなおさら、あたしじゃ無理だよ。君、頭いいでしょ。解いてよ」
「無理だ。じゃんけんしてどっちかが怒られるしかない」

 二人して声を潜めて、問題の解答権を押し付け合う。
 その間に市川先生はしびれを切らしたのか、俺たちの机に向かってつかつかと歩いてきた。
 そして、勢いよく机の上に大量のプリントを叩きつけた。

「あの、せんせ?これは…」
 ぞっとする量だ。
 しかも、先生の手のひらの隙間から見える問題文も、かなり凶悪なレベルな気がする。

「以前から、私語が多い生徒に関してはペナルティを与えますと通告していました。次回の授業までに、全て終わらせて提出しなさい」
「いや、次回の授業って確か明日の一限じゃ…」
「いいですね」

 三河の悲痛な訴えをかき消すかのように、チャイムが鳴った。
 弁解のチャンスも完全になくなってしまった。
「では、本日はここまで!」


「お前のせいだからな…」
 放課後の教室。目の前に積みあがる片付かないプリントの山。
 カチカチと苛立たし気にシャーペンをノックする音。
 ひっきりなしにこぼれるため息。

 俺の恨み言に、三河がねちっこく反論する。
「渡がうだうだ言い訳して問題解かないから、先生が怒ったんだよ…」
「じゃあお前が解けばいいじゃないか」
「できないから頼んだんだよ。だいたい、そっちが叫んだせいで注意されたんだから!」
「ちょっかいかけてきたのはお前だ!」

 お互い、椅子から半立ち状態でにらみ合う。
 一触即発。
 どちらかが何かを言えばつかみ合いの喧嘩にでもなりそうな緊張感だ。
 しかし、しばらくして三河がふうとため息をついて椅子にもたれかかった。

「…やめよう、不毛だよ」
 プリントをまるで雑巾のようにつまみ、ふらふらと目の前で振りながら、三河は半ば死んだ目でこちらを見た。
 友人と話している時からは想像できないほど虚ろな表情に、一瞬どきりとするが、すぐに彼女は俺から目を逸らした。

「ここで言い争っても何にもならないよ。数学の課題は提出しなきゃいけないんだもん」
「…まあ。そうだけど」
「ちょっかいかけた事、気悪くしたなら、謝るよ。ただ、嫌がらせのつもりじゃなかった事だけはわかってほしい」

 彼女は当時、長い黒髪だった。
 初夏にしては蒸し暑いが、教室のクーラーはまだつけられない。
 彼女は右手首につけていたヘアゴムで、髪をまとめ始めた。
 その間、静かに彼女は話し続ける。

「新学期になってからずっと、渡と話してみたいと思ってたの。本当に一人が好きそうに思えなかったから。なんだか、本当は誰かと関わり合いたいのに、ずっと我慢してるように見えたんだよ」
「今は…?」
「ん?」

 嫌に喉が渇いている。言葉が喉にひっかかってうまく出てこない。どうしてだろう。
「今はどう見える…?」

「ううーん、そうだね…」 
 三河は少し考え込んだ。
 せっかく右手でまとめていた髪を手離して、腕組みをしている。
 変な気分だ。自分自身がどう見えているかを相手に問うだなんて。

「今も、一緒かな。一人が好きなようには、やっぱり見えないよ。理由は、うまく言えないんだけど、しゃべってるといつもそう感じる。ほんとは、自分自身の事、誰かに知ってほしいのかなぁって思うよ。正直、あたしの事うっとうしいでしょ?」
「うっとうしい。苦手」

 即答すると、三河は嫌そうな顔一つせず、けらけらと心底おかしそうに笑った。
「やっぱり。正直に言ってくれると思った。なんかね、良くも悪くも、人付き合いに誠実そうだなって思う。中途半端に付き合い持たれるの好きじゃないんでしょ。ずかずか無遠慮に入ってこられるのも好きじゃないよね、違う?」

「…違わない」
「渡のそういうところがすごいと思うよ。あたしは、適当に広く浅くお友達を増やしたからさ。楽しいけれど、渡みたいにきちんとお前の事が苦手だって言ってくれる人いないよ。変に気を遣って、うわべだけのふわふわした関係で」

 彼女は、頬杖をついて窓の外をぼんやりと眺めた。
 またしても、彼女の目は虚ろになっている。
 その目を見ると、心臓が急に締め付けられるような気分になってしまうのは、どうしてなんだろう。

「だけど、あたしも傷つくのが怖いから、へらへらしてるだけなんだよねぇ」
 彼女は、そのまままっすぐこちらを見た。
 さっきよりも長い時間、彼女の視線に絡めとられてしまう。
 どうして、息ができないんだろう。
 怖い以外の感情で、息ができなくなったのは久しぶりで、どうしていいのかわからない。

「渡とは、うわべの関係になりたくないなぁ」
「ならない!」
 自分でも思ってるより、大きい声が出た。
 三河は驚いたのか、目を丸くしてこちらを見ている。
 かくいう自分も驚いて、固まってしまった。

「な、なんで言った君が驚いてるのよ」
「わかんない…。だけど、ならない。ちゃんとお前のこういうところが嫌だって、正直に言うから。だから、だから」

 どうしてこんなに必死になっているんだろう。
「そんな悲しい目しないで」

 訪れる沈黙。
 何か言ってくれ、頼むから。
 顔を上げる事ができない。頬の中心から、耳へ首へ、じわじわと熱が広がっていく。
 耐えきれなくなって、机のプリントを急いでかき集めた。
 彼女の方をろくすっぽ見ないままカバンに適当に詰め込む。

「用事あるから、帰る」

 席を立ち、逃げるように教室から出ようとした瞬間だった。
 思いっきり手首を掴まれる。心臓が口から飛び出そうになった。
 一気に社会科教室の出来事がフラッシュバックする。

「帰らないで」
「う、あ」

 だめだ、恐怖でうまくしゃべれない。
 だけど、どうして、恐怖以外の感情が湧き上がりそうになってるんだろう。
 身体が崩れ落ちてしまいそうで、震えが止まらないのに、嫌悪感以外の何かが生まれている事に頭が混乱した。

「ねえ、こっち見て」
「やだ…っ」
「どうして」
「わかんない、も、わかんない、何も」

 声が震えだす。まずい、泣きそうになっている。
 どうしたら、どうしたら、ああ。
「渡、お願いこっち見て」
 ゆっくりと振り返る。
「君、初めて会った時もそんな顔して泣いてたね。真っ青で、何かを怖がってるみたいだった」
 三河がまっすぐにこちらを見た。
 その目に何もかも見透かされてしまいそう。

「何が怖いの」
「言えない、そんな事…」
 もう限界が近かった。頭がクラクラし始めている。考えがうまくまとまってくれない。
 三河は、次の言葉を言うかどうか迷っているように、視線を彷徨わせた。
 そして、こう言った。

「怖い事は、社会科教室と関係あったりする?」

 その瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。
「なんで…うそ、どうして…」
「去年の夏に、社会科教室で人が倒れてるのを見た。パニックになって、あたしその時逃げたの。顔はちょっとしか見えなかったけど」

 三河は座席から立って俺の元へ来た。そして側にしゃがみ込む。
「やっぱり渡だったんだ…そっか…」
 手首を握る三河の手に力が入ったのがわかった。
「ねえ、何があったの。あの日、社会科教室で、あなたは何をされたの」

 言ってしまえば楽になるのはわかっていた。
 だけど、受け入れてもらえなかったら?気持ち悪いと言われたら?
 また、傷つくなんて、嫌だ。
 それならいっそ一人でいた方がいい。だけど。

「…あんたには…」
 言いたくない。
「あんたには、関係ない…」
 言いたくない、本当はこんな事。

 手首から熱がゆっくりと遠ざかっていった。
「渡…」
「帰る」
 そのまま振り返らずに教室の外に出た。三河はもう、引き留めてこなかった。


 次の日から、俺は彼女を避けた。
 否、避けるしかできなかった。
 どんな顔をして話していいのかわからなかった。
 避けたその日、彼女の笑顔が凍りついたのがわかったけれど、どうしようもなかった。
 
 そのうち、彼女の屈託のない笑顔も、誰にも見せなかったあの虚ろな目も、こちらに向けられる事は無くなっていった。

 教室で彼女が友人と話している声を聞く度に、たまらなく寂しくなる。
 苦手だったはずなのに、どうしてこんなに胸が痛くなるんだろう。

 うわべだけの関係で、適当に意見を合わせてへらへら笑う事に、疲れ切っていないだろうか。
 彼女は、あの虚ろな感情を、もしかしたら誰にもぶつけられていないのではないだろうか。

 だけど、拒絶したのは自分の方なのだ。
 いつまでも怖がって、彼女の手を振り払い続けている。
 とことん嫌気がさす。

「えー、今回が前期最後の授業ですね!それでは今から課題を配ります」
 ブーイングが溢れる教室、セミの鳴き声、首筋を伝う汗、クーラーの唸り声、カレンダーに浮かび上がる忌まわしい7月13日、隣の席にいるはずなのに誰よりも遠い彼女。

 夏休みまで、あと3日。
 未だ、三河と俺の関係は、元に戻らないままだった。

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神原だいず / 豆腐屋 2024/07/02 19:01

【再掲 / 単発】手フェチの女と舐め回されたい男

 視界の端に、神経質そうに浮き出た人差し指の第一関節が見えた瞬間、私は学生生活の終焉を覚悟した。
 目の前に突然、長年探し求めた完璧な手が現れた。
 心臓から指先、耳、足先にまで一気に熱い血液がぎゅわりと張りめぐらされていく。

「桐坂恵麻さん」
 絶対に顔を上げてはいけない。
 いいや、上げられそうにない。
 冷や汗と重力と降り注いでくる低い声が、私の首根っこを押さえつけている。
 私はシャーペンを強く握り直した。ぬるつく汗が手のひらの皺からじゅわと溢れる。

「何?」
 ついでに言うなら、貴方は誰なの? 
 目の前に広げたノートに、意味もなく蛍光ペンで線を引いていく。
 大して重要でもない項目が、さも重要であるかのように黄色く派手になっていく。

「今日、俺たち日直なんだけどさ」
 声が震えそうなので二度軽く頭を上下に動かして、貴方の話を聞いていると合図を送る。

「日誌は俺が書くから、黒板消しお願いしてもいい?」
 もう一度頷く。黒板消しくらい、いくらでもやりましょう。
 すると視界の中で掌が消えた。
 会話が終わった。
 肩からふわりと力が抜け、想像以上に体に力が入っていたことに気づく。

 次の瞬間、前方から微かに風が吹いて、手の持ち主の顔が目の前いっぱいに広がった。
 困ったように眉を八の字にして、口元に引きつった笑みを浮かべている。
 重たそうな黒色の前髪が眼鏡の淵で揺れた。
 すらりと瞼に入った二重の切れ込みが上下にぱちぱち。その度に、焦げ茶の目が見え隠れ。
 とんでもなく整っているわけではない。
 でも、好みなのだ。
 ドストライク好み。

「お、怒ってる?」
「ぁあぐ、あちがっ」
 人語とは思えない謎の言葉を口にし、慌てて顔の前で手を振る。
 すると眼鏡の奥の目が、にわかに細くなった。
 彼が目の前で肩を震わせて笑っている。

「あ、アグー?」
「いや、違う違う違う」
「沖縄のあの…豚のやつ?」
「違う違う違う! な、何を笑ってるの、ねえ!」
 私は頭を抱えてしまった。
 目の前の男はというと、こらえきれずにお腹を抱えて笑い始めた。

「絶対、言ってたよう、アグーって…言ってたもんっ、ふ、へ、あはは」
「言ってないよう! そっちが急に覗き込んでくるから、びっくりしちゃっただけだよ! それまで、骨の浮き出方、指の細さ、長さ、何から何まで完璧な手しか見えてなかっ」
「手?」
「ぐぅあ!」
 私は、焦って口を手のひらで覆った。

 いけないいけないいけない。
 目の前の男、完全に首をひねってきょとんとした顔をしている。
 そりゃ、そうだよね! 急に「完璧な手」とか言われたら、びっくりするもんね! 
 雄たけびみたいな声を上げてしまった恥ずかしさと、手フェチがバレそうになっているこの危機的状況。
 顔面が赤くなったり青ざめたりしているのが、血流の満ち引きでなんとなくわかる。

「え、手? ど、ういうこと……?」

 終わりだ、新学期。
 病的な手フェチが、バレてしまった。
 「アグー」の段階なら、まだ言動がちょっとおかしい面白いクラスメイトで済んだのに。
 あからさまに声色に困惑がにじみ出ている…。

 私は、ついにやけくそになった。
 親の仇と言わんばかりの強さで、彼の手首を掴んだ。
 手首の細さも程よく太すぎず、細すぎず。
 そのちょうど良さに、何故か悔しさすらこみあげて来る。

「こ、この事を言ったら……」
 固唾を飲む音がこちらまで聞こえてきそうな緊張感。
 朝を迎えた教室には、まだ私たちしかいない。
 冷たくどこまでもまっすぐな朝日が、窓の外から彼の完璧な手の上に平行四辺形を描く。

「言ったら……?」
「あなた様の、手、隅から隅まで、舐め回させてやがりますよ」
 終わりましたわ。
 読者の皆様、ここまで気色悪い手フェチの新生活終焉までの過程を読んでくださってありがとう。
 終わりました。
 私の学生生活もーう、全て終わりです。日本語すらおかしいし。

 諦めがつくと、身体に起きていた異常が全て収まり、体内と心が凪いでくる。
「や、あう……ぐ」
 完全に引かれた。
 呻くような声。
 手を振り払われ、今すぐに不審者がいますと職員室までダッシュされてしまう。

 ああ、お父さんお母さん、わたくし桐坂恵麻は中学3年間塾に通わせてもらって第一志望校に合格したにも関わらず、たった3日で不登校になりそうです。
 私はなんて親不孝なんでしょう。
 合格した日には、パソコンの前で一緒に抱き合って喜んでくれましたね。
 お父さんなんか、涙浮かべちゃったりして。
 一緒に食べたお寿司、人生で一番美味しかった。
 だけど、簡単に壊れます。幸せなんて、簡単にね、壊れるんですよ。

「お、お願いします……」
 ほら、気持ち悪いって言われてね、壊れるんです。不登校まっしぐら……

「はああああああ!?」

 あまりの衝撃で、隣の教室どころか、2階全ての教室に響くんじゃないかってくらいに大声を出してしまった。
 聞き間違いではないだろうか、脳内で先ほどの音声を繰り返し再生する。

「o, onegai simasu」「o, onegai simasu」「o, onegai simasu」

 どう考えても言っている。
 「お願いします」と言っている。
 私は目の前の男を凝視した。
 見た目はいかにも真面目そうだ。THE 常識人。誰もがそう答えるだろう。
 それが、手フェチのとんでもない願望に対して「お願いします」と二つ返事?

「あ、あの……脅してるみたいな口調になっちゃったけど、別に逃げてくれていいんだよ。気持ち悪いでしょ、私はそもそも君と話たことないし、君の名前も知らないし。舐めてみたくないって言ったら嘘になるけど、今すぐ私のヤバさを言いふらしたっていいのよ。立場は圧倒的に君の方が上だよ。無理しないで」

 しかし、目の前の男はモジモジと指先をこねくりまわし、こちらを見つめた。
 心なしか、頬は赤く、目は潤んでいるようにも見える。
「無理はしてないよ……。その、俺、桐坂さんに、その、すごく興味があって。新学期で、同じクラスになってから目が離せないというか……。桐坂さん、なんかすごくクールで、いつもどこ見てるんだろうって、何考えてるんだろうって、俺のほう見てくれないかなあって、思うから」

 おおむねクラスメイトの手ばっかり見てたし、誰が優勝してるかそれしか考えてなかったが、外野から見たらクールに見えたらしい。

 目の前の男は右の袖をまくり、肘までを私の目の前に晒した。
 私は生唾を飲み込んだ。
 浮いた血管、引き締まって白くすらりと伸びた綺麗な腕。
 体毛も同い年の男子からすればかなり薄いだろうか。
 これまたなんて完璧な……。

「見て、もっと。俺の身体、見て……」
 私は雲行きが怪しくなってきたことを悟り始めていた。
 明らかに男の息が荒くなってきたのだ。
 もしかして、こいつ私よりヤバイ奴なんじゃないの……? 
 そんな疑惑が頭の中を埋め尽くし始める。

 しかし、完璧な手、腕、さらにはドストライクの顔面には抗えそうにない。
 私は男の手を取った。男が、ひゅうっと息を飲み込んだのが聞こえる。
「名前は?」
「え」
「あなたの、名前」
 私は男の手に顔を近づけながら思った。
 私はこいつの名前を知らなかったけれど、こいつは私の名前をフルネームで知っていたな、と。

「火ノ川……」
 口を開けて、舌を伸ばした。あと3mmで、届く。その白い肌に。
「火ノ川、潤、ッ」
 薬指を根元から爪先に向かって、ずるりと舐め上げる。

 くすぐったさに火ノ川が手を引こうとする。
 私は、彼の手を思いっきり引っ張った。
「懐に飛び込んできといて、一発で逃げようとすんじゃないわよ」
 中指と薬指の間、人類が水から上がってきた生物であることを如実に語るその部位に舌を差し込む。
 中指と薬指をきゅっとまとめて拘束し、舌を前後に動かすと、たまらず火ノ川はうめき声をあげた。

「う、う、それ……やらしい」
「セックスみたいで?」
「んぅうう……」
 こいつも新手の変態だということはわかったので、もう遠慮することもオブラートに包むこともやめることにした。

「する? セックス」
 冗談交じりでそう言うと、火ノ川は顔をしかめた。
「あうぐうう、し、しな……うぅん」
「アグー?」
「い、言ってない! そっちが急にセッ……変なこと言うからっ、あっ」
 火ノ川の弁明も聞かずに、私は口の中に彼の薬指を丸ごと咥え込んだ。
 わざとじゅぐりと音を立てて、舌の上で薬指を舐め回す。
 彼の身体がびくりと震えているのを見上げながら、内心彼を見下ろしているような気分だった。

 手フェチがバレた時はどうしようかと思ったが、お互い変態どうしだとわかってしまえば、我々は共犯関係だし、晒し合いで相手の度量を見極め合うのだ。
 とはいえ、さすがに誰かが来てしまうかもしれない。
 二人揃ってクラスから村八分にされるのは私も望まない。口から指を離そうとした時だった。

「か、んで……」
「んむ?」
 見上げると、どろどろに色欲が溶けた視線が、こちらをじっと見つめている。

「くすりゆび、結婚指輪、みたいでしょ」

 一気に全身が熱くなる。
 私は勢いに任せて、噛み切るほどの勢いで彼の薬指に歯型を残した。
「いぎっ!」
「……変態。結婚するわけないでしょ」
 ありえない、結婚なんて。私は吐き捨てるように言った。

 火ノ川は、満足そうに自分の薬指をさすりながら笑いかけた。
「お互い様でしょ、変態。絶対結婚するよ、俺たち」
 悔しいことに、こいつの変態さ加減に全く不快感を覚えていない自分がいる。

「やかましい」
「あてっ」
 軽く彼の頭をはたいた。

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