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三笠 陣 2024/01/01 18:00

北溟のアナバシス(試し読み版)

1 赤い艦隊

 白地に赤い星と鎌と鎚を描いた軍艦旗をはためかせた艦隊が、東シナ海を北上していた。

「何とも気味の悪い光景だな」

 それを追跡して監視を続ける軽巡名取の艦橋で、艦長の猪口敏平大佐は呟く。
 一九四三(昭和十八)年六月、マラッカ海峡を抜けて南シナ海へと入ったソビエト社会主義共和国連邦の艦隊は、ヴィシー・フランス政府に属するフランス領インドシナのカムラン湾で一度補給を受けた後、ウラジオストクを目指してさらなる北上を続けていた。
 まるで、約四十年前のロシア帝国海軍バルチック艦隊を彷彿とさせる動きであった。
 名取は、南シナ海の大日本帝国領・新南群島(南沙諸島)あたりからウラジオストクへと向かうソ連艦隊の追跡を開始していた。
 ソビエト連邦として初めて就役させた戦艦であるソヴィエツキー・ソユーズ、そしてその二番艦ソビエツカヤ・ウクライナを基幹とする艦隊は、まさしく四十年の時を超えて蘇ったバルチック艦隊の亡霊のように、猪口の目には見えていた。
 しかし、日露戦争と違うのは、対馬沖で連合艦隊が待ち構えていないということだ。
 日本とソ連は、戦争状態にあるわけではない。それどころか、二年前の一九四一(昭和十六)年には日ソ中立条約すら結んでいた。
 一九三九(昭和十四)年のノモンハン事件に代表される日ソ間の武力衝突は、中立条約締結以降、発生してはいない。
 だというのに、中立条約締結以降も日ソ関係は緊張状態が続いていた。
 日本の統治する朝鮮半島東岸では、海流に乗ってソ連から流れてきたと見られる機雷によって多数の船舶が犠牲になっている。
 その最大の悲劇は、敦賀―清津間の連絡船|気比丸《けひまる》沈没事件であった。この事件により、気比丸乗員・乗客一五六名が犠牲となった。
 しかしながら、日本側の度重なる抗議にもかかわらず、ソ連側は機雷の敷設は国際法上認められていること、漂流している機雷がソ連のものであるとの証拠がないという理由から、一切の補償に応じていない。
 内地では、ソ連膺懲論まで持ち上がっていると聞く。
 そうした状況下での、ソ連最新鋭戦艦の極東回航。
 ソ連は明らかに、日ソ関係のさらなる緊張化を狙っているとしか思えなかった。

「あの程度の艦隊、帝国海軍が全力を挙げれば即座に撃滅することが可能であろうに……」

 もちろん、猪口自身もソ連艦隊の監視に留めなければならないことに歯がゆさを禁じ得なかった。出来ればこの名取でソ連戦艦に突撃し、魚雷を叩き込んでしまいたいとすら思う。
 しかし、日本を取り巻く国際情勢は、それを許すほど楽観的な雰囲気に満ちてはいなかった。
 一九三一年九月の満洲事変とその後の満洲国建国、日本の国際連盟脱退によって日米関係は十年近い緊張関係にあり続けている。アメリカから対日経済制裁が科されているわけではなかったが、軍事的圧力は年々増し続けていた。
 特に海軍軍人である猪口にとっては、何よりもアメリカ合衆国海軍の増強ぶりが気に掛かっていた。
 かつて帝国海軍内部で盛んに唱えられていた対米七割論。
 しかし、一九四二年を境にして、帝国海軍は対米七割の艦艇保有比率を維持出来なくなっていた。
 原因は、一九三九年九月、ドイツ第三帝国のポーランド侵攻によって始まった第二次欧州大戦であった。この戦争は翌四〇年七月にフランスの降伏、独英の講和という形で終結していたが、アメリカはこれを契機として太平洋と大西洋、両洋情勢の緊張化を理由に「両洋艦隊法」を成立させ、総計約一三〇万トンという大規模な海軍拡張計画に取りかかっていたのである。
 それ以前に進められていた三次にわたるヴィンソン計画と合わせれば、米海軍は帝国海軍連合艦隊を上回る艦隊を新たに一つ、造り上げることとなる。最早、帝国海軍は対米保有比率五割を維持出来れば良い方と言える状況にまで追い込まれていたのである。
 その対米関係にも増して緊張化の度合いを高めているのが、対ソ関係であった。
 欧州での戦火が止んで、すでに三年が経とうとしている。この間、極東情勢も欧州情勢も表面的には静謐を保っていた。
 日本は満洲事変以降、中国大陸での軍事行動は行っておらず、ドイツもまたフランスを降伏させイギリスと講和を結んだ後は、ユーゴスラビアで発生した反独派将校たちによるクーデターに軍事介入して鎮圧したのを最後に武力による周辺諸国への侵攻を止めていた。
 欧州での戦火が止んだことでソ連の関心が極東方面に向くことを恐れた日本は日ソ中立条約を結ぶことに成功してはいたものの、果たしてソ連側にその条約を守る意思がどれほどあるのか、極めて疑わしかった。

「太平洋の米艦隊と対峙しなければならないというのに、日本海にあのような艦隊がやってくるとは……」

 恐らくは、ソ連海軍は日米関係の緊張化に乗じて日本に対する軍事的圧力を高めようとしているのだろう。その目的がどこにあるのか、猪口には判らない。
 あるいは帝政ロシアのごとく、南下政策をおし進めようというのか。
 猪口の憂慮を他所に、ソ連艦隊はなおも東シナ海を北上していた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

「本日、東シナ海を北上していたソ連艦隊は、対馬海峡を抜けて日本海に入りました」

 猪口が艦長を務める軽巡名取が東シナ海を北上するソ連艦隊を監視してから数日後、瀬戸内海柱島に錨を降ろしている連合艦隊旗艦・戦艦武蔵にて、そのような報告が司令長官・古賀峯一大将の元に届けられた。
 報告者は、先任参謀の柳沢蔵之助大佐であった。
 武蔵の右舷中央部舷側寄りにある連合艦隊司令長官公室には、参謀長・塚原二四三(にしぞう)中将始め司令部の者たちが集まっている。皆一様に、眉根に皺を寄せたり腕を組んだりして、険しい雰囲気をかもし出していた。

「日本海側の情勢は、これで一段と厳しくなったな」

 呻くように、古賀司令長官が言った。
 ソ連側からの機雷漂流により、日本海を航行する船舶の安全確保は海軍にとって重要な役割となっていた。すでに、少なからぬ数の掃海艇が日本海側に回航されている。
 掃海艇は戦艦や空母に比べて目立たぬ艦種ではあったが、軍港や要港の防備、そして戦時前進根拠地の整備などには欠かせない艦種であった。帝国海軍では掃海艇の数が根本的に不足しており、一九三七(昭和十二)年の第三次海軍軍備補充計画以降、建造が進められているものの、サイパン島やトラック諸島といった南洋群島の島々の存在を考えれば、依然として絶対数は不足しているといえた。
 その貴重な掃海艇が、太平洋方面ではなく日本海方面に引き抜かれているのである。
 仮に対ソ戦となれば、ソ連海軍が極東地域に配備している一〇〇隻超とも言われる潜水艦(その実態は沿岸防衛用の小型潜水艦であったが)をも相手取らねばならず、さらに海軍戦力が日本海側に引き抜かれるだろう。
 日ソ関係の緊迫化は、アメリカを第一の仮想敵国とする帝国海軍にとって決して望ましいものではなかったのである。

「いったい、ソ連側の意図は奈辺にあるのか……」

 日ソ中立条約が結ばれたとはいえ、日ソ間の懸案事項はそれだけではない。北方海域での日ソ漁業条約延長交渉や北樺太油田の利権を巡る問題など、外交課題は山積している。そうした外交交渉を有利に進めるためにソ連側は軍事的圧力を強めているのかもしれないが、最新鋭戦艦をわざわざ極東に回航するのは過剰であるとも言えた。

「長官」

 塚原参謀長が、口を開いた。

「この上は、日本海方面を担当する新たな艦隊の新編が必要かと存じます」

「うむ」難しい表情のまま、古賀は頷いた。「日露戦争時のウラジオ艦隊の事例を考えれば、一理ある意見ではあろう」

 古賀は自らの参謀長の意見の正しさを認めてはいたが、一方でただでさえ米海軍に対して七割を切っている戦力が、さらに減少してしまうことに懸念を抱いてもいた。
 現在、連合艦隊は艦隊決戦の主力部隊である第一艦隊、夜戦部隊である第二艦隊、空母機動部隊である第三艦隊、南洋群島の防衛を担当する第四艦隊、本土東方および北方海域の警備を担当する第五艦隊、そして潜水艦隊である第六艦隊の六個艦隊から成っている。
 そこに、新たにもう一個、日本海を担当する艦隊を編成しようというのだ。
 これ以上、太平洋方面の戦力が日本海方面に引き抜かれることは、古賀にとっても認めがたいものであった。しかし一方で、北方から強まるソ連の脅威にも対抗しなければならないことも、また事実であった。

「……私の方から、軍令部には上申しておく。諸君らは、対米作戦のみならず、万が一対ソ開戦となった場合についても、研究しておくように」

 結局、古賀はそう結論付けざるを得なかった。大日本帝国を取り巻く情勢は、最早海軍を対米作戦のみに集中させておくだけの余裕を与えなかったのである。





 そして一九四三年十月一日、平時艦隊編制が改訂され、日本海を担当する第七艦隊が新たに編成されることとなった。
 それは、極東地域に不穏な暗雲が立ちこめ始めていることを示す証左でもあったのである。

2 第一次世界大戦と戦後秩序

 一九三〇年代から四〇年代の歴史を見るとき、そこには第一次世界大戦とその終結によって構築された戦後秩序に徐々に綻びが生じていく過程が見えるだろう。
 一九一四年に勃発した第一次世界大戦は、ある意味でその後の日米対立、特にアメリカ国内の対日脅威論を醸成する要因となった。この大戦で日本が見せた積極的な姿勢が、アメリカの対日警戒を呼び起こしたのである。
 大戦の勃発について、日本では元老・井上馨のように「日本国運ノ発展ニ対スル大正新時代ノ天祐」と捉える者がいる一方で、同じく元老である山縣有朋などは参戦に慎重な姿勢であった。
 しかし、第二次大隈重信内閣の外相であった加藤高明は参戦を強く主張し、日本は一九一四年八月二十三日、対独参戦を果たすことになる。
 青島を始めとするドイツ租借地や太平洋のドイツ領南洋諸島の攻略を成功させる一方で、日本海軍は同盟国イギリスからの要請により、金剛型巡洋戦艦四隻を基幹とする遣欧艦隊、船団護衛を担当する第二特務艦隊を欧州に派遣した。英独艦隊決戦の場となったユトランド沖海戦にも、四隻の金剛型は参加している。
 また、フランス、ロシアから三個軍団の派兵を要請されたこともあり、閑院宮載仁(ことひと)陸軍大将(参謀長は青島攻略を指揮した神尾光臣中将)を総司令官とする欧州軍を編成、西部戦線に派遣している。
 このように日本が積極的に大戦へと参戦していった要因には、青島陥落が目前に迫った一四年十一月二日、英外相エドワード・グレイが加藤外相に対して、日本が欧州へ派兵するための費用負担のみならず、日本の満洲権益の保障や英自治領(主にオーストラリアとニュージーランド)における日本人移民差別問題の解消などの踏み込んだ見返りを提示したことが挙げられる。
 また、イギリスの駐日大使ウィリアム・カニンガム・グリーンも、日本の積極的な参戦は戦後の会議における日本の発言力増大に繋がると、しきりに説得した。
 イギリス以上に日本の欧州派兵を望んでいたフランスに至っては、ルネ・ヴィヴィアーニ首相がフランス領インドシナの日本への割譲を、閣議において提案しているほどであった。流石にこれは内閣で認められはしなかったが、フランスも日本の欧州派兵の代価として満洲・朝鮮の開発するための財政援助を申し出ていた。
 大隈内閣は、こうした英仏から提示された参戦の代価を得るために、欧州派兵を決定したのである。
 この当時、日本が日露戦争にて獲得した満洲権益の内、関東州の租借期限が一九二三年に迫っており、列強諸国からの満洲権益の保障は日本にとって重要な問題であった(その他、南満州鉄道の経営権益は三九年、安奉線の経営権益は二三年)。
 日本国内の新聞では、欧州列強が日本を頼るまでに至ったことへの自尊心・自負心を高らかに書き立てるところがある一方、万朝報(よろずちょうほう)などは当初、派兵に慎重な論説を掲載している(その後、万朝報は一転して派兵賛成に回る)。一四年十二月に「欧州出兵期成会」が成立すると、国内世論はこれを国威発揚、対外発展、対外権益増大の好機であるとして、盛り上がりを見せた。
 自らの内閣が大衆からの支持に支えられたものであることを自覚していた大隈は、こうした国内世論もあり、政府として国民に対し積極的に欧州派兵の意義を説いた。
 大衆の反独感情を煽り、国民に派兵を納得させようとしたのである。三国干渉に始まるドイツの東洋政策を過剰に宣伝し、あたかもドイツが戦争に勝利すれば日清・日露戦争で得た領土や権益が失われるかのごとく、国民に説明したのである。
 このように、対外的には第一次世界大戦に深く関与していく日本であったが、国内では元老筆頭の山縣有朋と外相である加藤高明との対立が深刻化していた。二人にとってイギリスが日本の欧州派兵の見返りとして満洲権益の保障を与えてくれたのは望ましいことであったが、満洲権益の維持と袁世凱政権との関係改善を望む山縣に対し、加藤は満洲以外への利権拡大も目指していたのである。
 山縣は、イギリスの後援を受ける袁世凱政権を日本も支持することで、満蒙権益の維持を図ろうとしていた。また、山縣はドイツとの関係も一定程度、維持すべきであると考え、大隈内閣による国民の反独感情を煽ろうとする言説には反発を覚えていたという。
 このため、加藤外相への不信を強めていった山縣は、それまで政敵であった政友会総裁・原敬と手を組み、大隈内閣に圧力をかけることで加藤高明を更迭させるようと画策した。
 すでに中国側は日本が青島攻略作戦に伴い、膠済(こうさい)鉄道を占領したことへの不信感を募らせていた。第一次世界大戦勃発当初は中立国であった中華民国は、自国領内での戦闘について交戦区域を定めて各国に通告していたのであるが、当然ながらそうした区域を逸脱して戦闘が繰り広げられていたからである。
 加藤外相はドイツの山東権益を日本が引き継ぎ、さらには中国最大の製鉄会社・|漢冶萍公司(かんやひょうコンス)の日中合弁化なども目論んでいた(ただし、彼も満洲権益の期限延長こそが最も重要だと考えてはいた)。
 これを、山縣は阻止しようとしたのである。
 原敬まで巻き込んだ政府中枢での暗闘は、結果として山縣の勝利に終わった。
 加藤は一四年十二月、駐華公使・日置益(えき)に対して袁世凱との直接交渉を指示する訓令を発したが、それは当初、構想していた五号二十一項からなる対華要求ではなく、満洲権益の延長のみを求める要求となっていたのである。
 その後、山縣との政争に敗れた加藤は外相を辞任する。後任外相には、一時大隈が兼任した後、石井菊次郎が就任している。
 自身の望む通りの対中政策を実現しつつあった山縣ではあったが、ここで一つ、誤算が生じた。
 それは、満洲権益の期限延長をアメリカが中国の門戸開放を理由に反発したことである。すでに日露戦争直後から満洲市場の開放を望んでいたアメリカにとって、日本の満洲権益の期限延長は認められるものではなかったのである。かつて満洲権益の日米共同経営を定めた桂・ハリマン協定を反故にされ、満洲鉄道中立化提案も拒絶されているアメリカは、こうして対日不信を強めつつあった。
 結果、外相となった石井菊次郎の最初の課題は、アメリカとの関係改善となった。
 この問題は一九一七年、寺内正毅内閣において駐米大使となった石井菊次郎とランシング米国務長官との間に「石井・ランシング協定」が結ばれたことによって一応の決着が付けられた。これにより、日本は中国の門戸開放・機会均等や領土保全を認める一方、アメリカも満蒙における日本の特殊的地位を認めるという合意がなされたのである。
 第一次世界大戦は一九一八年十一月十一日に終結することになるが、それは新たな日米対立の始まりをも意味していた。
 アメリカが連合国側に立って参戦したのは一七年四月であり、日本軍の欧州派兵よりも二年近くも遅れていた(アメリカ軍が欧州戦線に到着したのは、一七年十月以降)。
 しかし、四十二個師団、約二〇〇万もの兵力をヨーロッパ大陸に送り込んだアメリカが、連合国陣営の勝利に大きく貢献したことは明らかであった。これに対し、日本が一九一五年以降、欧州戦線に派兵した兵力は十五個師団(戦時編制、約三〇万)であった。
 日本としては、欧州戦線で多くの将兵が犠牲になった以上、戦後の講和会議における発言力、そしてドイツ権益の継承は重要問題であった。だというのに、ヴェルサイユ講和会議におけるアメリカの発言力は、先に欧州戦線に派兵し多くの犠牲を出した日本よりも上であった。
 アメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンは、国際連盟を始めとする戦後新秩序の構想を、この会議で訴え続けたのである。
 しかし、これには日本側の全権代表団の人選にも問題があった。首席全権代表の西園寺公望はすでに七〇歳になろうとする人物であり、講和会議の場でほとんど発言しなかったのである。
 実際に講和会議の場で日本の意見を主張したのは、英語が堪能な次席全権の牧野伸顕(まきののぶあき)、駐英大使の珍田捨巳(ちんだすてみ)であった。ヴェルサイユ会議は、それまでフランス語が主流であった国際会議において、初めて英語中心で行われたものであった。ここにも、アメリカの存在感の大きさが表れていた。
 日本側は、語学力の問題もあって十分に会議に参加出来たとは言い難かった。
 そうした中でも、日本は国際連盟の成立にあたって、人種平等条項を連盟規約に盛り込もうとした。アメリカ・カリフォルニア州では排日土地法が成立するなど、アメリカにおける日本人移民排斥運動は日本にとって懸念事項だったからである。
 さらにこの時期、アメリカ国内では日本陸軍の欧州派兵、日本海軍の大西洋回航などに脅威を覚えているアメリカ人も多くいた。実際、アメリカ西海岸に近いメキシコ・マグダレナ湾でドイツ艦隊を追っていた巡洋艦浅間が座礁すると、アメリカ国内の新聞は日本がわざと座礁してその地域を占拠しようと陰謀を企んでいると書き立ているほどであった。
 そうしたことから、アメリカ国民の中には日本軍のカナダ上陸を本気で危惧する者たちも現れていた。
 日本の第一次世界大戦への本格参戦は、アメリカの対日警戒感や差別感情を助長する結果をもたらしたのである。
 そして、この日本による人種平等提案に対し、最も強硬に反対しようとしていたのが白豪主義を掲げるオーストラリアであった。こうしたオーストラリアの姿勢に対し、イギリスはかつてグレイ外相が日本に差別問題の解消を約束した通りに説得を試みたが、オーストラリアの白豪主義感情はあまりにも激しく、宗主国による説得も意味をなさなかった。
 当然、アメリカ側も反対に回り、結局、日本の人種平等構想は挫折する。
 南洋群島の統治継承などドイツ権益継承問題に比べれば日本外交における人種平等構想の優先順位はそれほど高くなかったのであるが、その内容が内容であっただけに、全権団に随行した近衛文麿などに反米的な思想を抱かせることとなってしまった。
 そして、外交の舞台において日本とアメリカが次に対決することになったのは、続く一九二一(大正十)年十一月から始まるワシントン会議においてであった。

3 ワシントン体制の蹉跌

 一九〇七(明治四〇)年に成立した帝国国防方針でアメリカを仮想敵国と定めた日本海軍は、国防方針に付属する国防所要兵力において、いわゆる八八艦隊の建造を目指していた。
 この八八艦隊計画は、一九一七(大正六)年に、まず八四艦隊案として帝国議会で予算を獲得していた。
 こうした中で、第一次世界大戦後の軍縮の気運が、新たな日米対立の要因を生み出すこととなったのである。
 とはいえ、アメリカのハーディング大統領によるワシントン会議の提案は、ある意味で日本の財政を破綻から救うことには成功した。この提案のあった一九二一(大正十)年における日本の国家予算は十五億九一二八万円で、その内三十一・六パーセントに当たる六億二一二万円が海軍予算、陸軍予算も合せれば四十八・一パーセントが軍事費に充てられるという状況だったのである。
 第一次世界大戦の欧州戦線で大きな損害を受けた陸軍はその再編の最中であり、さらには大戦を直接経験したことによる陸軍の近代化も急務であった。このため、陸海軍の予算はこの後も増大していくことが予想されていた。
 ワシントン会議は、その意味において軍事支出に歯止めをかける切っ掛けとなったのである。
 しかし一方で、国防を担う者たちの胸中は複雑であった。
 軍縮会議の開催を受けて、海軍は八八艦隊計画には固執しない姿勢を見せる一方、戦艦の保有比率は対米七割を最低条件としていたのである。
 だが会議が始まって早々、アメリカ首席全権代表であるチャールズ・ヒューズ国務長官は、米英日の主力艦保有比率を五・五・三とする提案を持ち出してきた。これに対して日本海軍首席随員であった加藤寛治(かとうひろはる)中将が対米七割を主張して反発するなど、ワシントン会議は最初から波乱の幕開けとなった。
 この会議におけるイギリスの立場は複雑であった。
 すでに日英同盟は、第一次世界大戦の勝利によってその価値を失いつつあった。また、第一次世界大戦における戦費を確保するため、イギリスはアメリカから四十一億ドルもの借款を受けていた。戦争によってドイツやロシアに持っていた資産を失ったこともあり、イギリスは債権国から債務国へと転落して、その国際的な立場を弱めていたのである。
 だからこそ、イギリスにとって戦後の対米協調外交は必然であった。
 しかし一方で、イギリスは大戦を通じて日本との結びつきを強め過ぎてもいた。日本の満洲権益に保障を与えてしまったこともそうであったが、欧州派兵の見返りとしてドイツ権益の一部を日本に継承させるという密約が、日英仏の間で結ばれていたのである。
 特に重要だったのは、ドイツ銀行が株式の二十五パーセントを保有していたトルコ石油の利権を、日本に分け与えたことであった。
 トルコ石油は、一九〇八年のペルシャ湾油田発見を受けて、メソポタミア地域(主にイラク)での石油開発を目的に設立された会社であり、株式の五十パーセントをアングロ・ペルシア(英)が保有し、残りの二十五パーセントずつをシェル・グループ(英)とドイツ銀行が保有していた。
 このドイツ銀行の株式保有分を、フランスが十五パーセント、日本が十パーセント、継承していたのである。
 当時、アメリカは世界の三分の二の産油量を誇り、第一次世界大戦中は連合国の消費する石油の四分の一をスタンダード・グループのニュージャージー・スタンダード一社で賄っていたほどであった。しかし、アメリカは東半球に石油利権を持っていなかった。
 中東の石油利権に介入したいアメリカは、アメリカ企業の事業への参入を許さない国に対してはアメリカ国内での採掘権を認めないとする「鉱物法」を成立させて、イギリスの石油産業への圧力を強めていた。
 このためイギリスは、アメリカと協調する必要性と、アメリカを牽制する必要性との間で、板挟みとなっていたのである。
 ワシントン会議では、共同して日本の保有比率を六割に押さえつけようとするアメリカ側の働きかけに対し、イギリスは終始、日米に対し中立的な立場を維持しようと腐心していた。
 中国の利権を軍事力で脅かしかねない日本はイギリスにとって警戒の対象となりつつあった一方、第一次世界大戦では結局、満洲利権の維持のみに努めた日本の抑制的な態度をイギリスは評価してもいた。
 さらに、アメリカ海軍に日本海軍を牽制させる一方、日本海軍にもアメリカ艦隊を牽制してもらい、アメリカの中国市場への介入を抑制したいという思惑もあった。
 結果、日本が対米七割に主張していることもあり(加藤友三郎は六割で妥協する肚ではあったものの)、イギリスは日米に対して十六インチ砲搭載戦艦を三ヶ国それぞれが保有することを提案した。
 アメリカ側としては会議においてイギリスと完全な外交的連帯がとれなかったこともあり、また会議開催時点で十六インチ砲搭載戦艦をメリーランドしか竣工させられていなかったこともあり、不満はありつつもイギリスの提案を受け入れることとなった。
 結果、日本は加賀、土佐、長門、陸奥の四隻、アメリカがメリーランド、コロラド、ウェストバージニアの三隻、イギリスが新たにネルソン、ロドネーの二隻を保有し、日本が三八万三二五〇トン、英米が五二万五〇〇〇トンという割合で交渉は妥結することとなった。
 比率に直せば、日本は英米の七十二・五パーセントを確保するという、望外とも言える結果を手にしたのである。
 ただし、アメリカ側は流石にこれでは日本の海軍戦力が過剰になりすぎると警戒し、太平洋防備制限案を会議の場に持ち込んだ。
 これは本来、加藤友三郎が対米六割で妥協する代わりに英米に認めさせようとしていたものであり、日本の外交暗号を解読していたアメリカは、逆にこれを日本側に認めさせようとしたのである。
 太平洋防備制限案は、各国の本土や付属する島嶼部以外の軍事施設の現状維持を謳ったものであり、日本では千島列島、小笠原諸島、奄美大島、琉球諸島、台湾、澎湖諸島がその対象となる(ヴェルサイユ条約とのその後の国際連盟で日本の委任統治領となった南洋群島は、そもそも連盟規約で軍事基地化が禁止されている)。
 アメリカも当然ながらアリューシャン列島、グアム、フィリピンなどがその対象となるが、アメリカはフィリピンにはハワイ、パナマ運河地帯と同じく例外とするよう、強硬に求めた。
 こうしたアメリカ側の姿勢に対し、すでに戦艦が土佐まで保有することを認められた日本は大きな反対をしなかった。
 対米七割を達成して満足していたといえばそれまでであるが、本土の軍事基地には制限を設けられていないのだから、むしろ本土近海で艦隊決戦に臨める日本側が有利と、加藤友三郎も加藤寛治も考えていたのである。
 これは、第一次世界大戦の戦訓から、遠隔地に大量の陸軍部隊を輸送することがいかに困難であるかを実感しており、対米七割の艦艇保有比率を達成しているのならばアメリカ本土からフィリピンまでの長大な航路を日本はいつでも遮断出来るだろう、という冷静な判断に基づくものでもあった。
 一方のイギリスは、シンガポールが防備制限の範囲から除外されていることに満足する一方で、フィリピンの軍事基地化は自国の中国市場に対するアメリカの軍事的圧力の増大をもたらすものとして警戒していたが、結局は対米協調を優先して妥協するしかなかった。
 こうして、ある意味で日本が一番会議の結果に満足していた一方、アメリカとイギリスはそれぞれにしこりを残して、ワシントン海軍軍縮条約は締結されることとなったのである。
 そしてこの日本の対米保有比率七十二・五パーセントという数値は、その後もアメリカ国内で日本脅威論の根拠とされていく要因となった。
 すでに第一次世界大戦時から高まりつつあった日本人への差別感情も同様であり、日本人移民の多かったカリフォルニア州出身の下院議員を中心に「帰化不能外国人」の移民禁止を求める動きを強めた(「帰化不能外国人」とは、主に日本人のことを指す)。
 結果、一九二四年、いわゆる「排日移民法」が制定され、日米対立の新たな要因を生み出すことになる。
 ワシントン会議では中国の領土保全や門戸開放、機会均等を認めた九ヵ国条約、太平洋の現状維持を謳った四ヶ国条約が成立し、満期となった日英同盟は解消された。しかし、日英はこれ以降も、中国権益などを通じて緩やかな連帯を続けていくこととなる。
 ワシントン体制の成立は結局のところ、日米間の対立要因を徒に増やしてしまう結果しかもたらさなかったとも評価出来るのである。


  あとがき

 拙作をお読み下さり、誠にありがとうございます。

 これまで架空戦記は太平洋戦争中のある一海戦を改変しつつ物語を進める形式ばかり書いてきましたが、本作はそれ以前の時代から改変を加える形式の物語となります。
 私にとって太平洋戦争以前の段階から歴史改変を行う形式の物語は、挫折してしまった初期作「東京テンペスト」以来となります。
 あちらは現代まで存続した大日本帝国を生きる陰陽師たちを中心とした現代ファンタジーとして書きましたので、架空戦記としては初めての試みとなります。

 なお、参考文献については執筆途中で増えていく可能性がございますので、完結時にまとめて掲載する形にしたいと思います。

 それでは、新たな拙作を何卒、よろしくお願いいたします。


【史料】史実ワシントン海軍軍縮条約の太平洋防備制限条項

海軍軍備制限に関する条約
(前略)
第十九条 合衆国、英帝国及日本国ハ左ニ掲クル各自ノ領土及属地ニ於テ要塞及海軍根拠地ニ関シ本条約署名ノ時ニ於ケル現状ヲ維持スヘキコトヲ約定ス
(一)合衆国カ太平洋ニ於テ領有シ又ハ将来取得スルコトアルヘキ島嶼タル属地但シ(イ)合衆国、「アラスカ」及巴奈馬運河地帯ノ海岸ニ近接スル島嶼(「アリューシャン」諸島ヲ包含セス)竝(ロ)布哇諸島ヲ除ク
(二)香港及英帝国カ東経百十度以東ノ太平洋ニ於テ現ニ領有シ又ハ将来取得スルコトアルヘキ島嶼タル属地但シ(イ)加奈陀海岸ニ近接スル島嶼(ロ)濠太利聯邦及其ノ領土竝(ハ)新西蘭ヲ除ク
(三)太平洋ニ於ケル日本国ノ下記ノ島嶼タル領土及属地即チ千島諸島、小笠原諸島、奄美大島、琉球諸島、台湾及澎湖諸島竝日本国カ将来取得スルコトアルヘキ太平洋ニ於ケル島嶼タル領土及属地
前記ノ現状維持トハ右ニ掲クル領土及属地ニ於テ新ナル要塞又ハ海軍根拠地ヲ建設セサルヘキコト、海軍力ノ修理及維持ノ為現存スル海軍諸設備ヲ増大スルノ措置ヲ執ラサルヘキコト竝右ニ掲クル領土及属地ノ沿岸防禦ヲ増大セサルヘキコトヲ謂フ但シ右制限ハ海軍及陸軍ノ設備ニ於テ平時慣行スルカ如キ摩損セル武器及装備ノ修理及取替ヲ妨クルコトナシ
(後略)
(外務省編纂『日本外交年表竝主要文書』下、原書房、1965年、9~12頁)

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三笠 陣 2023/11/05 12:16

秋津皇国興亡記(試し読み版)

秋津皇国興亡記

1 シキガミの少女

 白い髪、赤に近い琥珀色の瞳、秋津人にしては白すぎる肌、そして―――。
 どうして、自分は他の人たちと違うのか。物心ついた時からずっと疑問に思っていた。父様も母様も、城の人たちもみんな黒い髪で瞳の色も自分とは違う。屋敷の中で、自分だけが異質な存在だった。
 父様は私のこの容姿を、自分たち葛葉家の初代様と同じだから誇りを持てと言っているけれど、こんな妖(あやかし)みたいな容姿のどこを誇れというのか。その初代様だって、妖との混じり物だと蔑まれていたというじゃないか。
 城の人たちは、自分を好奇の視線で見るか、不気味なものを見るかのような目をする。家令や侍女が自分に聞こえるように悪口を言っていたこともある。
 だから、私は自分の容姿が嫌いだった。
 一度、そのことで母様を詰(なじ)ったことがある。
 多分、四歳か五歳の時。弟が生まれて、両親がそちらにかかり切りになっていた時期だ。
 当然、私は女だから、男子である弟が葛葉家を継ぐ。その弟の容姿は、屋敷の人たちと同じ秋津人らしいものだった。きっと、葛葉家当主として恥じない人間に成長していくことだろう。
 なら、自分は?
 こんな不気味な容姿を持った自分の居場所は、どこにあるのだろう?

「どうして母様は、私をみんなと同じように生んでくれなかったの!?」

 それは、今から考えれば酷い言葉だったろう。でも、どうしても母様を恨まずにはいられなかったのだ。
 その日は、城に勤める侍女に酷い言葉を投げかけられた。
 だから恨んだ、自分をこんな容姿に生んだ母様を。

「そんなことを言っちゃだめだよ」

 母様が私に何も言わずに顔を伏せて、父様も困惑気味に黙っていて、私が一方的に母様を詰っているところに響いた声は、自分と同じくらい幼い男の子のものだった。
 その瞬間、父様と母様の間に、緊張感が走った。

「……若様、お見苦しいところをお見せいたしました」

 父様が慌てて畳の上で姿勢を正した。母様もそれに倣う中、私だけは涙で濡れた顔で襖を開けてきた男の子を見た。
 城の中の人間でも、しかも子供でありながら、特に上等な着物に身を包んだ男の子。
 葛葉家が仕える結城家当主・結城景忠(かげただ)様の嫡男である男の子。
 ここまで走ってきたらしく、少し息が上がっていた。

「これ、冬花(とうか)!」

 結城家の幼い次期当主の男の子を前にして、未だ泣いている私を、流石に父様が叱りつけた。

「いいよ、別に。僕は冬花が心配だっただけだから」

 そう言って男の子は部屋の中に入ってきて、そっと着物の袖で私の涙を拭ってくれた。

「泣かないで。せっかくの綺麗な顔が台無しだよ」

「……私は不吉の子だって」

「うん」

「私が若様の近くにいたら、若様に不幸が降りかかるって」

 それが、侍女から言われたことだった。
 不気味な子、不吉な子、主君である結城家に禍(わざわい)をもたらす子。
 若様と同じ年に生まれた私は、私の母様が若様の乳母となったことで、乳兄妹(きょうだい)のような立場にあった。だけれども、容姿の特異な私が若様と近い立場になることを快く思わない結城家の家臣たちも多くいた。
 その所為で遠慮がちな私を、この男の子はいつも手を引っ張ってくれた。遊ぶときも、いつも彼が私を誘ってくれた。
 だからこそ、自分の存在が若様にとって不吉なものだと言われたことに耐えられなかったのだ。弟も生まれて、若様のお傍にもいられなければ、私の居場所は本当になくなってしまう。

「僕は、不幸になっていないよ」

 若様は何でもないことのように言う。

「……でも、これから不幸にしてしまうかもしれません」

「だったら、冬花が僕を守ってくれればいいよ」

「えっ?」

 その言葉は、私の中でひどく意外なものとして響いた。禍をもたらすかもしれない私が、若様を禍から守る? そんなことが、出来るのだろうか?

「だって、君たち葛葉家の初代は、結城家当主を呪詛から救ったことで家臣として取り立てられたんでしょ? その初代と同じ容姿の冬花なら、きっと僕を守ってくれるでしょ?」

「……」

 未だ涙で視界がぼやけていたが、男の子が笑っていることが私には判った。きっと若様は、私がずっと傍にいてくれることを疑っていないのだろう。
 父様に葛葉家初代様のことを聞かされても心に響かなかった私だったが、いずれ主君となるだろう男の子の言葉ならば素直に受け入れられた。
 でも、本当にお傍にい続けてもいいのだろうか。
 自分は女だし、葛葉家の当主となれるわけでもない。成長した弟の方が、この方のお傍にいた方がいいのではないだろうか。
 そんな卑屈な思いが、私の中で渦巻いていた。

「ねえ、君たち陰陽師が使役する……何だっけ?」

「式、ないしは式神でございますか?」

 父様が私に代わって答えてくれた。

「そうそれ、シキガミ、シキガミ」

 うんうん、と若様がいいことを思いついたとばかりに頷いていた。

「僕は陰陽師じゃないけどさ、冬花が僕のシキガミになってくれると嬉しいな。だめかな?」

 シキガミ。
 若様の言葉は純粋な陰陽師にとっては奇妙なものだったろう。でも、陰陽師としてはまだまだ未熟な私は、それが何かとても魅力的なものに思えた。
 この人のシキガミになる。
 その役割が与えられれば、ずっと若様の傍にいられる。

「御意のままに」

 だから幼い私は、そう答えた。その時流れた涙は、先ほどまでとは違ったものだった。頬を流れた涙の熱さを、今でも覚えている。

「じゃあ、約束だよ」

 再び若様は私の涙を拭って、小指を差し出した。指切りをしようということだろう。
 私はそっと、その小指に自分の小指を差し出した。まだ小さな子供の指に、互いの体温が絡み合う。
 二人にとって約束となり、契約となる呪文を一緒に唱えた。父様のような陰陽師から見れば、呪文に何の効果もない子供同士の戯れかもしれない。
 それでも、この児戯に等しい指切りの呪文は葛葉冬花という幼い少女の心を確かに絡め取ったのだ。

2 次期当主の憂鬱

 秋津皇国の皇都では紅葉の季節もそろそろ過ぎ、冬の訪れを感じる日々が始まっていた。

「なあ、いつから六家(りくけ)会議は冗談を言い合う場になったんだ……?」

 嘆きたいのか、溜息をつきたいのか、笑いたいのか、よく判らない調子の声が結城家皇都屋敷の執務室に力なく響いた。まだ年若い、少年の声だった。

「本人たちに冗談を言っているつもりはないと思うけれど?」

 少年の言葉に応じたのは、鈴のように透き通った凜とした少女の声だ。

「じゃあ、狂人たちの集会場所か?」

「本人たちは自分を正常だと思っているわよ、きっと」

「なお悪いだろ!」

 バン、と少年は机を叩いた。

「ルーシー帝国の東進に対抗しながらヴィンランド合衆国の西進を阻止するだけの軍事力整備なんて、冗談か狂人の戯言だろ! 秋津皇国(このくに)のどこにそんな金があるんだよ! 大陸植民地の鉄道敷設と南洋群島、新南嶺島(しんなんれいとう)の開拓で金と人をつぎ込んで、さらに陸軍と海軍の同時増強? どう考えてもおかしいだろ!?」

「……」

 実際その通りだと少女も思ったので、あえて沈黙を返答とする。

「とはいっても、六家すべてが賛成に回っているわけじゃないんでしょ?」

「まあ、まだ議論の最中だから何とも言えねぇけど、有馬家は強硬外交と軍事偏重予算には明確に反対派。長尾家も軍事偏重の来年度予算には反対。伊丹家と一色家は逆に対外強硬派。斯波(しば)家は旗幟を鮮明にしていない」

「結城家(うち)は?」

「もちろん、反対に決まっているだろ? でもな、もうすぐ始まる列侯会議で拒否権を持つ俺たち六家が賛成反対で分裂すれば、完全に会議の収拾が付かなくなる」

「難しいところね」

「何で父上もこんな時期に病気になるかなぁ……」

 ぶつぶつと、病床にある父親を心配するのではなく恨み言を漏らす少年。

「ちょっと景紀(かげのり)、御館様に対して不謹慎でしょ?」

「いや、冬花だってそう思わないか?」

「結城家はいずれ景紀が継ぐんだから、誰かを呪ったって仕方ないでしょうに」

 はあ、と少女―――葛葉冬花は溜息をついた。とはいえ、内心では目の前の少年に多少の同情もしている。
 皇国の六大将家(「将家」とは、華族に列せられている武家の総称)、いわゆる「六家」の一つ、結城家の次期当主である若君、結城景紀は齢十七の少年だった。元服は陸軍兵学寮(後の士官学校)に入った十歳の時に済ませており、その意味では十分に成人男性であるといえる。しかし、やはり現当主・結城景忠(かげただ)の代理として当主としての執務全般を代行するには若すぎると言わざるをえないだろう。
 とはいえ、だからといって景紀以外に務まるものでもないのだろうが。

「ほら、シャキッとしなさい。いずれ結城家を背負って立つ人間がそんな調子だと、家臣たちも滅入るでしょ?」

 舶来品の机などが置かれ、板張り床に絨毯の敷かれた瀟洒な部屋の中で、冬花は幼馴染にして主君である少年に苦言を呈する。

「ここには俺と冬花しかいないし、家臣たちの前では真面目を装うから平気平気」

 そう言って、少女の苦言を何処吹く風とひらひらと手を振る景紀。

「私も一応、結城家家臣なんだけど?」

「その前に、俺のシキガミ」

「そりゃそうだけどさ……」

 冬花が景紀に対して気安い態度を取れるのも、それが大きい。
 幼い頃に、景紀(当時はまだ幼名を名乗っていたが)交わした式神契約。もちろん、陰陽師としての正式なそれではないが、二人の関係を表すのにそれ以上の言葉はない。
 今では冬花は、結城家嫡男にして次期当主である結城景紀の側近中の側近である。彼の呪術的身辺警護を担当すると共に、当主代理の補佐官的な存在でもあった。
 彼女が主君である少年を呼び捨てに出来るのも、幼い頃からの信頼関係があるが故だ。
 もちろん、互いにこうした気安い態度は他の家臣たちの目がない時にしか出さない。公人と私人としての切り替えは、二人とも完璧だった。ただ景紀に関しては完璧である反動故か、冬花の前では完全に一人の少年としか思えない状態になってしまう。
 そのことを冬花は嬉しく思う時もあるし、逆に彼に背負わされた重責を思って心配になるときもある。

「やっぱり、この国の国家制度が悪い。諸侯に分散した徴税権と兵権、中途半端な議会制度、その他諸々。唯一の救いは産業面で西洋諸国に出遅れなかったこと」

 ぶつぶつと、文句を垂れ流し続ける冬花の主。

「やっぱり、中央集権こそ至高だな。旧態依然とした封建制度とはオサラバだ。これで我が皇国は西洋に互する強国に早変わりだ」

「封建制度の片棒を担いでいる人間の台詞とは思えないわね」

「俺としてはむしろ、どうして産業が近代化しているのに封建制が維持できているのかが判らん。工業化によって農村部から都市部への労働人口の流出、それによって封建体制の維持に役立っている地主層の困窮、これで封建制度は自然崩壊するはずなのに……」

「現にしつつある諸侯の領地もあるといえばあるけど?」

「問題は俺たち六家の存在だな。領地が複数の領国にまたがるほど広大過ぎて、工業化によって都市部に人口が流れ込もうがそれは領地内での人口移動が起きただけ。都市への出稼ぎ農民の増加で税収が苦しい弱小諸侯と違って、財政基盤にそれほど大きな打撃を受けない。金山銀山に植民地の利権を押さえていることも大きい」

「とは言っても、最近は軍事費の増大で六家の台所事情も苦しくなりつつあるけど」

 補佐官的な役割を持つ冬花は、当然ながら政治・経済の話題でも応じることが出来る。各諸侯の財政事情などの基礎情報は、すでに頭の中に入っている。多くの呪文を暗記しなければならない陰陽師にとっては、大した苦労ではない。

「だから中央集権国家だ。すべての諸侯が、土地も領民も全部、皇主陛下にお返しして郡県制に敷き直す。徴税権も兵権も、中央政府に集中させる。これで皇国の前途は洋々、万々歳」

 そう意気揚々と未来像を描く景紀に、冬花は小さく首を傾げる。

「一応聞いておくけど、それは皇主陛下への忠誠と皇国への愛国心からの発想?」

「俺が楽をするために決まっているだろ」

 こいつ何を言っているんだ、という目線で景紀は冬花を見てくる。

「やっぱりね」

 そんな主君の姿に、陰陽師の少女は溜息を漏らす。

「早くこんな面倒な立場からオサラバして、隠居して株でも運用しながら悠々自適に暮らす。ああ、そこに冬花もちゃんといるから安心しろ」

「それはどうも」心の籠もっていない礼を、冬花は述べた。「史上最も下らない動機による中央集権国家構想ね」

「だが、皇国のためにもなるだろう?」

「それが否定出来ないのが、景紀のあくどい所よね」

 というよりも、齢十七にして隠居を考える人間もどうなのだろうか? 隠居以前に当主にすらなっていないというのに。

「まあ、景紀の妄想はこの際置いておくとして」

「いや、妄想じゃないから……」

「今目の前に迫っている問題から対処しましょう」

 主君の言葉をバッサリと切り捨て、冬花は会話の主導権を握る。

「佐薙家の姫と景紀との婚儀。来月に迫っているわよ」

「……」

 その時の景紀の顔は、苦虫を百匹は噛み潰したような表情だった。

「本当に、間の悪い時期に婚儀になったな」

 諸侯同士の政略結婚は、諸侯同士の軍事同盟の結成に繋がることから、皇主および内閣による承認が必要である。政治の実権は皇主の手から離れて久しいため、実質的には内閣の承認がすべてである。しかし、内閣の背後には六家が控えている。つまり、諸侯同士の結婚は六家の承認が必要ということである。
 逆に言えば、結城家と佐薙家の婚約が残る五家によって承認されたということは、二つの家が軍事同盟を結ぶことが許可されたということにもなる。とはいえ、この婚約には六家すべての思惑が詰まっているため、単純に結城家と佐薙家の結びつきが強まるというわけでもない。
 佐薙家は六家ではないものの、皇国東北地方に大きな影響力を持つ有力諸侯である。
 つまりは、大陸東方へと領土を拡大する仮想敵国ルーシー帝国に対するため、六家を初めとする中央政府の統制を皇国北方地域で確固たるものにしようというのが、今回の婚儀の目的である。

「でも、父上は病だしなぁ……」

「景紀の義父になるはずの佐薙家当主・佐薙成親(なりちか)の動向には要注意ね。下手をすると、結城家が乗っ取られかねないわ」

 だから、間が悪いのである。若く経験未熟な当主代理の少年を、義父の立場で操ろうとする可能性は十分にある。

「でもまあ」

 そこで景紀は人の悪い笑みを浮かべた。

「逆に結城家が佐薙家を喰っちまえば、俺の中央集権国家構想に一歩近付くわけだ」

「結局、そこに話を戻すわけね」

 呆れるべきか、その豪胆さに感心すべきか、冬花は迷った。

「いや、俺が安心して隠居生活を送るためには、この国が西洋列強の植民地にされると困るわけだろ? 将来的に俺が楽をするためなら、今すべき苦労はしておかないと後が怖い」

「真面目なんだか不真面目なんだか判断に困るわね」

「国益と俺個人の利益を両立出来る素晴らしい構想だと思うけどな」

 冬花から賛同が得られないことが不満らしく、景紀はふて腐れた声を出す。

「こんなことですねないの」

「ちぇー」

 わざとらしく、若き当主代理は舌打ちをした。まるっきり、駄々っ子の仕草である。

「……なあ、冬花。すねる、ってことで気になっていたんだが」

 突然、景紀の口調がそれまでのどこかふざけたものから変化する。先ほどまでの揚々とした語り口と違い、恐る恐るといったような躊躇いがちな口調だった。

「何よ?」

 一方、冬花はそうした主君の変化に気付きながらも、普段の態度のままに応じた。

「お前は、今回の俺の婚儀をどう思っているんだ?」

「結構なことでしょ? 結城家が皇国北方に勢力を拡大する好機じゃない」

「冬花、俺が聞きたいのはお前の政治的感想じゃなくて、お前個人の感想だ」

 本心を言ってくれと、景紀はどこか懇願するように言う。冬花はすぐにその理由を察した。
 自身の内面を整理するために、少しだけの沈黙を挟んで、白髪の陰陽師は答える。

「……正直に言えば、何も感じていないわけじゃないわ。あなたの隣にいるのは私だって思いは確かにあるし、これからその姫が景紀の隣に立つことで私の居場所がなくなるんじゃないかって恐怖はある」

「すまん」

「景紀が謝ることじゃないでしょ? それに、あなたのシキガミが私だけだから」

「ああ、そうだな。お前だけが、俺のシキガミだ」

 無邪気な子供に戻ったかのような口調で、景紀は柔らかく応じた。
 どこまでも、こんな不気味な容姿の自分の居場所を作ろうとしてくれる優しい主君。それだけで、冬花にとっては十分なのだ。

「だから、あなたが心配するような事態にはならないわ。佐薙の姫に嫉妬するようなことはしないし、それで結城家に混乱をもたらすようなことはしない。ねっ、私は出来る女でしょ?」

 出来るだけ深刻に聞こえないように、悪戯っぽい笑みと共に軽い口調で冬花は言う。

「ああ、お前が出来る女で助かる」

 景紀も、その冗談に乗った。
 きっと、彼も怖いのだ。二人の関係が、今回の婚儀によって崩れてしまわないか。崩れなくても、何か悪い方向に変化してしまうのではないか。
 そんな心情が、先ほどの質問に繋がったのだろう。

「……ってか、俺の質問、超絶恥ずかしくないか?」

 そして、恐怖心が去った後にやってくるのは羞恥心である。

「……まあ、有り体に言って自意識過剰発言よね」

 冬花自身も“出来る女”発言をしてしまったので、他人のことを言えた義理ではない。というよりも、完全に自分の胸にも突き刺さる発言内容であった。
 しばらく二人は羞恥から互いに顔を背け合う羽目に陥ってしまうのだった。





 それでも、冬花は思うのだ。
 あなたが私をシキガミだと思ってくれるなら私はそれだけで生きていける、と。

3 北国の姫の郷愁

 あの鳥はきっと、自分の故郷と同じ方向に向かっているのだろうと、佐薙宵は思った。
 鳥は自在に空を飛び、自分の望むところへと向かっていける。それを羨ましいと思う自分もいれば、何を馬鹿なことを考えているのだろうと思う冷めた自分もいる。
 将家の姫たる自分の運命など、それこそ生まれた瞬間に決まっているようなものだ。母の姿を見ていれば、それはおのずと判ってくる。
 少なくとも、噂には聞くが未だ一度も訪れたことのない皇都に行き、そして未だ一度も会ったこともない男性に嫁ぐことに、宵は納得している。それは納得というよりは諦観に近い感情なのかもしれないが、自らの運命を呪うほど絶望しているわけでもない。
 自分自身の魂が、自分自身の肉体を離れた所から観察している。そんな感情であった。
 ある意味、達観しているといえるのかもしれない。

「姫様、如何されましたかな?」

 馬車の反対側に座す老家令長が、怪訝そうに宵に問いかける。彼は、皇都へと向かう佐薙家の一行の最高責任者を務める立場にあった。

「いえ、鳥が飛んでいたので、見ていただけです」

 落ち着いているというよりは、抑揚に乏しい声で宵は答えた。そのまま、彼女は視線を空から馬車の中へと移す。
 宵を皇都に送り届けるための隊列は、彼女を世話するための侍女や護衛も含めて、二〇人ほどの人間で構成されていた。さらにそこに、結城家から派遣された随員五名が加わっている。
 佐薙家側の最高責任者が家令長であるのに対し、結城家側の随員の代表は執政である。執政は将家当主を補佐してその政務に参画することの出来る役職のことであり、主に家老級の家臣が任命された。
 将家家臣団の序列から見ても、執政の方が家令長よりも高い。自分の家が結城家に配慮してこのような人員配置になったのかどうか、宵は知る立場にはない。
 とはいえ、この隊列が佐薙家と結城家の力関係が如実に表していることは彼女にも判っていた。ただし、結城家の随員が佐薙家の家令長に指示を出すことはなく、あくまで佐薙家の独立性に対して配慮はしてくれている。
 皇都に到着し、自分が結城家の嫁いだ後、両家の力関係はどうなるのか。
 ふと、宵はそのようなことを思った。
 結城家の当主は半年ほど前から病にかかり、療養のために領地に下がったという。今、皇都で結城家の所領に関わる政務全般を取り仕切っているのは、自分が嫁ぐはずの十七歳の次期当主たる少年だという。
 しかし、どこまで彼が実際に政務を執っているかは判らない。単に、家臣団によって担がれているだけの存在である可能性もある。
 そして、自分の父もこの状況を最大限、利用しようとするだろう。
 皇国東北地方北部一帯に所領を持つ佐薙家、だがその領地は未だ十分に近代的な産業が育っていなかった。領内の産業の中心は農業であり、これに若干の鉱山、炭田、油田が加わっている程度。領内で多数の工場を稼働させている六家に比べれば隔世の感がある。
 皇都から各地に伸びる鉄道も、東北鎮台の置かれている中央政府直轄県・磐背県の首府・千代までで止まっており、佐薙家の領地である嶺奥国までは届いていない。
 そのため、東北地方北部に位置する嶺奥国の主要交通手段は徒歩、人力車、馬車、馬鉄などであり、それすら冬になれば降雪のために途絶えてしまう。
 当然ながら、そうした輸送能力の限られる地域に工場は進出してこない。
 領民たちの願いは、何よりもまず鉄道の開通であった。
 だからこそ父は、鉄道を敷設するために、事実上、当主不在となっている結城家への影響力拡大を図るだろう。
 それと、領地を隣接する六家の一つ、長尾家との領地紛争の有利解決も―――。
 自分は父を始めとする様々な思惑に絡め取られた人間に過ぎない。母がそうであったように、自分もそうなろうとしているだけなのだ。
 あるいは、自分がこれから嫁ごうとする結城家の嫡男、景紀も自分と同じような人間であるのかもしれない。
 もっとも、一度も会ったことのない人間に期待を抱くほど、宵は楽天家ではない。
実際に会ってみなければ景紀という人物の為人など判らないだろうから、下手な先入観を抱くわけにはいかない。だから宵は、自分が聞かされた景紀の人物像を大して信用していないし、自分から積極的に彼の為人を聞くようなこともしていない。そもそも、婚礼を前にして相手の悪い情報が入ってくるはずがないのだ。

「……皇都は、どのようなところなのでしょうか?」

 とはいえ、これから自分が住むことになる場所のことは気になる。

「やはり皇国の都だけあり、活気がありますな」言葉を選ぶような素振りを見せながら、老家令長は答えた。「もちろん、我が国府たる鷹前《たかさき》も皇都に劣っているとは申しませんが、建物の高さには圧倒される思いです」

「建物、ですか?」

「左様です。皇都の中心部には、官庁の庁舎や商店が城の天守の如くに立ち並んでおります。まあ、いささか洋風の建築様式を取り入れたために節操のない、猥雑な印象を受けないこともないのですが」

 家令長は、そうした都市計画を策定した六家を中心とする中央政府を暗に批判しているようだった。
 特に佐薙家は六家の一つである長尾家と領地問題を抱えているため、家臣団の中には六家中心の統治体制に不満を持っている者も多い。
 今回の宵の婚礼に関しても、六家勢力によって佐薙家が吸収されて家や領地の独立性が失われてしまうのではないかと懸念を示す家臣たちもいる。彼らにしてみれば、仕えるべき主家の衰退は牢人となる危険性を孕んでいるので、なおさら切実であった。
 だからこそ、父はそうした家臣たちの懸念を払拭するためにも、結城家から最大限の利益を引き出すため、自分と若き結城家の当主代理を利用しようとするだろう。

「私は異国の文物をあまり目にしたことが少ないので、それはそれで見てみたいものです」

「左様でございますか。皇都には異国の商人たちも多数おりますので、そうしたものを目にする機会は多いかと」

「それは、楽しみです」

 本当にそう思っているかどうか疑わしいほど平坦な口調で宵は感想を口にした。皇都の様子に興味はあるが、それは自分の心を期待で震わせるほどのものではないのだ。
 確かに、皇都に行けば異国の文物に触れられる機会もあるだろう。それはそれで面白そうではあるのだが、どこまで自分に自由が認められるかは判らない。
 母は、父に嫁いでから国府・鷹前を出たことはないという。自分も恐らくは、二度と故郷の地を踏むことはないだろう。
 鷹前に留まる母と会えなくなることだけが、宵にとっては心残りであった。
 母は父の正室でありながら、子供は女子である宵一人だけである。父は皇都で公家出身の女性を側室にし、彼女との間に一男一女をもうけていた。佐薙家はその男子が継ぐことになるだろう。
 将家においては、例え側室であっても後継者たる男児を産んだ女性の地位は高くなる。逆に正室であっても、男児を生めなければその扱いは冷淡なものになる。
 佐薙家における母の立場を思えば、母一人を国に残していくことに、後ろ髪を引かれる思いであった。
 だがその母も、娘との別れは覚悟していたのだろう。
 鷹前を発つ前に、これからは結城家の人間として生きるようにと宵に伝えたのだ。
 あるいはそれは、佐薙・結城両家の政治問題に宵が巻き込まれないようにするための助言であったのかもしれない。
 再び、彼女は窓の外を見る。
 先ほど見えた鳥は、もうどこにもいない。その行方を知りたいとも、特に思わなかったが。


 ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
 本編は「秋津皇国興亡記」( https://ncode.syosetu.com/n9451gu/ )まで。

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