じゃが 2024/03/01 19:00

あの世で快感を覚えちゃって帰れなくなる話(♡喘ぎありver.)

 愛する夫がいて、子供はいないけれどその代わりに余裕のある生活はできている。今の時代、充分恵まれていて、これ以上求めることなんてない。
 なのに――。

「退屈だなあ」

 大きな波もない穏やかな生活。幸せなはずなのに、いつもどこかが満たされない。変わってほしいわけじゃないのに、日常から脱却したいという思いが日に日に強くなる。
 そんな複雑な女心を抱えながら、私こと春子は、今日も眠りにつく。




 何も無い空間。ただただ辺りは真っ白で、なんの景色も見えない。
 夢? とりあえず歩みを進めてみる。どこへ向かっているかは分からないが、誰かに呼ばれているような気がした。
 その感覚を頼りに進んでみると、扉が見えた。どこにでもあるような、木でできた扉だ。
 なんの疑問もなくドアノブを捻る。しかし、見た目からは想像できないくらい扉が重く、私の全体重をかけても五センチほどしか開かなかった。
 それにしても、ドアノブの感触や扉の重み、全てが本物のような存在感。これが、明晰夢というものだろうか。
 扉を押すのにも疲れてしまったので諦めようとしたが、どこからか声が聞こえてきた。

『退屈なんでしょう? だったら、こっちへおいで』
「⋯⋯誰?」
『こっちに来たら教えてあげる』
「でもこの扉、重すぎて開かないよ」
『願って』
「願う?」
『そう、心から願うの。こっちへ来たいって。今のつまらない日常を捨てて、新しい世界へ行きたいって』

 女性の声だった。後ろからハープでも聞こえてきそうな、透き通った美しい声。
 内容には不審さを覚えるが、どうせ夢の話。夢の中くらい、思いっきり自由を満喫しても許される。
 私は、心の中で願った。

(夢の中でも妄想でもいい。つまらない日常はいったん忘れて、新しい世界へ行きたい⋯⋯!)

 心の中で繰り返しながら、もう一度ドアノブを捻ってみると、先程の重さが嘘のように扉が開いた。

「うわっ⋯⋯」

 体重をかけて開いたため、そのまま勢いで前へ倒れ込んでしまった。ぎゅっと目を瞑り衝撃に備えていると、誰かに体を受け止められたようだった。


*


「はっ⋯⋯⋯⋯」

 唐突に目が覚めた。心臓がドクドクと脈打っている。

「⋯⋯変な夢」

 言い知れぬ不安を打ち消すために呟いた。そして二、三度深呼吸してから体を起こす。

「⋯⋯ここ、どこ?」

 いつもの見慣れた壁はどこにもなく、代わりに果てしない白が広がっている。私が寝ていたのは夫と決めた安めのダブルベッドではなく、キングサイズほどある大きなベッド。
 初めは病院かと思ったが、廊下に繋がる扉も見当たらなければ外の景色が見える窓もない。人の気配さえ感じない。視界の白さとは裏腹に、私の心は急速に不安で染まっていく。

「目は覚めた?」

 反射的に声がした方を見ると、さっきまでは誰もいなかったベッド脇に人が立っていて、驚きのあまり心臓が止まりそうだった。

「体は大丈夫? どこか痛いところはない?」

 その人は女性だった。言葉だけ聞くと医者のようだけど、女性の見た目からして医者でないことは明らかだった。
 透き通るような金色で細い髪の毛は腰の位置まで長さがあり、顔立ちは全てが計算されたように整っていて、まるで人形のよう。しかし、そんなことは些細なこと。彼女のいでたちで最も目を引くのは服装だった。いや、服装というか体。そう、彼女は衣類を何も身に着けておらず、均整の取れた美しい体そのままの姿だった。要するに裸。金髪で裸の女の人を見て、医者だと思う人はそうそういないだろう。

「⋯⋯あの、どちら様ですか? ここは⋯⋯どこなんですか?」

 もしかしたら、何か事件に巻き込まれて誘拐されたのかもしれない。だとしたら相手を刺激しない方がいいかもしれないが、そんなことを考える余裕もなく、思ったことがそのまま口から出てしまう。

「私の名前はリズイユ。リズって呼んで」

 しかし女性は気分を害した様子もなく穏やかな表情のまま答える。

「ここは⋯⋯そうね。あなたたちの言葉で言うと、あの世、というと伝わるかしら」
「あ⋯⋯あの世!? 私、死んだんですか!?」
「そういうことになるわね」

 ⋯⋯死んだ? 私が? 持病もなく、昨日まで健康そのものだった私が?

「し、信じられません⋯⋯! 私⋯⋯何も⋯⋯」
「人間だれしもありえる話よ。昨日まで元気だった人が急死。そういう話、あなたも聞いたことくらいあるでしょう?」

 確かに、ニュースやSNSなどで聞いたことはある。なんの予兆もなく、元気だった人が亡くなる。それを聞いた時、「怖いなあ」とは思っていたけど、まさかそれが自分の身に降りかかるなんて⋯⋯。

「ううっ⋯⋯うっ⋯⋯」

 死なんてまだまだ実感できない。今でも信じられない。それでも、涙だけは洪水のように溢れてくる。やりがいに満ちた人生というわけではなかったけど、自分なりには楽しく暮らしていた。夫のことが頭に浮かぶ。びっくりしてるよね。本当にごめんね。
 不安や後悔、悲しさで泣き続けていると、ベッド脇に立っていた彼女が不意に私の肩に触れた。するとそこから、じんわりと温かさが広がっていく。それが少しずつ全身に広がっていくと同時に、私の乱れた心が落ち着きを取り戻していく。

「落ち着いた?」
「⋯⋯はい」
「混乱するのは仕方のないことよ」

 今のは魔法? ここがあの世というのが本当なら、この人は一体。

「簡単に言うと、神様のような存在よ。だから、魔法、という捉え方でいいと思うわ」
「えっ」

 口に出したつもりはないのに、答えが返ってきた。驚く私を見て、彼女はくすりと口元を緩める。

「顔に書いてあるだけよ」
「か、神様⋯⋯ですか」
「そう。といっても、あなたが想像するような神様ではないかもしれないけれど」

 私は特に何かを深く信仰しているわけではないので、その類の話はさっぱりだが、彼女が人間でないということはなんとなく理解できた。
「まあ、あなたたちの概念で理解しようとすると混乱するから、そのままでいいわよ。私はあなたと会話ができるし、触れられるし⋯⋯」

 そう言いながら、肩に触れたままだった彼女の手が、私の頬をくすぐるように撫でる。その心地よさに私は目を細める。
 この人に触れられていると、とても気持ちよくて、落ち着く。ずっと触れてほしいと思ってしまう。こんな感覚、初めてだった。

「気持ちいい?」
「⋯⋯はい」

 素直にそう伝えると、彼女は小さく笑った。その微笑みは、今までの人生で見たどの笑顔よりも美しかった。

「さて、だいぶ落ち着いたみたいだから本題に入りましょう」

 彼女が手を引くと同時に頬から温もりが消える。寂しいような⋯⋯もっと触れていてほしかったような⋯⋯複雑な感情が入り混じるが、私は大人しく彼女の話に耳を傾けた。

「ここはあの世であるけど、正確には私のプライベートな場所よ」

 神様にもプライベート空間があるのか。まあ、私が想像するようなプライベートではないのだろうけど。

「あなたはまだ自分の死を理解しきれていないわ。だから、こうやって自我を持って私と話せるの。このままじゃ、先へ進めない。自分の死を理解し受け入れないと、本当の意味で死ぬことはできないの」
「すると、どうなるんですか?」
「このままよ。死ぬこともできず、永遠にこのまま」
「それって、何か不都合があるんですか?」
「⋯⋯私と永遠に一緒にいたいと言うなら、ないかもしれないわ」

 いまいちピンとこない。ただ、どんな理由を聞いても今の私にピンとくるものはない気がした。

「とりあえず、少しの間ここで休んでいくといいわ」
「はあ⋯⋯」
「欲しいものがあったら何でも言ってね」
「あの、最後に一つ、いいですか」
「なに?」
「私がここにいるのは突然死したからですよね? だったら、私みたいにここに来る人、結構いるんですか?」

 何気ない質問のつもりだった。突然死する人はそれなりにいるのだから、ここに来る人は結構多いのではと。
 何を考えているのか、しばらくの間彼女から返事はなかった。まずいことを聞いてしまったかと思ったが、彼女は一言、「そうね」とだけ返すと、靄のように消えてしまった。

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