【お試し無料版】『ココヤシ村の母娘(エロなし)』

 世は『大海賊時代』。

 『海賊王』と呼ばれる伝説の男、『ゴールド・ロジャー』が死に際に言い放った次の言葉は、多くの者たちを青い海へと駆り立てた。

 ――おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ……。
 ――探してみろ……! この世のすべてをそこに置いてきた……!

 以前から存在した海賊と、それを取り締まる側である『海軍』、および政府役人たちの対立はより激しいものとなり――それから14年後。

 海軍と政府のどちらも相応の手段、政策を取ってはきたが、先の『海賊王』のひと言によって焚きつけられた無法者たちの進出を完全に抑えることは叶わず――だから。

 だから――“こんなこと”は別に珍しくはないのだと、「彼女」はそう思った。

 名は『ベルメール』。薄紅色の髪を額で左右に分け、その中心から馬の尻尾のように後頭部へ垂らしたひと房以外の頭髪は、殆ど坊主と言ってもいい程に刈り上げた独特のヘアースタイルと、口に咥えた1本の煙草。そして――抜群のスタイルが特徴的な美女。

 『東の海(イーストブルー)』と呼ばれる海にある『コノミ諸島』。そこに存在する『ココヤシ村』で暮らす30歳になったばかりのそんな彼女の額には、現在、眼前で凶悪な笑みを浮かべた大柄な男が構えるマスケット銃の銃口が突きつけられていて。

 にも関わらず、大量の血を流し、妙な方向に折れ曲がった左腕をもう片方の腕で押さえながら立つ彼女は、抵抗も――逃げる素振りも、一切見せなかった。そうすれば、自分が愛するふたりの娘の命が保証されると知っていたからだ。

 ――この子たちに、手は出さないのよね……!?
 ――勿論だ。テメェが大人しく死ねばな。

 ……そう。
 今の時代では、本当に珍しくないのだ。
 何の変哲もない平穏な日常が、突如やって来た海賊たちによって粉々にされてしまう、ということは。
 そして今回は、その災禍が自分たちの身に降りかかった、というだけのこと。

 『魚人』という、文字通り人と魚、両方の特徴を併せ持つ人種のみで構成された海賊団――『アーロン一味』。

 その船長であるノコギリザメの魚人、群青色の肌と、ギザギザに尖った長い鼻が異様さを際立たせている250センチ近い巨躯を誇る男――『アーロン』が、多数の部下と共にベルメールの家を訪ねたのが数分前。

 元『海軍』所属の兵士で、多少腕に覚えがあるベルメールはこれを制圧しようとしたが、『偉大なる航路(グランドライン)』と呼ばれる過酷な海域で名を馳せたアーロンが相手となると、彼女の実力ではあまりにも心許なく――アッサリと返り討ちに遭い、左腕を損傷。肉が裂け、そこから大量の血が滴る程にまで踏み潰され――当然のようにその内側にある骨も折れ、砕けることとなり。

 ――大人1“匹”10万ベリー、ガキ1“匹”5万ベリー。今回は奇襲につき、払えねぇ奴“のみ”殺すことにする……!

 ……それが、奴らの要求だった――が、悲しいかな。
 10年近く前にとある戦場で拾ったふたりの娘、今年で12歳の『ノジコ』と、10歳の『ナミ』のふたり。

 彼女らの為に海兵を辞め、故郷であるこの村でミカン畑を経営することにしたベルメールの懐は、決して温かいとは言えず――へそくりを足しても10万と少し。先のアーロンの言葉に照らし合わせれば20万となる徴収額には、届かない。

 それすなわち――「払えねぇ奴“のみ”殺すことにする」――ベルメールか、ノジコとナミのふたり。そのどちらかが命を失うことを意味していて。

 しかし、不幸中の幸いと言うべきか。

 先述したように、娘たちはどちらも拾い子。つまり、娘たちが姿を見せず、尚且つこちらがその存在を黙ってさえいれば、結婚や出産の記録が記された村の名簿を参考に徴収額を決めているらしいアーロンたちに、誰も命を奪われずに済む――のだが、しかし。

 ――その10万ベリーは……娘たちの分。
 ――私の分は……足りないわ。

 ベルメールにはそれが、“できなかった”。
 家族がいないなんて、“言えなかった”。
 これまで豊かな暮らしをさせてあげられなかった分、口先だけでも親になりたい――そう、思ってしまったから。

 馬鹿なことをしている、という自覚はあった。隠れていたらしい娘たちは飛び出し、自分に泣きながら抱き着いてきた。そんな彼女らに対し、痛む左腕を無理矢理動かした上で抱き締めたベルメールは、ほんの数秒でそれをほどくと、「……こいつらが、テメェの娘だな?」と冷徹な表情で確認するアーロンの前ですっくと立ち上がり――そして、現在。

「誰か……誰か、助けてえぇっ!!」
「貴様ぁ――があぁっ!?」
「っ! ゲンさんっ……!」
「クソ……! ベルメールを助けろっ!」
「武器を持て! 奴らを追い出すんだっ!!」
「……ったく、下等な猿どもが……。お前ら、程々に痛みつけてやれ――ただし、殺すなよ? 大事な収入源だ……」

 大声で助けを乞う愛娘(ナミ)。隠し持っていた銃を乱射するものの、アーロンの配下のひとりによって簡単に切り捨てられる、「ゲン」と呼ばれた、自分にとっては兄代わりのような男性――『ゲンゾウ』。自分の為に救援に駆け付けた村人たち。彼らの対処の為に面倒そうに部下たちに指示を出すアーロンと、結果、なす術もなく制圧されていく人々……。

 自分がふたりの娘の存在を黙っていれば、こうはならなかった。わかっている。悪いのは自分だ。それでもやはり、ベルメールはふたりの「母親」でいたくて――故に。
 この程度のことで――眉間に風穴を空けられるぐらいで「親」であることを証明できるなら……安いものでしょう? と。
 そう思ってしまったから――だから。

「テメェが最初の見せしめだ……。クソしょうもねぇ、その『愛』とやらの為に――サッサと死ね」
「……ノジコ! ナミ!」

 文字通りの意味で眼前に突きつけられた、絶対的で無慈悲なまでの『死』。
 でありながら、ベルメールの心には一抹の不安も恐怖もなく、不思議と穏やかで。
 視線はあくまでも、こちらの額に銃口を突きつけるアーロンの顔へと向けながら。
 あとほんの数秒もない人生最期の時の中で、彼女はただ一言。





「……大好き♡」





 直後――ドォンっ!! と。
 一切の躊躇いなく撃ち放たれた凶弾。それは狙い違わずベルメールの眉間を撃ち抜き、これによって、後頭部より鮮血をまき散らしながら、彼女の体は、糸が切れた人形のように力なく仰向けに倒れる――“ことはなかった”。

 ベルメールは目を見開いた。いつの間にか自分とアーロンの間に立っていたひとりの青年――銀髪紅眼の美丈夫が、銃を構えていたアーロンの右腕を捻り上げていた。結果、撃ち放たれた弾丸は自分の眉間ではなく、上空の空気を裂くだけで終わった。

 息を飲む程に美しい青年だった。黒で統一したTシャツとジーンズというシンプルな服装に包まれた肉体は細身だが引き締まっており、その筋肉を纏う肌は、女である自分が嫉妬する程に磨いた真珠よろしく白く透き通っていて――首から上の造形も見事のひと言だった。

 いや、逆だ――言葉も出なかった。目鼻立ちが整っているというのは勿論のこと、目で見るだけでサラサラとした手触りが容易に想像できる、肩口まで伸ばした銀髪に、額にも垂らしたそれの間から覗く双眸は寒気を覚える程に深い真紅で、ベルメールは思わず、自分のような貧乏人には決して手が届かないルビーの宝石を連想した。

 もっと言ってしまえば、この青年の存在自体が、ひとつの宝石のようで――いや、それ以上だ、とベルメールは思った。青年が立っている所を中心に見えない神聖な何かが周囲に広がり、不安と恐怖によって支配されかけていた状況を浄化しているようだった。

 そしてベルメールは、そんな青年から目を離せなかった――息をするのさえ忘れかける程だった。心臓の音がうるさく、身体を流れる熱い血潮が実感できた。頭頂部から足のつま先にまでビリビリと走る「何か」。これは――この感覚は一体? と。

 そう思うと同時に、青年が動いた。

 アーロンの銃を持った腕を捻り上げたまま、もう片方の手の平を、先ほど踏み潰されたばかりのベルメールの左腕に向けたかと思うと、そこから煌びやかな黄金のオーラのようなものが飛び出し、それが先述した損傷部を覆ったのだ。

 それにベルメールが驚くのも束の間、なんと、怪我が治っていた――皮膚に付着した土や血液などの汚れはそのままだが、裂けていた肉や折れていた骨も元に戻り、つい先ほどまで全身に迸っていた激痛も、今となってはまったく感じない。

 これは一体……? ベルメールは信じられない気持ちだった。自身にしがみついていたナミとノジコもポカンとしていた。

「遅れてすまん。……すぐに終わらせるから、少し待っててくれ」

 青年が言った。その涼やかな言葉を鼓膜で受けると同時に、ベルメールは、自身の顔がカァッ、と赤くなるのを確かに感じた。

 一方、アーロンのほうはと言うと――きっと凄まじい力が込められているのだろう。「ぐあぁっ!?」と彼の喉奥から苦悶の声が迸り、周囲で村人たちを制圧していた彼の部下たちが「なんだ!?」「アーロンさん!?」と驚愕の声を上げたが――それも、ほんの束の間。

 突如彼らは、何の前触れもなく顔を青くし、泡を吹きながらその場で倒れた。でありながら、自分が愛する娘たちを含め、村人たちの中で同じような状態になっている者はひとりとしていなくて――これは一体? 当然のように混乱するベルメール。一体、この青年は何者なのか? と。

 しかしながら、その疑問を口に出すことはなかった。その必要がなくなったからだ。自分よりもずっと強く同じことを思ったに違いないアーロンが、同じことを言ってくれた。すなわち、

「こ……の……! 誰だ……テメェはぁ……!?」

 恐らくは激痛と怒りによって血走ったアーロンがそのように問えば――いまだ彼の腕を捻り上げたままの青年は、次のように答えた。先ほどと同様、涼やかな印象を覚える声色だった。

「王下『七武海』――イングナル・フレイ」
「「……っ!?」」

 アーロンとベルメールの両方が同時に目を見開いた。『七武海』という単語には、それだけのインパクトがあった。何故? 何故“こんな所”に『七武海』が――? と。

 そんなベルメールの混乱にも構わずに、彼――イングナル・フレイは、続けて、

「……『ノコギリのアーロン』……」

 気のせいか――肩の辺りから、バリバリと赤黒い稲光のようなものを迸らせながら、

「『シャーリー』と『ジンベエ』――愛する妻と、友人の頼みにより……お前の『野望』を、ここで食い止めさせて貰う」

 凶悪な魚人を前にしても一切の恐れを感じさせない、凛とした声音で呟かれた言葉を、アーロンと同じぐらい近くで聞いていたベルメールは――ブルルッ……♡ と。

 ナミとノジコを育てるに当たって、既にその本懐を遂げさせることを諦めていた、女にとっての最重要器官――下腹部の奥にある子宮が。
 眼前の雄との出会いに歓喜するかのように震えたのを、その身で確かに感じていて。
 そして――。


  ◆          ◆


 結論から言うと、ベルメールを射殺しようとしたアーロンを筆頭とした『アーロン一味』は、全員がなす術もなく打倒された。

 イングナル・フレイという、ただひとりの青年によって。

 特に、際立って描写するべきことがない程に一方的且つ、あっという間に。

 当時20代の半ばだったと思われる彼が『七武海』――海賊でありながら、その『強さ』と『知名度』故に、ある程度の略奪行為を許可された『政府公認』の海賊たち――として、『世界政府』に登用されてから9年余り。

 その点を考慮すれば『青年』という表現は正確性に欠けるかもしれないが、見た目の若々しさは完全にそれで――現在。

 遅れてやってきた海軍に、魚人たちの身柄と、彼らが乗ってきた船に積んであった財宝類の一部を渡した上で、その移送を見届けてから更に数十分後。

 ベルメールは、自身の家の居間で、机を挟んで座って件の『七武海』の美丈夫――フレイと対面していた。

 1対1ではなく、他の人間もいて――まず、先の出来事でベルメールが死なずに済んだことによるある種の反動か、まるでコアラのように自身の体を抱き締めて離さないまま、何やら赤い顔でフレイの顔をチラチラと見やっているナミとノジコのふたりと、隣の席に座って対面にいる「ふたり」を見つめるゲンゾウ(前を開いた上着から覗く、包帯が巻かれた上半身が痛々しかった)。

 そして、フレイの隣にも、彼がアーロンの腕を捻り上げた際にはその姿が見えなかった人間がひとり。

 非常にフレイとの距離感が近く、殆ど肩が触れ合う程の距離に椅子を寄せて座っており、その目には、これほど光栄な役目はあるまい、と信じて疑っていないとわかる程のフレイに対する崇拝、親愛の念が見受けられて――非常に肉感的で魅力的な肢体を持つ女性だった。自分もそれなりにスタイルはいい方だという自負はあるが、「この子」には劣るかもしれない、とベルベールがわずかな敗北感を覚えてしまう程の。

 「この子」――そう、何の偶然か、フレイの隣に座っている彼女は、ベルメールの知り合いだった。波打った黒のショートヘア―に、勝ち気な瞳。赤いルージュで彩られた、艶っぽくも厚ぼったい唇と、両の上腕に彫られた薄紫色の花柄の刺青が嫌でも目を引いて――ファッションのほうは、トゲつきのチョーカーと、先述した魅惑のボディの曲線を際立たせている、適正よりもやや小さめの黒いTシャツおよび同色のズボンとブーツというもの。

 小さめなTシャツであるが故に、その下から下腹部が露出していて――そこに、嫌でも淫靡な印象を抱かずにはいられない、ハートマークを基調とした赤紫色の紋様があった。まるで、フレイの女であることを証明しているかのようだった(というよりは、まあ、事実そうなのだろう、とベルメールは確信していた)。

 そして何よりも、現在は彼女が座っている椅子の背もたれにかけられている白いコート――対面に座っているベルメールからでは視認できないが、その背中部分に『正義』の2文字が刺繍されていることを、先立って彼女は確認していた――が特徴的な美女は、短い期間ではあったが、ベルメールがまだ海兵だった頃に面倒を見ていた後輩で、名は――

「――『ドール』。……まさかまた、アンタに会えるとはね……」
「とっくに海兵を辞めた上で、この辺りに帰郷してるっていうのは風の噂で聞いてたからね。万が一があったらどうしようと思って、今回の遠征に同行した訳だけど……。まあとにかく、間に合ってよかったよ……ベルメールさん」

 彼女――ドールはそう言うと、

「他の仲間――私と同じように、フレイ『様』に身も心も捧げた女たちが、ザっと諸島周辺の『声』を確認したけど、さっきの魚人たちの残党はなし。住民たちが巻き上げられたお金も既に返却済みで、連中の船に積んであった財宝類も、『ハンコック』様と『ステューシー』様主導の下、目下荷下ろし中……。だからまあ、とりあえずは心配しなくていいよ。脅威は去った。……何もかも、“この人”のお陰でね♡」

 言葉と同時に、フレイの右腕を両腕で抱き、その豊かにも程がある巨乳の間にムニュウっ♡ と挟み込んだ上で、彼の右頬に唇をつけるドール。

 その表情には、説明されずとも、全面的な同意の下で既にフレイに心身を捧げていると確信できる程の、発情した「雌」の顔が浮かんでいて――途端に疑いようもない程の激しい嫉妬の炎が、ベルメールの胸中で燃え上がった。

 当然堪えはしたが、すぐ目の前のテーブルの上に置かれた飲みかけのコーヒーのマグを、かつての後輩に投げつけたい衝動に駆られた――と同時に、またもや下腹部の奥にある子宮が強烈なコンガを踊り始めた。

 それはさながら負けるな、お前もサッサと続け、と情けない宿主を鼓舞しているようにも感じられて――仕方なくベルメールは、そのマグの中のコーヒーに映った自分の顔を見つめることで妥協した。

 ……が、敗北感に塗れた「行き遅れ」の女の顔が見つめ返していただけで、むしろ逆効果だった。いや、30歳になったばかりであることを考慮すれば、流石に「行き遅れ」というのは早計が過ぎるかもしれないが、しかし……。

 一方でベルメールは、非常に驚いてもいた。何となれば、自分が知る限りドールという女海兵は、決して今の彼女のように、男に対して甘々に媚びるような性格の持ち主ではなかったからだ。

 それとは真逆の、非常に男勝りな性格で――もっともそれについては、自分も人のことは言えないのだが、とベルメールは自認した。とはいえ、男の比率が大多数を占める海軍において女の身でやっていくにはそうでなければならない、というのが彼女の認識であった為、特に直さなければと思ったこともないのだが。

 しかし、その男勝りの権化とも言える後輩も、今や自分の眼前で銀髪紅眼の男の片腕に自分のそれを絡ませ、豊かな胸にかき抱き、トロトロに甘えた表情でその白い頬に唇を押しつけていて――羨ましい。最早隠しようもなくそう思ったベルメールは下唇を噛んだ。

 自分も……! 自分だって――と、そう思ったところで、

「おれというよりは――シャーリーとジンベエのお陰だけどな」

 口内に舌を捻じ込もうと更に顔を寄せてきたドールをやんわりと押し留めながら、フレイが言った。その涼やかな印象を持つ声を聞いた途端、ベルメールの心臓がまたもやバクンッ! と跳ねた。

「さっきのアーロンっていう魚人……。アイツがここに来るきっかけを作ったジンベエっていう、おれと同じ『七武海』の魚人と、アーロンの妹で――半分だけだけど――おれの妻のひとりでもあるシャーリー……。そのふたりから頼まれてな……。あいつ――アーロンは、人間に対する憎しみが強過ぎて暴走する可能性があるから、もしそうなってたら場合によっては頼む、って。……案の定、ジンベエが主に活動している『偉大なる航路(グランドライン)』は避けて、ここで活動しようとしてたアイツの動きを、おれの女たちが補足したのが数週間前。……ドールも言ってたけど、本当に間に合ってよかった。仲間たちの制止の声を振り切って、ひとりで突貫した甲斐があったよ。……あまりにも悲痛な叫びの『声』が聞こえたんでな」

 相変わらずベルメールにしがみつきながら、赤い顔でチラチラと視線を送っているナミとノジコをチラリと見やりつつ、フレイが言った。

 それに対して、やはり相変わらず彼の右腕を巨乳の間に挟み込みながら、ハアハアと湿った吐息を漏らしていたドールは、その一方で困ったように眉根を寄せつつも「本当に、肝を冷やしたよ」と言って、更に、

「勿論、一度は脱落して監獄に放り込まれた負け犬――負け魚を相手に、フレイ様が遅れを取ることなんて万が一にもあり得ないと確信してはいたけど、もう少し慎重に行動してくれないと……。アンタの代わりなんて、この世にはいないんだからさ……♡」
「ドール、お前の代わりもこの世にはいない」

 間髪入れずにフレイが言った。

「お前だけじゃない――シャーリーも、ハンコックも、それ以外の女たちも……。少なくともおれにとっては、誰ひとりとして代えの利かない、大事な仲間……妻たちだ。だから……まあ、そんなお前たちの為にも、そう簡単にくたばったりはしないよ。安心してくれ」
「~~~~っ♡ まったく、アンタって男は……♡」

 言って、感極まったような表情を浮かべた後で、再びその肉厚な唇をかの美丈夫の頬に押しつけるドール。

 真面目な話し合いの場の筈なのに、その女顔負けのきめ細やかな白い肌にふたつ目のキスマークをつけることもお構いなしで――それを見たベルメールの内臓が、またもや嫉妬によって捻じれ、短時間で2度目となる「大人の世界」を見せつけられたナミとノジコが、「わぁっ……!」と、感嘆とも羨望ともつかぬ音を口から漏らした。

 残ったゲンゾウはと言うと、被っていた帽子のツバの位置を整えながら軽く咳払いをすることで一旦全員の注目を集めると、次のように語り始めた。

「『豊拳』イングナル・フレイ……殿。私は、この子たちの保護者のような存在で『ゲンゾウ』という者だが――まずは、村の者たちを代表して礼を言わせて貰う。あなたが来てくれなかったら、間違いなくベルメールは殺されていた。それを防いでくれたことには、本当に感謝してもしきれない」

 言って、ゲンゾウは小さく頭を下げると――続けて、

「……が、その上で、ハッキリと聞いておかなければならない。そうして恩を売った我々に、一体何を望む?」
「……随分、含みがある言い方じゃないか」

 不快感を示すように眉をひそめながら、ドールが言った。「今、アンタが言ったように、この人が来てくれなかったら、ベルメールさんはドタマをぶち抜かれて死んでたんだ――その事実を、もう少し考慮してくれてもいいんじゃないのかい?」と。

 それを受けたゲンゾウは、「……スマン」と素直に謝罪の言葉を述べると、

「……だが、それでもやはり聞いておかねばならない。九死に一生を得たとはいえ……いや、だからこそ、今の村人たちの胸中には、安心以上に、不安な気持ちが渦巻いている。……さっきの魚人たちは、命を取らない代わりに定期的な徴収を要求……命令していた。そして――政府公認とはいえ――そこから我々を救った貴方たちもまた、『海賊』には違いない」

 そう話すゲンゾウの口調がわずかに震えていることに、ベルメールは今になって気づいた。アーロンを一蹴する程の実力者を前に、彼が彼なりに勇気を振り絞って言葉を紡いでいるらしいことが、ベルメールにはわかった。

 にも関わらず、自分の胸の内に(そして恐らくは、ナミとノジコも)そういった恐怖の感情が一切湧いてこないのは――どころか、それとは真逆とも言える感情、もとい恋情が湧き上がってくるのは、ひとえに自分たちが「女」であるが故か。

「だからこそ……聞いておかねばならない。一体、我々に何を望む? 先に断っておくが、この諸島に存在する集落は、どこも裕福とは――」
「いえ、特に何も要求するつもりはありません」

 フレイが即答した。瞠目するゲンゾウに対して、彼は続けて、

「今、荷下ろしを指揮しているハンコックとステューシーは最後まで渋ってましたけど――アーロン一味に『けじめ』をつけるにあたって、最初からあなたたちに見返りを求めないのは、初めから決めていました」
「それは……ありがたい、が……。何故……」
「ある意味、身内の問題なんですよ。だから、むしろ巻き込まれた側であるあなた方に何かを要求するのはどうなのか? という話で、つまり……」

 どことなく気まずそうな面持ちを浮かべつつ、指先で頬をポリポリとかきながら、フレイが言った。

「さっきも言いましたけど、あのアーロンって魚人……。おれの妻のひとりの妹なんです。シャーリーって言う名前の人魚で、今は18人目になる――“アイツとの間では”、ですが――おれの子を身籠っている最中だから、今回は同行できなかったんですが……。そいつからも頼まれました。最近『七武海』に加入した『ジンベエ』と袂(たもと)を分かった兄を止めて欲しい、と。必ず、どこか遠い所で人間を支配し始めるから、とも」

 「18人目になる」、「おれの子を」――という、あまりにもぶっ飛んだ内容の言葉を受けたことで目を見開くベルメール、ナミ、ノジコ、ゲンゾウの4人ではあったが、そんな彼、彼女らには構わず、フレイは続けて、

「それを受けて自分は、シャーリーの『予知』と、妻たち……国民の人魚族を中心とした情報網を駆使することで、アーロンたちの動きをいち早く察知し――まあ、その甲斐もあったって訳です。……ただ、左腕はすまなかったな。もう少し早く駆けつけていれば――まだ、痛むか?」

 台詞の途中からベルメールの顔に視線を移しながら、フレイがそのように言った。それに対して彼女は、

「あ……いや、大丈夫」

 と、返した。気のせいか、いつもよりもずっと声を出すのが難しかった。

「アンタが出した、あの黄金のオーラみたいなヤツのお陰で、すっかり元通りさ――『悪魔の実』の能力(ちから)、なのよね?」

 『悪魔の実』――「4つの海」という名称で分類されるこの辺りの海域では極めて珍しく、おとぎ話の類とさえ言われる埒外の果実。食した者に固有の『異能』を授けるのと引き換えに、生涯カナヅチであることを宿命づけさせると言われている常識外の代物。

 それを食した『能力者』なのではないかと、ベルメールはフレイに尋ねていて――それを受けたフレイは、特に誤魔化すこともなく「ああ」と首肯すると、

「『ヒトヒトの実』幻獣種、モデル『ユングヴィ』――って、まあ、名前を聞いてもピンとこないよな? とりあえずは、『生命力』を自在に操る能力と思ってくれて問題ない。それの応用で、さっきみたいに外傷を治すこともできる。……ウイルス性の病気とかになるとちょっと厳しいし、勿論、死んだ人間を甦らせたりは流石に無理だが――」
「――それはそれとして」

 横道にそれかけた話の軌道を修正するかのように、ドールが言葉を割り込ませた。力強い口調ではあったが、いまだフレイの右腕をかき抱き、それを自らの豊かな双乳に挟み込んだままだったので、威圧感のようなものは殆ど感じられなかった。

「とにかく、今回の件に関して、この村に何かを要求することはないよ。……今回の件に関しては、ね」

 思わずベルメールは眉をひそめた。明らかに何か含みがある言い方だった。同じ印象を抱いたに違いないゲンゾウは、帽子のツバの奥で光る鋭い眼差しを改めてドールに向けると、「……何が言いたい?」と静かな口調で尋ねた。

 そして、それを受けたドールはというと、質問したゲンゾウではなく、何故かこちらのほうに視線を向けてきて――戸惑うベルメールに対して、彼女のかつての後輩は次のように言った。

「単刀直入に言うよ、ベルメールさん。……アンタ、あたしと同じように、フレイ様に嫁ぐ気はないかい? そうすりゃ、この人が船長を務める『九蛇海賊団』のマークによって、もう2度と、あんな馬鹿な連中がこの村――いや、この諸島一帯の集落に、ちょっかいをかけてこないようにすることができるんだけど?」
「えっ……!?」

 ベルメールは瞠目した。こんなに「都合がいいこと」があるのか? と思った。
 いや、それよりも――

「嫁ぐ……って……。それにドール、あたしと同じように、ってことは……」
「ああ、そうさ――当然のように、アタシもこの人の妻のひとりだよ」

 言って、ドールは再びフレイの頬にチュッ♡ と唇をつけると、

「元上司が、とある事情で政府に反旗を翻したことを受けて色々と腐ってた私に♡ この人が、海兵として海の平和を守る以上の生きがいを与えてくれたのさ♡ もう出会って8年ぐらいにはなるかな……♡ つい数時間前にも、子宮(はら)がタプタプになるまでタップリ注いで貰った上に、子供ももう10人以上いる……♡ この際だからハッキリと断言しちまうけど、この人の子を産めない女ってのは、その人生の大半……いや、すべてを無駄にしてると言っても過言じゃないね♡ 実際♡」
「じゅ、10人って……!?」

 その幼さ故に、たった今放たれた言葉の意味がすぐには理解できなかったらしいナミとノジコはキョトンとした表情を浮かべていたが、ベルメールは瞠目した。

 隣のゲンゾウなどは「何を馬鹿な」と吐き捨てていたが、何故かベルメールには、ドールが言っていることが真実であると確信できた。やはり、フレイ――『豊穣の王』に関する「あの噂」は真実なのかと、そう思った。

 無論、それだけの子を孕み、産み落としつつも、いまだ眼前にあるような見事過ぎるスタイルをドールが維持できていることにも驚きだが――それ以上に、やはり、嫉妬の感情のほうが強かった。

 ズルい、後輩の癖に――ドールばかりズルい、と。子供染みた思いを湧き上がらせるベルメールは、更に、

 私だって。
 私だって、可能ならその人との子供を――と。
 悔しそうに下唇を噛みながら、ベルメールがそんなことを考えたところで、

「それでは結局、さっきの魚人たちと同じではないか――金の代わりに、ベルメールを要求しているだけだろう!」
「おい、おい、勘弁しておくれよ」

 思わずといった様子でフレイの頬への口づけを中断したドールは、トロトロと発情した相貌を一転させ、ウンザリしたような表情を浮かべると、

「おんな都落ちした雑魚雄と、この人を一緒にしないでくれ――少なくとも、アタシたちは何も強○しちゃいないし、断ったところで何か制裁を加えるつもりもない。ただ、さっきも言ったように私は、女である以上はフレイ様に心身を捧げて、その血を継いだ子供をより多く産み落とすことが当然だと思ってるし、昔、アタシを世話してくれたベルメールさんにも是非、その幸せを味わって貰いたいとも思ってる。……言ったろ? 『それ』ができない女は、人生のすべてを無駄にしてる、って――ベルメールさんにはそうなって欲しくないんだ、アタシは」

 言いつつドールは、フレイの腕に絡めていないほうの手で、露出させた下腹部にあるハート形の紋様を愛おし気に撫でた。もはや何度目かもわからない嫉妬の炎が、ベルメールの胸中を焼き焦がした。

「それに、ベルメールさんひとりで“アタシら”……『九蛇海賊団』のマークを貸すってのは、相当破格な条件さ。『新世界』辺りじゃ、有名な海賊団のマークによって平和を保つっていうのは割りとありふれたことだけど――それにしたって、たったひとりの女と引き換えにっていう前例はあんまりない。まあ、『白ひげ』とかならタダ同然で貸すことも珍しくはないらしいけど――とにかく、ベルメールさんの『女』……というよりは、『母親』としての能力に、相当期待した結果の提案さ。実際に、ふたりの子供を立派に育ててる訳だしね」

 そこで一旦台詞を途切らせ、今も尚ベルメールの体にしがみついたままのナミとノジコに優し気な視線をチラリと向けた後で、ドールは、

「――『魚人島』だって、『白ひげ』の縄張りであるにも関わらず、相当数の人魚の女と引き換えに、フレイ様のマークを併せて借り受けてる。まあアレは、本人たちの方から勝手に押しかけて来たっていうのもあるらしいけど……。とにかく、ここで重要なのは、『譲歩』してるのはアタシたちのほうだってこと。……タダでマークを貸すのは流石に無理だよ? 『皇后』……大幹部のハンコック様やステューシー様が許す訳ないし、いずれにせよ、他の同盟国――まだそんなに数は多くないけど――に示しがつかない。ひとりだけでこの辺り一帯を傘下に“してあげる”っていうのは、本当に破格の条件さ。どの道、フレイ様の妻になることが――この人に身も心も捧げた上で子供を産むことが、この人が皇帝を務める『後宮豊国(アルフヘイム)』の一員になる為の『絶対条件』だからね。それに……」

 言って。
 再度、そこで言葉を途切らせたドールは、未だフレイの片腕を胸の間にかき抱きつつも、その眼差しを真剣なものに変えた上でベルメールの顔を見つめ――その上で、こう言った。

「……それに、いくらこの辺りが比較的平和な海域だからと言って、また、さっきみたいな連中が来ないって言いきれるかい? 平和ってことは、目立った対抗勢力がいないってことで、裏を返せば、さっきみたいに『支配』を目論む連中にとってはいい標的になる。……また、そんな奴らが来た時に、今回みたいに都合のいい助けの手が入ると思うかい? 別に、迎え入れたベルメールさんを酷い目に遭わせるって訳じゃないし――むしろ、その逆だし――どういった『選択』が最善なのかは、考えるまでもないと思うけど?」

 長い説明を終え、言うべきことは全て言ったとばかりに、フレイの頬への口づけを再開するドール。
 チュッ♡ チュッ♡ というリップ音が閑静な室内に木霊し――それを受けつつも、しばらく黙っていたフレイは、ギリギリと歯ぎしりするゲンゾウに向けて、次のように言った。

「念を押しておきますが、これは決して強○じゃありません」

 優し気な声色だった。ベルメールの子宮が、またしてもキュウンッ♡ と疼いた。

 自分の体にしがみつくナミとノジコの腕の力も、心なしか強くなったような気がした。思わず視線を下ろしてみれば、ふたり共、先ほど以上に顔が真っ赤っかだった。

 まさかこの子たちも……? と、ベルメールがある可能性に思い至ったところで――フレイは更に、

「仮にこれを断っても、報復の類は絶対にしないと、改めてここに誓いましょう。海賊からの誓いなんて信用ならないでしょうが――こればかりは、信用して下さいとしか言いようがありませんし、何の見返りもなしにこの辺りを『縄張り』にすることはできない、っていうのも残念ながら本当なんです。おれとしてはそれでも全然構わないんですが……。おれの頼りになる両翼……ハンコックとステューシーの意見をないがしろにする訳にもいかないので……」

 ――と。
 ゲンゾウに視線を向けたフレイがそこまで語ったところで――噂をすれば、というヤツだろうか――コンコン、と玄関のドアがノックされ、その向こう側から、次のような声が聞こえた。

『……フレイ様? “あなた様の”ハンコックです――例の魚人たちの船にあった財宝類の積み替えと、村民たちへの分配が終わったので、そのご報告をと……。そちらのほうはどうですか?』
「ああ、今ちょうど、言うべきことはひと通り言ったところだ――すぐにそっちに行く」

 言って、席を立つフレイと、当然のようにそれに続くドール。
 ふたりは、ツカツカとドアのほうへと歩いていき――ドアノブに手をかけたところで一旦その動きを止めたフレイは、次に、顔だけをベルメールのほうへと向けると、

「今すぐに決断できるようなことでないことはわかってる。今日のところは、おれたちも海岸に船を停めて夜を越すつもりだから、一度ゆっくりと落ち着いて考えて答えを出してくれ。明日発つ前に、改めて答えを聞くことにするから、それまでに。……んじゃ、まあ、そういうことで」
「また明日ね、ベルメールさん。……いい返事を、期待してるよ。こっちとしても、あれから色々と経験を積んで立派になったアタシの姿を、アンタに見て欲しいからさ」

 ドアを開けたフレイが、ドールと共に屋外へと歩み出た。

 それが再び閉まる前に「あっ……」と、思わず名残惜しそうに手を伸ばしていたベルメールは、しかと見た。

 フレイが外に出るや否や、ドールが腕を絡ませているのとは反対のほうから、長い艶のある黒髪を太陽の光に反射させた絶世の美女が、待ってましたとばかりにトロトロに甘えた表情でフレイに身を寄せ、ドールと同じように腕を絡ませた上で、「「フフッ……♡」」――と。

 ドールとほぼ同時に、何かを自慢するような、優越感に満ちた視線をチラリ、とこちらのほうに向けてきて。
 それによって大いに衝撃を受けたベルメールは目を見開き、フレイに向けて手を伸ばしたまま、凍りついたように体を硬直させ――「べ、ベルメールさん……?」「ベルメール……?」と心配そうに声をかけてくるナミとゲンゾウにもロクに応答しないまま、ギリリ……! と。

 自分でも驚く程に強い力で奥歯を噛み締めていて――その原動力となっているのは嫉妬と羨望。
 そして何よりも――女としての疼き。雌としての本能。

 後にして思えば、つい先ほどフレイが言ったように、明日、彼らが島を発つその時まで待つまでもなく――この時、既にベルメールの「覚悟」は決まっていたのだ。

 自分の故郷でもあるこの村と、その近隣の集落のこれからの安全とか、「そんなこと」とは一切関係なく。

 『豊穣の王』が囲っている妻(おんな)の一員となり、ひとりでも多く彼の子を孕み、産み落とすという――この世に生まれた女としての、「当然の覚悟」が。

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