風巻いか/ぱんつ丼 2013/03/13 02:48

ホラーとか。

おばんですぱんつ丼ですハイ。



とりあえず明日明後日あたりPC戻ってくるらしいので
旧PCで適当にお絵かきしたりゲームしたり早めに春休み感満喫中です、
膀胱の方は養生効いたのかお医者に「二度と来るな」のお墨付き
いただいたのでもう大丈夫らしいです、一安心。
さて、
そういうわけで特になんも書くコトもないのでエロい画でも置いて終了でも
いんですが、あれですね最近福満しげゆきセンセーのゾンビ漫画読みまして、
スバラシイあとがきに思うトコあっていい機会だからボクもゾンビとか
趣味のホラーとか語ってみたいナとか思いました、そういう回。

というワケでこっから先はいつもよりグダグダ感200%増し増しで
長いので興味ない方はまた来週ですゴメンナサイ。
カグラヱなんかはまたpixivにでも順次投下予定です。







さてさて、
じゃあホラーを語ろうにもこれもまた広いセカイなので、
とりあえず先に述べたゾンビあたりを主軸に語りたいと思います、
ヒトそれぞれ狭義や矜持、解釈はそれぞれなので逆に態するなら
ボクなりにいい加減な、言ってしまえばその辺の飲み屋で
オッサンが語ってるくらいに読んでいただければなと思います。

で、先ず「なんでホラーよ」からなのですが、なんというか趣味というか、
そればっかり眺めてきたのでというのも一つ。
最初に観たホラーは13金かエルム街だったかと思います、
ただ、当時親が揃ってホラー好きだったので週末はレンタルビデオ店に行き
生まれる以前の名作もチラホラ見てました、そういう子供時分で過ごしましたから
一般にある嫌悪感や恐怖心、ひいては倫理道徳感というのが
若干足らないのかもしれません、
ドミネーターが即座にリーサル・エリミネイター化するような犯罪係数かもです。

しかしモノ心付き、改めてなぜホラーを観るのかという自己観点に辿り
「ボクはホラーが大好きだ」と胸を張って言えるようになったのかといえば
やはりホラーの持つ独特の刺激や恐怖を「相対化」して、できて得る思考や嗜好
が必ず存在するからです、それは想像力や生き方にも反映すると思います。
先に読んだ荒木センセーのホラー著書なんかでも「ホラーは生きていく為の
恐怖の予行練習」といった紹介がありましたし、
著作の中ではディオも「幸福とは恐怖を克服してナンボ」とか言ってましたが、
ホラーを観る、受け入れるというのは人間をやっていく上で必要不可欠だと。
そら、キレイなもの、カワイイもの、暖かいモノは愛され好むべきものだと思います、
ですが、現実はそれら以上に汚く、醜く、冷たい不幸なモノばかりで溢れてます、
そうしたものゴトに対する胆力や知識の獲得、また、人間尺度の幅を
広げてくれるような機会がホラーに綴られる不幸や過負荷にはあります。
いろんな愛情劇や喜劇、お涙頂戴劇は山とありますが恐怖や不条理は
ハナシに隠し味スパイス程度で、やはりホラーには遠く及びません、
やはり恐怖と相対するにはホラーでないと、そのものでないとと思うのです。
語ると偉そうに長々としてしまいますが簡潔に言うとボクにとってホラーは
「生きていく上での勉強材料」だと思い眺めているのです。
生きていく、という漠然とした言い方ですがその生きていくのが難しい時代、
昨今一部でホラーが賞賛されているのも言わずしてそういった観点も
あるんじゃないでしょうか。

で、その材料の中でもわかりやすいのがゾンビだったりします。
今日流行や漫画でも語られる機会が増えたゾンビですが、
他ホラーに出でるモンスターやクリーチャーと違い
元が人間であってそれだけでも親近感が湧くという存在で。
それがああしたりこうしたり画面的にぶっ飛んだコトを可能とするので
さまざまなテーマやジャンルで活躍するわけですが、
先にボク的な定義を一つ述べておくとやっぱりゾンビは
旧式な一般的なウスノロで汚くグロくないとダメじゃないかと。
ゾンビというのはーでブードゥーがウイルスがーさまざまな起源で
成り立ちますが、基本死体です、死そのものです。
役処としては生に嫌がられて打破されないとならないわけで、
なるほど、走ってきたりなんか生えてきたりそれも
象徴としては脅威が増してイイ演出なのですが、
真っ向から否定して倒すしかない、というゾンビは違うのです。
先に言った死の象徴、ゾンビというのは「隣人としてああはなりたくないなァ」
みたいな存在でなくてはゾンビ起用としてはダメです。
ただの隣人ではなく、象徴として近づく死として。
それは前述に置いた「相対的」な存在の意味合いが主ですが、
同時になにかしら隣人的な愛着や魅力もあって、
嫌だけど倒さなくちゃだけどなにかしら背景があったり
こだわりの良心があったり倫理だったり、
生者が躊躇なく破壊していくまでに葛藤するには
しっかり死者である造形と把握する間が必要であって。
じっくりと嫌なカンジに、退廃や腐敗を意識させ、
文字通りに人間の中身を見せてくれる存在、それこそゾンビです。
作りに感じるところでは、あまりスリルやスピードを作品に存在させると
気が散って熟考できないのも余述しましょう。
古いゾンビ作品にはこういった死の侘び寂びや
社会的に投影して気兼ねしたくなるようなストーリーが多いです。
やはり「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」はその点で外せませんが、
「ドーン・オブ・ザ・デッド」(動くと速いですが観察する間が多い)なんかも
稚拙な文でボクの言わんとしてるあたりですね。
近く「青春ゾンビ」なんてのがあって、こういったゾンビがゾンビ設定で悩みながら
ラブロマンス的イイ話をしてくれそうなんで楽しみです。


ふとこう綴ってなるほど自分のなかでは固い狭義的なもの言いで
言ってしまえば「存美」みたいな思想的ゾンビ論です、しかし
アレもこれも語りたいナと考えるに、もう少しゾンビを愛するというか、
淫する場面もありますよね、という部分。
まァ堅物に語っておいてもどうしても悪趣味を楽しんでしまう節もあり。
ユーモアとしてあるいはマジメにやったのにどうしても笑ってしまうような
ゾンビ映画も多々あります、エンタメに観るならコッチだろみたいな。
今見ると「バタリアン」シリーズなんかもギャグっぽいノリですが、
「死霊のはらわた」シリーズもパワーある画は時に笑えます。
はらわたはリメイク版がスゴそうで楽しみですが。
ボクとしてはゾンビ嫌いにすすめたいのが「ショーン・オブ・ザ・デッド」ですか、
中盤までゾンビって楽しいのねムードが楽しめますし、返しラストの
これがゾンビですがッ!と言わんばかりの描写がコントラストの効いた一作品
だと思います。ゾンビ映画って「なんだかねヲチ」が多くてどうしても
そこで垢が付くのですが、この作品ではエピローグがちょっとイイハナシで
そこがまた個人的にススメられる点です。
また、オモロイゾンビというか、ガッカリゾンビも量産期が多かったのですが、
中には「ゾンビハネムーン 大鎌の餌食!」やら本気でズッコケたくなるよなカルト作
が多かったのでそういった楽しみ方が出来るのもゾンビならではかと。
大鎌…おおかま…おか…ま!?こういうのも少なからず。
後はヒトさまに薦められたもんじゃないけどボクは好きみたいのでは
「ブレインデッド」や「死霊のしたたり」など。とにかく人体をどうこうモノなんですが
ユーモラスにゾンビと生活したり壊したりである種の喜劇なんですね、
ただしグロが徹底しすぎていてまたそれが芸術的というか。ウップですね。
最近観たものでは「ゾンビアス」、和モノですね、コアなファンは多いと思います。
「アス」は。そう、ケツみたいなソレですね、赤より茶が多いです、そういう作品。

ええと、ハイ、

まーもう打っててキリが無いのですが、とにかくゾンビ題材というのは、
恐怖による刺激の他にもカタルシス分にモノのあり方、倫理や徳ですか、
の他にも笑いや癒し、美や毒があるものばかりです。
ただし、どれも最初にホラーで言った「相対的」な着目や発想があってこそ。
純粋に「怖ええ!」「キモッ!」「ゾンビ死ねッ!」と消化するのも正解だと思います、
ボクもまだ只刺激に愉しんでしまっているフシが多いのですが、
時には試聴後に本当に癒されたり、身を詰まされたりした場面が
多いのがボクにとってゾンビ映画なのです。
案外映画趣味の方にはそういった観点で語れるゾンビが
一本あったりするんじゃないでしょうかね。

とりあえず痴雑に語りましたがそんなこなで
ボク的にはゾンビやホラーを好きだというカンジですか。
またネタ無くなったらやるかもですし嫌がられたら止めときますです
ではではまた来週もゾンビのごとくやってますのでではでは。。



























ゾンビに因んでレイレイ一枚。
青好きのボク的にはキョンシーの青い肌ってイイですね
と思い塗り、真っ当に考えると死肉はいろいろムリが祟るので
ガチゾンビ娘にしなくてよかったですねという冷や汗。


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