夢姫 2020/08/09 04:01

鬱病のメカニズム(勝手な解釈)

鬱になるのは、無理をしすぎた結果。

喜びや達成感 < ストレス

これが何度も続いて、穴を作ってしまった感じ。

最初はだれでも、美味しい物を食べたり、好きな事をしたときに、なんか体をこう、「ん~~っ♪」なんつってぶんぶんしたり「おっしゃー!」と叫んだりガッツポーズしたりしてたはず。

これの喜びがだんだん薄れていく。それでも頑張ろうとする…そしてドボンだ。

こうなるともう、立ち直るのは無理。

楽になる方法は 自分が模索中だけど…

1.周りの批判に耳を傾けない

が…絶対に妄想ではない(かもしれない)
批判は聞こえてしまうので、なるべく人と関わらない

2.情報もあまり見ない方がいい。
自分の殻に閉じ籠った方が、実は生産性は上がるかもしれない

元はどうか知らないが、どちらにせよ思考型の人間であり、目についたものや気になったもの、今回のアメリカと中国などの世界情勢…日本の状況、そう言った事が全て毒になってしまう。

3.思考のループを何とかする

このループがまたきつい、止めても止めても気が付くと考えている

良い事を考えるならまだしも、嫌な事を考えてしまうのである。
所によっては、良い事さえも毒になる。安静が一番なのだろうが…

同じことを延々と、答えも出ない事を、もしくは相手がいないと出ない事やどーしよーもない過去の事を延々とループザループさせる。

これがまた自分ではどうしようもできない

私の場合は面白い事に、レースゲームなどは好きだが、スピード恐怖症である。
自分の力では止めようのないものにすごい恐怖を抱く、あと遠心力恐怖症でもある。

回転するものや、昔公園にあった、なんか丸い回転するジャングルジム、コーヒーカップや遊園地にある船の奴など、想像するだけで頭がふらふらする。ふらふらどころか、吐き気を催す。

にも拘らず…思考すると止めることができなくて、苦痛に悶えるのだ。

考えてみると、嫌な事やダメな事を 克服しよう としているのだと思う。
アレルギーのような物は克服する物じゃないだろ?…と思いはするが、戦おうとするのである。

更に言えば…私は熱が体にこもる。平熱も37.0ほどある。
暑いのにすこぶる弱いので、暑い中15分もいれば、丸一日頭痛とお友達にならなければならない…これにも病名が付けば楽なのだが…。

良くも悪くもクソ真面目だ。諦めを知らない馬鹿なのである。
そして真面目と狂気は紙一重だ。

よって、鬱になった人は、皆一様に頑張ってきたのだと思う。

頑張らないで諦められる人は、鬱というよりは…無気力になる。

鬱は燃料切れでエンジン焼き付いていて安静が必要なのに尚戦おうとする英雄的思想に近い

お前は一体何と戦っているんだ?であるが、完璧主義であり、仕事でもなんでもそれが残っていると気になって、どんな状態になっても最後までやり続ける…所謂、燃え尽き症候群に近いものがあると考えている。

もはや燃え尽きているので、学習能力とかそういったものが崩壊している。
で、プライドは高い為、それでもやろうと、本やハード、ツールなどを無理して買ったり揃えたりして…それでもできない自分を更に精神的に鞭打つのである。

マゾなのか?マゾなんだろうな…

よって、せめて自分だけは、自分に優しくすべきだ。

見返してやろう…その気持ちが強いのだろう。

哀しい程に素晴らしく悪循環である。

その癖、一度捨て去ったものに対しては冷徹なほどに冷める…

しかし、中々捨てられない。

車のシフトチェンジのように簡単にはいかない

どういえばいいか…巨大なヤスリの上を裸で這いずっているような状態…あそこに行けば楽になれると頭ではわかっているのに、少し進むごとに途方もない苦痛を伴う。

普通の人間は立って歩けるので別に痛くもなんともない…そんな人間にその程度もできないのかと嘲笑われながら、怒りやら悲しみやら不甲斐なさやら様々な感情が削られてすり減った体にのしかかり…本当に亡くなってしまう人もいる。

例えるなら、そんな感じだろうか…。

どうすれば…それが解れば、医者も患者も苦労はしないが苦しいのでよく考える…。

とりあえず、思考のループと他者を気にしない事が一番大切だと思う。
自閉症の人間が自分の殻に閉じこもる理由も似たようなもの…かもしれない。
(自閉症は殻に閉じこもるとかそういったことではないと書かれてはいるが、外界からの接触を拒み、自分の好きな事に極振りするタイプもいるかもしれないと、よく考える)

どちらにせよ、医者や国がお前は病気だ。福祉も受けさせてやる。加算分もつくぞ。証明に緑の手帳をくれてやる。仕事はいいから治せ(日本の企業は聳え立つクソが多いのでもう嫌なのは事実ではある)そう言われているような状態なのに、あまりうれしくないし、何よりも、したい事ができない…頭が体が覚えてくれない…とても痛いし哀しいのだ

尚私は、只の鬱病ではなく手帳更新時の診断書では下記の病気とされている。
この統合失調型パーソナリティ障害と双極性障害の合併症だと書かれていた。

https://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム/10-心の健康問題/パーソナリティ障害/統合失調型パーソナリティ障害-stpd

アニメNOIRで
人を殺せる。こんなに簡単に…人を殺しても哀しくない事が哀しい
というセリフがあるが…
好きな事をしている。できる環境をもらった。なのに楽しくない事が哀しい
という状態である。
(霧香の落書きでも描いて出せるとかできりゃよかったぜ…我ながら芸がない)
できる環境を手に入れたのに、その時にはできなくなっていた、ともいえる。

言った所で詮無き事かもしれないが…同じように激痛と筆舌に尽くしがたきあの、嫌な胸のあたりが詰まって締め付けられ、頭がおかしくなりそうな…言葉にするのがやはり難しいが、鬱の波に耐えている人がいるなら…死ぬまでお互い生きれるか…頑張るとかではなく やってみようかな 程度で行って見ないかなと、黙っていても寿命はくるし、なにより、苦しみぬいている最中なのに、死ぬ時まで苦しまないといけないのか?と言いたいのが強い。

こんなことを言っているが、鬱の穴は埋めることはできるが、完全には埋まらない。
良くなった人は生きる希望が溢れると言うが…信じられない。

穴を少し盛り上げて、元の零のラインに戻すことはできるが、深い穴は開いたままで
ふとした理由もないきっかけでいきなり落ちる。

その反動で…自死をする人もいるのだろうと考える。

世界中がその人を死んで当然の弱い奴だと言っても、私は粘り強くよく戦った人だと讃えたい。

そんな人でなしばかりではない事は、頭ではわかっている。頭では…。

また同じような事を書くだろう。

自分の生きている証のようなものだ。

いつか死ぬ自分自身の為の…なにかこう、共感を覚えてくれる人がいると良い

共感を覚える人間は、少ない方が良いし幸せなのかもしれないけどね。

そうそう、付けたしだけれど…誹謗中傷とか色々ネット情報みてしまい、感情が左右される度々に思うのだけど

視野とか見える世界は狭い方がいいんじゃないかっていう逆説

広い目で見れる人は良いけれど、アンテナが敏感すぎて情報を制御できない様な人や、過敏で感じやすい人はそういった刺激を受けるようなことは避けられたら避けたほうがいいと思う。

けど、一度癖になったり、気になってしまったりしたら…中々抜け出せない…

だから無暗矢鱈に視野は広い方がいいというのは、どうなのかと思うんだ

自分が他と違う事を知らなければ、他人が自分の事を噂していると知らなければ…明日世界が滅びることを知らなければ…これって幸せかどうかはわからないけれど…不幸になる確率も低くなるんじゃないかなって考える。

知らない事を 知らない のもまた大切 人と付き合わないから迷惑だってそんなに掛からない。少なくとも上司とか部下とか組織とかに関わっている人よりはね。

殻に閉じこもるのって、すごく大事じゃないかなって思うよ。

それは決して弱い事じゃないし、人の迷惑って言うと気にしすぎちゃうかもしれないけれど、その迷惑っていう人もこちらにとっては迷惑になりかねないと言う事を考えてない人かもしれない。

生活保護のお金でパチンコとかもそうだけれど…それを他人がどうこう言う権利はない。
そういわれるのは自分で稼いだお金じゃないからだから、周りの言い分もわかる。
けど、それを過度に気にしちゃう人もいるんだ。

「美味しいな…これ昔から好きだったんだ…けど、いいのかな、こんな私が贅沢して」

そうやって、いいのかな?いいのかな?これでいいのかな?って考えて、好きな事をしていても、楽しめなくなっちゃう。そのままだと間違いなく、死ぬまでよくならないし、非常に苦しい思いをしながら生きなきゃいけなくなる。

「自立できないカス、自分で生活のできないクズだ!そんなゴミには当たり前の罰だ!」
なんていう人は僕とはかなりタイプが違うし、正直目の前にいるとなんかしたくなっちゃうから、別の世界の住人だと思うことにするよ。

それにさ会社の助成金は税金とかでしょ?それはよくてあれはダメっていうのは、ちょっと気を付けないと自分の首を絞めちゃう。散々文句言ってたのに、いざ自分がそうなったら悪びれもせずっていうのは、流石にかっこ悪いでしょ。

自分の家なら何をしていようが勝手だ。自分のテリトリーなのだから…そこに踏み入ってとか、そのテリトリー内にいるのにその人の事を否定するのは中々すごい…何かの拍子にお互いテリトリーを犯されたと思うのかもしれないけれどね。

ネットや社会の波の中だときついけど、それ以外の自分だけの空間なら、自己中心的になってもいいとおもう。その為にはある程度、独りになる必要性が出てくる自立できてないっていう人も、生活費は援助してもらったりもいた仕方がない。
この世界に生まれて、現状の社会に適応できなかったのだから…社会が責任を

なんて事も知らなければ考えないで済む。
ゲームやアニメや映画の世界がなぜよく見えるのか…描いている世界が部分的で狭いからなんだよ。あるキャラクターの人生に焦点を当てている。それって、視野を狭くしているって事だと思うよ。

それでも、世界の情勢や色は見えてくるんだ…すごいよね?

物語の中で、何も知らないキャラがいなくなっても別に気にならないけれど、そのいなくなったキャラが実はこんな人で、こんな悩みをもっていて、実は誰かの救いになっていたとか…わかったらすごく感情移入してしまうでしょ?

そんな人がゴミのようにリンチされて殺されたら?ホームレスだったからってさ。

世の中ってそんな感じに近い。 ”必要のない人間なんていない” 言葉では理解していても、感覚とか感情、意識としてはできてないし、相性もあるし、まず無理、できない。
全ての人にそんな慈愛を注げるなんて人は見たことないし、現実ではいない。

人間は村規模の少人数で戯れてるのが良くて、人口も少ない方が幸せかもしれないし、狭くても大変な視野を広げたら、更に大変になるのかも…。
そう考える人もここに一人はいるよ。

それに、キャラクターもなんか戦ったりしてるけれど…基本的にはすごくのんびりしてるじゃない?一日を椅子に座って読書とか、お茶飲みながら談笑とか、音楽聞きながらぼーっとしてるとか…。

まるで隠居生活。そんなのでいいとおもう。出来なきゃいけない事が多いから、つい混乱しちゃうけど… できなくてもいい やらなくてもいい そんな風に肩の力抜いたほうがいいかもしれないよ…本当に好きな事なら、勝手にやりはじめるから心配しなくていい。

勿論、それが許される時代や情勢じゃないのがわかってて言ってる。
時代に合わないって、こんなに苦しいのかとも思うし、今の時代だからこんな自分でも生かされているんだとも思う。どちらがいいのか、わからない

苦しいし、痛いし、辛いよね。だったら死ねばいいのにって言われたこともあるし、自分でもそう思うときもある。

それでも、時間は平等に過ぎてゆく。僕たちを非難したり否定した人も、そんな人たちに「なんでそんな事言うの!」と反論してくれる人も、勿論僕たちも…みんないつか死ぬ

死ねることって…素晴らしいと思う。

なんだか別の感情がでてきて 長いポエムのようになってしまったが…病死とか事故とか自死とかでなく 自然に寿命で死ねる事 のありがたさは何物にも代えられない価値があると思っている。

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