友達との会話で
昨夜友達との会話で色々話したのだが…3人で話したのだが、一人は一応の健常者、もう一人はうつ病だ。
二人はウマ娘などをしていて、ソシャゲが多いがそれで目線逸らしができているという。
自分とはタイプが違く、私の場合は深淵を真っ正直に見て目を逸らすことができなくっている状態に近いと思っている。
うつ病の人は、目線逸らしができなくなったら死ぬしかないと言っていた。
その話の中で、健常者の方はよく、絵の事などでもTVとかで見たことを引き合いに出すのだが、動物もうつ病になるという話をしていた。
猫や犬などの人間に近しい物はなると聞いていたが、大自然の動物も子供を失ったりするとなるらしい。だがそれが、鬱状態なのかうつ病なのかはわからないそうだ。
というか、うつ病に罹ったらその動物から間引きされていくのでデーターが少ないらしい。
この友達はアニメもよくみるので、よく私の事を、衛宮士郎と同じことをしようとしているとか、契約をうけれなかった、余計なことに首を突っ込んで死んだままの衛宮士郎だという
本人も色々とあって壊れていると言っていたし、自分もこの友達に色々な目にあわされた…。
諦めるというか期待しない事とか、その日の飯が食えたら幸せだと思う事にしているとのことだ。それができるのがすごいとおもうが…。
うつ病の人もまた同意見と言うか、この二人はタイプが似ていて、自分はウマ娘が楽しいと感じられなかったが、尚私自身は競馬は好きで小学生の頃にナリタブライアンを見て以来競馬ファンであるが…今はそれさえも楽しめないでいる。ただ、福祉を受けていなければ、それで尚且つ金があったらアーモンドアイの一口馬主になっていたであろうことはある。まぁ、当時の一口馬主の応募用紙をもらったらそこに、体が柔らかくすでに風格が出ているというようなことが書かれていたのもあるし、母親がフサイチパンドラだったのもある。ロードカナロアが父親だ。フサイチは金に物を言わせて良血をそろえているのでその子供には期待ができると思っていた。
話が逸れたが、この二人は本当にタイプが似ているのだ。目線逸らしもそうだが、スルースキルとか嫌な事は考えないようにするとか、忘れるとか無かった事にするとか…そう言った事ができるタイプで、自分とは真逆であり、考え方も自分の様な白黒思想で極端な発想ではないようなのだ。
なんで、話し合っても堂々巡りになるだけで、有益な事はあまりないのだが、なぜそれができるのか?を聞いても、本人たちも多分なぜなのかわかっていないだろう。期待しないという事やできないことはできないと受け入れる事などもそうだが…健常者の方は直感で、あ、これだめだと思ったらもうやらないらしい。
うつ病の人も自分はやらなきゃいけないと思う事もできないから、と言っているがそこに罪悪感などはないのだろうかと思うが、多分ないのだろう。無いというかそれさえも逸らしているというか…。
藻掻くことをやめた二人と、いまだに藻掻いている私との違いだろうと思うが、藻掻かない方が楽だからと言うようなことも言っていたように思う。
なぜ、こうもタイプが違うのに友達でいられるのかと思うが、健常者曰く、もっと酷い奴を見たことがあるからだそうだ。まぁ、自分よりひどい奴は仰山おるでな。それはわかる。
あとは、自分、つまり私よりも酷い状態の人を見たことはあるかと聞かれたが、無いと答えた。ここまで楽しみもなく、才能もなく、幸せを感じられず、マイナス思考の白黒思想の人は見たことがないが共感はもてるかもというと、それ以上の人はそもそも共感を求める事もしないと言っていた。
ただ、この3人に共通することがあるとすると、長くは生きていたくないという事、死ねるならさっさと死にたいということは共通しているところだ。
この健常者の友達とは、ゲーム制作をしようとしてとん挫したことがあるが、絵も偶に描くらしいが、うまくなりたいとか向上心はなく、あ、これ可愛いなと思ったら真似て書くだけのようだ。完成までもっていっているのか?など思う所あるが、所詮趣味の範囲だと本人は言っていた。プロになるとかは別次元の話だとも、要するに無理とかヤダと思ったらやらないんだろう。
自分を救えるのは自分だけなのだろうか?ネットや人に意見を求めても、それができたら苦労しないで終わってしまう事の方が多い。というか、それ以外なかった…。
となると、やはり自分で何とかするしかないのだろうと思う。
ロールモデルはないし、白黒思想もどうすればそうならないようにするかもわからない。
わからないことだらけでうんざりしてくるが、それがなくせないと生涯このままだろうとも言われたし、自分でもそう思わなくもない。年を取れば変われる可能性すらもないのだ。
頭の中の絶影は、ただ物語を書けばいいという。
ノベル形式でも文章としてでもいいから書けと…絵がダメなら諦めて、文章だけの物でもいいじゃないかと…。
そんな簡単に割り切れないと体は反応するが…10年かかっても完成させればいいじゃないですかとアレスも言う。
それじゃあ、書けない物語の方が多くなると、また体が反発するが…じゃあ、できるのか?といわれると、もう、すでに燃料切れなんだよなぁ…。
戦うのをやめた人間といまだ戦おうとしている人間…真理はどこにあるのだろうか?
自分はただ世界中の人たちが幸せであってくれたらそれでよかった。
その中に自分を置き忘れた気もするが、争いもなく、競争もない世界、みんなが笑顔な世界…言ってる事とやってることが真逆だとも言われたが、望んでいることはそれなんだ。