火村龍 2021/09/12 05:56

【短編】発情変身 ~触手に敗北する聖なる戦士~ 1/2

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「そこまでよ!」ユイは鋭くいった。「その人から離れなさい!!」
 深夜の、街外れの広場だった。あたりにはまばらに雑草が生え、広場の三方を背の高い木が囲んでいた。そこには異様な雰囲気があった。生き物の気配がない。木々は風を受けて揺れているが、葉のこすれるざわめきがほとんど聞こえてこない。ひどく蒸し暑く、澱んだ空気には不自然な重さがある。そして夜中にもかかわらず、紫色の光でぼんやりと明るかった。
 ここは現実であって現実でない場所だった。
 魔物の結界が展開されていた。
 ユイは宙高く跳び上がり、彼女とそれのあいだに着地した。背後を警戒しながらしゃがみ、彼女を抱き起こす。若い女だ。歳はユイとほとんど変わらない。会社帰りだろう、ダークグレーのスーツに薄い黒のストッキングをつけ――転んだ際に、ストッキングはあちこちが破けていた――、黒いパンプスを履いている。可愛らしい顔だちだった。目が合った。おとなしそうな瞳の奥に、魔物が好みそうなエナジーが見て取れた。
 間に合った、とユイは思った。彼女はまだ意識を保っている。淫気の侵蝕はほとんどなく、エナジーを奪われてもいない。よかった、とユイは思う。ほんとうによかった――。
「だいじょうぶですか」ユイはいった。
 女は頷いた。視線が何度もユイの背後に向けられた。
「見てはだめです。ここは危険です。あの光の中へ――」
 ユイは彼女の背後を指した。数メートル先に、淡く輝く光の輪があった。ちょうど人がひとり通り抜けられるくらいの大きさだ。
「ここから出られます、走って!」
 女の背を押す。ホーリーグローブに満ちたエナジーを癒やしの力に変え、彼女の中に流し込む。女は走り出した。
「振り返らないで!」ユイは鋭くいった。
 女はユイのつくった光の輪に飛び込んだ。もう心配は要らない。彼女は魔物の結界から抜けだした。エナジーも渡したし、光の輪の力もある。破けたストッキングも汚れたパンプスも元に戻っているし、なにがあったかを覚えていることもない。
 あとは敵を倒すだけだ。
 ユイはそちらに向き直った。
 異様なものがいた。ミミズのように手脚も顔もない紐状の身体、ナメクジのように粘液を分泌する皮膚、それが蛇のように頭部をもたげて様子を窺っていた。大きさはまちまちだが、いずれも一メートルは超えている。数は七体だった。が、地面が隆起すると、地中からさらに二体が現れた。
 触手である。闇の中より現れ、人々がその身に秘めたエナジーを狙う魔物である。淫気を放ち、獲物を快楽に狂わせ、エナジーを吸収する。触手は魔物の中でも力の弱いものではあったが、その触手ですら、普通の人間では太刀打ちできない力を持っていた。
 しかしユイだけはちがった。光月優衣であればどうしようもなかった。しかしいまのユイは光月優衣ではなかった。
 ユイの身体はぴっちりとしたコスチュームに包まれていた。首元から股間までを包む黒いアンダースーツに白いスーツを重ね、腰の下には、股間を隠せるだけの短いスカートをつけている。そして腕には、二の腕まで包むアンダーグローブの上に肘までの白いグローブをはめ、脚は太ももにきつく食いこむ黒のニーソックスに、膝下までの白いロングブーツを履いていた。このブーツがなにか特別な意味を秘めていることは一目でわかった。ブーツの履き口のところに、楕円形の蒼いクリスタルが輝いているのだ。そして胸元には同じように、ハートの形をしたクリスタルが淡い光を放っていた。元は黒かった長い髪は金色に変わっており、頭の後ろには大きな白いリボンがついている。瞳もクリスタルと同じ色に染まり、クリスタルと同じように、暗闇の中で輝いて見える。
 ユイは変身していた。
 ユイはロングブーツのかかとをぴったりと合わせた。つま先をわずかに広げ胸を張る。白手袋の手を腰に当て、触手たちをにらみつけた。
「欲望のままに蠢き、罪なき乙女のエナジーを狙う魔物は、このわたしがゆるさないわ」力強く叫び、右手をピッと伸ばし触手たちを指さす。「闇を切り裂き、人々の愛と希望を守る聖なる戦士! ホーリーナイトユイ、ここに参上!!」
 これが光月優衣のもうひとつの姿だった。優衣は胸元に輝くハート型のクリスタル――ホーリーハートで変身し、魔物と戦う戦士なのである。

 触手たちはユイの前方に展開し、次々に襲いかかってきた。どの触手も、分泌した淫液を身体中に纏っている。先ほどよりも欲情が強くなっている。淫液の濃さからもそれは明らかだ。ホーリーナイトユイが発するエナジーに昂奮しているのだ。
「むだよ!!」ユイは力強くいった。
 蒼い瞳が触手たちの動きを正確に捉える。先陣を切るのは二体の触手だ。一体は正面のやや右手から、もう一体は左手から、わずかに時間差をつけて飛びかかってくる。ユイは前に出た。一体目を身体をわずかに傾けかわす。左脚を軸に身体を回転させ二体目もいなす。背後に回り込んだ三体目が仕掛けてくるが、ユイはそれもわかっていた。触手の放つあからさまな淫気を、頭部のリボンが感知しているのである。まるで見ているかのように、脳裏に三体目の姿が浮かんだ。ユイはしゃがんで横に跳んだ。
 ホーリーナイトユイの動きは速かった。だがその動きには無駄なものが多かったし、ユイが一切の格闘技をやっていないどころか、運動自体それほど得意でないことも明らかだった。それにユイ自身の体つきも戦いに向いているものではなかった。どこもかしこもむちむちとしているのだ。そのせいで密着スーツはどこもかしこもパツパツに張り詰め、ユイが動くたびにあちこちの肉が踊るように揺れ、スーツの光沢が艶めかしく蠢いていた。
 だがそれでも、ユイは十分に魔物と渡り合うことができた。
「むだよ」
 距離を取り、再び両脚を揃えて触手たちをにらみつけると、ユイはもう一度いった。
「あなたたちではわたしを捕まえることなどできないわ。これは、あなたたち魔物の邪悪な淫気を弾き、あなたたちを討つ力を与えてくれる聖なるコスチューム。そして、わたしの心が燃えている限り、ホーリーナイトユイのエナジーは尽きたりしない――」
 そういいながら、その声は力強く――不自然なほど――、ますます力強くなっていった。頬が上気し、瞳がさらに輝いた。腰に手を当て胸を張り、右のホーリーブーツのかかとをわずかに持ち上げポーズを取る。豊満な胸が揺れ、太ももがぶるんと波打つ。と、触手たちが身体を震わせ、一斉に跳びかかってきた。
「とおおぉぉぉっ!!」
 両脚をつま先までぴったりと揃えると、ユイは膝を曲げ跳び上がった。五メートルを超える跳躍で触手の群れを飛び越え、跳躍の頂点で宙返りしながら身体をひねって反転し、両脚を揃えて着地する。肩にかかった髪を払い胸を張る。
 触手を見据えるユイの頬はさらに赤みを増した。わずかな間を置いてから、ブーツの脚を肩幅に開き、やはり素人のそれを隠せない、やや不格好な構えを取ると、凜とした――しかし、いつもに比べて少し大袈裟すぎる――声でいった。
「こんどはこちらの番よ!」
 地を蹴り、触手たちに飛びかかる。一体の触手がいち早く反応し、群れから抜け出てユイを迎え撃つ。触手とぶつかる寸前、ユイは身体を反らし横に回り込んだ。触手は対応できなかった。宙に浮いたまま、無防備な身体を晒した。
「受けてみなさい、せやあぁぁぁっ!!」
 ユイは叫び、指先までピンと伸ばした左の手刀を叩きこんだ。

 ホーリーナイトユイが纏うコスチュームは、ユイ自身のエナジーでつくられたユイのためのコスチュームだ。変身と同時に活性化したエナジーが、ホーリーハートを通じてコスチューム全体に満ち、魔物の力からユイを守っていた。普通の人間であれば、魔物の結界で戦うことなどできない。逃げ続けることすらできない。結界の中に充満する淫気で身体が熱くなってしまうし、魔物自体も淫気を鎧のように纏っている。そして魔物の分泌する淫液に触れれば、それが手だろうと脚だろうと、異様に敏感な性感帯と化してしまう。この力には、ホーリーナイトユイであっても、コスチュームなしで抗うことは難しかった。むしろ、魔物と戦えるほど身体が強くなり、エナジーも活性化した変身時の方が、変身していないときよりも苦しむ危険すらあった。このコスチュームを纏っているから、ユイは淫気の中で魔物と戦うことができた。淫液の中に踏み込むことができた。コスチュームはホーリーナイトユイの要だった。コスチュームはユイの女の身体を守る盾だった。それだけでなく、魔物を倒す剣でもあった。
 ユイの意志に応じ、ホーリーハートが左手にエナジーを送り込む。グローブに満ちたエナジーが魔物を討つ力に変化し、手刀に集中する。それはユイの得意技だった。通常の魔物にも十分なダメージを与えられるこの攻撃は、触手であれば一撃でその身を切り裂いてしまうほどの威力を誇るのだ。
 その手刀がいま、完璧な形で触手に撃ち込まれた。

「なんですって――」
 ユイは囁くような声でいった。
 ホーリーグローブで打たれた触手が、地面に転がり身をよじっていた。手刀が当たったところからわずかに煙があがっていた。しかし、それも少しのあいだのことだった。触手はすぐさま起き上がり、じりじりと下がって再び襲いかかる構えを見せた。
「効いてない――!?」
 背後に気配を感じ、ユイは慌てて身をよじった。触手がスーツの脇腹をかすめた。わずかな接触だったが、触手が纏う淫気がスーツを侵そうとする。ユイはどきりとした――いいえ、なんともないわ。このくらいの淫気、ホーリースーツには通じない。それよりも攻撃を――。
「ホーリーチョップ!!」
 ユイはもう一度手刀を放った。攻撃の力と化したエナジーが触手に撃ち込まれる。触手が纏う淫気とぶつかり粒子が散る。触手は地面に叩きつけられ、ぞっとする動きで身体をくねらせた。しかし同じことが起こった。触手はすぐに回復し、鎌首をもたげて動きだした。
「そんな、ホーリーチョップが効かない!?」
(や、やっぱり――あ、く……ち、ちがうわ!)
 ユイは思わずグローブの両手を見た。手の側面にはぬらぬらとした透明な汁が付着していた。触手の淫液だ。女を狂わせる、粘ついた淫毒だ。
「う、ぅ――」
 グローブを軽く握りまた開く。手に密着した手袋が、ぬち、にち、と小さく音を立てる。
(あ、熱い……? まさか、淫液に侵されているの!? 触手の淫液に、聖なる手袋が――い、いいえ、ちがうわ! ホーリーグローブが淫液に屈するはず……ちがうわ、ちがう! これは気のせいよ!!)
 はっと顔をあげた。しまった――一体の触手が、手袋に気を取られた隙に襲いかかってきている。ユイは目を見開いて触手を見つめた。不意を打たれたが、反応するにはまだ余裕がある。胸がどきどきとして、口の中に唾液が溢れだすのを感じる。――そんなはずないわ! ユイは触手を鋭くにらみつけると、右脚を跳ね上げた。
「はあぁぁぁぁぁっ!!」
 白いロングブーツの脚と、ぬらぬらとした触手がぶつかった。――と次の瞬間、「あっ」と声がして、ユイと触手は互いに弾かれたように離れた。ユイはよろめき、触手は倒れた。しかし、すぐに起き上がったのは触手だった。一方、ユイは唇を噛みしめ太ももを押さえた。ホーリーブーツの足首に、触手の淫液がべったりとへばりついていた。
「ホ、ホーリーブーツが……」
 淫液が付着したところが熱い。グローブと同じように淫気の侵蝕を受けかけている。だがそんなはずはなかった。ホーリーブーツはユイのコスチュームの中でもとくに力が強いのだ。触手の淫気はおろか、淫液の溜まった中に入っても、ユイの足を守ってくれる自慢のブーツのはずなのだ。
 淫液が、ねっとりとブーツを垂れてゆく。どろどろとした、半透明の汁が足首のしわに達し、しわのあいだに広がってゆく。(なんて穢らわしいの……)ユイは淫液を、瞬きもせずに見つめて思った。どろどろだわ。わたしの聖なるブーツに、こんな穢らわしいお汁が……ブーツが、ホーリーブーツが汚れて……。
(この変身……)その言葉が、ふと胸の内に生まれた。ユイははっとして叫んだ。(くあぁぁぁ、ちがうわ! わたしは、わたしはホーリーナイトユイよ!!)
 ユイは太ももから手を離し、再び構えをとった。触手たちはユイの前方に扇状に広がっていた。鎌首をもたげた触手たちが、汚れたグローブやブーツを見て笑っているような気がした。
「くぅっ、ばかにしないで!」ユイはかっとなって叫んだ。「このていどの淫液、ホーリーナイトユイには通じません!! はあぁぁぁぁっ!!」

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