しゅれでぃんがー 2020/02/10 21:00

とらドラに見るリアリティー

 作品についていけなくなる瞬間、というのがある。楽しくあの手この手でギャグをやってくれているのに、不自然すぎて受け入れられない。そして冷める。そんな感覚に苦しんだことがある。何故そんな風に感じるのだろう、と考えてみた。その答えは、リアリティーにあった。

 たとえば、アンパンマン。アンパンが空を飛んで首をすげ替えたりパンチしたり。登場人物もみんな食べ物。そういう世界ならパンチ一発で山の向こうまで飛んで行っても冷めたりしない。そういうものなんだろう、と受け入れられる。ドラえもんやキテレツ大百科はどうか。未来の猫型ロボット、奇天烈斎の子孫。だからとんでもない道具や発明品を出してくる。説得力がある。ギャグとは、そういう「不可思議なことが起こることの背景」によって支えられている。普通の世界間でいきなり四次元ポケットなんて出されたら興ざめだろう。

 その辺のバランス感覚が良いのは高橋留美子氏である。『らんま1/2』なんて職人芸である。『うる星やつら』ほどぶっとんだ世界間じゃないのに、破たんなく世界を構築している。入ると謎の効果を受ける温泉、謎の戦闘力を持つ登場人物たち。でも違和感が無い。絵のデフォルメ具合にも支えられているのだろう。氏の作品は仕組みもしっかりしていて、毎回ヒーローとヒロイン、そしてちびキャラ(テンちゃんとか八宝斎みたいなの)が配置されている。形はほとんど一緒である。でも毎回違う。技術が光る。

 『うる星やつら』はお手本だ。ラムちゃんからして既に宇宙人なので、それがアリならめんどうしゅうたろうみたいな金持ちキャラも存在が許容されるし、町を破壊したりしても次のシーンで治っていていい。だって、そういう世界だし。

 逆に、時代に許された作品などもある『シティーハンター』はその辺がぎりぎりだった。ハードボイルドだけどもっこり、何処からともなく現れる100tハンマー。あれは今連載されたら流行らないだろう。創作文化がまだ成熟していないからこそ存在できた作品である。


 しかし、こういうリアリティーの補強や調整をせずに、突飛な描写をする作品が最近はちらほら見る。そしてそういう作品は、だいたいが閲覧に耐えられるもので無くなっていく。そんなことありえないだろう、という作品への冷めた目線が育ちすぎて、物理的に脳が受け付けなくなるのである。わたしにとってそういう作品が、『とらドラ』であった。

 ヒロインである大河は窓を割るし木刀で脅迫するし。殴る蹴るの暴行もする。家は金持ちである。まあ、そういう設定もアリだろう。しかし、世界間としては現実準拠の道徳というか、モラルというか。特殊な行いを許容する世界、というのを構築できていない。普通の現実世界みたいな世界間の中で、現実だと犯罪のような行為を繰り返すヒロイン。これを見せられ続けていくと、やはり心が苦しくなってくる。なんでこんな精神異常みたいなヒロインが、警察に捕まらずしかもヒーローの好感度も高くなっていくのだろうか? 理解ができない。脳が受け付けないのだ。

 キャラ立ての為にすぐ脱ぐキャラにされた親友ポジションの男。魅力的だった読モヒロインや元気系ヒロイン。でも、ただ一人浮いた存在感である大河によって、彼女らは淘汰されていく。読んでいて悲しくて、途中で読めなくなってしまった。なんでこんな異常な女の子に、彼女ら二人は悲しい思いをさせられなくてはならなくなったのか。


 竹宮ゆゆこ氏は、決して巧みな書き手ではなかった。本人はシリアスが描きたかったのかもしれない。しかし、当時は異常なキャラクターを書かないと売れなかった。シリアスな作風で無理にギャグを入れる、といういびつな創作を続けた結果。全体が壊れた作品を生み出さざるを得なかったのだろうか。勝手な想像だが、わたしは悲しく思う。氏はつらかったのか。それとも別に呵責は無かったのか。苦しんでいなければいいのだけれど。

 商業でやるのはやはり大変だ。


『中二病でも恋がしたい』、というアニメもバランス感覚が崩れたアニメだった。ギャグは面白かったのだけれど、ギャグに対するリアクションがオーバーすぎて冷めてしまった。保健室で主人公が大回転しながら手当たり次第に物を破壊する。ここまで現実的な描写ばかりだったのに、いきなりそういうリアクションされると付いていけない。しかも次のシーンではその破壊が無かったことになっている。それなら別に怒鳴るだけでよかったんじゃなかろうか。

 この作品も、ヒロインが過去に悲しいことがあって中二病に逃避した、という設定を追加したせいでバランスが崩壊した。『とらドラ』と全く一緒である。まあこういう展開にした時点で、タイトルに偽りがあるし視聴者に喧嘩売ってるとも思うのだが。それは言うまい。

 現実的なリアリティーの中で、ギャグ臭いリアクションや謎の異空間バトルみたいなのを映像表現で入れてきたのはやはりちぐはぐだったと思う。


 『リアリティー』とは大切な要素だ。それは現実世界に合わせるべき、というものでなく。『その世界でそういう描写が起こってもおかしくない常識レベルを形成する』、という意味でのリアリティー。それを形成することができて、初めてギャグは成り立つのだ。

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