しゅれでぃんがー 2021/03/15 23:34

見えなくなることば

 先日、APEXというゲームの大会である第四回CRカップを観ていた。前々から噂はあったが、一切の兆候が無かったトナカイト氏がコメンテーターとして参加している。それ自体は驚かなかったが、なんとバーチャルゴリラ氏と白雪レイド氏も一緒にコメンテーターとして参加している。両者は事前練習でも実況枠として練習試合の実況を行っていた。それ繋がりで決まったのだろうか。

 三者ともさすがのトーク力で場を回していたが、特にプロの実況である元朝日放送のアナウンサーだった人の仕切りがすごかった。不意打ちにならないよう、話題の初めに必ず話を振る相手の名前を言う、名指しする。それにより受け手がその話題についてきちんとコメントを考えながら聞くことができる。だから、あー、とかうー、とかで思考する時間が殆ど無い。小気味よく会話が繋がっていく。気が付けば大会終了までずっと視聴してしまっていた。大変面白かった。


 その大会で、かなちーくずというチームが三大会ぶりに復活。炎上で窮地に陥った勇気ちひろ氏が、トナカイト氏とカミト氏の助けにより復活。ついにこの三人がまた揃った。話題性抜群のチームである。当然、切り抜きも沢山上がる。その中で一つ、興味深いシーンを見つけた。

 アンチコメントに傷つくがアンチコメントを消さない勇気ちひろ氏。その理由は、消したら誰もいなくなってしまうかもしれないから。それを聞いた葛葉氏が、アンチコメントに依存している、とばっさり断言したのである。私は感心した。そんな視点を、活動歴三年ほどの人が既に得ているとは。Vtuberをする前から何がしかの活動をしていたのだろうか。


 実際、勇気ちひろ氏は自身を責めたり煽ったりしてくるコメントに対し、傍目から見ても分かるぐらいに過剰な反応をしている。反応するということは、そういうコメントをする人達にも自分を認めさせようとしているということは間違いない。どうでもよければ無視すればいいだけである。それをあえて反応するということは、自身に対して反抗的、敵対的なコメントを、自身を応援して守ろうとしてくれるコメントよりも【贔屓している】ということになる。このことに、本人は気づかない。いや、当事者になると誰だって見えなくなる。自分への敵意や好奇の目ばかりが気になって、それ以外が何も見えなくなる。それ以外の人たちこそが、本当に大事な人たちのはずなのに。

 勇気ちひろ氏は見ている印象だと、メンタルが弱くて余裕がない人である。その理由は(完全なる個人的な想像だが)、遊んでいたゲームが偶然覇権を取ったから今は順調だけれど。これで結果を残せなかったら、いよいよ立場が無くなる。キャラ作り特化の喧嘩芸は一定の人気を得られているが、それ以外の引き出しが全く無い。だから他のゲームをしようにも、喧嘩芸とボケ倒しばかりに傾倒しているせいでトーク力が未発達。ボケに対して突っ込んでくれる人としか組めないし、喧嘩芸に合わせられない人とも組めない。別のゲーム、別の企画に混ざることが難しい。ひょっとしたら、何処にも行けなくなってしまうかもしれない。それゆえに、APEXでだけは何一つ失わないように。過敏になっているのだろう。と、見た感じで私は思った。

 だが、それが逆効果なのだ。


 私は一時期、ワンダーランドウォーズというアーケードゲームでプレイ動画を投稿していた。ニコニコ動画だ。ひたすら黙々と投稿者コメントを付けて投稿していたら、徐々に視聴者がついてきた。三桁ぐらいだったけど。でも、その程度でもやはりアンチは湧く。その時、私も勇気ちひろ氏と同じような状況に陥った。否定的なコメントばかりを気にし、心の余裕がなくなったのだ。しかし、それまでに二次創作小説を投稿することで培われた鋼の精神力により持ち直した。荒らされたタグを全部消して、編集不可にし。アンチコメントを全部BAN(管理者権限で削除すること)したのだ。

 何故消せたのか。それはひとえに、「誰の目線に立ってコメントと向き合うのか」という問題に対して答えを出したからである。妙なコメントをしてくる人間は、当時の私の動画の視聴者数300人の中では5人ぐらいである。と、いういことは。残り295人は、楽しく動画を見てくれているのである。ならば、私がその5人とやり合ってしまったら、残りの295人は「5人とばかり遊ぶ動画投稿者」の姿に幻滅する。好きで見てるのに、中にはコメントで応援する人もいるのに。それらを無視して、たった5人とばかり密接にやり取りするのである。そんなの、観ていて295人の人は面白くないだろう。

 私はコメントを書く5人のアンチより、コメントを書かない物言わぬ295人の視聴者を優先した。だからこそ荒らしコメントを書く人間は問答無用でNGユーザーに突っ込んだし、タグも編集不可にしたのだ。全ては、視聴者に楽しく動画を見てもらうため。私自身のことなんてどうでもよかった。結果的に、それが私自身を守ることにもつながった。

 視聴者数がこれだけだった私ですらこんなにも色々あったのだから、その千倍以上のフォロワーを持つ彼ら彼女らはそれ以上に色々あるのだろう。だが、問題の本質は同じだと私は思っている。


 失うことを恐れるあまり。自分を理解させたいがゆえに。善意であれ悪意であれ、心無いことを言ってくる人間と言い合うのは何の益も無い。大切にすべきは、視聴者が楽しく作品を楽しめる環境。それは、創作物でも同じことが言える。物を作れば、コメントが貰える。だから、荒れる可能性はいつだってひそんでいるし。燃える時は一瞬だ。そんなことになった時の為、コメントに対するスタンスというのは早い段階から決めておいたほうがいい。

 正解というのは無い。あえて言うなら、人によるだろう。だが、私の例を一つ上げるとするならば。【ファンの人々が作品を純粋に楽しめる空間を作りましょう】ということだ。その為には、ユーザー同士のノイズのような言い争いが飛び交うコメント欄にしてはいけないし、作者がひたすら暴言を浴びせかけられるような状況も良くない。どちらも、作品を楽しむことより諍いと作者への憐憫の方が強くなってしまう。そうならないために、環境整備としてコメントの削除を行う。不要なコメントには返信しない。変身しないことに対してごねてきたり返信を催促してきたり逃げた云々といちゃもんを付けてくる相手はブロックする。作者権限を行使することをためらわない。全ては、自分を応援してくれる人たちが、作品を楽しめる環境を守るために。


 目に見えるアンチや厄介なユーザーより、目に見えない人たちこそ大事にしよう。その人たちは、訪問数やいいねの数に隠れている。まずは、その人たちを自分の中に見つけよう。一度見つけさえすれば。もう、見失わないから。

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