しゅれでぃんがー 2022/06/23 00:32

【文字――エッセイ】名称

 同人ゲームの売り文句というのは、いくつかのパターンがある。たくさんの作品を見てきたような気がするが。皆、同じ宣伝文句を使っていた。具体的なデータというと、忘れてしまったので出せないが。だいたいこんな感じだ。



・美麗なCG、グラフィック
・基本CG数〇〇、差分○○、シーン数〇〇など
・想定プレイ時間○○時間
・〇〇なシナリオ
・製作費○○円
・製作時間○○時間
・ゲームが苦手な人の為に〇〇モードあり、全開放あり



 ほぼこれだ。CGのクオリティと多さ、そしてプレイ時間。シナリオの熱の入れ方。そんな感じの文面が、作品ページには書いてある。CG数の多さで売っている作品は注意が必要だ。総CG数500以上、とか書いてあったとしても。基本CG枚数が書いてなかったら怪しい。基本CG10枚、差分990枚でも総CGは1000枚になるからだ。そういう作品は、かなり多い。


 売り文句としてはどれも嘘では無いだろうから、別にそれでいいのだけれど。この中で一つ、疑問に思っているものがある。ゲームの難易度を売りにしているパターンである。エロをさっくり見たい人の為に、イージーモードを用意しました。全開放スイッチを用意しました。それは確かに、ユーザーフレンドリーにはなるのだろう。


 だが、簡単にするということは、ゲームとしての要素を薄まるわけだから。エロを見るために、雑にゲームを流してプレイするわけである。それってつまり、ゲームだけどゲームとして遊ばず、エロを見るためにボタン連打レベルの操作でゲーム内容を消化するのだから。極端な話、そのゲームはゲームとして作る意味がある作品だったのか。そんな疑問が湧いてしまうのだ。


 物語る媒体としてゲームを使っているというパターンもあるだろう。それならば、ゲームの難易度自体はさして重要なことではないので。ほぼのノベルゲーのようなレベルデザインでも別に良いのだろう。ただ、私は。ゲームはゲームとして面白くあって欲しいと思うので。いつしか、そういうことが書いてあるゲームを、ぱったりと買わなくなってしまった。





 イージーモードという名称。これも、製作者の葛藤を感じる呼び方である。既存のゲームでも使われている名称。特に何も考えず使っているということももちろんあるだろうが。これを使う製作者の心理には、無意識の奥底で。自分は遊んでもらえるクオリティのゲームを作った。元々の難易度のゲームを遊んでほしい。そんな想いが焼き付いているのではないだろうか。だから、元々の難易度の下位である、優しいという意味を含んだ単語をモードの名称に使ってしまうのではないだろうか。本当は面白いんだけど、やりたくないユーザーの為に。「仕方なく」、低い難易度を作りますよ、と。そんな葛藤を、モードの名前でささやかに。抵抗が見える気がする。





 呼び方といえば、こんな話がある。





 教員時代、教員評価というのがあった。これは校長とかが文科省に送る資料というか内申書というか。言ってしまえば、教員版の通信簿である。文科省はこれの評価を見て、来年度の教員の給料を決める。これの評価を上げるために、教員は頑張るわけだ。といっても、問題を起こさず何もせず。不祥事を起こさない人間ほど高評価になり。仕事をするがゆえに衝突や問題が結果として起こり、実際にはたくさんの大きな働きをした人ほど、評価の内申点が下がるというよくある欠陥を抱えてるから。くだらない制度だな、と思っていたが。


 これの評価欄。A、A+、S、S+の四つしかなかった気がする。A-とかはあったかどうか……忘れた。が、評価は四段階で、Bが無い。何故無いのか。それは、教員になるような人間というのは大なり小なり自尊心が高いから。B評価が付くとプライドが傷つけられるから、らしい。というのを先輩の教員から聞いた。評価云々では無く、A以下という現実が。自尊心を傷つけるからというだけ。たったそれだけの理由で、A以下の評価が無いのである。


 まあ、それはそれで長年続いてきた制度なので。別にそのまま続ければいいと思うのだが。ゲームの難易度の名称でも、似たような感覚を感じる。イージー、かんたんという名前を付けることで。無意識にユーザーを下げて製作者の自尊心を回復し、護っている。そういう気配が、ゲーム難易度の名称には見え隠れしている気がする。





  ゲームとは何なのか。エロのための付属品か、それともエロを含んだ作品なのか。同人エロゲー業界の向かう先は何処なのか。じつに興味深い。

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