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2019年 10月の記事 (19)

しゅれでぃんがー 2019/10/14 17:40

自分の機嫌の取り方 完成

 創作活動をしていると、誰もが直面する問題がある。「感想が来ない」、「なんの反応も無い」というやつである。よほどメンタルが強いか、そもそも他人からの興味に対しての興味が無い、という人間以外はこれを回避することは難しい。どれだけ斜に構えようと、心のどこかでは気にしてしまうものである。


 私も昔はそういう時期があって、作品を投稿したのに感想数は1~3個しかつかない。PVは一応300はあるのに、と、PVに対する感想数の数に悶々としていた。他の投稿作品はPV1000とか感想数二桁とかちらほらあるのに、と。しかし、よく考えればこの思考のおかしい部分が見えてくる。

 例えば週刊誌の連載漫画へのファンレターと比較して考えてみよう。とりあえずジャンプと比べてみよう。といっても、正確な数字は分からないから検索で調べて見た購読者数200万部という数字を使う。それで、感想とはちょっと違うが、人気投票の応募数なんてどうかな。あれもはがきで送ってるわけだから、まあ読者の返信と考えれば同じようなものだろう。むしろ感想の文面を自分で考えなくていい分感想より多いはずだ。たぶん。

 どうするかというと、購読者数を感想はがきの枚数で割ってみるのだ。この前の『ぼくたちは勉強ができない』の人気投票を思い出したからアレを使おう。先生キャラが学生ヒロインたちを差し置いてトップ取ったんだってね。おめでとうございます。

 閑話休題。

 あの人気投票の総投票数はたしか3000票ぐらいだったっけ? 調べて見よう。え、25755票!? うわぁ~、すごいね。予想の八倍多かったわ。まあ一人でジャンプを何冊も買って送っている人もいるだろうけど。とりあえず額面通りの数で計算してみよう。


2000000÷25755=77.6548243
 

 だいたい77人に一人の人が、感想をくれるという計算になる。これもジャンプという全国規模で販売されている雑誌で、かつ漫画雑誌として広く普及しているからというのを加味してもこんなもんである。これを見て分かるのは、「PV100やそこらの作品に感想がつかないのはある意味普通のこと」だということだ。私の例だったら、100人に一人感想をくれればいい方だとして、300PVで感想数3つというのは適正数。理論的になにもおかしくはないことなのだ。


 しかし、それはそれとして何の反応も無いのはやはり寂しいもので、そんな状態がずっと続けばいずれ虚しさに心が折れる。それが人情というものだ。だから、私は何の反応が無くても平気なように、新しい意識を自分に作った。それが「アベレージ」という考え方だ。まあ、この名称も今ここで書くのに不便だから作っただけだけど。

 現代は便利になったもので、アクセス解析というのがついている。これがあればその日に訪れた人間の人数が分かるし、どの記事が読まれたかもある程度わかる。この数字に注目し、更新するたびに読んでくれる人の数をだいたい把握するのである。私の場合はだいたい20人ぐらいである。街頭で演説しても20人も足を止めて聞いてくれる人なんていないだろう。それが、ネット上ではいるのである。それはすごいことだと思う。

 こんな風に、いつも来てくれる人が今日も来てくれた、数字が増えたらまた新しく人が増えた、そんな風に自分自身で想像してテンションを管理していくのだ。

 DLチャンネルにまとめ記事を投稿しているが、あれも全体の平均PVが50を越えた。ということは、だいたい30人くらいは全部の記事を読んでくれている可能性がある。それはそれで嬉しい事である。数字は嘘をつかない。だから、嘘をつかない物を信じて、自分の機嫌を取るのである。


 現代はさらに便利だ。「いいね」なんてボタンができている。これを押せば記事を読んだこと、その記事に好意的な感情を持っていることを相手に伝えられる。革命的なシステムである。しかし、日本人は小学校の通知表文化のせいで「普通だと反応や評価をしない」ように無意識レベルで刷り込まれている。教育の恐ろしいところである。だが、これではこの「いいね」を活かすことはできない。

 私はこのボタンをかなり気軽に押すようにしている。といっても、押すのが義務のように思ってしまって疲れるといけないから、「押さなければ」と思い込まない程度にだけど。ちょっとでもいいと思ったら押している。これが、記事を書いている人にはけっこう響くものである。

 昔はコメント欄くらいしかなかったので、反応を贈るためにはコメントを自分で考えなくてはならなかったし、その過程で読者と作者お互いに交流のようなものを強○された。それにもいいところはあったが、何事も良し悪しである。反応を返すこと自体が、それなりにハードルが高い行為であった。

 しかし、現代ではこのいいねボタンがそれらの過程と手間を解消してくれた。ボタンを押すだけで好意的感情が伝えられるのだ。何も言わなくても。これを革命と言わずしてどうする。

 Ci-enではいいねの数ランキングなんてのがあるが、あれはちょっと余計だと思う。これのせいで応援の意思という意味合いが薄れ、宣伝の為にいいねを押してください、なんて文言が記事に書かれるようになっている。あれは正直、見た目が汚いと思う。心に与える印象も汚い。

 もし、これを読んだあなたに応援している創作者がいるのであれば。ただ単に記事を読んだだけでもいい。いいねを押してみてほしい。たぶんその人は喜ぶはずだ。そのせいでいいねを押してもらうために無意味な短文記事を書き始めるかもしれないが、そこを乗り越えるのは創作者側の問題である。承認欲求との付き合い方は、創作者にとって学ぶべき必修科目だ。あなたのそのワンクリックが、みんなの心を救うのだ。


 才能にあふれ、こんなことを考えなくてもみんなからコメントがもらえていいねももらえる。そんな人にはこの記事は無意味だろう。しかし、みんながみんなそんなわけではない。

 だから私は、「アベレージ」と「いいねを押すハードルを下げること」を推奨する。自分の中の喜ぶハードルを下げることが、長く健康的な創作活動を支えてくれる。

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しゅれでぃんがー 2019/10/11 22:15

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しゅれでぃんがー 2019/10/10 19:49

文字の著作権

 レビューを書くにあたり、各種情報の確認と収集のため作品や製作者さんのサークルなんかを検索することも多いのだが。その過程でそのゲームの他人のレビューなんかもちらほらと読む。個人的な感想だけど、がっつり内容について触れているものはあんまり見かけない。やっぱり長文レビューはあんまり需要無いのかな、と思ったりもする。


 そんな中で、レビューの中でDLsiteとかFANZAとかの作品ページのコメントレビュー欄。あそこのコメントを丸々引用してそれに関して一言コメントをするという形式でレビューを書いている記事を見かけた。俺はこのレビューを見た時、ちょっと看過できない物があった。それは、「文字を書く人間が他人の文字を無断転載しちゃいかんでしょ」、というものだ。

 文字はどれだけ短いものだろうと、書かれたものは書いた人に権利がある。おはようとかこんにちわとか、定型文的なものならそうではないが、ゲームレビューってのは立派な「著作物」である。軽々に他人が利用していいものではない。

 レビューを見ていて他の人の意見にはこんなものがあった、と書いてあった内容を紹介するならまあいいだろう。手法としてはナシではない。だが、書いてある文言を丸々コピペして使うのはいただけない。文字の引用のルールとして文頭に「>」記号を付ける、というのがあって、その記事はこれを守っていたが。そういう問題じゃないのである。
 たまたま一個気になるレビューがあってそれを引用した、ってんならまあ使うこともあるだろう。だが、自分のレビューの1コーナーで他人のレビュー紹介、というのをするのはさすがに厚かましいだろう。良くないと俺は思う。


 だが、これは引用されているレビューを書いた人たちには知る由もないことかもしれない。その人たちは気にしないかもしれない。法的には罰せられないことかもしれない。訴えれば勝てるかもしれないが、そんな手間を誰も取らないかもしれない。
 
 でも。

 ダメなことはダメなのだ。してはいけないことは、誰にとがめられないとしてもしてはいけないのである。





 これは文字書きのモラルの問題であり、世間的にはちっぽけな話である。
 だが、誰も気にしないことでも。取るに足らない、どうでもいいことであっても。俺は、この気持ちを大事にしようと思う。

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しゅれでぃんがー 2019/10/08 12:45

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