投稿記事

草案の記事 (16)

しゅれでぃんがー 2021/07/14 01:25

スーツ考

個人的に好き

・スーツ
・白のYシャツ
・ベスト

黄金セット。でもネクタイは嫌い。


ボタンについて

・首元の一番上のボタン
→スーツ着てる時は基本的にあけてはいけない→ダサいから(まあネクタイしてるが)

・スーツを着てなくて上半身がYシャツだけの場合
→基本的にネクタイつけてる時に首元開けるのはNG。ダサいというか、汚い。
 だらしなく見える。よほどスタイリッシュじゃないと成立しない。

・ネクタイをしてないYシャツ状態の時
→ボタンを開けて良いコーデと悪いコーデがある。

・ボタンを開けてはいけないコーデ
→シャツの裾をズボンに入れてる時
 腰元はちゃんとしてるのに首元開けてると超ダサい。
 ベストを着てる場合なら成立する場合あり。
 Yシャツ単体で首元開けてる時はシャツの裾を外に出してないとアウト。

・ボタンを開けて良いコーデ
→シャツの裾が出てる場合。
 腰元のだらしなさと首元のだらしなさで統一されてるから。
 ちぐはぐにするのが一番ダメ。
 あと、筋肉質でシャツの上からでも胸筋とか上腕二頭筋辺りがぴちぴちならいい。「運動得意そう、体育会系」という印象が胸元のボタンを緩めることを成立させてくれる。この場合は両腕の袖を肘以上まくってた方がより効果的。活動的な印象の中に首元のボタンを開けることの整合性を取る。

 ポロシャツとかも裾が腰元より下に生地が行かないからボタン開けてても気にならない。あくまでYシャツは裾から出してたら太ももぐらいまで記事が伸びててだるだるな印象を与えるからこその決まり事がある(自分で勝手に決めた決まり事だけど)。
 
・Yシャツ+ベスト+シャツ裾だし+首元ボタンを開けるという上級コーデ
→ありよりのあり。着こなせばスタイリッシュ。活動的というよりスタイリッシュ系の印象出せるけど、ベストの色とズボンの色をちゃんと考えないと厳しい。でもばっちり決めたらカッコいい。


×シャツの裾入れてる+首元のボタン開けてる
×シャツの裾出してる+首元のボタン閉めてる

 この二つが基本にして最悪のNG。これだけはやっちゃダメ。ネクタイをしてない時の着こなしを描くときは注意したほうがいい。


〇シャツの裾入れ+首元のボタン閉め(+ベスト)
※でもこのコーデの場合ベストを着るとネクタイというか、首元のアクセサリが無いと逆にダサくなることが多い。ベスト着る時は私もさすがにネクタイ着ける。ダサいから。

〇シャツの裾出し+首元のボタン開け(+二の腕まで袖まくり)

特殊系
☆シャツ裾出し+首元ボタン開け+ベスト
※この場合は腕まくりするときつい場合がある。筋肉が無いキャラがこれで袖まくってると貧相でダサくなる可能性大。肌が見えるコーデというのは、筋肉が無いと成立しない場合多し。だらしなさを活動的な印象に変換する要素が筋肉だから。

フォロワー以上限定無料

よろしくお願いいたします。

無料

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

しゅれでぃんがー 2021/07/10 15:39

プロ

https://www.youtube.com/watch?v=8BcRkfCicF0


 プロの試合や大会が盛り上がらない理由。この配信者さんは言葉こそ苛烈だが言ってることはその通りである。見るのが苦手なタイプな人のための簡単な概要としては、ゲームの競技プロはゲームだけしていてはダメで、ゲーム自体を盛り上げる、認知度を上げるための活動も並行して行わないとダメ。プロ野球とかプロサッカー選手みたいな考え方じゃなくて、他のマイナー競技のプロみたいな視点を持たないといけない。ということだった。


 プロ野球とかプロサッカー選手とそれ以外を比べるのは見事な例えである。国民的、世界的に既に認知が確立している競技の競技者であれば、試合で素晴らしいプレーをすればそれだけでありがたがられる。雑誌や新聞も取材に来るし、スポーツニュースでも特集が組まれることだろう。しかし、それ以外の競技だとそうはいかない。良いプレイをしても、見てもらえない。そもそもその競技自体を知らない人が殆どである。認知の中に存在しないことものというのは、無いのと一緒である。ただ競技を純粋に頑張り続けるだけでは足りないのだ。

 昔読んだ将棋の漫画では、プロが子ども将棋とか街の公民館、デパートなんかである将棋イベントのゲストとして活動していた。学生プロである主人公はめんどくさそうだったが、ああいった草の根活動がその競技自体の寿命を延ばし、認知を繋ぐ。プロならば試合だけに集中したいというのももちろん分かるし、当然の考え方だとは思う。しかし、その結果誰もその競技を見なくなってプロという仕組み自体が崩壊する、ということが現実的に起こりえる。広報活動というのはとても大切なことだ。

 格闘ゲームで遊んでいた時も、似たようなことがあった。私は初心者対戦会を主催という形で運営していたことがある。いや、主催というよりは有志で集まって運営したんだったか。その時、参加者を増やすために色々やった。ゲームセンターさんのホームページに書いてもらうのはもちろん、そのゲームの攻略wikiとかTwitterとかで宣伝したり。対戦会の動画をニコニコ動画に上げたり。見てもらう努力をたくさんした。その結果、参加人数が二桁近くまで増え、一年ぐらいは安定した対戦環境を継続することができた。どんなものでも、知られなければ始まらない。見てもらって、面白そうと思ってもらって。そして見た人が次の参加者となって、いずれその人もコミュニティの一員としてそのコンテンツを盛り上げてもらう。そのサイクルがあればこそ、多人数で遊ぶゲームは続いていく。野球やサッカーもそこは同じだろう。


 そういえば、こんなことがあった。荷揚屋で働いていた時、他人に暴言を吐くカスみたいな人間ばかりだったのだが。その中でも、何人かはまともな人間もいた。その中の一人に、年下のプロレスラーがいた。彼はバイトしながらプロレスをしていて、私にリングネームの案を聞いてきたことから交流が始まった。なんでも、元教師なら頭良さそうだから、と思って聞いてきたらしい。彼のデビュー戦を見に行った。メンバーはみんな客を呼ぶノルマがあるらしい。紹介料金として割引してもらえたが、彼のデビュー戦とのことだったので。応援の意味あいで顔を出した。別に、プロレスに興味は無かった。

 彼の出番は三戦目だったか。それまでに、彼の師匠である覆面タイガーマスクのようなレスラーが試合をした。鍛え抜かれた肉体から繰り出される変幻自在のプロレス技。気が付けば、見入っていた。技が決まるたびに歓声が上がる。私も同じく熱狂する。すごく楽しかった。あの試合を見て、私はプロレスのファンになった。

 プロレスというのは基本的に八百長というか、勝敗が事前に決まっているように見える。勝ち負けというのはさして重要じゃないのかもしれない。ただ、ものすごく練習しているのは試合を見ているとすぐに分かる。一歩間違えれば大怪我のような大技の連続。リングに叩きつけられればドゴン、と鈍い音がする。大げさに痛がる。立ち上がれないようなふらふらな動き。しかし、試合が終わったらケロッとして。掃除とかセコンドに立ったりしている。全ての努力は「面白い試合をする」という一点に向けられているのだ。

 試合でもコスプレしたり、時間停止風のクイズプロレスをしたり。イベント終了後のエンディングには、主催団体がイベント当日までの準備風景を撮影していて、それを編集した動画を流したり。ありとあらゆる部分にエンターテイメントの努力が見られる。好き嫌いは別にして、応援したくなるほどの熱量。それがプロレスにはあった。今はコロナのせいで音沙汰が無いけれど、彼は今、元気にしているのだろうか。心配である。


 競技プロというのは、ただその競技を頑張っているだけでは足りない。その面白さを広く伝え、多くの新しいファンや競技者を呼び集めてこそ初めてプロたりえる。そしてそれはきっと、創作活動においても同じなのだろうと思う。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

しゅれでぃんがー 2021/06/21 21:06

まどか☆マギカ考

 魔法少女物に革命を起こした『魔法少女まどか☆マギカ』。今回は、その物語構造を分解することで理解を深めていく。ネタバレなので見る予定がある人は読まない方がいいだろう。














モチベーションの円環の理

 この物語の開始地点は、巴マミの魔法少女化から始まる。その変身理由は「延命」。死なないためには契約するしか無かった。これは外的モチベーションであり、本人には別に魔法少女になりたいという意思は無かった。「ならなければ死んでいた」。だからなった。

 そこから鹿目まどかと暁美ほむらが魔法少女となる。鹿目まどかはたしか、巴マミに助けられてなっていたように記憶している。魔法少女になった理由が「誰かの役に立ちたい」だった気がするので、一応、内的モチベーションでの魔法少女化ではあるかもしれない。巴マミの行動に触発されたというのは少なからずあるだろうが、鹿目まどか自体には自発的に魔法少女になるという意思はたしかにあった。そんな鹿目まどかに助けられ、暁美ほむらも魔法少女化する。そのモチベーションは、最初は鹿目まどかと似通った部分があったのかもしれない。

 しかし、暁美ほむらの戦う理由はある地点において変質する。鹿目まどかからの託された思いを遂げるために戦う。戦う理由が自分のためではなく、「鹿目まどかを死なせない」という方向に変わった。彼女を生かすためならば手段を選ばなくなり、その為ならば巴マミや美樹さやかが犠牲になっても良いとすら思っているような節がある。外的モチベーションに憑りつかれた暁美ほむらは、まどか☆マギカの世界における舞台装置として。歯車の如く同じ一ヶ月を繰り返す。


 この物語の主役たちには、鹿目まどか以外に内的モチベーションを持つ者がいない。巴マミはやむにやまれず、美樹さやかは男友だちの為に。佐倉杏子はくわしい理由は分からないが、たぶん巴マミと似た理由ではないだろうかとアニメ中盤で描写されていた気がする。そして、外的モチベーションは自信を動かす意欲にはならない。巴マミたちは「人助けをしている」という自分に酔うことで戦い続ける理由を錯覚する。幼いヒロイズムに陶酔することで、「何のために戦うのか」「いつまで戦うのか」「自分たちはいずれどうなるのか」という思考から無意識的に目をそらす。端的に言えば、正義の味方的活動に現実逃避しているのだ。

 だが、そんな外的モチベーションは長続きしないし、簡単に崩壊する。巴マミは魔女の真実を知って自身の未来に絶望し(アニメだとそれでも魔女化はしていなかったので、彼女の自我自体はとんでもなく強固である)、美樹さやかは男友達が別の女友達とくっついてしまって自身の行いの意味と価値を見失い。佐倉杏子も、どうやら破滅願望があったらしく、ヒロイズムに酔って美樹さやかと心中した。いや、家族を失ってさらに新しく出来た友だちまで失って、自暴自棄になったのかもしれない。彼女たちは自身を動かしていた外的モチベーションが崩壊した時、失った自身の未来と自身の行く末に絶望して魔女となるのだ。内的モチベーションを持たない人間がことごとく魔女化していく。難しい構造を見事に回しているこの作品の物語構造は、じつに見事である。


 鹿目まどかも本来は魔女化しない魔法少女だったが、暁美ほむらがループすることにより魔女化してしまう運命を背負う。これにより、「鹿目まどかを死なせない」から「鹿目まどかを魔法少女にしない」という目的へモチベーションがシフトする。しかし、暁美ほむらの決意による行動自体が、鹿目まどかの運命をどんどん悪い方向へ転がしていく。この仕組みも見事である。暁美ほむらのせいで、鹿目まどかは魔女化した。しかし、そうさせたのは紛れもなく一番最初の鹿目まどかなのだ。まるでウロボロスの輪のように、負の運命は紡がれていく。円環の理とは洒落た言い回しである。このネーミングは巴マミが痛いということを印象付けるためだけの存在ではない。この作品全体を象徴するキーワードなのだ。


 最後、鹿目まどかは魔女化の輪廻を脱するが。以前何処かで、これは仏教における解脱であるという論を読んだとこがある。悟りを開いて魔女とは別の存在に変化したのだと。釈迦となった仏陀のような話なのだろうか。無限に続く暁美ほむらの時間遡行が産んだ、鹿目まどかが神となる結末。たしかに、これは救済の物語なのかもしれない。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

しゅれでぃんがー 2021/06/20 01:40

受動的物語の利点

 異世界転生系の根幹にすらなりえる要素である受動的物語の構造。それはどういうことなのか。

外圧的強制力

 転生でも、召喚でも構わないが。元々生きていた世界から別の世界に、強○的に移動させられた存在というのは。その時点で生活基盤、財産、生存権その他を一切合切失った状態となる。何もしなければ生きていけないし、召喚者が存在するなら召喚者の命令を聞かなくてはいけないかもしれない。このように、行動する理由を「生きるため」や「召喚者の命令」に依存することとなる。他者や状況、環境から強○される目的意識というのは、当事者、本人のモチベーションに繋がらない。なので、物語自体を結末へつなげるために、展開や転生者の人格、思考などを調整、ゆがめる必要が出てくる。結末と主人公のモチベーションが、直線で繋がらないからである。

 モチベーションの無い存在は、目的や着地点に対して積極的に行動しない。魔王を倒すために呼び出された、と言われても、本人に魔王と戦う気が無ければ日がな一日クエストやモンスター退治で小銭を稼ぐかもしれない。それに対して召喚者や王家なんかが尻を叩く展開もあるかもしれないが。こんな展開にしなければならない時点で、「魔王を倒す」という結末に対して物語が蛇行、平行移動をしている。これを展開の歪みと呼ぶ。こうならないために、都合よく町に魔王軍が攻めてきて転生者が戦う展開にしたり。王家が転生者に見返りを提示して餌で釣ったりなどするわけだ。だが、これすらも環境や他者からの利益の提示によってもたらされた、外的モチベーションなので。本人が積極性を得るには至らない、もしくは積極性を得るほどの説得力を得られない場合がある。主体的モチベーションを持たない主人公は、常に外的な強制力が働かなければ物語を回すことができない。


 しかし、異世界転生系ではこのデメリットを上手くコントロールしている。徹頭徹尾状況的、他者からの強制力で物語の大部分を回していく。これにより作者の都合の良いように物語の方向を調整することができ、話が進めば主人公がパーティーメンバーに愛着を持った、とか、世界自体に愛着を持つことで潜在的な善性や異世界で育まれた新たな関係性をモチベーションに昇華するというシステムで主体的モチベーションを後天的に付与する。戦う理由の無い存在に、なし崩しでモチベーションを植え付けるのだ。この仕組みなら序盤から物語の方向性がぶれないし、中盤から後半にかけても主人公に主体的モチベーションが生まれるから主人公が自発的にエンディングへ向かって歩き始める。

 見れば見るほど無駄が無く、転生さえさせてしまえばどうにでもなる。これが一ジャンルまで成長した「異世界転生系」の持つ技術の神髄である。どんな立場、年齢、思考を持つ存在であろうと、転生の過程でその物語に最もふさわしい主人公へとチューンナップされ、主体的に動かなくても世界自体が主人公を動かすようにイベントが起こり。その中で主人公はその世界全体へのモチベーションを獲得していく。もしくは、最初から最後まで「元の世界に帰る」という主体的モチベーションを胸に行動する。

 なにをどう転がしても上手くいく。それが、このカテゴリの強さなのである。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

しゅれでぃんがー 2021/06/18 21:26

主体と受動

 物語を回す原動力はなにか。結論から言うと、それは「モチベーション」である。じゃあ、モチベーションとは何なのか? 今回は、その話をしよう。


内側から湧き起こる衝動

 あれがしたい、あれが欲しい。あそこへ行きたい、あれになりたい。そんな、「~したい」という欲求。それがモチベーションである。自発的な衝動は欲求を解消、達成する行動へ繋がる。目標達成への行動、その過程が物語を形作っていく。

 少年誌を例にすると。週刊少年ジャンプの作品群では、ストーリー系の作品だと主人公はほぼ例外なくモチベーションの高い人間である。海賊王になりたい。火影になりたい。オールマイトみたいなヒーローになりたい。そんな憧憬が戦う、旅をする理由になっている。自身の内側に行動する理由があるので、物語が停滞することも無く。途中でどんな話に横道逸れても、「理想を達成するための道中」という理由にこじつけることができる。少年誌に掲載される基本的な主人公像というのは、主体性の高いキャラクターが多い。


 その反対として、受動的な主人公が多い業界もある。それは何処かというと、「異世界転生系」だ。このジャンルは受動的構造の一つの到達点とも言えるほど完成している。「ある日、まったく常識が違う環境、状況に突然放り込まれる」。ここには主人公がモチベーションを持つ要素が無い。環境の激変により、それまでの生活を変えざるを得なくなる。外部の状況の変化に、自身が変わることを余儀なくされるのだ。「~したい」ではなく、「~しなければならない」という思考、感情。これが受動的な物語の構造である。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

1 2 3 4

月別アーカイブ

記事を検索