猫虎屋 2023/01/15 00:20

憑依の巫女


クジョウの巫女の大事な習慣として禊〈みそぎ〉がある。
滝などの清流で身を清める儀式だ。寒いときは温泉で代用することもあるが、必ずしなければならないタイミングがあった。
年頃の女の子は月に一度、気枯〈けが〉れの期間が来る。その期間が過ぎた時に、巫女は必ず禊をしなくてはならない。

ただの昔の風習で、「めんどくさいな」くらいに思っていたセツナだったが、これには大切な意味があることを、今回初めて知ったのであった。

その意味のひとつは、禊とは神降ろしの準備であるということ。
巫女とは単に祭事をサポートする女性のことを言うこともあるが、クジョウの巫女は依代としての役目も期待される。
神をその身に宿して依代となり、その祝福を受けることだ。
禊はそうした儀式の最初の段階と言える。

今回初めてセツナは神降ろしをすることになった。
クジョウの神〈カミ〉には様々な種類のものがいる。共通しているのは全てソウル精神体であり、実体を持たないことだ。そのため実体のあるものに憑依することでその力を行使する。
御札がそのひとつだが、これはかなり低級であり力が弱い。御札のような媒体には、ほとんど意思を持たないエネルギーのようなものしか宿すことができない。
ダイフクやオハギのように、小動物に宿すこともある。これは御札よりも強力で、ある程度の独立した意思を持つが、会話ができるほどではない。
それに対して、人間の巫女に下ろす神は高度な知能を持っており、それだけ力も大きい。そのようなカミを宿す依代として、巫女達は訓練されていた。

カミはソウルをエネルギーとしているが、それは信者となる人間から集めるのが基本となる。信仰心の多さがカミの力の大きさと言われるのはそのためである。
ソウルの集め方のもっとも効率の高い方法が、依代となる巫女に直接ソウルを注ぎ込むこと。すなわち性行為による受け渡しである。

巫女が禊によって身を清めるのは、その性行為による儀式に備えるためでもある。
そしてそれが穢れの直後のタイミングなのは、その間は比較的受精しにくい期間であることも関係している。

セツナは禊を済ませて神降ろしの儀式をすると、身体がふわっと浮く感覚になった。重力から解き放たれたといってもいい。幽体離脱したわけではないが、精神と肉体が離れたような感覚だ。同時に、手足の自由が聞かなくなった。自分の意思で動かすことができない。
(ふーん、貧相な身体だけど、まあ若くて元気なのはいいことね)
(誰っ!?)
頭の中で誰かが喋る。
彼女はウズメと名乗った。セツナの身体に降りてきたカミである。
口を動かすこともできないが、それと同じ要領で、彼女と脳内で会話することはできた。
(ちょっ、その格好で何処行くのさ。勝手に動かないでよ。)
禊を済ませたばかりの半裸のままで、ウズメは勝手に歩き始めてしまう。と言っても身体はセツナのものだ。自分の意志とは関係なしに動いている。
(ふふん。この身体、あたしに貸してくれるんでしょ。その間、しばらくそこで寝てなさい)
カミというにしてはどうにもフランクな少女だ。
しかし彼女が精神の扉を閉ざしてしまうと。もう何も見えなくなり、いつの間にか意識を失っていた。

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