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2020年 06月の記事 (3)

おかず味噌 2020/06/25 02:50

ちょっとイケないこと… 第十三話「共感と共犯」

(第十二話はこちらから↓)
https://ci-en.dlsite.com/creator/5196/article/334324


「僕、知ってるよ?」

 純君は告発する。その状況はまるで、サスペンスドラマのラストシーンのように。

――やめて…!!

 シーンと静まり返った空気の中、私は咄嗟にそう思った。

――言わないで…!!その先を。私の過去の過ちを。

 あるいは真剣に、半ば強引に話の続きを遮ろうと考えた。

――お姉ちゃんが悪かったから。もうこれ以上、あなたの罪を咎めたりしないから。

 己の言動を懺悔するように、懇願するように彼に祈った。


「お姉ちゃんが『おもらし』しちゃったこと」


 だけど彼の口蓋は無情にも開かれ、同時に私の視界は絶望に閉ざされたのだった。


 室内が静寂に包まれる。会話の順番からすると次は私のターンであるはずなのに、何も言えずに黙り込んでしまう。

「な、何を、馬鹿なこと言ってるの…?」

 長大な間を置いてかろうじて絞り出した言葉はけれど、それさえも間違いだった。この場で返すべきなのは質問ではなく、より無意味な疑問であるべきだった。

「え?」とか「は?」など、そうした一文字と疑問符のみであるべきだった。

 そうすることで、会話自体をそもそも成り立たせず。愚問だと一蹴することこそが私にとって唯一の正答であり、私自身を正当化するための正道であったはずなのに。

 彼からの手厳しい指摘が的中していたために、適切な選択肢を見失ってしまった。そうして再び、彼の番になる。

 純君は何も言わなかった。ただじっと黙ったままだった。だけど彼の沈黙の意味は私のそれとは大きく異なる。何かしら言葉を返すことを私が要求されたのに対して、彼はそのまま無言で居続けたとしても一向に構わないという余裕のある沈黙だった。

 思わず私は後退してしまう。今すぐここから退散したいという衝動に襲われる。


 それでも私は絶対に撤退するわけにはいかないのだった。ここは弟の部屋である。だけど私の家の一部でもある。あくまで限定的な所有権が与えられているとはいえ、それは両親が決めた暫定的な領有権により効力を発揮するものに過ぎないのである。

 つまり、ここは彼の部屋であってそうではない。春から大学生になったといっても未だ親の脛を齧り続けている実家暮らしの私についても、それは同様であるように。

 私の部屋もまた、この家の一部に過ぎず。リビングや洗面所、トイレに至るまで。私は生活圏の多くを彼と共有していて、どうしたって顔を合わせる距離に共存する。

 ゆえに、私は逃亡することが叶わなかった。

 ここで一時的に背を向けたとして、直ちに彼との関係性が失われるわけではない。だからこそこの場で解消しておかなければ、彼の疑問は不協和音として残り続ける。いくら平常を取り繕おうとも、非日常からの残響は日常に影響を及ぼし続けるのだ。


 私は後退する代わりに一歩前進した。およそ数メートルの空間を縮めるみたいに。姉弟の数年間の空白を埋めるみたいに。

 私の行動が彼にとっては予想外だったらしく、彼はびくっと震えて目を逸らした。両手で必死に頭部を庇っている。姉から暴力を振るわれるとでも思ったのだろうか。その反応は私にとっても想定外のもので、弟に恐縮されたことに私は深く傷ついた。

 ベッドに座る純君を見下ろす。彼は相変わらず痛みを堪えるように瞑目している。あくまで立ち位置からか、立場的なものからか、彼のことを見下しながら私は言う。

「ヘンなこと、言わないでくれる?」

 またしても責める口調になってしまう。最善手ではなく、むしろ悪手ともいえる。あるいは彼の暴いた秘密が事実ではなく、単なる妄想や苦し紛れの嘘であったのならそれで良かったかもしれない。

 だがあの夜のことは紛れもない事実であり、他ならぬ私自身がそれを知っていた。

 だとすれば私に出来るのは、姉という立場を利用し弟を黙らせることだけだった。姉弟の強権を振りかざし強○的に彼の口を塞ぐことでしか逃れる術を持たなかった。あまりにも分の悪い賭け。はったりを見せつけ、ポーカーフェイスを装うことでしか私の敗北を覆す手段はなかった。


――そもそも彼はなぜ、私の秘密を知り得たのだろう?

 私があの日『おもらし』をしてしまったことは間違いない。不浄に濡れた心と体、『尿』に塗れたアソコの感触がそれを覚えている。

 だけど私が粗相をしたのは○○さんの家で、だ。彼の家の廊下で、トイレの前で、私は『おしっこ』をまき散らしてしまったのだ。

 自宅に帰った私が真っ先にしたことは、『おもらしショーツ』を洗うことだった。純君が私の醜聞を知ったのだとすれば、おそらくその時だ。

 深夜まで遊び歩き帰宅した姉。その姉があろうことか洗面所で下着を洗っている。あまりに無謀で無防備な後ろ姿。彼はその光景を無断で覗き見てしまったのだろう。そして間もなく、彼は一つの結論に行き着いたのだろう。

――お姉ちゃん『おもらし』しちゃったんだ…。

 と。つまり彼が言ったのはあくまで憶測から導き出されただけの推論に過ぎない。犯行の現場を目撃したわけではなく、というより彼がそれを見るのは不可能なのだ。それは私と○○さんだけの秘密であり、家族だろうと他人が知ることはないのだ。

 だとすれば、私にもまだ戦える余地は残されている。わずかなりとも勝算はある。だけどそのためには、今や周知の事実となった羞恥の秘密を認めなければならない。私があの夜、洗面所で何をしていたのかということを…。


「『これ』の事、言ってるんだよね?」

 手に持った一枚の布を純君の眼前に突き出す。それは洗濯済みのショーツだった。すでに汚辱の痕は拭い去られているとはいえ、未だ恥辱の過去は拭い切れなかった。

 彼は私を見た。私の顔色を窺い、次に私の手に握られている黒ショーツを眺めた。やはり彼はその布に執拗なまでの興味があるらしかった。

 マタドールのマントみたく、荒ぶる闘牛の如く彼の視界からそれを見失わさせる。血走った眼があからさまに白黒とし、かつて黒があったはずの余白を彷徨っていた。

「私が『パンツ』を洗ってるのを、見ちゃったんだよね?」

 優しい口調で彼に問う。穏やかな声音は再び、姉としての響きを取り戻していた。やや遅ればせながらも彼は頷いた。あの夜の「答え合わせ」を期待するように…。


「純君」

 彼の名を呼ぶ。ゆっくりと確かめるように。じっくりと言い聞かせるように。

「女の子の体は、男の子とは違うの」

 唐突に違う議題を投げ掛けることで話題をすり替える。私のよくやる手法だった。

「純君は寝てるとき、パンツの中が濡れちゃってたことない?」

 ふいに自分自身に向けられた問いに、彼は驚きを隠せないでいるらしかった。

「な、ないよ…!!」

 彼は慌てて否定する。そこに少しばかりの誤解が含まれているように感じられた。どうやら私の訊き方が悪かったらしい。

「『おしっこ』とかじゃなくて。もっと別のもので…」

 彼の勘違いを訂正する。すなわち「夢精」である。私が言外に匂わしていたのは、まさしくそれだった。


 彼は考え込む素振りを見せた。質問に真面目に答えようとしてくれているらしい。姉である私に決して言いたくない、本来ならば言わなくてもいいことを言うべきかと真剣に悩んでいるらしかった。

「実は…」

 ようやく彼は口を開いた。己が秘密を打ち明けようと、心の扉をわずかに開けた。

「一回だけ。朝起きたら、なんか濡れてて…」

 自己の罪を白状するように彼は言った。(それは事故のようなものなのだけど)

「違うんだよ!漏らしたんじゃなくて…」

 あくまで『おねしょ』ではないのだと言いたいらしい。

「その…。なんか、ベトベトしてて…」

 その正体を私は知っていた。だけど純君は知らないらしかった。保健体育の授業で習わなかったのだろうか。今まさに思春期を迎えた同性や異性の体の成長について、あるいはその兆候について。

 性に興味津々なクセして、その知識はあまりにも稚拙であるらしい。私は姉として弟の勉強不足が気掛かりになりつつも、だがこの場においてはむしろ好都合だった。


 私はあえて沈黙する。疑問に解答を与えることなく暫く泳がせてみることにする。今度は私の方が余裕たっぷりに構える番だった。

 案の定、彼の表情に不安の色相が浮かぶ。眉間に皺を寄せて心配そうにしている。少しばかり可哀想になってきた。

「ねぇ。僕、ヘンなのかな…?」

 裁定を求めながらも肯定を望まず、疑問形を用いる彼に対して。

「そんなことないよ!」

 私は強く否定し、優しく断定した。

「それはね。男の子だったら誰でも経験することなんだよ?」

 とはいえ男子ではない私には分からない。聞き知っただけの知識に過ぎなかった。

「女の子にだって、そういうことはあるんだよ?」

 ようやく自分に有利が傾いてきたところで、会話を本題に戻す。


「そうなの?」

 私が撒いた餌に、すぐさま彼は食い付いてきた。

「だからお姉ちゃんがあの夜、『パンツ』を洗ってたのは…」

 ついに訪れた、彼が待ちわびた解答の瞬間。

――そういうこと、なの。

 だけど、その先を曖昧にぼかして煙に巻く。

 私はそれ以上何も言わなかった。女子の秘めたる事情については言わずに留めた。それは純君がそう遠くない未来に否が応でも知ることになるだろう。

 あるいはその時に彼は気づいてしまうかもしれない。「高校生探偵」じゃなくても分かってしまうことなのかもしれない。それでも、今はまだ…。


「だから私のそれは、別に恥ずかしいことじゃないの」

 はっきりと断言したのち。

――純君がそうなように、ね。

 思い出したように言い添える。彼に共感するように。共犯関係を確認するように。

 彼は「あっ!」という顔をした。何かを悟り、全てを理解したような表情だった。今まさに彼の誤解は、私が示した別解により解かれたらしかった。

「そうなんだ…」

 彼は納得したように小さく呟いた。あくまでも真実にたどり着いたわけではない。私自らが偽装し、あえて真相を捻じ曲げたのだから。

 だけど、これで少しは彼も分かったはずだろう。人に秘密を知られるということがどれだけ恥ずかしいことなのか、と。


「姉川の戦い」が終結を迎える。論争とさえ呼べない、一方的な論述が終えられる。

 純君は無言になる。心地よい沈黙は、私にとっての勝利の余韻であった。

 それでも彼はまだ不安を抱えているみたいだった。未だ解き明かされていない謎が残っているようだった。

「じゃあ、これも…。ヘンなことじゃないのかな?」

 次週のヒントを待つこともなく、意を決したように彼は言う。それは私ではなく、自分自身についての疑問であるらしかった。

「えっ…?」

 無意味な疑問を私は問い返す。彼の手はいつの間にか太腿の付け根辺りにあった。いつからそうしていたのだろう。いつからそこを押さえていたのだろう。

 やがて純君はアソコから手をどける。そこにあったのは…。


 パジャマのズボンの中で窮屈そうに屹立した、彼の「おちんちん」だった。


――続く――

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おかず味噌 2020/06/20 23:15

ちょっとイケないこと… 第十二話「謝罪と反省」

(第十一話はこちらから↓)
https://ci-en.dlsite.com/creator/5196/article/258937


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」

 純君は謝り続けている。お腹にあるスイッチを押すと予め録音された台詞を喋る、一昔前に流行った「ぬいぐるみ」みたいに何度も同じ言葉を繰り返す。

 感情の起伏が感じられない玩具と違い、その声からは悲嘆と悲愴が伝わってくる。

「ごめん…なさい!!」

 ついに純君は泣き出してしまう。すでに可愛らしい瞳から涙は溢れていたけれど、そこに嗚咽が混じることで号泣を始めてしまう。

 純君がこんなにも盛大に泣くのを見るのは、果たしていつぶりだろう。少なくとも彼が中学生になってからは一度も目にしていない。

――もう、泣かないで…。

 私は出来ることなら、そんな風に声を掛けてやりたかった。あくまでも姉らしく、目の前で泣きじゃくる弟を慰めてあげたかった。だけど私にはそれが出来なかった。なぜなら彼の涙の理由は、私に大きく関わったものだったから…。

 今の私に出来ることはただ一つ。彼が泣き止むのを待って、彼の口から事の顛末を聞くことだけだった。


 枕の下から見つかったもの、それはショーツだった。彼の部屋にあるはずのない、あってはならないものだった。そうだと分かった瞬間、疑問が幾つも頭に浮かんだ。

――あれ~?おかしいな~?

 私はまるで「名探偵」にでもなったみたいに。だけどそこに使命感や正義感などは微塵もなかった。「たった一つの真実」になんて、私はたどり着きたくなかった。

 そこで、私は一つの事実に行き当たる。それは最初から気づいていたことだった。

 疑問が幾つも脳裏を掠めたとき、あえてその問いだけはしないように避けていた。あるいはそれさえ訊いていれば、彼にあらぬ疑いを掛けずに済んだのかもしれない。私が無意識の内に除外していた問い、それは…。

――これは、誰の?

 という、ごく当たり前の質問だった。

 明らかに純君のものではない、女性ものの下着が部屋から見つかったという事実。だとすれば真っ先に問うべきは、それが果たして誰のものであるのかということだ。一体どのようにして手に入れたものなのか。盗んだものなのか、貰ったものなのか、買っただけのものなのか。(それはそれで「なぜ?」という疑問は拭えないが…)

 仮にきちんと対価を支払って手に入れたものならば、それは決して犯罪ではない。理由はどうであれ、その行為は正当性を帯びることになる。

 だけど、私は最初からその可能性を否定してしまっていた。


 見覚えのある下着。それは紛れもなく「私のショーツ」だった。

 もちろん名前が書いてあるわけではなく、私としてもいちいち自分の所有している下着一枚一枚を覚えているわけではない。

 だけど、その下着だけは覚えている。はっきりと記憶と網膜に焼き付いている。

――前面上部に小さなリボンのあしらわれた「黒いショーツ」。

 それは、あの日。私が初めて○○さんの家で『おもらし』した日に穿いてたものに間違いなかった。

 あの夜のことは数週間経った今でも鮮明に覚えている。我慢の限界、理性の崩壊、膀胱の決壊、羞恥の公開、先立たぬ後悔、不可能な弁解、甚大な被害、汚辱の布塊。それら一つ一つの感慨を、私は詳細に渡って述懐することができる。

 それをきっかけにして、私と彼の関係は進んだ。いや、進んだといって良いのかは分からない。だけど現に今日だって、ついさっきまで彼の家にお邪魔していたのだ。そこで、またしても『おもらし』をしてしまったのだ。


 だけど、今日に限っていえば。深夜の洗面所での惨めな後始末を私は免れていた。まるで何事もなかったかの如く、粗相の物的証拠の隠蔽および隠滅に成功していた。

――そうだ、私は今…。

「ノーパン」なのだった。本来であれば持ち帰るべきはずの『おもらしショーツ』を道中で捨てて来たのだ。私は穿かないまま帰宅し、そのまま弟の部屋を訪れていた。

 これではどっちが犯罪者なのか分かったものじゃない。純君のことを問い質す前に私だって罪を犯している。「痴女」「露出狂」、罪名でいうなら「猥褻物陳列罪」。

 だけど、それにしたって。彼の犯した罪がそれで洗い流されるわけではなかった。どうして彼がそれを枕の下に隠していたのか。そもそもなぜそれがここにあるのか。私は毅然とした態度で、平然を装いながらも、彼に言詮させなければならなかった。


 ひとしきり泣いた純君は落ち着いている。相変わらず顔を手で覆っているものの、ひとまず会話が出来そうな程度には回復している。私は彼に訊ねてみることにした。

「これ、お姉ちゃんの…だよね?」

 動かぬ証拠を突き付けつつ、彼を問い詰める。責めるような口調にならないように気をつけながら、あくまでも確かめるというだけのつもりで訊いた。

「本当にごめんなさい!!」

 再び、純君は謝罪を口にする。またしても泣き出してしまう。まるで子犬のように「わんわん」と声を上げて泣き叫ぶ。

 私は困り果てた。時刻は一時前、朝の早い両親はとっくに寝ている時間帯である。こんな深夜に喚いているとなれば、何事かと起きて来てしまうかもしれない。

 今ならまだ私と純君、二人だけの秘密に留めておくことができる。いつの間にか、私自身も共犯者になってしまったかのような気分だった。


 ベッドに座った純君の元に近づく。彼の手に優しく触れ、包み込むように握る。(もちろんショーツを床に置いてから)

 純君はつぶらな瞳から大粒の涙を零しながらも、恐る恐る私の目を見返してきた。戸惑ったような顔で(戸惑っているのは私なのだが…)上目遣いで見つめてくる。

 守ってあげたくなるような幼さを滲ませた表情に、私は純君を抱き締めたくなる。だが、まだそうするわけにはいかない。彼の口から真相を聞いてからでなければ…。

「どうして、こんなことしたの?」

 今一度、訊き方を変えて言ってみた。というよりも彼を犯人だと決めつけた上で、その動機について触れた。

「ごめ…」

 再び、同じ台詞を繰り返そうとする純君を。

「もう謝らなくていいから」

 私はすげなく打ち切った。少しばかり厳しい口調になってしまったかもしれない。彼の体が怯えたように震えたのが、掴んだ手からも伝わってきた。

「ちゃんと、話してみて」

 怒らないから、と私は念押しした。


 暫しの沈黙が訪れる。純君の表情が次々と変化する。彼は迷っているらしかった。どう話せばいいものか、あるいはどこから話すべきなのか、分からない様子だった。

 私は純君を急かしたり追い込んだりすることなく、彼が自ら話し出すのを待った。

 やがて、彼の口元がもごもごと動き始める。微かに開いた唇から、ぽつりぽつりと自供が始められる。

「その、ちょっと気になって…。女子が、どんな『パンツ』を穿いてるのかって…」

 軽犯罪における犯行の動機とはいつだって、好奇心による興味本位から生まれる。ごくごく一般的な好意に過ぎなかっただけの感情が、やがて恋心へと変わるように。

「だから、それで…」

 彼はその先を言いづらそうにしている。それでも私は決して助け舟を出さない。

「お姉ちゃんの、なら…。すぐ手に入りそうだったから…」

 無差別ということか。たまたま近くにあったのが私のものであったというだけで、「誰のでも良かった」のだろうか。

「イケないことって、分かってたんだけど…。どうしても我慢できなくて…」

 罪の意識はあったらしい。だとすれば直ちに許されるというわけではないけれど、少なくとも情状酌量の余地くらいはある。

――というか、もう許す!!

 私は元々、弟には甘いのだ。己の罪を白状する健気な彼の姿に、私の方がいい加減耐えられなくなってきた。


 あるいは、私の下着で済んで良かったのかもしれない。

 もしこれが人様のものだったら、私一人の裁量ではどうにもならなかっただろう。中学生のやったこととはいえ、裁きは免れない。(それが裁判によるかは別として)

 仮に同級生に知られでもしたら、彼は「死刑判決」を下されることになるだろう。女子からは軽蔑の視線を浴びせられ、男子からは好奇の目で見られ、一生その罪咎を背負って生きていくことになる。

 ほとぼりが冷めるまで「カノジョ」だって出来ないだろうし、「いじめ」にだって遭うかもしれない。いくら己の犯した罪の報いであるとはいえ、それはあんまりだ。

――だって、純君はこんなにも…。

 私は彼を抱き寄せた。姉弟でこんなこと生き別れになってからの再会でもなければ本来あり得ないことだ。それでも私は彼の頼りない体を、ほんのちょっと見ない間に逞しくなった体を抱き締めていた。


「もう大丈夫だから」

 慰めるように言う。そんなにも穏やかな声が発せられたのは自分でも意外だった。もっとこわばるかと思った。不器用に不自然になってしまうかと思っていた。

 だけどその声はごく自然に口から出た。それはやっぱり私がお姉ちゃんだからだ。弟の罪を許してあげられるのは、姉である私をおいて他にいないのだから。

「誰にも言わないから」

 私は純君を抱き締めたまま言う。彼が心配に思っているだろうことを先回りして、まずはその不安を拭ってやることにする。そう、これは秘密なのだ。私と純君だけの誰にも知られることのない二人だけの…。

 それでも私は姉として、もう一つ彼に言っておかなければならないことがあった。


「もう二度と、こんなことしないって約束できる?」

 私は抱擁を解いて、きちんと純君に向き直ってから言う。誰にだって過ちはある、問題はその後どうするかだ。同じ過ちを二度と繰り返さないことこそが重要なのだ。それさえ誓ってくれたなら、この件については今後一切話題にしないことにしよう。私自身もそう誓った。

 純君は首を縦に振った。頭を上下し何度も頷いた。最大限の了承のつもりらしい。だけど、私はそれだけでは許さなかった。

「ちゃんと返事をしなさい。わかった?」

 心を鬼にして私は言った。(ずいぶんと甘い鬼がいたものだ)

「はい…。わかりました」

 純君は素直に答えた。はっきりと誓いを立てた。

「よしっ!」

 あえて無理矢理に渋面を作っていた仮面を外した。満面の笑みで純君に対面する。それこそが私にとっての面目躍如であるというように。


「それにしても…」

 姉としての責務を果たし、一仕事を終えたことで気が緩んでいたのかもしれない。私は口を滑らせてしまう。二人で立てたはずの誓いを、私自ら破ってしまう。

「よりにもよって、お姉ちゃんのを盗らなくても…」

 私は言ってしまう。さも、ぶっちゃけるみたいに。彼がした行為の気まずさから、つい余計なことを口走ってしまう。

「そんなに欲しかったなら、言ってくれれば良かったのに…」

 言った途端に後悔する。そんなこと言うべきではなかった。たとえ冗談であっても決して口にしてはいけなかった。慌てて訂正を試みる。「ごめん、今のはナシで!」と軽い調子で軽はずみな前言を撤回しようとする。あるいは姉と弟の関係であれば、それも十分に可能であろうと高を括っていた。

 だけどその言葉はすでに私の口から発せられ、不穏な意味を持ち始めていた。


「本当に?」

 彼は訊き返してくる。その声は驚くほど冷静で、真っ直ぐな響きさえ持っていた。

「えっ…?」

 私も聞き返すことしかできなかった。彼のそれよりさらに無意味な言葉を返すのが精一杯だった。

「もしちゃんと言っていれば、お姉ちゃんは『パンツ』を僕にくれたの?」

 いよいよ彼の問いが意味を帯び始める。想定外の言及。私の冗談に端を発した、まさかの本気(マジ)。彼の眼差しは真剣(ガチ)そのものだった。

「いや…それはその…」

 今度は私が口ごもる番だった。

「わざわざ『盗む』必要なんて、なかったってこと?」

 ねぇ、と純君は迫ってくる。私は彼のことが段々と怖くなってきた。私の知らない別の誰かであるかのような気さえした。


「そんなわけないでしょ!冗談に決まってるじゃない…」

 思わず声を荒げてしまう。そうでもしなければ彼の追求から逃れられそうにないと判断したからだ。

「じゃあ、嘘をついたってこと?僕をからかったの?」

 それでも尚、純君は引き下がらない。あろうことか私を「嘘つき」呼ばわりする。私は自分の置かれている立場が分からなくなった。

――どうして、私が責められているんだろう…?

 責められるべきは、純君の方なのに。それでも私はあえて、そうしなかったのに。いつの間にか私の方が責められる側になっていた。

「そうやってお姉ちゃんはいつも、守れない『約束』をするんだ…」

 純君ははっきりとそう言った。私が一体いつ、どんな約束をしたというのだろう。しかも彼のその発言からは、さも私がその約束を「破った」のだと告げられている。だがそれも果たして何のことを言っているのか、理解不能だった。

 私は腹が立ってきた。自分の犯した罪を棚に上げ、相手ばかりを責めるその態度にもはや我慢ならなかった。


「いい加減にしなさい!」

 彼のことを突き放すように、私は言い放つ。

「女の子の下着に興味を持つなんて、恥ずかしくないの?」

 触れてはいけないデリケートな問題に、土足で踏み込んでしまう。

「それはイケないことなの!わかる?」

 有無を言わさずに私は断定する。間違っているのだと、恥ずかしいことなのだと。

「お願いだから、もう二度とこんなことをしないで」

 さきほどまでとは違い、うんざりとした口調で呆れたような表情で言う。

 彼は沈黙していた。私が責める口調になって以来、じっと私の罵倒に耐えている。反論はないらしい。かといって素直に受け入れてくれているようには見えなかった。その目は雄弁に語っていた。「裏切られた」という哀しみを…。

 彼は項垂れた。私から目線を外して、床の上を見つめている。こと切れたように、まるでスイッチを切られてしまった玩具のように。


――ちょっと言い過ぎたかな…?

 私は自省した。自制できなかった己の罵声を悔やんだ。だけど…。

 むしろ、これくらいで良かったのかもしれない。さっきまでの私が甘すぎたのだ。本当はこれくらい厳しく叱りつけなければいけなかったのだ。

 これも純君のためなのだ。こうでも言わないと彼は同じ過ちを繰り返してしまう。姉として弟を間違った道に進ませないために、これは仕方のないことなのだ。

「私は、純君を犯罪者にしたくないの」

 今さらながら取り繕うような言葉を掛ける。

「『ヘンタイ』になんてなりたくないでしょ?」

 私は言った。その後の末路を教え聞かせることで、彼を思い留まらせようとした。純君は相変わらず何も言わなかった。だけどきっとわかってくれたはずだ。


「じゃあ、今日はもう寝なさい」

 私は立ち上がる。床に落ちた自分のショーツを拾い上げ、彼の部屋を後にする。

「お姉ちゃんは、違うの?」

 久しぶりに彼は口をきいた。私の背中に向けて、不可解な質問を投げかけてくる。私は振り返った。

「どういう意味…?」

 怪訝に思いながら私は訊き返した。彼の言葉の意味が本当に分からなかった。

 再び彼は黙り込む。私から視線を外してそっぽを向く。何かを隠しているように、何かを知っているかのように…。


「僕、知ってるよ?」

 彼は告発を始めてしまう。その状況はまるで、サスペンスドラマのラストシーン。

――やめて…!!

 私は咄嗟にそう思った。その先を聞くことを拒んだ。だけどもはや手遅れだった。


「お姉ちゃんが『おもらし』しちゃったこと」


 彼は「禁断のワード」を口にした。

 トンネルに入ったように。私は突然、目の前が真っ暗になるような絶望を感じた。あるいはそれは、彼が私に秘密を知られた時と同じ心境だったのかもしれなかった。


――続く――

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おかず味噌 2020/06/17 20:59

クソクエ 女戦士編「野外排泄 ~彼女の長い一日~」

――ズバン!!!

 凄まじく、小気味の良い斬撃の音色が草原に響き渡り、正面の「獣人型モンスター」を「一刀」で切り伏せる。
「成人男性」と比較しても、かなり大柄な体躯をした怪物は、

――グォォオ!!!

 と。「断末魔」とさえ呼べない醜い声を上げて、「両断」された。
 まさに「圧巻の一撃」。だが、その余韻に浸っている暇はない。蛮族の血で汚れた剣を軽く振って、すぐさま「次の敵」に備える――。

「脱色」された癖のある「長い髪」。「意志の強さ」が込められたような、鋭く切れ長の「双眸」。まるで「彫刻」の如く、目鼻立ちのくっきりとした「相貌」。
「剣」を振るたびに「躍動」する、鍛え上げられた全身の「筋肉」。その「自前の鎧」に覆われながらも尚、「主張」する女性としての「特徴」。「たわわ」に実った「双丘」、「豊満」な「瓢箪島」。それらを誇示するように、自らを鼓舞するように。あるいは単に「機動性」に特化したが故の「出で立ち」。
「額」と「肩」――、「戦闘」において「弱点」となり得る箇所だけを最低限に守り、「胸部」と「下腹部」――、女性にとって時に「武器」となり得る箇所だけを、最小限に隠した「防具」。名称としては「ビキニアーマー」に分類される、「扇情的」でやたらと「露出度の高い」その装備は――、彼女の「攻撃的」な「戦闘スタイル」を表し、自らの「剣の腕」に対する「自負」を謳ったものであった。

「ヒルダさん、後ろ!!」

 その「名」で呼ばれた彼女は、とっさに振り返る。だが、やはり「撃破」のもたらした一瞬の「油断」のためか、あるいはその名を呼んだのが「彼」であったせいか、彼女の「反応」がほんのわずかだけ遅れる。その「ほんのわずか」が、戦闘においてはしばしば致命的な「空白」となる。
 ヒルダの「左肩」に、「重い一撃」が加えられる。剣と呼ぶにはあまりに無骨で醜悪な蛮族の武器は、「斬る」というより「叩く」といった用途の方が相応しいだろう。彼女の斬撃の「流麗さ」に比べるべくもなく。けれど力任せに振り下ろされたその「攻撃」は、あくまで「打撃」としては「一級品」だった。

「チッ…!マズったか」

 ヒルダは「舌打ち」した。常人であれば、あるいは「激痛」によって「意識」を遠のかせられたとしても、何ら不思議ではない。だが彼女にとっては、その「攻撃」自体よりも「攻撃を受けてしまった自分」の方が、精神的な「ダメージ」となった。たとえ「一撃」であろうとも「反撃」を許した未熟な自分を、彼女の「プライド」は許せなかった。

 すぐに「体勢」を立て直す。痛みに怯んでいる場合ではない。もうこれ以上、彼の前で「醜態」をさらしてなるものか、と。「挽回」と「返上」を込めて、踏み込みながら剣を横に薙いだ。
 完璧な「踏み込み」だった。だがしかし、一見して「知性」の欠片も感じさせない蛮族はここで、持ち前の「戦闘スキル」を発揮した。「生存本能」、「野性的勘」と呼ぶべきものかもしれない。蛮族は斬撃の刹那、一歩身を引いたのだった。
 もちろんそれだけで斬撃の全てを躱されるほど、彼女の剣は甘くも浅くもない。当然の如く、蛮族の硬い皮膚に「一閃」が走った。汚い血しぶきが上げられる。だが、あいにく「トドメ」には至らなかった。そのことがさらに彼女のプライドに傷を付け、その精神に火を点ける。
 ヒルダはさらに「一歩」。二歩、三歩、踏み込んだ。自らの失態、その「尻ぬぐい」をするように――。

 突然、蛮族の全身が「炎」に包まれる。
「火のない所に煙は立たぬ」ならぬ「煙のない所に『火の手』が上がる」。彼女の気迫が起こしたものではない。それは紛れもなく「魔法」によるものだった。
 ヒルダは振り返る。背後の敵ではなく「味方」のいるであろう方向を――。そこには、安堵したように笑う「勇者」の姿があった。


 そこからさらに、三体の同種族モンスターを倒し、今度こそ本当の「勝利」が訪れる。
 美しい草原の風景に散らばった醜いモンスターの死体から、「戦利品」ともいうべき「物資」と「魔石」を剥ぎ取る。これらを「加工」し、あるいは「換金」することで、彼らはそれを旅の「資金」へと替え、自らをさらに高めるための「装備」へと化す。

「――ったく、ロクなもん持ってねえな!」
「戦闘後」の「ルーチンワーク」をこなしながら、ヒルダは毒づく。今回の「戦利品」の内容は、あまり労力に見合ったものではなかったらしい。苛立ち混じりに、八つ当たりするように、モンスターの「亡骸」を足で蹴る。だが彼女が苛立っているのはその「徒労」にではなく、やはりこの程度の戦闘に徒労を感じてしまった自分自身に対してだった。

――この程度のモンスター、アタシ「一人」でだって…。

 彼女は思う。それは決して「傲慢さ」によるものなどではなく、かつての彼女であればいかに「謙虚」に見積ったとしても、確かな事実であった。

「ヒルダさん、大丈夫?」

 彼女の身を案じて、一人の「人物」が駆け寄ってくる。

「少年」のように小柄な体。男性であるにも関わらず、その「背丈」は女性である彼女に遠く及ばず、「頭」数個分も低い。正面から相対したとき、ちょうど彼の「顔」の位置が彼女の「腰」の高さに相当する。
 彼女と同じく「剣」を扱う「職業」でありながら、その手足はまるで「小枝」のように細く、あるいは「少女」を思わせる「華奢さ」を醸している。
 だが、その背に負った「しるし」はまさしく「選ばれし者」の「証」であり、彼の矮躯に不釣り合いな、およそ自身の「身の丈」とも等しいその「大剣」は、あるいは彼自らが「背負い込む」と誓った「使命」の大きさを比喩しているようだった。
 一見して「童子」のように思える、実際「年頃」としても「童」である彼こそが、この「パーティ」の「リーダー」であり、「魔王打倒」の「切り札」でもある、紛れもない「勇者」なのであった。

 彼は、本当ならば「戦闘後」すぐにでも彼女の元へ駆け寄りたかったのだが――。彼女のただならぬ「気配」と冷めやらぬ「殺気」を感じ取って、何となく近づき難さを抱いていた。それでもやはり「仲間」への「心配」を抑えることができず、今こうして遅ればせながら彼は駆け寄ってきたのだった。

「平気さ、これくらいのキズ!」

 彼女は答える。「何でもないさ」と気丈に振舞ってみせる。だが、それは「はったり」だった。いくら「重症」でないとはいえ、とても「軽傷」と呼べるものではない。気を張っていた「戦闘中」はそうでもなかったが、気の緩んだ「戦闘後」になって、徐々にその「傷」が痛みだしてきた。「ズキズキ」と鈍い痛みを、肩に感じ始めている。

「アルテナさ~ん、お願いします」

 彼は呼ぶ「忌むべき名」を。「もう一人」の「パーティ」である「仲間」の名を――。自分とは「正反対」の属性を持つ、「彼女」の名を――。

「はいはい、そんな大声で呼ばずともワタクシは『あなた様』のすぐ傍にいますよ」

 まさしく、彼のすぐ「傍ら」から姿を見せたのは――、「僧侶」のアルテナだった。

「染色」された、まっすぐな長い髪。温厚さを、あるいは「慈悲深さ」さえも思わせる、垂れ下がった「眉尻」。「気品」を感じさせる、穏やかな表情。
「武器」を振り回すには決して似合わない、細い腕。その手に握られているのは「殺し」の「道具」などではなく、「救い」の「祭具」。「剣」ではなく「杖」。
「身」も「心」も、まさしく「神」に捧げたものであるらしく、その「肌」を不必要に「人前」に晒したりはしない。その全身は「濃紺の布」で隠されている。
 それでも。なだらかな「法衣」の上からでも隠し切れない、女性的な「起伏」。全身を覆っている、だからこそ余計に「主張」される、その「布」の奥にあるもの。それこそが男性を「迷える子羊」にさせるとも知らずに、あくまで気づかないというフリをして。

 同じ「種族」。同じ「性別」。だが、どこか違う。彼女にあって、自分にはないもの。似通った「凹凸」を持ちながらも、その魅力はまさに「正反対だ。自分のそれが「強さ」だとすると、あるいは彼女のそれは「弱さ」。「庇護欲」を駆り立てる「か弱さ」。世の男性が異性に求める、身勝手な「印象」。「剣士」である自分が最も疎むべき、それこそが「女性らしさ」と呼べるものだった。
「自分」と「彼女」。そのどちらに多くの男性が「夢見る」かは知っている。「淑女」と「筋肉女」。果たしてそのどちらを自らの「傍ら」に侍らせ、生涯の「伴侶」として選ぶのか、その答えは分かりきっている。そして、あるいは「彼」としても――。

――はぁ~。

 彼に呼ばれたアルテナは、ヒルダの負ったその「傷」を見て、呆れ果てたというように長い「溜息」をついた。

「後先考えず獣のように突っ走るのは、いい加減お止めになってはいかがでしょうか?」

 優しげな声音。あくまで穏やかな口調。諭すように、まるで稚児に言い聞かせるように彼女は言った。

――チッ…!

 またしても、ヒルダは「舌打ち」をした。だが今度のそれは自分にではなく、まさしく相手に向けられたものであった。

「どっかの『足手まとい様』が、戦いもせずに『後ろ』でコソコソやっているからさ!」

 最大限の「皮肉」を込めて、ヒルダは言い返す。

「あら。ワタクシの『役割』は、あくまで『回復』と『サポート』ですよ?」

 悪びれる様子もなく、アルテナは答える。

「もちろんそれも、『神命』あってのものですが――」

 そう言ってアルテナは、ごく自然な仕草で「勇者」に擦り寄った。自らの腕を絡ませ、彼の腕に豊かな「膨らみ」を押し当てる。
 彼女にとっての「神」はどうやら、随分と「身近」にいるらしい。「従者」の心構えとしては、あるいは正しいのだろう。だが、彼女のあまりの「俗物ぶり」に嫌気が差した。

「アンタはせいぜいその有難い『神様』とやらの、言いなりにでもなっているがいいさ」

 吐き捨てるように、ヒルダは言う。それもまた「俗的」な発言に違いなかった。

「我らが『神』を冒涜なさるおつもりですか?」
「だとしたら、ワタクシとしても心穏やかではいられませんよ?」

 声を荒げるでもなく、あくまで平静な口調でアルテナは言う。

「『ボウトク』なんてしちゃいないさ!」
「ただ、アンタのその『シンジン』とやらが如何なもんかって言ってるだけさ!」

 別にヒルダとしても、「神」を貶めるつもりなどは毛頭なかった。熱心に「信心」こそしないものの、決して蔑ろにする気はなかった。ただ問うただけだ。売り言葉に買い言葉で、口をついてその文句が出てきただけだ。

「今度はワタクシの『信仰心』までも。一体アナタはどれだけ――」

 さすがのアルテナも、いよいよ「心穏やか」ではいられなくなってきたらしい。言葉に「感情」が込められる。ヒルダとしては望むところだった。彼女の「反論」を想定して、自らも「反撃」の「刃」を備える。だが――。

「もう~、二人とも!喧嘩はダメ!!」

 畏れ多く、何人も近寄りがたい「龍虎の戦い」に割って入ったのは、やはり「勇者」の名を冠する者だけだった。無謀にも、彼はその「争い」に身を投じるわけでもなく、ただ「諍い」の無為さを説く。「怒る」のではなく「叱る」ことで、その場を収めようとする。まるで「大人」であるかのように。自らが「子供」であるにも関わらず。
 少なからずの不満を抱えながらも、二人は留まるしかなかった。まさに「鶴の一声」。だがその声はどちらかといえば、「小鳥の囀り」にも似ていた。それでも両者は互いに、振りかざし掛けた「拳」と「言葉」を渋々ながらも静かに下ろすのだった。

「勇者」であるという彼の「身分」がそうさせたわけではない。「リーダー」の「命令」だから、というのとも違う。たとえそんな「地位」などなくとも、彼女たちはあくまで表向きは素直に従っただろう。それは彼女たちと彼との「関係性」が、彼女たちが彼に抱く「密かな想い」がそうさせるのだった。

 何となく「気まずさ」のようなものをヒルダは感じた。「子供」が叱られたときに抱く感情だった。そして「大人」であるからこそ余計に、その感情はより強く彼女の中で発露するのだった。彼女は立ち上がろうとする。

「どちらに行かれるのですか?」

 アルテナが声を掛ける。「不戦勝」の気配を感じ取ったような余裕の表情で。

「別に…。なんでもねえよ!」

 苛立ち混じりにヒルダは答える。だがそれは「答え」になっていなかった。
「敵前逃亡」。自らに課したその「禁忌」を、自ら破ることに躊躇いを覚える。だが、「戦い」を禁じられたとすれば致し方ない。あとは従う他ないが、彼女の「矜持」はそれを許さなかった。であれば、あとに残る道は「逃げ道」だけだった。
 だが、わずかに残されたその道さえも彼女は閉ざされる。やはり、他ならぬ彼によって――。

「ダメだよ。ちゃんと『回復』してもらわないと」

「勇者」はヒルダの腕を掴んだ。か細い腕。その気になればいくらでも振り払えそうな、非力な握力。だが、そこに彼の真剣な「眼差し」が加わることで、まさに「真剣」を向けられたかの如く、その場から身動きできなくなった。
 いや、それが真なる「剣」であれば、いかに強者や達人のものであったとしても、彼女は臆することなく「太刀向かう」ことができていただろう。けれど、たとえ虫を殺すことさえできない、殺気の籠らない「刃のない剣」であろうとも、相手が彼であるとしたら、もはや彼女に「太刀打ち」はできなかった。

 彼に「触れられた」腕が、「熱」を帯びる。頭の中が、胸の奥が「じん」と疼く。股間が、その部分にあてがわられた「下穿き」の中が「じゅん」と湿る。
「切ない」ような、どこか「懐かしさ」さえ覚える、その感触――。
 ヒルダが「戦士」として、初めて臨んだ「戦闘」。「敵」に対する「恐怖」から、意図せず「尿道を緩ませた」ことによる「失禁」。「下穿き」の中が「水流」に満たされ、やがて大地を穿つ。後に残された「羞恥」すべき「染み」。それとは違う。
 やがて「戦士」として、いくつもの「戦闘」を経たのち。「強敵」との邂逅によって、自らを昂らせたことによる「興奮」。それにも似ているが、やはりそれとも違う。
 もっと「熱く」、あるいは「優しい」感触に。彼女は思わず一瞬、戦士であるという、自らの存在理由すらも忘却していた。
 
「アンタがそこまで言うなら…」

 ヒルダは立つのを止めて、その場に留まった。「しょうがない」というように、彼の「指示」を聞き入れ、あくまで「お願い」として受け入れることにした。
 ヒルダは負傷した肩の「防具」を外し、「患部」を晒した。自らの「弱点」であるその部分を、「味方」である彼女に見せた。
 アルテナは、ようやく「自分の出番だ」というように――。やはり、彼女にとっての「存在理由」である「杖」を握り直し、その先端をヒルダに向けてかざした。

「汝、『救い』を求めなさい。たとえそれが『艱難辛苦』の茨の道であろうとも、その『歩み』を終えることなく、ただひたすらに『願い』続けなさい――」

 アルテナは「詠唱」を始める。やがて「杖」の先が「光」を帯び始める。「神秘的」で、ある種の「荘厳さ」を思わせる、紛れもない「魔法」の色。そして――。

――ヒーリング!!

 杖の先が、彼女の体が、淡く照らされる。周囲が、優しい色に包まれる。
 すると。まるで「奇跡」が「伝播」したように。まさしく「魔力」が「伝染」したかの如く。ヒルダの「傷」が少しずつ癒えてゆく。徐々に「傷口」が塞がり、やがて消えゆくことで、それと共に「痛み」さえも和らいでゆく。
「回復魔法」。選ばれた「職業」の者にしか扱えない、それはまさに「奇跡」とも呼べる代物だった。

 やがて。ヒルダの「肩」を覆った、「杖」からもたらせられたその「光」が、失われてゆく。それはアルテナが自らの「役目」を果たし、「使命」を終えたことを意味する。

「はい。終わりましたよ」

 アルテナはまるで「聖母」のように微笑んだ。決して認めたくはないが、今この瞬間に限っては、紛れもなく彼女は「ひれ伏すべき存在」であった。

「すまない…ね」

 ヒルダはあくまで「謝意」ではなく、「謝罪」をもって「礼」に代えた。それでも彼女なりの精一杯の「譲歩」だった。
 これにて「一件落着」。真の意味で、戦闘を終えたこととなる。
 だが。ヒルダにとってはもう一つ、済まさなければならない使命が残されていた――。

「魔法」とは、まるで「万能の能力」であるように思われるけれど。それが「人の手」によってもたらせられる以上、どうしたって「完全な奇跡」とはいかない。その「強大」な力を得るため、「鍛錬」と呼ぶべき「修行」が必要なことは言うまでもないが。それを「行使」する上で――、「術者」において「魔力の消費」はもちろんだが、それだけではなく。「行使された側」、つまり「奇跡を与えられた側」においてもやはりその「代償」は付きものであり、それを避けることはできないのだ。

 ヒルダは「下腹部」に、鈍い「違和感」を覚えていた。「回復」とは、魔法によって「のみ」与えられるものではなく、本来人体にも当たり前に備わっている「機能」だ。「魔法」を使わずとも、適切な処置(「消毒」や「固定」)をして、そのまま「安静」にしていれば、いつかは「回復」するものだ。
 つまり。「回復魔法」のもたらす「効果」というのは、いわばその本来人体に備わっている機能を「活性化」させ、「促進」し、それを「加速」させることに他ならない。
 換言するならば、「新陳代謝」の「活性化」。だからこそ、そこにはどうしたってある「副作用」が付きまとうことになる。
 とはいえ、やはりそこは「魔法」であり、全ての「代償」を「当人」が受けるわけではない。術者の「魔力」も当然「消費」する。いわば痛み分けに等しい。
 即座に「消化」が促されるわけではなく、「老い」を早めることにもならない。わずかに「髪」や「爪」が伸びるとも言われるらしいが、その「変化」は微々たるものだ。
 それでも。やはり「きっかけ」くらいにはなり得る。自らの「体」に現れる「兆候」に、気づくだけの「理由」にはなる――。

 ヒルダは再び、その場から立ち上がった。二人は怪訝そうな顔をする。だが、彼女が「役目」を果たしたように――、自分もまた暫定的な「義務」は終えたのだ。あとは好きにさせてもらうことにする。
 ヒルダはその場から立ち去ろうとした。颯爽と、彼女本来の「クールさ」を取り戻すようにして。自らの「目的」を告げることなく。「弱み」を見せることなく。だが――。

「どこ行くの?」

 無情にも声が掛けられる。彼女の背中に彼は呼び掛ける。ヒルダは立ちどまった。苛立ち混じりに、彼の察しない言動を咎めるように。彼女は振り返った。そして、意を決して口を開く。

「『便所』だよ!!」

 彼に報せたくなかった言葉を、知られたくなかった「生理現象」を告白する。それは、ある種の「開き直り」だった。

「『ついて来る』ってなら、別に構わないけどさ」

 そう言って、ヒルダは「挑発的」に口元を歪める。試すように彼の「羞恥」を煽ることで、自らの「羞恥」を覆い隠す。
 彼女のその「挑発」に、彼が応じることはなかった。「パクパク」と不器用にも口を「開閉」しただけだった。その「反応」は彼女にとって、少なからず「予想通り」のものだった。アルテナが露骨に、嫌そうな顔をする。

「まったく。何と、『下品』な…」

 嘆くように、軽蔑を込めて彼女は言う。だがその「蔑み」も、ヒルダにとってはむしろ心地良いものであった。これにて「意趣返し」は成った、とあくまで間接的にではあるが「卑怯な勝利」がもたらせられた。
 もはや、ヒルダを止める者はいなかった。彼女は悠々とその場から歩き去り、拓けた「草原」の隅の、拓けていない「草影」を探した。自らの「使命」を果たすために。「用」を足すために――。

「パーティ」から離れること、しばらく――。ようやく、丁度いい「場所」が見つかる。それなりに背の高い「茂み」。身を隠し「用」を済ませるには、うってつけだった。

――よしっ!ここなら…。

「仲間たち」の居る場所から充分に「距離」もある。故に「音」を聞かれる心配はなく、「臭い」だって届きはしないだろう。
「旅をする者」にとって「野外排泄」は付きものだ。それはどうしたって仕方のないことなのだ。だがそれでも、彼女にも「羞恥心」というものはある。さすがにその「行為」を「観察」されることはもちろん、たとえ「間接的」であってもその気配を「観測」されることは憚られた。
 だが、ここまで来ればその心配もない。存分に、「事」に臨むことができる――。

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