お弁当将軍 2020/08/18 10:26

【自分語り】正義の敗北への執着

戦隊モノ

 自分が子供の頃に見ていた戦隊モノは、「忍者戦隊カクレンジャー」でした。この戦隊の女性隊員はニンジャホワイト・鶴姫。年齢設定、なんと15歳。15歳?? the eros。その設定で大丈夫か??エロすぎてクレームこないか?? 子どもの頃はそんなことは考えていませんでしたが、大人になって心が汚れてしまった現在はそんなふうに思ってしまいます。

 戦うヒロイン系と戦隊モノ、どちらも好きです。
 戦隊モノのほうがスーツ&全頭マスクなので、フェティシズムが強めで、どちらかといえばそっちのほうがより好みです。スーツで覆われて「中の人らしさ」が消えて「正義」の概念体に近づくことが良いのかな?中の人(女の子の個性)が出てくると、それは自分としてはちょっと邪魔な要素だなぁと思ってしまったり(たぶんマイノリティだと思いますが…)。


なぜリョナはエロいの? なぜ正義への反発・破壊を求めるのか

 フロイトという心理学者は、人間のこころが「意識的なこころ」と「無意識的なこころ」の両方から成り立っていると考え、精神分析学や夢分析を発展させました。その後、ユングなどの心理学者が「無意識」について観察し、その複雑な様相を明らかにしています。
 無意識の表れに、「抑制」「抑圧」という働きがあります。抑制は意識的なコントロール、抑圧は無意識的にコントロールされるようなイメージです。例えば、母親が子どもに度を越して厳しくしたことで子どもが傷ついたときに「お母さんがそういうやり方をするとぼくは傷つく。だから体に不調が出るんだ。でもなんとか我慢しなきゃ」というのは抑制、「お母さんはぼくのためにこんなに厳しくしてくれているんだ。でも、最近体の調子が悪いのはなぜだろう?」というのは抑圧と言えるかと思います。
 こういった、子どもの頃に十分に満足を得られなかった体験、心の傷は、何らかの形で出てくることになります。例えば、反抗的になって不良になったり、心身症として体にあらわれたりなどです。我慢や心の傷つきを、「自分はそうなんだなぁ」とありのままに受け止められない限り、そのしわ寄せはどこかしらに現れてきます。

  • 自分語り。
     自分の場合、「リョナ好き、正義の敗北が好き」という嗜好は、上記の感じから来ているんじゃないかなぁと最近考えます。子どもの頃から今まで、いい子として生きてきました。母親が道徳的に厳しく、しかも「人間の弱さや汚さ」という誰もが持っているものを「私はそうではない」と否定し、他人にもそれを許さない人でした(つまり、母自身がかなり抑圧が強い人なのです)。大人になって親と離れ、自分を解体し再構築する中で、抑圧を認識して初めて自分と親について客観的に見ることができ、自分がいかに息苦しい人生を送ってきたかを認められるようになりました。
     認識したところで、今更親と対決していく気にもなれず、芸術表現(いやそんな高尚なもんじゃないけど笑)として昇華していくことで、傷を癒そうとしているのかなと。
     そういった傷口が、どういった形で性的興奮と繋がるかについてはよくわからないので説明できないのですが…。「危険なメソッド」という映画では、ユングという心理療法家の患者だったザビーナという女性が、父親の厳しすぎるしつけ(暴力)でマゾヒズムに陥ったこと、あるいはそれらのトラウマが、「お尻をムチで叩かれると興奮する」性的倒錯の原因になっていると描かれています。
     被虐性と加虐性は表裏一体。いじめられっ子が、環境や人間環境の変化でいじめっ子になってしまうのと同じです。被虐としての自分は、痛めつけられる正義のヒロインを同一視してマゾヒズムを満たし、加虐としての自分は、痛めつける側を同一視ながらまるで親を成敗するかのごとくサディズムを満たしているのかもしれません。

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