ぽに犬/ponidog 2019/01/26 11:30

てぃーぶれいく。祖母の事

孫あくしょん。


1~2歳ぐらいの頃、母が入院し
僕は母方の祖父と祖母の手によって2か月ほど育てられました。
(他の兄弟は父方の家のほうへ行き、僕ひとり残されました)

当時の断片的な記憶が幾つか残っています。
仕事から帰ってくる祖父を迎えに駅へ乳母車に乗って行き
手を繋いで立って待つ。
ホームへ降りた祖父は帽子を手に取って振る、そういう光景です。
広い麦畑と長い直線がずっと続くT字路、カブトムシの居る雑木林が駅に続くまでの道の横に広がってるような田舎でした。


その後大きくなっても祖母と祖父に懐いて、
長期休みに祖父と祖母の家に行くのを楽しみにしてました。
他の兄弟にとっても良い祖母、祖父だったので取り合いになってました。
(ちなみに祖父の若い頃の写真はイギリス人の俳優かなにかと間違えるぐらいかっこいいのですが、そのセピア色の写真をこっそり知り合いには見せては自慢してます)

雀が日向の縁側に座った祖母の元に降りてきて
手のひらから米粒をついばむ不思議な光景を弟と見て驚いた記憶もあります。


緑ちゃっきーのしましまマフラーの元ネタは祖母が僕にへと編んでくれた手編みのマフラーです。
85を超えてきたあたりでぼけてきて寝たきりだったのですが
葉露のヒットで生活に余裕が出た僕は2007年のクリスマスに祖母へカードを出すことにしました。


『くまの親子かい? かわいいねぇ』
電話口の嬉しそうな声を今でも思い出します。
はじめてクリスマスカードを貰ったのだとかで喜んでいただけました。
葉露XマスアプデCGに使ったこれは祖母の為に描いたもののおすそ分けですね。
(ちなみに熊ではなく、くまという名の犬です)
ポストカードを立派なクリスマスカードに同梱したのが始まりだったでしょうか。音が鳴るタイプだったかもしれません。
耳にぴたりと当てて何度も聴いていたのだと。


翌年はポップアップカードを作成しました。
僕を思い出した祖母はお礼に寒くないようにと頑張ってマフラーを編んでくれました。
祖母の中では僕は4歳ぐらいの大きさで、コタツに隠れてないか探してたようです。マフラーも幼稚園児用のサイズでした。
一番僕にとっても幸せな時期でした。

カードは以後毎年かかさず贈って、
ついで敬老の日にも贈ったりしました。


(敬老の日のは段々と反応が薄くなったそうなので花とかブーケとかに変えてみました)


これは祖母の為に描いた誕生日カードですね。


クリスマスのポップアップカードは最初は反応良かったのですが
単体だとあまり興味なくなってたそうで。
しかしミュージックカードは耳元でなんども聴いていくだとかで、
絵本は無理でもと曲ならばと選んで贈ったのでした。


祖母の家にあったクマのぬいぐるみを貰って
ずっと持ち歩いていました。ちゃっきーの元ネタの1つです。
自分と弟の間でぬいぐるみが一大ブームとなりました。
(兄者たちは大人だった)
いろいろ可愛い系の趣味を祖母は好んでいたので
よい情操教育になりました。

そういうしみじみ話でした。

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