暗い夜 2023/01/28 18:08

自分語り記事です(閲覧注意!

こんばんは!暗い夜です。
自分の中の気持ちに整理をつけるため、このような記事を書かせていただきます。ゲーム制作に一切関係がなく、お見苦しいものとなっていますので…それでもいいよ!という方だけで…
(また、占いが好きな方は気分を害される可能性が高いです。この記事を読まないことを強く推奨します。)
この記事の直後に、ゲーム関係の方についての記事を書かせていただきます。


まず、この記事を書くことになった理由ですが私の恩人(仮にTさんとさせていただきます。)とも呼べる方がつい先日亡くなり、そのお通夜とお葬式に参加してそろそろ一区切りつけなければいけないと考えたからです。
この記事では、私とその方について語らせていただければなと思います。
(繰り返しの注意喚起となりますが、ほんとにお見苦しいものとなると思います。この記事を読まなくても一切支障はありません。)

まず、Tさんと私が出会ったのは私の大学受験を控えているような時期でした。私の母はスピリチュアルに傾倒していた時期があり、いろんな占い師やその関係の方のところに連れていかれたことを覚えております。
当時私は母を悲しませたくはなく、連れていかれ、まじないをされるたびに「体が軽くなった。」「気分が軽くなった。」と言っていました。(今から考えると、これも母にとってもよくなかったと思います。)
そんな折、いつものように連れていかれたところがTさんのところでした。ただし、Tさんは他の占い師の方とは違いました。といっても、この方は本物だ!とか、そういうものではありません。
母に向かって、「貴女は霊は見えるのか」「見えないなら、なぜそんなものを信じて息子を連れまわすのか」「占い師の言葉に騙されて、大金を支払っていたら悲しむ人がいる」…というような言葉を母が言われていたのを覚えています。(補足ですが、皆様に占いを信じるなと言うわけではありません。それは個人の自由であり、私からそれを否定することはありません。あくまで私と母のケースでは、とお考え下さい。)
もちろん、たった一回のその言葉で母の占いへの傾倒がなくなったわけではありません。ただし、占いへの見方が変わったのは事実だと思います。それ以降、母は占いは人の悩みを和らげる、解決するためのものであり、人を不安にさせるものではない、と考えるようになっていきました。そして、私を占い師の元へと連れまわすことはなくなりました。(私はそのことで強くTさんに感謝しています。)

それから、私は母に言われて週1回Tさんのもとへと通うようになりました。文字にするとそれまでと大して変わらなく聞こえますが、私にとってはおじいちゃんのようなもので、話す内容は世間話や悩み事の相談であり、Tさんが何か私にスピリチュアルなことを言うことはありませんでした。

さて、いったんTさんの話題から離れて私自身についてお話させていただきます。私は無事大学受験に合格し、第一志望に入ることができました。
しかし、せっかく頑張って入ることができた大学ですが、私はすぐに不登校になってしまいます。原因は本筋から大きく外れてしまうので割愛しますが、ただ、基本的には全て私の怠慢であり、私のせいです。
一度休み始めると、大学に行くと考えるだけで不安な気持ちになり、親には大学に行くと伝えて公園で時間をつぶしていました。…冬は、とても寒かったです。
そうして不登校でいると、当然単位なんて取れません。
私の留年は早い段階で決まりました。
留年が決定し、私の心はすごく脆くなっていきました。(あくまで悪いのは自分にも関わらず、この段階になっても私は大学に行けなかったのです。)
時間を潰す場所が、だんだんと公園から近くの川にかかっている橋になりました。この橋から飛び降りたら死ねるかな、私なんて死んだほうがいいんじゃないかな…そうやって、自殺まで考えていました。
…そんなことを考えるくらいなら、いくら不安でも大学に行けばよかったのだと思います。今思い返すと、当時の私は正常ではありませんでした。
どうしようもなくなった私は、ついに自分の留年をある人に相談しました。…それが、Tさんです。私は泣きながら、自分がどうしようもないダメな人間であること、もう死んだほうがいいんじゃないかと考えていることを相談しました。
そして、笑い飛ばされました。なんで泣いてるんだと、そんなものは苦しみでもなんでもないと。お前は過去にとらわれすぎだと笑われました。そして、この先いくらでも取り返しがつく、大丈夫だと言われ、どのように両親に伝えればいいのか、などアドバイスを頂きました。…不思議なものですが、笑い飛ばされて気持ちが楽になったのを覚えています。(あくまで私の場合は、です。悩んでいることを笑い飛ばされたら傷つく人も多いと思います。なので、これは悩んでいる人には笑い飛ばしてあげるといいよ、というアドバイスではありません。)
両親にもTさんの方から伝えていただいていたらしく、私はとても叱られながらも、最後には許してもらうことができました。親に伝えてから、気持ちはすっごく楽になりました、隠しているときが一番、心は不安定になりますね。

それから、少し時間はかかりつつも、私はなんとか頑張って再び授業にできるようになりました。また、並行してゲーム制作を始めました。その後は、皆さんに支えられながら日々を過ごしています。

…大きな悩みは解消されましたが、私は結局毎週Tさんのもとに通い続けました。本当に世間話ばかりになり、ただ話をするだけだったのですが…楽しかったです。

そんなTさんがつい先日、基礎疾患が悪化してお亡くなりになりました。病院からはもうすぐリハビリを開始すると聞いており、突然の事態でした。Tさんがなくなったと聞いたとき、私はあまり実感がわきませんでした。…でも、時間が過ぎると同時にとても悲しくなり、たくさん泣きました。ほんとにたくさん泣きました。

けれど、いつまでも沈んでいるわけにはいかないと思っています。私はTさんに救われましたが、同時にこのゲーム制作と皆さんにも救われています。「私って生きてる価値があるんだ」という風にゲーム制作を通じて、自分の価値を感じることができたからです。
私は、以前よりずっとずっと明るくなったと思います。もう、死にたいとはみじんも考えていません。
ちょっと、くさい感じで締めることになっちゃいますが…皆さんのおかげで、私は生きてていいんだって思うことができます。
これからも楽しみながらゲーム制作を頑張っていきますので、温かく見守っていただけるととても嬉しいです。お見苦しい長文をここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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