感想を伝える努力とは
感想を伝える努力とは
最近たまに思うんです。
"感想"ってすごく難しくないでしょうか。
僕は小、中学校の遠足とかで、
遠足自体は楽しかったんですが、その後の遠足についての感想文が憂鬱で仕方なかったんです。
地方とかその他で感想文がなかったりもするかもしれませんが、たぶんこんな経験は僕だけではなかったはずです。
感想を伝えるって難しいと思うんです。
何か映画を観て。
何が面白かったか。
そう問えば、大抵の人は「この映画は良かった」「凄く感動して泣けた」「グラフィックがいい」「面白かった」
こんな答えでしょう。抽象的な。
たぶんこれって感想じゃないんですよ。
仮にこの感想を第三者がみて「なんなんだこの作品?」と興味を持たないでしょう。
それならまだ「ここがダメだった」「役者の演技が下手すぎて笑ってしまった」
こういった否定的な感想の方が第三者は「そんなに酷いのか?」と何人かに1人は興味を持つと思います。
ただ、どんな作品でも1、2日で完成はしてない訳で、ある程度の努力の結晶だとは思うのでリスペクトは必要だとは思いますが、
ここが面白くなかった、面白かったを第三者が聞いて興味を…もっと言えばイメージ出来るくらいの感想が言える人を見ると感動するんですよね。
たまに…というか、現代病みたいな物なんですかね。
個人の感想と評価を極端にごっちゃにする人を見る気がするんですが十人十色でいいと思うんです。
例えば、Aさんがいたとして、
Aさんは機動戦士Zガンダムは名作で逆シャアは微妙とか、鬼滅の刃よりスパイダーマンの方がいい!等の意見があったとして、
それに対して「お前には見る目がない!」ではないの面白くない一言ではなく、
Aさんの目にはそう見えた。思った。
それが感想なんです。答えじゃないんです、評価じゃないんです。
それにあなたもそう思いませんか?仲間でしょう?大多数が言ってる、監督がインタビューで言ってたとか自分以外の他人を意識したら感想じゃないと思います。
そう思った根拠や、物足りなかった要素。この点は良かった、ここが世間に評価されてるであろう部分とか考察を考えて他人に伝えるだけで、
作品を知らない第三者は多少なりとも作品に興味を持つと思うんですよね。
興味を持って観た第三者が違う意見を持っても、それはまたその人の感想。共感しても感想。
答えなんて無い方が感想としては面白いですし、違うなら違うとわかっても妄想話としては面白いかなとか。
そんな僕個人の勝手な"感想"という物の感想…?を書いてみました。
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