「ドラゴンボール」のサイコ感
「ドラゴンボール」のサイコ感
"サイコパス"ってどんなキャラだと思いますか?
バットマンのジョーカー?
フリーザーと浮かぶ人もいるかも知れません。
しかし、僕は孫悟空は飛び抜けたサイコパスだと思っています。
サイコパス診断のトロッコ問題で多くの人が軽く勘違いしてるんですが、
100人と1人を選ぶ際に"殺人的に100人を殺してしまう"のがサイコパスではないんです。
それはただの悪党です。
地球上そのものを潰される際に特出戦力だけを迷いなく助けるのがサイコパスで、
「誰ひとり死なせるものか」と綺麗事のような無茶をいうのがフィクションのヒーローです。
フリーザーはサイコパスかと言うと少し謎です。
しかし、本編中でも悟空と正反対のようで意外と意気投合していたのでサイコ仲間ではある筈です。(作者が意図していたかは謎)
フリーザーは自分に逆らう奴、使えない仲間は皆殺しにしますが"わざわざ全員殺す"んです。
対して悟空は誰も殺さない。
"守る"代わりに一生ヒモ生活でも文句言わせない権力があるんです。
作者が悟空の嫁にチチという"最高に空気が読めないガミガミキャラ"を置いたのも上手くて、
わざわざ全員殺さないでいてあげると生活がもっと便利になり、ご馳走にもありつけると理解しているんです。
でなければ、平和になれば結婚もせずに山ごもりの独り身生活の筈です。
対して、悪の支配者は毎日トラブル続きの面倒事の管理、生活もサバイバル続きで縦社会。
明らかに悟空より不便な生活をしていますね。
ベジータが本編最後に「俺は悪に戻りたかった」というシーンがあります。
では、なぜそもそも正義になったかといえば"利用できるものは利用する"と繰り返した結果、やってる事は悟空と同じだと気付いてしまったからです。
実は怖いんですよね。
ベジータはピッコロとは少し違い、
一言も自分が間違ってた、改心したから正義になった訳じゃなく、
「害がないなら、利用出来るなら殺さないでいてやる」と学んだ結果、悪党をするよりよっぽど利益がある、と。
わざわざ殺す方が面倒くさいと知ったんです。
悟空は正義の味方ではありません。街で犯罪が起きようと害がなければ無視するかも知れません。
かと言って悪でいるのも非効率だと無意識に知ってるんです。
世界を何度も救っているだけで、誰かの笑顔が見たいからとかの正義感で動いていないのが結果的に「正義の味方」に見えてしまう。
その一貫性が深い漫画だなと思ってしまいます。
※一応補足しておきますがサイコさについてずっと褒めているつもりです。悪口に聞こえた場合ごめんなさい。
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