クローンという存在論
クローンという存在論
世の中の大抵の悲劇というものは本人にとっては地獄でも他人にとっては日常です。
僕を含めて、これを読んでいる誰一人としてクローン人間はいないでしょう。
では、仮にいたとして自分自身がクローンだとするとどう考えるのでしょう。
例として、
血の繋がらない親子を考えてみました。
しかし、本人からすれば悲劇だとしても生活には最低限の支障はでません。
恐らく、タイムカードを押さずに働いている人という方が近い気がします。
「その場にいて、目に見えて、手が触れる事は出来るけれどその場にはいない筈の人」
これがクローン人間本人の存在論と近しいと僕は考えました。
タイムカードなら1日で済みますが、それが寝ても覚めても永遠に続けばどうでしょう。
そこに何もいないけれど確かにいるのが透明人間ならば、そこにはいるのにいない存在がクローン人間です。
どれだけ能がなくて欠陥だらけの人間でも本物の人間であることは確かだと思いますが、クローンの本物の人間ではない欠陥のない人間と前者ではどちらが人間らしいのでしょう。
面白いですが非常に難しい話題ですね。
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