エンタメ業界の「自分の心情を吐露できる場所が無い」事に焦燥感を感じている話
どうも。
僕は最近思うところがあって。
それはエンタメ業界で物事を発信する人間には、自分の心情を吐露できるタイミングが存在してないっていう所なんですよ。
日本のエンタメ業界って、基本的に「言っちゃいけない事は言わない」事が暗黙のルールとしてあるじゃないですか。
でも、それって悪いことがあって塞ぎ込んだり、何か思い切りのついてない未精算の過去だったりトラウマだったりみたいな事も、言っちゃいけないって事と同義だと思うんですよ。
2000年頃、とある脚本家が自死を選んでしまった事件がありまして。
その方は、かなり大きな映像作品のプロジェクトに関わっていたんです。
その脚本家に関わっていたある人が自分の心情を吐露できる場所というモノがクリエイティブの現場にあるなら、彼は自死を選ばなかったのでは。と言葉にしていて。
今って自分という生命が持続可能なコンテンツとして生涯を全うするのに、誰もが精いっぱいな時代だと思うんです。
ただ、心情を吐露する。悪意だったり、欺瞞だったりっていうモノも含めて自分の気持ちをエゴではなく受け止めてくれる現場っていうモノが周りにあるのならば、救われた命って創作業界にいっぱいあったんじゃないの?って考えちゃうんです。
少なくとも「ホントの所を言っちゃったら終わり」っていう日本のエンタメ創作業界に漂っている空気っていうモノが、多くの人間から命を奪ってるって事を最近は考えてました。
だからといって他人の「重さ」を受け止められる能力の無い自分にも無力感を感じていて。
結局自分にできる事って、DLチャンネルで文字を書くぐらいで、他人の死を止めたりはできないのかな。とも思いつつ、しかしDLチャンネルで書くことによって何か他人の認知みたいなモノを暗がりから助けられるんじゃないのとも思ったり。
こうやって書いてみると「他人の重みをなんとか持とうと画策する」っていう自分の認知に気づきました。
とにかく僕が願ってるのは、全てのクリエイターが健やかであって欲しい事。
少なくとも僕の身内から自死を選ぶクリエイターが出るっていうのだけは絶対に避けたいので、受け止められる確証は無いけれど、その時にはDM下さい。ディスコードで話を聴きます。
自分の中の脳のネットワークをまとめるために書いて文章なのでなんかすいません。
また、文字を書いていきたいと思います。
よろしくお願いします。