【無料公開】おれとカノジョがわかるまで 1話【ノベル版】

うちの看板娘 青咲ネモのノベルです!
1話は全年齢向けで全員読める形式
2話目から成年向けの内容になるため支援者のみ読めるものとなります。
試しでやってみる形なので全6話(月1話 9月に連載終了予定)
支援者の増加などで10月以降も連載・イラスト付けるなど考えようと思ってます。

おれとカノジョがわかるまで(1話) PDF版

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おれとカノジョがわかるまで(1話)


俺には、真っ暗な林の中が似合ってるな。
木々が鬱陶しいほど生える道なき道を歩いている途中、俺は自嘲気味に笑った。

今はまだ昼前だっていうのに、光はほとんど入ってこない。
真っ暗というわけではないけれど、この暗さは本当にイヤな気分にさせられる。
そんな中を歩いていると、今までの俺——神崎直の人生が全部、目に見えるようだ。

産まれてからこの方、学校の成績なんかいつも滅茶苦茶、運動も勉強もダメな人生だった。
そんな鈍くさい俺に、神様は慈悲もくれないようで、支えてくれたり慰めたりしてくれるような、超絶美少女な彼女はいなかった。
当然だけど、普通の女の子だって、俺を惨めだと思って手を差し伸べてくれる子もいない。

 どうして俺の人生は、こうなったんだ……。

 暗い林の先はまだまだ見えない。
けれど、誰にも見つからないようにするには、もっともっと奥に入らなくちゃいけない。
くそ……どうして俺がこんなところで……。

「ぅおあっ!」

 がっ! と足が何かに引っかかって、体がイヤに硬い地面に叩きつけられる。
 全身が痛い。
ずっと歩き続けてきた疲労も重なって、体中に激痛が走る。
 土と湿った枯れ葉は、全然衝撃を吸収してくれていない。

 あぁ、俺の人生は、もうダメだ。

 別に、悪いことなんてしていない。
 警察やらにお世話になったこともない。
 神様に逆らうようなことだってしてない。
 なんとか人生を変えてやろうと頑張ってやったくらいだ。
 なのに、何も変わらなかった。

 小中高と底辺続き、なんとか頑張って入った大学もFランク大学。
 バイトをしながら学費と生活費を稼いでいるから、サークル活動もまともにできやしない。
 そして極めつけは、俺とよくつるむ高校時代からの友人には彼女ができた。
 その友達が報告してきたとき、表面上はなんとか取り繕って「おめでとう!」なんて祝ったけど、心では、呪っていた。

 あぁ、俺にも可愛い彼女がいれば違ったのかもしれないなぁ……。

 残りの力を振り絞って立ち上がり、なんとか前へ進む。
 きっとこの林の中に、俺にふさわしい死に場所があるはずだ。

「……?」

 少し歩くと、さっきまでは気がつかなかった明かりが前に見える。
 林の中に開けた場所があるんだろうか?

 そこまでいけば、きっと綺麗な風景が見えるかもしれない。

「俺、あと、もう少し……!」

なんとか足を前に出す。
きっとあそこが、俺の人生を少しでも慰めてくれるに違いない。

あと少し、あと一歩。
光がだんだん強くなっていく。俺の視界を強く照らしてくれる。
俺の人生は、これを見るためだけにあったのかもしれない。

「……っ! 眩し……」

 林を出た途端、数時間ぶりに見えた太陽の光が視界中に広がって、俺は思わず目をつむる。

 目が慣れてくると、鮮やかな青い花畑が広がっている光景が視界に飛び込んでくる。
 もうそこには鬱蒼とした林なんてなくて、代わりに、小さな花たちが元気に咲き誇っている。
 青く、けれど小さい花びらが、土色であるはずの地面を一切見せない。
 白を中央に抱いた青色の花びらたちが、上にも広がる青空を映している。
咲き方が、美しい。
そう思えてしまった。

 広さは、どれくらいだろう。
わからないけれど、とても広い。

 そして見やると、花畑の真ん中あたりには、二階建ての木造の家が、ぽつんと建っている。
きっとあそこに住んでいる人が、この花畑を管理しているんだろう。
いや、もしかすると、あそこにいるのは神様かもしれない。

 あぁ、急に眠たくなってきた。
 体が熱くて、だるさが鎖みたいに縛り付けているようだけど、でも、この光景だけで心地いい気分だ。

 あ。
よく見ると、花畑の中に人がいる。
 花畑の中で、一人で佇んでいる……あれは、少女かもしれない。
 日の光を浴びた髪がふんわりと白く輝き、毛先がほんのり青い。
でも、そんなみずみずしい印象が、優しい感じを思わせる。まるで小さくて元気な花びらみたいだ。

あぁ、そうか。
こんな林の中にこんな光景があるはずない。
 きっと、ここは天国なんだ。
 神様が最期の最期に見せてくれた夢なんだ。
 本当の俺は、さっきこけた時には頭を打って、死んでいたんだ。
 だからいきなり、光が見えたんだ。

「やっと、天国に、着いたぁ」

俺はそれだけ呟くと、花畑の片隅に倒れた。
 今度は花たちが、俺を優しく受け止めてくれた。



 2

 なんだか、温かい。
 それに、ふわふわしてる。
 魂だけの感覚ってこういう感じなんだな、なんて感想が浮かぶ。

 あれ、でも俺、死んだのにまだ意識があるのか。
 わからない。
 俺は目を開けようとした。
 
 けれど、なんだか意識がぐらついているような、気だるさが足を引っ張っているような、そんな感覚もある。
それに、温かいというより、今は少し暑い気もする。

「うぅ……」

 俺の口が呻き声をあげた。
 まだ声が出せる。死んでもまだ喋れるんだろうか?

 なんだか、わけがわからない。
 そうぼんやり考えていると、少し離れたところで声がした、気がする。

「大丈夫ですか? 今、お水飲ませてあげますね」

 なんだろう。
 優しそうな、大人の女性の声がする。
かなりはっきり聞こえたような気がするけど……。
 そう思っていると、口になにやら生暖かい水が入り込んでくる。
 キンキンに冷えた水でもなく、熱いお湯でもなく、少しぬるい水。
 でも、なんとなくそれが心地よくて、俺はなんとか喉を動かして、体の中にそれを通していく。

 この感覚はなんだろう。まだ俺は生きているんだろうか。
 確かめようにも、体が重くて、だるくて、頭に力が入らないから、なんにもできない。

 生きていたら、どうしよう。
 まぁ、それはまた後で考えればいいや。

 そんなことをぼんやり考えながら、俺はまた眠りについた。



 3


 目が覚めた。
 それはもう、自分でもきちんと自覚するくらい、ぱっちりと目が開いた。

 目の前には、見知らぬ天井。
ゆるやかな木目が見える。

「ここは……」

 体を起こす。
 すると、俺が寝かされていたのはベッドの上だったと理解できた。
 ……ここはどこだ?

 記憶だと、俺は林から抜けて、大きな花畑に出て、そこで倒れて……。
 いやいや、花畑は俺の妄想だ。
だとすると、林の中で倒れていた俺を、誰かが助けた……?

 でも、見たところここは病院ではなさそうだ。
 病院特有の消毒液のような香りはしないし、運ばれた記憶もない。

 部屋を見渡すと、近くに窓があったので、少し背伸びをして窓の外を見てみる。
 するとそこには、記憶の中の景色と同じ花畑が広がっていた。

「……え……?」

 なにがなんだかわからない。
 いや、その前に、俺はどうすればいいんだろうか。

 確か、誰かに世話をして貰っていたような気もする。
 優しそうな声が、かすかに記憶に残ってるし。

 そこまで考えたところで、部屋の外から足音が近づいてくるのがわかった。
 俺は少し慌てたけど、結局何ができるわけでもない。
 少し身構えながら、その人が入ってくるのを待つ。

 ドアが開く。
俺は息を飲む。

 扉を開けたのは、優しそうな微笑みを浮かべた一人の女性だった。

「あ……起きてたんですか?」

 その子の声色は聞いたことがある。
 間違いない。俺を看病してくれていた人だ。

「あ、えと……はい、起きました」

 自分でもバカみたいだな、と思ったけど、それ以外に何を言えば良いのかわからなかった。
 けど、彼女は「そうですか。良かったです」と微笑んでいた。

「すみません、俺……なんだかわけがわからなくて」
「覚えていないんですか?」
「いや、なんとなくは覚えてるんですけど……何があったか教えてくれませんか?」

 自分の記憶が正しいかどうかわからなくて、何があったのかさえ世話してくれた人に聞く始末……自分が情けない。
 彼女はベッドの隣にあったイスに腰かけた。

「二日前のお昼過ぎくらいに、あなたはここの花畑の隅で倒れたんです。私がちょうど花たちのお世話をしていたから、すぐに気づけたんですけど……」

 あぁ、じゃあやっぱり、幻覚とかじゃなかったんだ。

「そうだったんですか……」
「でも、元気になったようでよかったです。私は青咲ネモって言います。あなたは?」

 そのネモさんは嬉しそうだった。俺が元気そうでよかったと、俺の為に笑顔を見せてくれていた。
 俺はなんだか嬉しくて、つい弾んだ声で答えた。

「お、俺っ、神崎直です。今年で18です」

 なぜか、年齢まで答えていた。まだ頭が混乱しているのかもしれない。

「じゃあ私の二つ下なんですね、直さん」

 ネモさんに名前を呼ばれた俺の心臓が、少しだけ跳ねた気がした。
 二人だけの空間で、こんなに綺麗な人に名前を呼ばれたことなんてなかったから、思わず意識してしまう。
 いや、意識だけじゃない。
多分、俺はネモさんに恋をしている、んだと思う。

 だけど、今の自分がこの人を好きになっていいのだろうか……?
 彼氏……いや、旦那さんがいてもおかしくない。

 あぁ、童貞の悪い癖が出た。

 でも、こんな俺を看病してくれたんだ、少しくらい希望は……!
 いや、だからこそだ。
多分、ネモさんは誰にでも優しいんだ。だから俺なんかが誘っても……。

 俺の頭の中はぐるぐるぐるぐる回って、次に何を喋ればいいのか、わからなくなっていた。
その間、ネモさんを待たせてしまったのか、心配そうな顔をしている。

「あ、えと、その……すみません、少し混乱していて」
「……そうですか。じゃあ、もう体は良さそうなら、少しついてきてくれませんか?」

 ネモさんが優しそうに微笑んでいる。
 なんだろう。

「あぁ……はい、いいですけど……」
「よかった。じゃあ、こっちに」

 そう言って、ネモさんが立ち上がる。
 俺もベッドから体を起こして立ち上がった。
 少しふらつくけど、でももう大丈夫。
 ここまで来た疲れも特になかった。

 俺はどうやら、二階の寝室で寝かされていたようだった。
 女性一人が、大の大人をよく引っ張ってこれたなと思う。

 階段を下っていくと、簡素な机とイスに、濃淡様々な青色が波打つように描かれた絨毯が床に敷かれている。
窓には薄い緑色のカーテンがかかっており、窓の間にかけられた目立つ黄色の時計は、大体二時半を指している。
部屋の中自体が、まるで小さな花畑のようだった。

「玄関はこっちです、どうぞ」

 俺はネモさんが先に待っていた玄関に行く。ネモさんはすでに靴を履いていた。
 俺の靴はあったけれど、林の中を歩いてきたような面影はなく、泥も汚れも落とされてピカピカになっていた。
 ここで気がついたけれど、俺が今着ている服も、花柄の優しい色合いのパジャマだった。

 玄関扉が開かれる。柔らかい日差しに誘われるように、俺とネモさんは外へ続いた。

「私の、自慢の花畑なんです。きっとあなたがここに来たのも、なにかの縁なんじゃないかなって思うんです」

 気を失う前に見た花畑とは、また違って見えた。
 遠くに林が見えるけれど、そこに至るまでに色とりどりの花々が咲き乱れ、地面いっぱいに色を付けている。
 それも、ただ雑多に色が敷き詰められているだけじゃなくて、それぞれが支え合うように、互いに色を目立たせるように咲いている。
 よく見ると、それはとても小さな花だけれど、それがたくさん集まって、たくさん咲いて、花を目一杯目立たせていた。
 俺は今まで、景色に綺麗だなんて感想を言ったことはなかったけれど、これはまさしく、綺麗と思わずつぶやいてしまうくらいには、綺麗すぎた。
 俺は、ネモさんの花畑に目を奪われていた。

「ありがとうございます。それに、さっきまで悩んでた表情も消えたようで、なによりです」
「あはは……ばれてましたか」
「ここまで来たのにも、訳があるんでしょう? 私で良かったら聞かせてください」

 俺は一瞬、ここに自殺しに来ましたと言って良いのか悩んでしまう。
 隠したほうが良い気がする。でも、それよりも言いたいことがあった。
 俺は、勇気を出して……出し過ぎて、ネモさんの質問を無視して言い出していた。

「ネモさん。今度、あなたを連れて、行きたい場所があるんです! どうか、来てくれませんか?」

 久しぶりに出した、必死のお願い……もはや懇願に近かった。
 ここで出さなきゃ、俺はただの死にぞこないだ。
 ネモさんをじっと見つめる。
 彼女はえ、と零して、なにやらもじもじしている。まさか、失敗か……?

「あ、えと、気持ちは嬉しい、ですけど……実は、あまり外には出たくないんです」
「あ……もしかして、ご家族とか、彼氏さん、ですか?」
「いえ、姉が一人いるだけで、彼氏も夫もいませんけど……あんまり人のいる場所は……」

 なぜか一安心してしまったが、それよりも、俺はどうしてもネモさんともっと一緒にいたい。
 きっと、このまま帰ってしまえば後悔する。そんな気がしていた。

「俺……実は、ここには自殺しに来たんです」

 ネモさんは、言葉を出せないくらい驚いていた。

「だけど、あなたの花畑を見て、心が洗われました。
あなたが看病してくれたおかげでまだ頑張ってもいいかなって思えたんです。
あなたが傍にいてくれるなら、自殺なんてもう考えたくないと思ったんです。
だから、ネモさんにはお礼をしたいんです。
……ダメ、ですか?」

 最後はほとんど必死になって、前のめりになっていた。
 なんとか、どうにかしてネモさんと一緒にいたい。
 彼女は最初、困っていた様子だったけれど、最後は微笑んでくれた。

「わかりました。
 じゃあ、私こそ……よろしくお願いします」

 俺はやったと喜び叫んでいた。
 彼女はそんな俺を、ふふ、と優しく笑ってくれた。

 その後、生きる希望を取り戻した俺は帰り道に絶望して、しかたないと気合を入れ直していたのだけれど、ネモさんに、

「あっちの舗装された道路から行けば、時間は少しかかっちゃいますけど、バス停まですぐですよ」

なんて言われてしまった。
 言われた通りの道を行くと、1時間ほどでバス停まで着き、そこから1時間で俺の家まで着いてしまった。
 俺は無事に寝転ぶことができた自分のベッドの上で、こう思った。

俺の覚悟を返してくれ……!



 4


 髪型、よし。
 服、比較的綺麗な奴、よし。
 口臭も体臭も問題なし。

 今日はほとんど一目惚れだった女性と、初めてのデートだ。
 鏡の前の俺は緊張で表情がおかしい。きっと俺も表情がおかしくなっているに違いない。

 だけど、一歩を踏み出せるんだ。
 今日頑張れば、きっとネモさんは……!

 一度気合を入れ直して、俺は振り返って玄関を抜ける。
 よし、行くぞ……。

 デートには、ネモさんも時々行くという駅前に集合することにした。
 俺が行くと、既にそこには彼女の姿が。

「すみません! 待ってました?」
「あ、直さん! いえ、私も今来たところなんです」

 むふふ。
 まるで恋人みたいな会話だ。

 周囲にも、俺たちと同じように彼氏や彼女を待っている奴や、野郎同士で集まっている光景が溢れている。
俺もついに、その仲間に入れたってわけだ。
叫んでしまいたいくらいだが、我慢、我慢。

「じゃっ、じゃあ行きましょっか!」
「そ、そうですね……ここは人が多いですし、早くどこかへ……」

 ネモさんは人の多いところは苦手なんだろうか?
 少し挙動不審に、きょろきょろとあたりを見回している。
 なら、俺が先導してあげないと……。

「なら、こっちにいい店知ってるんで行きましょ!」

 俺はほとんどなくなりかけていた勇気を振り絞って、ネモさんの手を握る。
 小さくて暖かい手だった。花びらに触れた時のことを思い出してしまうような気がする。

 そのまま、3秒くらいじっとしていたと思う。
 もしかすると、離れてしまうかもしれない。
 なんて心配してしまったけれど、彼女は少しだけ安心したような顔を浮かべてくれた。

「はい……お願いします」

 それから、俺たちのデートが始まった。

 ネモさんはほとんど街には降りてこないようで、彼女が見るもの全てが新鮮なものだったらしい。
 普通にどこにでもあるようなものばかりだったのは事実だけれど、俺が紹介するたびに「へぇ、なんだか綺麗ですね!」とか「今はこんな施設があるんですね」だなんて驚かれたり喜んだりしてくれる。
俺も、彼女に何かしてあげた気がして、とても嬉しい気持ちになる。

「少しゲーセンで遊んでみます?」
「えっ? ゲーセン?」
「あ、ゲームセンターの略です。どうです?」
「はい! っていうか直さんは、敬語じゃなくていいですよ?」
「え? ホントですか? じゃ、じゃあ……ゲーセンいこ、っか」

 ネモさんから敬語表現やめてくれと!
 これはますます、お互いの距離が縮まったかも……?

 浮かれた俺はゲーセンに着くなり、ユーフォーキャッチャーのコーナーに連れまわす。

「ネモさんはどれか気に入ったぬいぐるみとか、ある?」
「んー……あ、この青いぬいぐるみとか可愛いかもって思います」

 ネモさんが指していたのは、国民的青猫のぬいぐるみだった。

「よ、よぉし! じゃあ俺が取るから!」
「え? で、でも、結構難しそうですし……」
「いえいえ! こんなの朝飯前ですから!」

 なんて、本当は思ってないけど……。
 何はともあれ、俺は小銭を突っ込み、ゲームを始める。
ネモさんは俺の後ろから、ユーフォーキャッチャーの様子をじっとうかがっている。

「くっそー! まだまだ!」

 俺はいつになく熱くなっていた。
 何度もぬいぐるみに爪を刺しては、少し動かすだけのプレイ。
 じれったかったが、俺はそれにいつもよりも夢中になる。
 絶対に退けない戦いがそこにはあった。
 そのお陰か、十回くらいプレイしたところで、かこん、とぬいぐるみが落ちてくれた。

「よっしゃ!」
「わぁ! おめでとうございます」
「はいこれ。ネモさんにあげるよ」
「えっ! ありがとうございますっ! 大切にしますね!」

 ネモさんがパッと咲くように笑顔を見せる。
 俺もやるときはやると見せられただろうか。

とはいえ、久々にヒートアップして疲れてしまった。
それになんだか緊張が解けると、急にトイレに行きたくなってくる。

「あ、ネモさん、俺少しだけトイレ行ってくるからまってて……」
「はい、ここで待ってますね」

 俺はネモさんを待たせないよう、トイレへ駆け込みさっさとジッパーを降ろす。

 はぁ。

 それにしても、自殺直前だった俺が、まさかこんな彼女とデートできるなんて……。

 お願いだから、夢なら覚めないで欲しい。
 もっと言えば、夢なんかじゃなくて現実であって欲しい。
 現実なら、絶対に放さないように努力するから。

 俺は決心する。ネモさんを俺が幸せにして、俺と、ずっと一緒にいてくれるようにするんだ。
 もうこんなチャンス、二度と来るわけがないから。

そんな決意を胸にしまい込んで、俺はトイレを出た。

「あれ……ネモさん……?」

さっきまでいたはずの場所にネモさんがいない。
辺りを見回しても、ネモさんのような女性は見当たらない。
ネモさんもトイレだろうか……と、確認する術もない。

 あの様子だと、ネモさんもトイレだってことはないだろうから……。

(もしかして……)

 俺は店を飛び出し、辺りを見る。
 が、それらしい人はいない。

 ネモさんはとても綺麗な人だ。
 もしかして、誰か不良みたいなやつに連れて行かれて……!

 俺は、思わず駆け出していた。
 路地裏を徹底的に見て回る。

「ネモさん!」

 俺はその特徴的な髪色を認めると、叫んでいた。

 端的に言うと、彼女はすぐに見つかった。
 ただし、彼女は3人のヤンキーみたいな男に囲まれていたけれど。

「直さん!」

ネモさんも俺を見て叫んだ。
けれど、男たちはこちらを一瞥するだけで気にも留めていない。

くそ……怖い。怖すぎる。
けれど、勇気を出さなくちゃいけない。
もうチャンスは絶対に来ないんだから。

「おおおおおお!」

 俺は不良たち3人に突っ込み、ネモさんの手を引っ張ってなんとか救出する。

「あ! おいこら、待ちやがれ!」
「い、いいのか! この子に手を出したら俺が大声で叫び散らすぞ!」

 情けなさすぎるが、通りには人も多いし、悪い奴らの抑止力にはなる。
 そういう弱者の知恵だけは持っていて良かったかもしれない。

「くっ……チッ!」

 不良たちは悔しそうに歯噛みしながら、通りの方へと小走りで去っていった。

 トイレに行ったばかりだったけど、チビりそうだ。
 なんとか我慢してネモさんに顔を向けると、彼女はすっかり怯え切ってしまった。

「ネモさん……なんともない? 怪我は?」
「え、えぇ……けど、すみません。私やっぱり、人間が怖い、です……」

 え? 人間が怖い?
 なんだかよくわからない言い回しだけど、混乱しているのかもしれない。

「そ、そうだね。ああいう怖い人間もいるよね、うん」
「いえ、違うんです。私、人間があまり好きじゃなくて……」
「俺だってあんまりだよ。でも、中には良い人も……」
「いえ、その……私、実は」

 ネモさんはそこで一旦言葉を止めた。
 俺が何か言えばよかったのかもしれない。ネモさんは悪くないんだって。
 けれど、俺は黙ってしまったから、ネモさんはその続きを言ってしまった。

「実は、人間じゃなくて、花の妖精なんです」

 ……え?
 花の、妖精?
 ネモさんの顔は、まさしく人間のモノだ。
 体だって特に違和感なんてない。
 花の妖精って、一体……。

「そ、それってどういう……」
「あ……す、すみません。そうですよね、気味が悪いですよね、花の妖精がここに居るなんて……」
「え、いや、そういうわけじゃないけど……」
「いえ、無理しないでください。だって、私は人じゃないんです。直さんも今は怯えて混乱して、そういう態度なだけなんです」

 俺は、彼女の様子に黙ってしまった。
 もちろん、自分が今混乱しているというのもある。

 彼女が花の妖精?
 人じゃない?
 人間が苦手?

 それらが混ざって、少しだけ口が開かなかった。
 それがいけなかった。もっと言ってあげればよかったのに、普段きちんと考える癖がなかったから頭がフリーズしてしまったんだ。

「……ごめんなさい!」

 ネモさんは俺を振り払って、向こうへ駆け出してしまう。

 俺の傍から、ネモさんが逃げてしまった。
 ずっと握っていたいと思っていた手が離れてしまった。

 その混乱が俺の足に重なって、俺はしばらくの間、立ち尽くしてしまっていた。


 5


 俺は、時間を取り戻そうと、必死で走った。
 ネモさんにはまだ追いつけない。
 けれど、あの花畑へ、俺は全力で走った。

 ネモさんが人じゃない?
 そんなこと、どうでもいいじゃないか。
 なのにどうして、ネモさんを見捨ててぼんやり立ってるようなマネしたんだ。

 もう二度と、こんな良い彼女なんか見つからないって感じたばかりじゃないか。

 だから俺は、いつまで経ってもどうしようもない童貞なんだ。
 だけど……!

(今度だけは、諦めきれない……!)

 勉強もダメ。
 スポーツもダメ。
 対人関係もダメ。

 そんなバカみたいな俺でも、やらなきゃいけないことをやらなきゃ、もう人間じゃない。
 だから、俺は走った。
 ネモさんのところへ急ぐために。

「ネモさん!」

 花畑に着いた俺は叫ぶ。
 体中が疲れを訴えていたけど、そんなことはどうでもよかった。
 ネモさんの心の傷に比べれば。

「……!
 直、さん……」

 彼女は一瞬、はっとした表情を浮かべたけど、すぐに目を伏せてしまう。

「……来ないで、ください。
 もう、放っておいて……」

 彼女はつらそうだった。
 それは、そうだ。
俺があんなところに連れ出して、怖い思いをさせてしまったんだ。

「でも、俺はネモさんのこと、放っておけない
 俺は、それでもネモさんのことが、好きだから」
「……それは、もっと別の理由ですよ
 きっと、今は惑わされているだけで……」
「そんなことはない!」

 俺は断言した。

「ネモさんが花の妖精でも、悪魔だって構わない。
 それでも、俺はネモさんのことが好きで、しかたないんです」

 俺は叫んでいた。

「死にそうになっていた俺に、希望をくれた。
 この世から消えたいって思っていた俺に、まだこの世にいたいって思わせてくれた。
 なのに、好きにならない理由なんてない。
 あなたは俺の恩人で、可愛くて綺麗で、最高の……大好きな人、なんです」

 俺は言い切った。
 これまでも、そしてこれからも絶対言わなかったような言葉を吐いた。
 彼女への想いを、全部。

 彼女は動かなかった。
 俺の想いが届いたのだろうか。

 一歩近づく。
 ネモさんは動かない。

 もう一歩近づく。
 まだ、ネモさんは動かない。

 俺が近づいてもネモさんは動かなかった。
 まるで、俺の迎えを待っているみたいだった。

 そして俺は、ネモさんの目の前まで来た。

「……俺は、ネモさんを嫌いにならない。
 こんなにも、愛してるんだ」

 彼女はまだ、俺の目を見つめたままだ。

 あと一歩、俺は勇気を振り絞ることにする。

 彼女に、好きだと言うことを体で示すんだ。
 それには、キスが、一番いい。

 そっと、顔を近づける。
 彼女の唇に、近づいていく。
 彼女は、それでも動かない。

「ん……」

 唇同士が触れ合った。
 それでも、俺たちの距離は変わらなかった。

 少しだけ、唇を動かして、そっと彼女の唇をなでる。
 柔らかい、とても柔らかい花びらのよう。
 でも、それは人間のモノと変わらないと思う。

「んむ……」

 彼女の唇も、また動いた。
 二人だけ、言葉を交わさず、愛し合う。

「んむ、んちゅ、ちゅぅ、れるぅ、んむ、ん、好き、私も、好き、ですぅ……」

 彼女の唇からも、温かくて柔らかいものが入り込んでくる。
 俺はそれを受け入れる。
 少しだけ積極的なのには驚いたけれど、彼女と同じ気持ちだと言うことが嬉しい。

「私ぃ……こんなに好きだって言って貰えたの、初めて、で……皆、気持ちが悪いって、いうから……んぅ、んちゅっ、ちゅ、んむぅ」

 彼女の気持ちが溢れてくる。
 彼女の愛が俺に流れ込んでくる。

 俺はただ、彼女のなすがままを受け入れる。
 誰もいない花畑の真ん中で、俺たちは二人で抱き合って、愛を確かめていく。

 まだ、まだ俺は彼女を愛している。
 もっと、もっともっと愛せる。
 彼女の唇を、もう離したりしない。

「んむ……んぅ♡
 好き、好き、私だって、好きですからぁ♡
 んちゅ、ちゅううう、んむ、んむ、はむ、あむぅぅっ♡
 んちゅ、ちゅぷぅっ、れるっ、れろぉ、んむぅ♡」

 だんだん、俺たちの間がまた狭まっていく。
 体同士がぴたりとくっつき、唇以外でも体温を感じる。

(ネモさんの体、こんなに柔らかい……)

 きっと、彼女の体は他の人よりも柔らかくて繊細なはずだ。
 守ってやらなくちゃいけない、細い体。
 俺は彼女を抱きしめた。
 もう二度と離れないように。
 二度と見つけられなくならないように。

「んむ、んちゅ、んむぅ……れるぅ、んむ、あむ、あむぅ♡
 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……♡」

 俺たちは、やっと出会えたんだ。
 だから、ディープキスをやめたって、お互いに見つめ合っている。

「やっと、運命の人に出会えた」

 俺はそう呟いた。
 そうだ。ネモさんは運命の人。
 俺は彼女に出会うために、ここまで来たんだ。

「……私も、そう思います」

 彼女の頬がほんのりと赤く染まる。

 お互いの頬に、同じ色の花が咲いた。
 それをずっと、二人で優しく微笑んで、見つめ合っていた。

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