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雑感の記事 (15)

あねさと / LeBlanc 2023/12/22 08:05

【公式お題】今年一年、どんな年だったか振り返り【3週目】

前回に続いて、3週目のお題“今年一年、どんな年だったか振り返り”です。


今年を振り返ると、著名人の訃報が相次ぎ、衝撃の大きい一年だったように思います。

特に松本零士先生の逝去の報は、言葉を失うくらいの驚愕でした。

今のアニメ文化、サブカルチャーの興隆に大きな足跡を残した松本先生。その偉業を振り返って思ったのは、我々は松本零士チルドレンなのだ−−−−−−そう再認識した2023年でした。


そして私個人の活動の方ですが、昨年までの問題点を具に反省し、季節ものイラスト(締切が存在する)を年初に片付けたり、腰の具合に気をつけて作業することで、今年は予定の8割を消化することが出来ました。

残したのはフィギュア漫画の画像処理(大量に残っている)と、「(オリジナル・)タロットカード」が3枚しか描けなかった(予定では4枚)ことですかね。


最後の最後で“悪魔”の罠に陥りました(笑)。


この辺りのことは、また月末にあらためてご報告することにいたします。



それ以外の、主にプライベートに関することですが、昨年同様、家人に振り回されました(苦笑)。

まあ、父親が主たる原因なんですが、引っ越し騒動とか、軽トラ廃車とか、病院への送迎が復活したりとか、年の前半は状況がなかなか落ち着かなかったり、後半は作業時間の確保が難しかったりで、自分自身に起因しないことで作業に支障が出ることが悩みのタネでした。

そして来年もまた落ち着かないというか、振り回されそうな雰囲気−−−−−それが今後数年は続くことに頭抱えているというのが現況だったりします。


とはいえ、それ以外では大きな厄災もなく、活動も前述のようにほぼ順調に進めることが出来ましたので、その点では良かったと思います。



来年は戦火が収まり、心穏やかに過ごせる年になると良いなぁ……。

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あねさと / LeBlanc 2023/12/20 17:00

【公式お題】実はこんな記事をいいねしてたんだけど、これはぜひファンのみんなにも見てほしい【2週目】

どうも、あねさと です。

しばらく留守していた間に、年末企画が始まっているだと!? すっかり乗り遅れてしまったじゃないか! こういう企画はもっと早めに告知してくれよな!


……と、文句ぶちまけましたが、こういう企画にノるのは結構好きだったりしますので(爆)、私も早速−−−−−−といきたいところなんですが、第1周目のお題がちょっと難しそうなので、(“イイネ”の数とPV数の関連がちょっとおかしい……)、とりあえず第2週目のお題からスタート。



ということで、“実はこんな記事をいいねしてたんだけど、これはぜひファンのみんなにも見てほしい”記事の紹介。

私は普段、Ci-enの巡回というのをほとんどしていないのですが、フォローしているクリエイターの方の分はなるべく閲覧するようにしています。

そして今年、生成系が巷の話題に上ったとき、とてもいいタイミングで良質の記事に出会うことが出来ました。

それが、くまのみもね/惑星さん太郎 さんの、“AIイラストについて私の考え”という記事。

生成系AIの問題点やその普及による弊害について率直に意見表明されたその内容に、くまのみもね さんの誠実な人柄が伝わる良記事だと思いました。

生成系AIに関しては賛否両論ありますが、是非一度、くまのみもね さんの記事に目を通していただきたいと思います。


くまのみもね さんは、上記の他に“【重要】創作活動と生成AIについて”という記事でも、生成系AI、そしての創作活動に関するご自身のスタンスを表明されています。

こちらも良記事だと思いますので、併せてご閲覧していただきたいと思います。


ちなみに私も生成系AIに関して色々と思うことがあったのですが、この記事を読んで、あらためて自分の意思表示をしておこうと筆を執りました。(6月9日掲載「AI について、私見」、7月8日掲載「AIで感じた徒然」)


怠惰な私にやる気を起こさせた(爆)という意味でも、くまのみもね さんの記事は素敵な記事だと思います。


ぜひご一読を。

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あねさと / LeBlanc 2023/07/08 08:05

AIで感じた徒然

あねさと です。

先日 AIに関する私見を記事として掲載しましたが、今記事では当該記事を書くにあたって調べたこと、感じたこと、参考にしたトピック、書こうと思いつつ最終的に割愛したこと、etc……を、徒然と書き連ねていきたいと思います。


★哲学的ゾンビ

“AI”に関して考察する際に真っ先に浮かんだ言葉がこれでした。

哲学的ゾンビ”はあくまでも(心の)哲学における思考実験上の存在でしかないのですが、AIが高度な発達を遂げれば、それは哲学的ゾンビ的な存在になりうるのではないかと感じたのでした。

しかし、それならば創作物に見られるような“人工知能(超高度なAI)”と人間を隔てる差は何なのか? それは“心”の有無だけなのか? そもそも“心”とは何なのか? “心(の源)”もプログラム(の集合体)ではないのか? (倫理的な問題を度外視すれば)それを人工的につくり出すことも出来るのではないか?


−−−−−みたいな問答も生じてくるだろうな……。


というか調べてみると、実際にプログラミング的な視点で“心”を研究する動きがあったりで、この分野は想像以上に進んでいるようでした。


これらの事項は“心の哲学”とか“意識のハード・プロブレム”と呼ばれ、哲学のみならず、脳科学、そしてAI研究におけるホットなトピックスで、ご興味を持たれた方は調べてみると面白いですよ。


個人的には入門書として。ちょっと古い本ですが「哲学的な何か あと科学とか(飲茶 著)」をお薦めします。もともとは同名のサイトに掲載された記事だったのですが、書籍化された際に読みやすく内容が整理されました。(それと引き換えに、サイト内の記事が一部割愛されました)。





★人間機械論

先のトピックスとも関連しているのですが、要するに人間も“高度な機械”にすぎない、という考え方で、これは結構古くからある考え方でもあります。特に自然科学の研究とその成果が大きく花開いた19世紀には、この考え方がマルクス主義等の社会科学にも影響を及ぼすこともありました。(唯物史観てやつですね)。

また別の言葉では“物理主義”といって、先の“心”等も、脳という一種のコンピューターに組み込まれたプログラムによる現象であると解釈し、人間の行動や心理についても全て物理法則から導かれる物理的現象であり、物理学に還元できる(物理学で説明できる)という考え方ですね。


この考え方は結構根深いというか、自然科学の発展に大いに関わっていまして、そもそも自然科学は“神”とか“霊魂”のような超自然的現象を排した形で自然現象を説明しようとしてきた歴史があるわけですね。

そしてそこで用いられたものが“数学”−−−−−−−というか、多くの自然現象には規則性があり、数式を用いて説明可能であったがゆえ、数理モデルを採用してきたわけです。


だがしかし、生命現象のその全てを、物理法則だけで全て説明できうるものなのでしょうか?−−−−−−−−多くの科学者はそう考えているようですが、果たして……??



ちなみにこの人間機械論、そして唯物論−−−−−−厳密には“物理主義”と“唯物論”は同一ではないのですが、これらが共産主義の残虐な側面の背景になっていることもあって、個人的には嫌悪感が拭えなかったりします。





★機械の中の幽霊

先の“人間機械論”−−−−−−−−人間(を始めとした生物全般)を精巧な“機械”に見立てて、その全てを工学的、物理学的観点から説明していく考え方を目にした時、思い出したのがこの言葉でした。

機械の中の幽霊”という言葉は、もともとは英国の哲学者:ギルバート・ライルが“心身二元論”を批判する際に使用した言葉なのですが、1967年にユダヤ系ハンガリー人で英国の作家でもあるアーサー・ケストラーの著書名としてよく知られていて、英国のロックバンド:ポリスの4枚目のアルバムのタイトル(Ghost in the Machine)にもなったり、士郎正宗先生の代表作「攻殻機動隊」の英語タイトル(GHOST IN THE SHELL)の由来元とも言われたことがありますね。(ケストラーではなく、ライルの言葉からの引用が正しいようですが)。


ケストラーの「機械の中の幽霊」は、彼の後半生における著書の代表作でもあるのですが、ライルの言葉を引用しながら、心のみならず物理現象の“還元主義”的アプローチへの批判を展開した著書としても知られています。

この“還元主義”というのは、自然科学の解釈説明における支配的考え方の一つで、要するに複雑な現象も、基本となる理論(の組み合わせで)説明可能(基本となる理論に“還元”して説明できる)という考え方なのですが、先述した“人間機械論”も、人間を“還元主義”的に説明しようとしたものと言えるのですね。

ですが、ケストラーはこのような“単純な理論/モデルに還元して説明する”ことに警鐘を鳴らしたわけです。


残念ながら「機械の中の幽霊」は現在絶版となっているようですが、(私も持っていない……残念!)、ケストラーの著書は他にも刊行されていますので、お目に語った際にはぜひご一読されることをお薦めします。

ただケストラーが展開した理論の中には、今となっては問題と言えるような箇所も散見されますし、70年代〜90年代初頭にかけてブームを巻き起こした“ニュー・サイエンス”のバックボーンとなっているところもあるので、留意は必要です。


それとは別にケストラーは政治小説家としての顔も持っていて、彼が著した「真昼の暗黒」は20世紀における名著の一つとも言われている作品。じつはこの原典版(ドイツ語原稿)が近年発見され、このテキストからの翻訳が「日蝕」というタイトルで刊行されたそうです。う〜ん、欲しいな……。


※完全に余談ですが、ケストラーの本は「ホロン革命(原題:Janus)」と「神は躓く(The God That Failed)」の二冊を所有しています。





★生物と無生物のあいだ

昨今の高度化したAIの登場は、それが人類に対して有益なのか、それとも驚異となるのか、議論が尽きないわけですが、直近の社会的影響はともかく、遠い未来の話としての、人類滅亡に至る“驚異”となるかについては、AIが高度に賢くなるのであれば、それはないだろうなと思っています。(但し、それが人類の幸福につながっているかと言うと、それは違うと思うのですが)。

というのも、現状の“機械”というのは、エネルギーやら資源をバカ喰いする存在なのですね。


機械を動かすためのエネルギーを生み出し、供給するには巨大なプラント、そして大掛かりなロジスティクスが必要となりますし、機械そのものをつくるのにも大きな工場が必要です。(もちろんそこにも多大なエネルギーを必要とします)。

機械の保守点検を機械で“自己完結”するシステムはありませんし、今後それが生まれても、自己生産まで行くかどうか−−−−−−−間違いなく言えるのは、エネルギーの調達は厳しいということです。

といいますか、機械で自己完結しなくても、人間を奴○労働させれば事足りるので(苦笑)、AIが高度に賢ければ、人間絶滅させることなく温存し、自分たちの都合のいいように飼い慣らし、働かせるのが一番でしょう。


機械というのは生物に比べて圧倒的にコストがかかるのです。


といいますか、生物の最大の特徴が“ハードウエアに関するコストパフォーマスンスに優れる”ところだったりします。


実を言うと、多くの生物を構成している蛋白質というのは非常に壊れやすい高分子化合物で、放っておけばすぐに分解してしまうような不安定な物質だったりします。


それなのに何故私達は100年近くも生き続けられるのでしょうか−−−−−?


それは生物が、自分を構成する物質を(分解する前に)壊し、一方で外部から(栄養として)吸収した物質で新たに自身をつくる−−−−−そのプロセスを寿命が訪れるまで延々と続けるからです。


これが無生物との大きな違いであり、まさにこれが“生きている”こととも言えます。


言い換えると、自己の存在のために延々と自転車操業しているのが“生物”というものだと。


その生物は黙ってれば死んでしまいますから、生きるために活動しなければなりません。植物ならば葉を開いて太陽光線を浴び、栄養素をつくっていくことでしょう。動物は捕食活動をし、栄養を摂取しなければなりませんね。


とにかく“いまを生きる”こと、死ぬことを回避することが最重要となります。


一方で多くの生物種には寿命が定められており、否が応でも死を迎えることになります。死は不可逆で、死んでしまえば二度と生き返ることはありません。ですから自身の分身を残すことで種としての永続を図るようになります。それが単なる細胞分裂から他者の遺伝子を組み合わせ、シャッフルする“生殖”に変化しても、目指すところは同じです。


いまを生き”、“子孫を残す”−−−−−−−これが生物の絶対命題になります。


そうすると“いまを生きる”ために危険を回避し、エネルギー源を確保し、生殖相手を探し、子孫を残すための行動を最適化させるために、情報処理が必要となってくるでしょう。少なくても“危険には近づかない”、“これは食べられる”、“パートナーとなる相手へのアプローチ”、etc……。などなど、生きること、子孫を残すことのために必要な“感情”が生じてくるでしょう。


これらは機械から生み出されるでしょうか−−−−−−?


そんなことを夢想すると、生物と機械の間にはまだまだ大きな隔たりがあるように思います。



福岡伸一先生が著した「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)という本は、分子生物学の観点から“生命”について洞察した本であり、先生の人柄が反映されたかのような文体で語る生命の神秘に息を呑む。ぜひご一読を。



……とまあ、AIから生物まで随分と飛躍したものですが(笑)、AIに関しては危機を覚えつつも、生物と無生物のあいだにある大きな隔たりを前にしては、どんなに高度なプログラム手法を駆使しても、“知性”は獲得できても“心”を獲得することは難しいだろうという気がします。


そしてその“心”こそが創造の源であると言うことを思えば、“創作活動”は人間による人間のための人間の活動であり、AIに担わせるべきものではない−−−−−−−と、ちょっとカッコよく締めてみました。

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あねさと / LeBlanc 2023/06/09 10:52

AI について、私見

◎最初に

ちょっとタイミングを失した感がありますが、いま巷で話題のAI −−−−−−−−AIによる画像、音楽、文筆作品等の生成について、私見を述べていきたい−−−−−−−と思い、色々と調べ、テキストを書いてみたのですが、述べたいことが多すぎて冗長になり、うまくまとめることが叶いませんでした(大恥)。

この件については内閣府からもドキュメントが公表されていますし、経済界や法曹界からも意見が表されてますので、興味のある方は参照してみてください。
(私がまとめるより、Googleで検索するほうが早いです;爆)


とはいえそれで終わるのも何なので、重要なトピックを箇条書きにして並べてみました。



◎AIとは〜その定義と特徴

★artificial intelligence の略で、「コンピュータという道具を用いて“知能”を研究する計算機科学の一分野 を指す語、である。
★“人工知能”とも言われる。
★通常のプログラムは予め記述された条件のもとでしか演算できないが、AIは所々の条件とその結果を学習し、以降の演算に反映させることができる“学習できる”プログラムである。
★学習が深まる事により、より最適な解を提示できるようになる。



◎AIの利用とその拡大

★ゲーム等で使われたケースがある。
★チェスや将棋等でもその真価を発揮している。
★自動車用オートマチック・トランスミッションの変速プログラム等でも使われている。
★日本語変換インプットメソッドも広義のAIと言える。
★現在は文書/画像生成、音声による読み上げなど、幅広い利用が進んでいる。



◎AIの問題点

○学習に関する問題点

★学習に他人の著作物を許諾なく利用する可能性がある。
★多くのクリエイター、そしてエンターテイナーから、AIの学習に自身の作品を利用されることに拒否反応を示している。
★経済界の一部からは、上記クリエイター及びエンターテイナーに権利を譲渡する要請しているケースがある。
★我が国においては、内閣府からはAIの利用(学習及び生成にまつわる著作権の扱いについて)ガイドラインを公表している。
★それによるとAIの学習について、“著作物に表現された思想または感情の享受を目的としない利用行為”については原則許諾なく利用可能だが、“必要と認められる限度”を超える場合や“著作権者の利益を不当に害することとなる場合”は対象とならない。
★法曹界の一部からは“著作権侵害の可能性”だけで制限をかけることは問題ではないかとの意見もある。
★フェイク情報を学習してしまう可能性もある。



○生成物に関する問題点

★AIによる生成物の著作者は誰に?
★内閣府のドキュメントによると

・AIが自律的に生成した生成物については、知的財産権の権利対象とはならない。
・人間がAIに指示を出して生成された生成物についても権利は発生しない。
・但し、人間がAIを道具として創作物を生成した場合(創作的意図及び創作的寄与がある場合)は、権利が発生する。


◎AI普及による社会的影響

★著作権や肖像権の侵害、フェイク情報が氾濫する可能性が指摘されている。
★無邪気にその発展を喜んでいていいのか?
★すでにAI学習/生成用に、権利を譲渡させる動きが出始めている。
★人間性の否定につながる恐れはないのか?
★経済的利益のために人間性が脅かされていいのか?
★“我々が目指すべき社会”を考えた技術開発をいま一度考える必要があるのではないか?



◎私見

色々箇条書きにして書き連ねてきましたが、いかがだったでしょうか。

AIそのものについては、使い方を間違えなければ非常に有用であることは間違いないと思います。特にアニメの現場など、純粋にマンパワーで動かしているような職域であれば、AIの恩恵は大きいのではないかと思います。

また技術的な見地から言っても、これがどのように発展していくのか、そしてそれが“人間の思考プロセス”に解明につながるのかという点でも興味深いことでしょう。

とはいえ私個人としては、AIは使わないと思います。リアルな絵が必要とするような画風でもないし、その気になれば自分で写真撮って加工もできるし、何より“自分で描く”楽しみがなくなってしまうのはイヤですから。

そしてAIがもたらす社会的影響を考えれば、安易に利用するべきではないなとも思います。Ci-enやPixiv等でAI生成物の掲載を認めない動きが広がっていますが、数々の問題点がクリアになっていない現況ではやむを得ないのではないかと思います。

ですがこれに対して“AIをどんどん利用しよう”、“AI使って何が悪い”といった意見も散見されます。

しかしAIを利用することによる影響について少しでも考えたことがあるのか、その無邪気さには首をひねるというのが正直な意見です。

しかもAIに利用に関して肯定的な意見の多くがIT関連の技術者や経済界の人間で、技術が持つ危険性や社会的影響、そして人間性について一顧だにしない人が少なくない界隈の人たちでもあるところが大きく気になります。

AIといえども所詮はプログラムであり、そこに感情はなく、価値観や倫理感といったものはありません。

人間の幸福といった数値化出来ない事象には解を提示することは出来ないのです。



◎最後に

今回のテキストを作成するにあたって、駄文を連ねるよりも、トピックを箇条書きにして、あとは内閣府の文書なり、識者の解説に委ねたほうがわかりやすいと判断し、最終的にこのような形にまとめたのですが、その際に思い出した二つのエピソードを最後に紹介したいと思います。



一つは我が師と崇める漫画家:藤子・F・不二雄(藤本弘)先生の代表作「ドラえもん」。そのエピソードの中からてんとう虫コミックス第17巻に収められた「週刊のび太」という作品。

そこには“まんが製造箱”なる ひみつ道具が登場し、これに手塚治虫先生の漫画を入れてその画風を分析し、手塚先生の技量を身に着けるというシーンが有りました。その後のび太が手塚先生になったまんが製造箱に漫画をオーダーし、「スペース シンドバッド」という作品が生成されるのでした。

まるで現在の状況を予言したかのようなシーンですが、藤本先生がご存命であったなら、現況をどうお考えになるか、 ちょっと興味が湧きますね。



もう一つは、少し古い話になりますが−−−−−−、佐村河内守氏を覚えていらっしゃいますか?

耳が聞こえない作曲家−−−−−−現代のベートーヴェンとして話題になった方でしたが、実は多くの曲を新垣隆氏が作曲していたという騒動がありましたね。

この佐村河内氏は(全聾ではないが難聴ではあったらしい)作曲はしなかったものの、新垣氏に曲の構想は伝えていたということで、共作に近いところもあったようですが、実務はほぼ新垣氏が行っていたわけで、正しくは佐村河内氏はプロデューサーであり、作曲したのは新垣氏だったという話でしたね。

巷に“AI作家”と称している人物がいると聞いた時、“それって、佐村河内氏と変わらないのでは?”と感じたのでした。

要するに、佐村河内氏と新垣氏の関係がそのまま“AI作家とAI”に変わっただけだと−−−−−−−−。


“AI作家”はクリエイターなのでしょうか?


皆さんはどう思いますか?

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あねさと / LeBlanc 2023/05/01 08:05

三周年

本日で、Ci-enでの活動を始めて、まる三年となりました。

Ci-en開設の連絡が届いたのは5年前の4月早々で、ほとんど間を置かずに登録だけはしたものの、二年ほど放置状態。ようやく重い腰を上げて記事を書いたのが三年前……という感じで利用させて頂いてるのですが、もう三年ですか……。うん……。


三年前の今頃は、ちょうどコロナ禍でしたね。経済状態が悪化する兆しがあったこともあって、何らかの“足し”になれば、みたいなことも頭に過ぎらせながら記事を書いてみたりもしたわけなんですが、まあ、(やっぱり)うまくいきませんでしたね。そりゃそうだ、商品が何もないんだから。


それとR-18カテゴリなのに全然R-18活動してないからというのもあるんだろうけれど、別に望んでR-18になったわけじゃないからなぁ……。
(もともとは“一般”カテゴリでした)。


ただ、その要素は抜きにしても、ここ三年は右肩下がりの印象で、記事を掲載していても反応が少ない印象が拭えない。駄文ばかりだからしょうがない点もあるけれど、Ci-enで記事を書く意義について疑問を持ち始めているというのが、現在の、偽らざる心境です。


ですので今後、Ci-enでの活動を縮小していくことになると思います。


一応今年は、創作活動中に感じたことを中心に記事を書こうと考えていたのですが、なかなかいい具合に言語化/文章化出来なくて、考えあぐねているうちに時間が経ってしまってもいたりで、結局はいつもの通りの近況報告くらいしか書けない(恥)。


ですが、そういった内容の記事は、どうやらここでは望まれていない……。


とはいえ、創作活動とは直接関係ない記事(PCとか、車とか、玩具とか、etc…)を載せるわけにもいかないでしょう。そもそも別に個人Blogサイトを運営してるのだから、それはそちらでやればいい−−−−−−−というか、実際そちらでそういった記事を書いているわけですし。


同じ内容の記事を載せる必要はありませんよね。


そもそもCi-enは、DLSiteで販売する作品の促販を主眼としているわけで、販売商品がない人間が活用するには厳しい面があるわけです。なので結局の所、作品をつくって商品を登録しないことには始まらない。でも今の自分にはちょっと厳しい。技法的に作品を量産しづらいこともあり、月単位で商品を増やすことは不可能に近い。


でもそれでは、ファンは生まれてこないし、ついても来ない。


まあ、詰んでるわけです(苦笑)。


そんなわけで、「(オリジナル・)タロットカード」制作の都合もあるので、閉鎖/脱退はしないけれど、記事の掲載は月2〜3回程度−−−−−−−−月間の活動報告と翌月の予定、そして月中の近況報告にとどまる形になるかと思います。


それ以外については、個人Blogの方で。


まあ、商品が増えるようなことになれば方針も変わっていくことになるかと思いますが、多分増えないので(爆)。


……ということで、寂しくなりますが、拙Blog「帰ってきた、まくらをそうじ」では相変わらず元気にバカやってますので、こちらの方を閲覧されるか、後はリクエストください(笑)。



それでは!

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