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2020年 10月の記事 (4)

めるとりーずん 2020/10/31 19:36

色仕掛け文庫 第三巻 サンプル

 
 扉は三つ。
 びくともしない。
 
「いい加減に覚悟を決めよーぜ」
 と、面倒そうに口にしたのは戦士のゴルキ。俺はひとまず鼻で笑っておく。
 不落不落とずっと噂されてきた魔王城は想像の域をまったく出ないほど軟弱な造りで、なんなら今まさに俺達三人の手に落ちようとしていた。
 潤沢に用意していた治療アイテムは未だ荷物の中にしまったままだし、トラップ探知のアーティファクトは相変わらずピーピーガーガーと意味のない音を立て続けている。ただの騒音発生装置になっているのはコイツ自体のせいじゃない。まともなダンジョンならちゃんと罠を検知して役に立ってくれる。まともなら。
 つまりこの城はまともじゃない。その辺の柱を小さめのトンカチでカツンと一発やれば一気に瓦解するのではないかと思ってしまう。
 なんのためにこの魔王城の周辺を十日間もぐるぐるしたと思っているのか。
「扉を触って通って、仲良く抜けて、魔王倒して仕舞いだろ?」
 ゴルキは明らかにイライラした調子で続けた。
 正直言って、ゴルキの言い分もわからないでもないし、同時にわかりたくない部分もある。なんせ、間取りが予想通りなのだ。外観から考察した城内部の構造はほぼほぼ予想通りで、最後まで予想通りであるならばこの扉の少し先に魔王が待っているに違いないのだ。だったら四の五の言わずにさっさとケリをつければいい、というのはわかる。非常にわかる。
 
 が、今すぐにわかってやるつもりはない。
 
「どうしたものですかね……」
 弱気につぶやいたのは僧侶のヨシュアだった。年齢差のせいか俺達三人の中では発言が控えめではあるけれど、かつてはマダルトの街きっての天才少年と言われていただけあって呪文の扱いは本物だ。泥臭い育ちの俺やゴルキと比べたら、毛並みが良いというのは間違いなくこういうヤツのことを言うのだろう。
「もう一回、ちゃんと整理しよう」と俺は提案する。
「ふん」とゴルキが不満げに鼻を鳴らした。
 話し合わなければならないことは二つ。
 
『ねぇ、はやくう』
 
 この娼館の客引き並みに甘ったるい声と、そして扉についてだ。
 
 部屋は男三人がくつろぐには少し広いくらいだろうか。
 石造りにも見える部屋の壁は所々で深い緑色が混じっていて、何の鉱物が使われているのかわからない。とにかく頑丈だ。それは扉も同じで、色や浮き出た模様に違いこそあるけれど、ヨシュアに呪文を一発放ってもらったところで焦げ跡すら残らなかった。
 〝声〟は、この三つの扉すべてを俺たちが同時に触れることで通ることができると話す。
 つまり扉一つにつき一人だ。
 
『ね~え?』
 
「おっ」
「うわ」
「また出ましたね……」
 
 目の前の光景に俺たちは三者三様の反応をする。
 まるで壁をすり抜けるように出てきたのは女。女に継ぐ女。さらに女。どれもが半透明の幻のように、けれどその贅沢すぎる体付きを目一杯に見せ付けてくる。
 顔立ちは嘘のように整っていた。鼻筋に幼さの残る顔立ちから気品を漂わせるほどの切れ長の目をした女まで。けれど体の凹凸はどれも凄まじく、豊満と言うにも生易しいほどの乳房が、それぞれの腕やお腹に押し合いへし合いしている。一様に黒いボロ切れのようなものを胸と腰に巻きつけているだけなのがまた危うい。
 肉林、とはこのことか。
 
『はやくしてよぉ』
『うふふふ』
『触るだけでいいのよ?』
『もう待てないわぁ』
 
 それぞれがそれぞれに身体を擦り付けあいながら、甘そうな吐息を吐く。いまにもぼろ切れがズレそうに、あるいは解けてしまいそうになっていた。
 俺はため息しながらゴルキに目を向ける。先ほどまでのしかめっ面とはうってかわって、体勢はやや前のめりに、鼻息を荒げている。女たちの体に翼や尻尾など悪魔的な特徴こそ見られないけれど、こんな、壁を平気で通過してくるような謎の存在にまっすぐ欲情できるコイツには呆れを通り越して感心してしまう。
「な、なあ早くしようぜ?」とゴルキが息をまく。
「バカ。それこそ思うツボだろ」
 なあ、と俺はヨシュアの方に振り返る。最近顔立ちも大人びてきた青年は、わずかに頬を赤らめて顔を逸らしていた。女性が苦手なのは相変わらずか。
そ、そうですね。と返す言葉にもやはり覇気がなく、俺は追加で息を吐いた。そろそろ窒息するかもしれない。
 女たちは互いに身を寄せ合ったり、乳房を持ち上げてみたり腰を突き出してみせたり、あるいは流し目を向けてきたりと流動的かつ扇情的だ。そのうちの一人、童顔な可愛らしい女性と俺は目が合い、彼女は乳房の片方をたゆんと持ち上げてウインクした。
 そしてそれが合図だったかのように、女性たちの幻影は煙と消える。ゴルキは舌打ちをし、ヨシュアはほっと息を吐いた。まだ部屋の中に甘い香りが残っているかのような気がした。
 
 状況はこうだ。
 
 まず第一に、部屋の前面に黒い扉が三つ並んでいる。
 掴んで押し引きできるような取っ手はなく、非常に頑丈で、破壊による通過は難しい。

 第二に、脳内に直接響くような女の声と、一定時間ごとに現れるほぼ裸体の女性たち。
 おそらく〝声〟と女性たちは同一の存在だと思われる。
 姿こそ人間だけれど壁をすり抜けて来る時点で非常識だ。第一印象のインパクトは大切かもしれないけれど、少しハメを外し過ぎに思う。おそらくまともな教育を受けていないのだろう。少なくとも俺は両親に壁をすり抜けろと教わった覚えはない。
 そして彼女たちは俺たちとの性的な行為を望むような発言を繰り返している。これは彼女たちが初めて姿を見せた時に、判断の早いヨシュアが攻撃呪文をぶっ放した後も変わっていない。火炎は半透明の彼女たちを通過し、その後ろの壁に広がって消えた。
 彼女たちは驚きもしなければ逃げることもしなかった。ただ変わらぬ様子で俺たちを扉へと誘うばかりだ。
 
 第三。
 これは〝声〟や彼女たちの発言によるものだ。なんでもこの三つの扉は俺たち三人がそれぞれ一人ずつ、全ての扉に同時に触れることで通過ができるという。
 通過した先にはそれぞれの小部屋があり、その小部屋を抜けるとまた一つの大きな部屋に繋がっていて、そこで魔王が待っている、という話だった。しかし〝声〟によると小部屋に入った時点で、俺たちに『そういうコト』をしたいという意思が見られた場合、一瞬にしてめくるめくような世界を――――それこそ先ほどみた彼女たちと一晩中まぐわうような――――体験をすることができるという。それらは本当に一瞬のこととして処理される。だなんて、そんなワケのわからないことを言われたがゆえに、俺たちはこうして立ち往生しているのだ。
 可愛い女の子とえっちなことがしたければ、できますよ? という誘いである。魔王の待つ部屋の直前でだ。
 これを罠かどうかを本気で議論するほうが馬鹿げている。
 
「どっちにしろ通らなきゃならねえんだろう?」とゴルキは言った。
 
 まあ、一理ある。
 そのヤケに真面目そうな表情の奥で、アレらと交わる気満々な気配をもう少し上手に隠していればの話ではあるが。
 俺はゴルキへ向かって口を開く。
「意思はしっかり統一しておいたほうがいいだろう。魔王と戦う前だぞ」
「わかってるわかってる、オレだってそこまでバカじゃねえよ」
 いいやお前は結構バカだ。腕の立つバカだ。
 そんな言葉を飲み込んで俺はヨシュアにも目を向ける。
「ヨシュアはどう思う?」
「そうですね、そういう行為がしたいという意思、というのが曖昧で……」
「そこなんだよな」と俺も相槌をうつ。「小部屋に入るのはまあいい。それは仕方ないとして、そのめくるめく世界とやらに連れて行かれる条件がよくわからない。『そういうコトがしたい』と口に出したら連れて行かれるのか、それとも頭の中で念じたら連れて行かれるのか、あるいは深層心理まで探られるのか」
「深層心理は……、ちょっと厄介ですね……」
「なんだあ? お前も期待してんじゃねえかヨシュア。女はいいぞ?」
「ちょっと黙ってくれゴルキ」
「はーいよ」
 俺の注意にゴルキがふて腐れた声を出した。
 
 にゅう。と。
 また壁から出てきた人影に俺たちの視線は集まる。
 
『もう決まった~?』
『早く遊びましょう?』
『私、もう熱くなってきちゃったのだけど……』
 
 出現した女体のうちの一人が、腰に巻いたボロ布を軽くつまんでめくり上げた。
 その下から露になった白い下着に、ヨシュアはわかりやすく顔を逸らし、ゴルキは「おお……」と感嘆の声を上げた。
 衣類は貧相だけれど、肌は美しく清潔感のある張りを見せる。たくし上げたボロ切れの下で、その女性はむちむちの太ももをこれでもかというほどに擦り合わせている。
 これを目の保養とするか、目の毒とするか。どちらにしろ刺激が強すぎる。
 
 乳房を寄せたり、今度は後ろ向きに布をめくって見せたり、先ほどよりも一層淫猥なパフォーマンスを見せたのち、やはり煙と消える。相変わらず甘ったるい空気が残っているような気がして、俺は顔をしかめた。
 
「……深層心理だったら、避けようがねーよな」
「お前と一緒にするな」
「へいへい」
 
 一応ゴルキの言葉には突っ込みを入れておく。
 しかし、深層心理か。それだったら俺も本当に避けられるか自信はない。
 頭でいくら否定したところで心の奥底まで塗り潰せるわけじゃない。俺がアレらを人間の女性でなく、ヒトの形をしたナニカだと認識できているかどうか。
「……というか、本当に、そういうコトだけなんですかね?」
 俺はヨシュアを見る。
「だけっていうと?」
「いや、そういう、なんていうか、本当に〝そういうコト〟をするだけって、おかしいじゃないですか。魔王との決戦の前にいかがわしいことをするなんて」
「……どうせ死ぬなら先に女を抱かせてやるっていう粋な計らいだとか」
「本気で言ってないですよね?」
「まさか」
「やっぱり罠だとは僕も思うんですよ。でもトラップ検知がぜんぜん反応しないじゃないですか。あの幻影みたいな姿が映し出される原理もよくわからないですし。僕が魔王だとして、自分に襲いかかってくる冒険者に女性をあてがう心理状況がまったく理解できないんですよね。ほんとに〝そういうコト〟は起こるのか、起こったとして、僕たちは無事に三人で魔王の元にたどり付けるのか。……あるいは色香で惑わせて、洗脳を企んでるなんてことも考えられますよね」
「まあ、考えられるとしたらそれくらいか」
 俺とヨシュアはお互いに頷き合う。
 
 もし洗脳が目的だったとして、魔王の元にたどり着いた時点で誰が洗脳されているかなんてすぐに判断できるだろうか。
 
「……やっぱり、求めればっていう条件がやっかいだよなあ」
「そうですね……」
 俺とヨシュアは同時にゴルキに目を向ける。ゴルキは「ん?」とこちらを見た。
「なんだよ」
「いや」と俺は片手を上げる。「誰が黙って『エロいことがしたいです』なんて願って、一人でイイ思いをした所で、小部屋を抜けてもお互いにバレないワケだろう? 一人だけ遅れてくれば察しも付くが、現実には一瞬だとかいう話が本当だとしたら何食わぬ顔で小部屋を出てきたらわからないからな」
「おいおい、オレを疑ってるのかよ」
「お前がよく反論できるなと感心してるくらいだ」
「やめてくれや。もうどれだけの付き合いだよ。オレのことは良くわかってるだろう? オレぁやる時はやるんだよ。あんな幻影なんか抱かなくたって魔王を倒せば街中の本物の女が抱き放題なんだから、構うこたぁ、……おっ、おおおっ、きたきた!」
「…………」
 
 また壁をぬるっと抜けてくる半裸の女性たちに、俺は片手で額を覆った。
 
「……ゴルキ」
「うるせえな、いいじゃねえか見るだけなんだからよ!」
「……はぁ」
 俺は女性たちへの注意をゴルキに任せて背を向ける。あんな肌色ばかり目にしていたら頭がおかしくなりそうだ。
「もしかして」とヨシュアが顔を逸らしながら続ける。「これが狙いですかね」
「うん? どういうことだ?」
「仲間割れですよ」とヨシュアが声を潜める。「現にいまラウザさんとゴルキさんがちょっと雰囲気よくないじゃないですか。これでまたゴルキさんが『早く行こう』って言ってもラウザさんは止めますよね? そんなことを繰り返しているうちに大喧嘩になって、魔王どころじゃなくなったら最悪ですよね?」
「それは確かに」
「慎重で問題ないと思います。別に今日必ず魔王のところにたどり着かなければいけないわけでもないですから。僕たちの間に亀裂が走るほうがよっぽど大変です。ここのところ偵察続きでしたから、ゴルキさんも、その、街で思いっきり羽を伸ばしてもらえれば多少は良くなると思いますから、冷静になるために一度戻るというのもアリかなと思いますね」
「なるほど」
 ヨシュアの言葉に俺は深く頷いた。
 確かに今日にこだわる必要はない。なにより相手の得体が知れない。魔王へたどり着く目的は大切だけれど、足元がおろそかになるのはよろしくない。
 
「よし、ゴル……、ゴルキ? おいおいおいおいおいおい」
「ちょっと、ゴルキさん!」
 
『ざ~んねん、桃色でした~』
『わたしもわたしも~!』
『お兄さん、わたしが先だよう。ほらめくってみて……?』
『今度は当たるかな~?』
「ふへ、へへへ……」
 
 ゴルキはいつのまにか女性たちに囲まれていて、腰に巻いた布切れをつまみ上げながら鼻の下を伸ばしていて、そして俺が奴の腕を思い切り引っ張ったのとヨシュアが障壁呪文を張ったのはほぼ同時だった。『ああん、もう』『やだあ』と数人の女性がなだれこんできて、障壁までも当然のようにすり抜け、同時に雲散した。
「はあ、はあ、……障壁が効きました?」
「い、いや時間切れだろう。ふつうに通り抜けてきた」
 俺とヨシュアは息を整えながら前方に注意する。しばらく経っても何も出てこないことを確認して、座りこんだまま呆けているゴルキに目を向けた。
 その後頭部に思わず罵声を浴びせそうになって、俺は眉間に力を込める。
「……あの、なあ、ゴルキ」
「触れたんだよ」
「なに?」
「触れたんだって、あの布切れ」
 ゴルキは右手を少し持ち上げ、座ったままこちらを振り返った。
 
 
 
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色仕掛け文庫 第三巻』へ出させていただいたお話のサンプルです。
自分の書いている物語の中ではかなり暗めの部類に入りますので、そういったものが好みの方はぜひぜひ。

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めるとりーずん 2020/10/10 14:28

ノンジャンル短編 その1

 
 
 
 俺は待たされることが嫌いだ。
 オクラより嫌いだ。
 
 何もせずに人を待つなんて非効率の境地とも言える行動が取れるのはハチ公か銅像の生まれ変わりに違いなく、そもそもハチ公自体も銅像で、千円持ち歩くために十円玉を百枚集めるより千円札一枚にしたほうが圧倒的に効率がいいこともこれと無関係では無いだろう。だいたい銅が悪い。特に恨みは無い。
 のへっとした顔が部屋から出てくる。俺の式神を名乗るちびっ子は病み上がりのせいかあまり顔色が良くない。いつもはピンとした耳がしなびた小松菜みたいになっている。からあげに良く合いそうだ。
 ちびっ子は俺を見上げるなり立ち止まった。まじまじと俺の顔を見る。その表情が珍しくて、俺も見つめ返す。琥珀色の瞳がぴくりともしない。大人の姿で無いのはおそらくあの戦いでほとんどの力を使い果たしたせいだろう。
 眉毛にかかるくらいの髪は秋を思わせるような淡い朱色。見下ろしていると、ちびっ子はとつぜん鼻の上に皺を寄せた。やはり妖孤を名乗っていたのは嘘のようだ。俺の式神はブタちゃんだ。俺はブタに庇われて命拾いしたということだ。これは陰陽の界隈でも珍しい事例ではないだろうか。陰陽の界隈なんて聞いたこともないけれど。
「死んでなかったんですね」とちびっ子は心底残念そうに言った。
「おかげさまで」と俺は返した。
 ふん、とちびっ子は顔を背ける。萎れていた小松菜がようやく元気を取り戻した。やはりからあげに合いそうだ。ビールも欲しくなってくる。
 お世話になりました。
 俺は『ババ様』とやらに礼を言ってその場を後にする。ピンと立った耳が、少し距離をおいてテコテコと付いてくる。
「まさかとは思いますけど」とちびっ子は口を開く。「起きるまで待ってただとか、そんな着けまといの変質者のゴミみたいなことしてないですよね? もしそうだったら、もうしばらく横になっていたいくらい気色悪いんですけど」
「俺はゲーセンで遊んでたよ。今日はたまたまだ」
「安心しました」
 古風な屋敷を出て、俺は駅の方へと歩く。テコテコ付いてくるブタ神様は平安貴族みたいな白色の衣装をお召しになっている。一般人には姿が見えないらしいので問題は無い。
「どこに行くんです? 夢遊病です?」
「今日はよくしゃべるな」
「私の口臭はまともなので。誰かと違って」
 かこんかこん。下駄の音がコンクリートに響く。
 すれ違う人並みは相変わらず早足だ。先日あれだけの騒ぎがあったというのに、もう日常にどっぷり漬かり始めている。とはいえ一般人にはボヤ騒ぎがあったという程度の認識しかないのかもしれない。
 曰く、宿敵との戦いは終え。
 死に際に放った呪術を俺を庇うようにしてその身に受けたブタ神、もとい妖狐さんは、こうして一命を取りとめた。
 総じて何が言いたいかというと。
 今日は暇である。
「いい散歩コースを見つけたから」と俺は前を向いたまま言う。
「犬の真似をするのは犬に失礼だと思いませんか?」
「狐の真似ならいいのか」
「気色悪い」
 ガチトーンで繰り出される暴言は、決して冗談として捉えられないような丁寧な気遣いを感じられる。誠実に、私は本気で言っています、という意思がひしひしと伝わってくる。
 まったく関係ないけれど、気持ち悪い、より気色悪いの方が数段ダメージが大きい気がした。
 
 一分と待たずに到着した電車に乗り込み、二駅。
 降りた駅前はワイシャツ姿が多くてなんだか後ろめたい。
 
「どこに行くんです? お得意の徘徊癖です?」
「引きこもる方が百倍得意だが」
「生産性のかけらもないですもんね」
 踏み切りを渡って、古い橋を渡って、ガードレールに守られた歩道をゆく。開発が進んだベッドタウンはそのほとんどが住宅地だ。数少ない友人もこの近くに住んでいる。
「どこに行くんです? 自殺の下見です?」
「ここら辺は人が多いから難しいだろうなあ」
「私、こっちに行きたくありません」
 ちっこい式神の言葉に俺は振り返った。
 琥珀色の瞳がわずかに揺れる。普段なら絶対に見せないような動揺が伺えた。おそらく今どこへ向かっているのか勘付いているのだろう。
「行こう」
「嫌です」
 俺は構わずに前を向く。俺を追うカコカコ音が少し遠慮がちになった。
 レトロのレの字すら押し流そうとする現代の波に晒されて、残骸のようにぽつんと残ったほったて小屋がひとつ。はたてや、と書かれた看板。中は駄菓子屋。特に用は無い。
 俺は駄菓子屋を背にした道路の反対側、高い建物と建物の間に向かう。薄暗い路地。覗き込めばその道はまっすぐ抜けていて、向こう側でも車が行き交っている。
「嫌です」と、歩道に立てられた赤いポストの前でちびっ子は立ち止まる。
「どうして」
「嫌です」
「俺たちの思い出の場所だろう?」
「何も知らないくせに」
 俺はちびっ子に歩み寄る。その小さな体が半歩引いた。
 まるで怯えるように胸元で繋いだ両手。その片方に俺は手を伸ばした。掴んだ手は本当に小さくて、ちびっ子はもともとまん丸な目をさらに丸くした。
「なっ、なっ」
 俺は容赦なく歩みを進める。引っ張る腕から小さな抵抗を感じた。
「きっ、気色悪い! です! 行きたくないと言ったんですよ!? 気色悪い! くさい! 死ね! 馬鹿! アホ! うんこおとこ!!」
「おーおー」
 一気に語彙力のなくなった罵倒を背に、俺は路地を進んでいく。
 俺とこいつが出会ったのはこの場所。先日のあの戦いを終え、こいつの神通力が戻るまではしばらくは起きないだろうと聞いて、俺は柄にも無く調べ物を始めた。最後の親玉を倒してしまったとあっては他にやることも見つからなかっただけだ。
 
 なんて。ちょっと言い訳がましいか。
 視界の端にすら入れたくないほどに俺を毛嫌いしていたこいつが、なぜあの時、命を賭してまで俺を守ろうとしたのか。そして向かってくる強大な呪術を背に、俺に見せた不可解な表情の理由は。彼女を治療に預けたあと、何もわからないまま自宅に戻って、パソコンの電源を入れては消して、また入れては消して、結局のところ仕方なくスニーカーに足を通した。
 
 祠(ほこら)。鳥居はない。
 
 ちょうど路地の向こう側との中間点。建物に食い込むような形でそれは残っていた。もう長いこと手入れをしていないのだろう。大部分が錆やコケに覆われている。
「そこの駄菓子屋のおばさんがな」と俺は口を開く。
「……なんです?」とちびっ子が口を尖らせた。
「古い帳面みたいなもんを見せてくれたんだよ。日記だった。かなり古い日記だ。どうやら駄菓子屋の家系は物好きが多かったらしくてな、この近辺で起こったことを必要ないことまで細々と記録していたらしいんだ」
「……!」
 握った小さな手が嫌がって、俺は逃がすまいとさらに強く掴む。
「お前、出会った時に一回だけ『主様』って言ったよな」
「……、油虫の間違いじゃないですか」
「俺は前の主の生まれ変わり。その俺がこの路地の前を通ったから、そのときにお前も目が覚めたんだって言ってただろう?」
「生まれ変わりは何かの間違いですね。私の主様は本当に素晴らしくて優しい方でしたがあなたは毛じらみみたいなものなので」
「毛じらみ。まあいいけど。それで、古い書体なんかも調べながらその日記を読んだ。結局面倒になって近くの書道教室を訪ねたけどな。くだらないことが山ほど書いてある中に、たまに狐の女の子の話が書いてあった。駄菓子屋のおばさんはお前のことを知らないと言っていたけど、その家系を遡ると“視える”人が多かったんだろうな。なんでも、いつも鳥居の近くに立っている、狐の耳をした少女が……」
「その話」とちびっ子がさえぎった。「最後まで聞かなきゃだめです?」
「狐の耳をした女の子がいたらしい」と構わず続ける。「座っていたり、立っていたり、ぼーっと空を眺めていたり。その日その日によって文面は違ったけど、その子は必ず鳥居の近くでじっとしてたんだって。あんまりにもその光景が日常的過ぎたんだろうな、しまいには毎回一行だけしか書かれなくなってた。その日の天気みたいに、その日の女の子の様子が簡単に書かれてたよ。……それで、いくつか書き手が変わってて、一番最近の書き手は駄菓子屋のおばさんの、実のお母さんだった。俺でも読めるような日記帳だったよ」
 私にはその姿がほとんど見えない。と日記帳には綴られていた。
 おそらく代を重ねるごとにそういった力が薄れていったのだろう。いま店番をしているおばさんは母から女の子の話を聞かされていたけれど、まったく信じていなかったという。
「そして平穏すぎる日記に事件が起きた」と、俺はそこで一度言葉を切った。
 
「――――祠の取り壊しが決まった」
 
 繋いだ手がびくりとする。俺は気にせず顔を上げる。
 苔むした祠は今もそこに、静かにたたずんでいる。
「女の子の姿をうっすらとしか見えなかったその人にも、女の子の激しい怒りは見て取れたらしい。その子は下見にきた業者に抵抗を続けた。強風を起こしたり、夜には狐火を起こして噂にしたり。普通の人間に姿は見えないけど、実害を出さない方法でなんとか追い返そうとした。……でもそれも長くは続かなかった。ついに“その手”の業者が現れた」
 俺は彼女を見下ろす。
 唇をかみ締める少女の、立派な尻尾が少し膨らんで見えた。
「日記にはその手の人達、としか書いてなかった。たぶん陰陽道や鬼神に通じてる奴だったんだろう。そいつらと女の子は話し合った。傍から見ていたら一方的な会話に見えたらしい。女の子はただただ必死に懇願していたと書かれてた。それだけで、この祠をどれだけ大切に想っているかが伝わってくるほどに。話し合いは決着した。祠は守られた。……けれど」
 俺は辺りを見渡す。
 祠以外には建物の外装と、車の行き交う音しか聴こえてこない。
「鳥居は、壊された」
 いつしか手を握る力は、彼女の方が上回っているようだった。
「それはもう、悲痛な泣き声だったと書かれていた。どれだけ可哀相か、どれだけ胸が痛くなるか。そんなことも書かれてた」
「私、泣いてません!!」
「別にお前とは言ってない」
「……っ!」
 一直線に開ける青空。電線と、格子と、窓。
 このあたりに雪が降ることは珍しい。が、大雨の日があれば、雷の日も台風の日もあったに違いない。
 俺は待たされるのが嫌いだ。
 それはこんな陽気の日でも変わらない。何もせずに人を待つ時間なんて、一秒だって我慢ならない。この性格は生まれてから一度も変わらない。たぶんこれからも。
「思うんだが」と俺は口を開く。「この鳥居ってのがこの女の子にとってどんな意味があったんだろうな。本人の神通力に関わることかな。もしそんな力の大部分を失うようなことがあったら、まともに戦うことなんか出来ないと思う。……もう一つ思うのは、俺ってヤツは見た目によらず用意周到なんだよな」
「いきなり、なんですか」
「何事も形から入るタイプでな。あらゆる事態に対応できるように準備しておかないと気がすまないんだ。一つのゲームをしばらくやらなくなる時だって、必ずセーブデータと一緒にどこまで進んだのか、どういうストーリーで、次はどこに向かえばいいのか、っていうメモを残しておくんだ。そうしておかないと気が済まないんだ。それで思ったんだよ。俺の先祖は一体何をやってたんだろうって」
「何の話ですか」
「生まれ変わりだってんなら、そいつも俺と似たタイプじゃないかと思ったんだ。転生したとしても、記憶が引き継がれるような仕掛けがあってもおかしくない。でも俺はお前の名前すら知らない。お前が頑なに教えようとしないからな」
「気色悪い人に教える名前はありません」
「でもそれはおかしいんだ」と俺はちびっ子を見下ろす。「陰陽道の知識なんて普通に生きていてまともに得られるもんじゃない。戦いとなったらすぐにでも命に関わることなのに、そのメモすら残してないのはどうかんがえてもおかしい。それで思ったんだよな。その生まれ変わる前の俺とやらは、メモ自体は残したんじゃないかって」
 メモは残していた。
 決して失わない形で後世まで残すことができるような仕掛けで。
 そして、その時代には、ソレが失われることなんて想像もできなかった。
「……鳥居が壊れて何かを失ったのは、その女の子じゃなかった。としたら」
 俺を見上げる琥珀色の瞳が揺れた。俺はその場に屈んで目線を合わせ、もう片方の手も強引に掴む。
「お前、俺の記憶が戻らないことを知ってたな?」
「しっ、知りません! 何のことですか!?」
「こっち見ろ」
「嫌です!」
「…………何日だ?」
「なんですかあっ?」
「何日、いや、何年待ってた?」
「……っ!」
 ちびっ子は顔をくしゃっとさせて、視線を逸らした。その反応で確信した。
 俺がこの路地の前を通った時に目覚めただと? 大ほら吹きだ。
 こいつはずっと俺を待ってたんだ。何年も、何十年も何百年も。下手したら、それ以上。
 一体何を想った。何を考えた。何を見て、何を聞いた。それほどの長い時を待ち続けて、なのに鳥居を壊されて、自分の存在を忘れてしまった相手をひとり、ただ待つのはどんな気持ちだった?
「何を約束した! お前と別れる前の俺は何を言った!?」
「知らない! です!」
「大切なことだろ!」
 どんな関係だった。
 何を話して、二人でどこへ行った。
 俺を庇って立ちはだかった時の、あの納得しきったような笑顔はなんだ。
 俺はお前の、一体何だったんだ。
「話せ。今からでも遅くない」
「嫌ですっ! 離して下さい!」
「こっちこそ嫌だね!」
「あなたはっ、あなたはあの人じゃありません!!」
「こんの……っ」
 無理やり肩を抱き寄せる。腕の中で暴れる少女の、そのあごを持ち上げる。
 こっちを見ろ。と、言いかけて。
 その小さな唇が震えて。
 何かに怯えたような瞳が俺の目を見て、次に俺の口元を見て。そうして。
 ぎゅっと顔を逸らした彼女を見て、俺は言葉を失った。
 
 
 
 ああ。
 俺の先祖とやらは、自分の式神に手を出すようなクソ野郎だ。
 
 
 
「そうか」
 無理やり繋いだ手は、爪を立てられると思っていた。
 肩を抱いた時、突き飛ばされると思っていた。
「そうか」
 お前は今まで。出会ってからこの数ヶ月。
 どんな目で俺を見ていたんだろうか。
 どんな想いで俺に憎まれ口を叩いていたんだろうか。
「あっ」
 緩めた腕をもう一度強める。
 俯こうとする頭を、その頬を両手で無理やり起こす。
 琥珀色の瞳が弱々しく瞬いた。他に贖罪の方法なんて思いつかなかった。何かを察したように、その両手が俺の服をぎゅっと掴んだ。蚊の鳴くような悲鳴が俺を嫌がっていた。何も言えずに、ただ薄く開く唇を。
 俺は俺で埋めた。
 幼い喉が鳴く。聞き覚えの無い声だった。
 頬に触れる右手を後頭部に回す。逃げようとする唇をもう一度捉える。小さな肩が大きく跳ねて、そして、ゆっくりと、ゆっくりと弛緩していった。
 他に方法なんて思い付かなかった。彼女の溝の埋めようがわからなかった。
 俺は彼女を忘れてしまった。
 
「……ん、ふ」
 
 鼻に掛かるような泣き声に、俺は彼女の唇を解放した。
 琥珀色の瞳から、ぽろぽろと涙が零れた。鼻先が赤くて、唇は激情に震えていた。
「ひどい……、です……」
 零れる量を、生み出される想いがはるかに上回っているようだった。
「その顔で……、その声で……っ、ひどいですぅ……!」
 ひどいです。
 捻じ切れるような声でもう一度言う。そして彼女は両手で顔を覆った。
「うあぁあああああ、ううっ、ふう、うああ、ああっ」
 手から、袖から、留めきれない彼女の想いが溢れ、零れていく。ぽつぽつと地面を濡らしていく。俺はその小さな肩に両手を置いたまま、うな垂れる。
 
 それは、そうだ。
 
 彼女にとって、愛しいのは主様だけだ。
 俺は、その見知らぬ誰かと顔も声も、きっと匂いすらも、まったく同じだけの、別人。
 呼び方も触れ方も、キスの仕方だって、きっと全部違う。違うのに、彼女の力を持ってしても拒めないほどに、俺は残酷なほどに、生まれ変わりなのだろう。
「あああっ、あう、ああ、ふ、ぁあぁあああっ」
 ぽたり。ぽた。
 落ちる雫は透明に煌く。あまりに純粋な光。地面に弾けた拍子に、ふわりと何かが漂ったように見えた。俺は光を追って祠に目を向ける。
 一瞬。祠が二重に見えた。
 ブレたような景色は音も無く重なり、そして一つになった。
 
 …………?
 
「…………か、えで?」
 
 視界の端で、少女が顔を上げた。俺は呆けたままそちらを向いた。
 かえで。
 かえでだ。
 俺は彼女の生い立ちを知らない。彼女との本当の出会いを知らない。
 何一つ知らないのに、何もわからないのに。
 そこにいる少女は、もう、どうしようもなく、かえでだった。
「かえで」
 あごから何かがぽたりと落ちた。いつの間にか泣いていた。
 別に悲しくは無かった。でも止めようが無かった。
「かえで?」
 驚いたように俺を見つめる、少女の顔が、ぐしゃっとつぶれた。
 ああ、そうだ。
 そうか。
「ごめん、かえで」
 気を抜けば嗚咽しそうになって、俺は息を止めた。とても止められなかった。
 鼻の奥が辛くて、唇が震えて、涙はもうどうしようもなかった。
「名前だけ、なんだ。名前しか、思い出せないんだ」
 かえではぐしゃぐしゃになりながら、ただ首を振る。
 ぶんぶんと、俺の言葉を否定する。
「ごめん。ごめんな。他に何も、思い、出せないんだ。ごめんな。本当に。それだけなんだ。かえで。何もして、やれない。何も、言ってやれないんだ」
 かえではまた首を振る。その姿が痛ましくて、寂しくて。
 でも、俺にはどうすることもできなくて。
「ある、じ、さま、あ、主様……っ!」
 かえでが飛び込んでくる。
 胸に顔を埋める彼女の、その後ろの景色が滲んで、俺は音にならない息を吐いた。
「ふ、うっ、よんで、呼んで、くだ、さい……、もっと呼んで下さい……っ!」
「かえで、かえで」
「ちゃんと、あう、もっと、聞こえるように言ってください……!」
「かえで……!」
 俺はその小さな肩を抱く。
 そうした方がいいと思ったわけじゃなかった。そうしないことには、俺もかえでも、姿すら保てずに消えてしまいそうな気がしたから。
「主様ぁ……」
「かえで。かえで」
 何年、待たせていたのだろう。
 どれだけ、その名すら呼ばれない季節を、過ごしてきたのだろう。
 
 俺は、かえでと泣き続ける。
 彼女の耐え続けた、その何億分の一にすらきっと届かない、ほんの一瞬を。
 
 俺は、彼女と泣き続ける。
 
 
 
 

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めるとりーずん 2020/10/08 08:38

生存報告 その6

10月ということで、正直言ってご機嫌です。
本格的に秋のシーズンに入ったと言うだけでここまでモチベーションが上がるとは思いませんでした。自然な涼しさというものは素晴らしい。

直近では「ロリサキュバスのリリ」シリーズがついに完結しました。サキュバスの洞窟、水嶋さんの絶対領域と並んで、うちの三大ジャンルを支えたお話だったのですが、無事に書き終えることができました。サイトに上がっている最新話は「7日目」、現在Ci-enに上がっている最終話が「8日目」になります。8日目は11月にサイトにUPする内容となっています。
履歴で確認した所によると、リリの1日目をサイトに上げたのが2013年ということで、7年越しになるようです。時間がかかりすぎですね。待っていてくれた方は本当にありがとうございます。

さて、シリーズものを書き終えてずいぶんと身軽になったため今後の動きを考えています。しばらくはそれぞれのジャンルに短編を書いていく予定です。また、気がついたらフォロワー300人突破をガン無視していたので、近いうちに記念の短編が上げられたらいいなと思います。

Pixivのリクエスト機能なんかも話題に上がってるので、受付だけしておいて様子を見てみようかなと思っています。ツクールMVの話はまた進捗によって報告します。

以上。

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めるとりーずん 2020/10/08 05:43

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