遠蛮亭 2021/11/17 10:44

21-11-17.進捗と世界包括神話-中国(3)

連日投稿、うっとうしいですね済みませんの遠蛮です。投稿できないときは10日とか2週間とか開くこともありますからね、投稿できる日はやっておこうと。

月曜に国政との決着があって昨日は市役所、そして今日は税理士事務所の予定でしたが税理士の先生が今日は夕方まで外出中ということで、どうやら事務所に行くのは明日になりそうです。太宰府から長浜まで、タクシー使うと片道10000円くらいかかるのですよね。とはいえおかんを置いて電車で出かけるのは危険すぎ……おかげで最近外出は全部タクシーです。自分も病気だから体力的に助かるとはいえ、不経済。

ともかくとして昨日までにゲーム作りでやったことですが、まずchapter1の陵○回避ルートシナリオ。あれは完全に自分の中に想定してなかったのでですね、お話作りが結構大変です。瑞穂さん、初手で陵○されなかったら「ヒノミヤ事変」という話につながっていかないんじゃないかなーと思うも、書いていくと綱がるっちゃあつながる……でも、やっぱり物足りないですね。あそこで長船たちに勝ってると積年の恨みが足りない感じ。

あとはツクールのシステム的な問題なのでしょうかね、イベントA→Bに飛ぶとちゃんと機能するのに、同じことをC→Bでやると機能しないことがあり……通常イベントから探索(エネミーエンカウント)イベントをつなげようとすると不具合が出たので探索イベはコモンイベントに。これでちゃんとつながるようになりました。なのであまり、目立った変化はないですね。とはいえこの部分でつまってしまっていたのが解決したので、まず11月中に陵○回避ルートとchapter1完成が見えるのではないでしょうか。

あとは……エネミーそこそこ強めに設定するので町郊外にもトレーニング場を設定の予定。それに付随しての話ですが、アクターたちのスキル、自分の中ではレベル1からある程度全部覚えてる設定です。レベルの上昇によりスキル威力が上がるわけで、スキル自体は持っている感じ。なのですがどうなんでしょうね、最初はほとんどスキル持たないキャラたちが、徐々に覚えていくのがRPGの醍醐味だというのもわかるのです。どっちがいいものやら、どなたかご意見いただけると助かります。

………………

さて、それでは本日は世界包括神話-中国(3)です。炎帝と黄帝。これにて中国編の終幕です。それでは。

炎帝
炎帝は天の炎すなわち太陽の神で、同時に神農と言われる農耕神でもあります。農業の守護神であることを象徴するように、その姿は牛頭人身。また後述の黄帝とは異母兄弟でもありますが、峻厳苛烈で厳格な黄帝とは対照的に炎帝は優しく温厚な神だったといます。

 炎帝が生まれると大地に9つの穴が開きました。これが9つの井戸となり、これらはつながり合っていてひとつの井戸から水をくむとほか8つの井戸が波立ったとのこと。また、人々に五穀の育て方を教える際には天からたくさんの穀物が降ってきたので、特別な苦労もなく、耕した畑の上にこれらの種をまくだけでよいという、これも農耕神としての神通力でした。

 炎帝はまた医療の(本草学=薬草学)の神でもあります。というかこれこそが炎帝を天帝の一人に列している要素だともいえます。炎帝は赤い鞭を持ち、これでもって集めてきた草を打ち、それを煎じて飲むとどんな病気も治ったとか。別の説話もあり、大昔、野草も薬草も穀物もごっちゃに生えていた時代、どれが益草でどれが毒草なのか判然とせず命を落とすひとが多くいた時代、心を痛めた炎帝は民を救う方策を考え、自らすべての草の毒味をして記録をつけ、人々にそれを示そうと決めます。山奥深くに分け入り、7749日、ついに霊妙な草木の生える山麓にたどりついた炎帝ですが、切り立った断崖に阻まれ頂上に登れません。しかし炎帝は「病の民びとを救うまでは死んでもここを離れん」と宣言、このとき金毛の猿が腐った木の枝を伝って上っていくのを見て、炎帝は枯れ木をより合わせてはしごを作ることを考えつきます。家臣たちに枯れ木を集めさせ、1年をかけてはしごを完成。360段を上り山頂にたどり着くと、珍しい草が無数に生えていました。炎帝と家臣たちは昼はこの種々を集め、夜になるとこれらを食用、薬用、毒草とより分けていき、すべての効用を記録します。しかしあるとき誤ってある毒草を口にした炎帝、この草の猛毒は一瞬で全身に回り、神農は死の淵をさまよいます。・家臣たちにもなすすべないとき、炎帝は最後の力を振り絞って赤い霊芝を指さし、家臣の一人がそれを炎帝に飲ませると炎帝の症状は回復、これで解毒草を手に入れた炎帝たちはさらにその後7749日間草をなめ続け、穀物のほかに365種の薬草を見いだしました。これを編纂したものが「神農本草」です。

また、炎帝は農業と医学のみならず、市を開いてぶつぶつを交換すること……商業……を人々に教え、また商業が始まったことで時間をと統一する必要ができると太陽を使った日時計の使い方をも教えました。

炎帝はこのように優しく慈悲深い神なのですが、その子孫には祝融、共工、蚩尤など邪悪凶猛といわれる神が数多く存在します。なぜかはわかりませんがこれは炎帝を引きずり下ろして天帝になった黄帝とその派閥の神々による情報操作で、実際には中華史上最大の邪神とされる蚩尤も悪人ではなかったかもしれません。

黄帝
黄帝は「五帝」といわれる天帝たちのなかでも、最も偉大な神とされる存在です。4つの目を持ち、その眼光は天地すべての事象を監視。炎帝の弟神ですが兄とはまったく正反対の厳しい神で、秩序を重んじ、また最高神として「皇帝上帝」とも言われます。秦の始皇帝が「皇帝」という言葉を使い始めたことで人間の長を表す言葉になりましたが、もともとは「皇帝」とは至高神みのに許される言葉でした。古代中国から現代日本に至るまで、五行思想における中央の色・至尊の色が黄色であり、皇帝が黄色い着物(黄袍)をまとうのもこの神に由来します。

皇帝は地上においては崑崙山の大宮殿に住まい、「陸吾」という人面虎体に九尾をもつ神獣に守られています。執務の合間におりてきて、たまにここで羽を伸ばすのだそうです。この強電のほかにもまた大きな花畑を持ち、ここのは天神がいるのですが、美しい天女ではなく馬体人面有羽の「英招」という神様。また崑崙山の近くには黄帝の食料である白玉のゼリーがとれる山があり、このゼリーの食べ残しを丹木に巻いて5年おくと、みずみずしい五色の果実を実らせるということです。

さて、皇帝がなぜ至高の天帝であるかといえば、それは間違いなく邪神「蚩尤」を殺したからです。蚩尤は牛頭人身、目が4つに腕が6本あり、頭には角、耳脇のけが堅くとがっていたといいますが、陸吾や英招でわかるように見た目だけなら蚩尤が憎まれる理由になりません。前述炎帝の項でいいましたとおり、やはりこれは炎帝の派閥と黄帝の派閥の権力争いで、勝った黄帝側がことさら蚩尤を悪神呼ばわりしているのではないかと思われますが。

また蚩尤は武器作りの祖でもありました。鋭い矛や槍、巨大な斧に頑健な盾などを作ったのは蚩尤です。勇敢で堅忍不抜でもありました。

この蚩尤が、祖父である炎帝の仇をとって黄帝から位を奪おうと狙っていたのは当然の話で、彼は機を待つと銅頭鉄額の兄弟たち、勇敢な苗族の精鋭たち、魑魅魍魎の軍勢たちを率いて北方、黄帝の国へ繰り出します。

最初崑崙山でくつろいでいた黄帝は蚩尤北上の知らせを聞くやすぐ収集に乗り出し、最初は天子の威徳で戦わず蚩尤を服させようとしましたが当然、これは失敗。やむなく軍を率いて出陣した黄帝ですが、当初は蚩尤の魔法による砂嵐で方向感覚を狂わされ、彼の率いる盛況な軍勢の前に圧倒されます。しかし間一髪の時、風后という家臣が「指南車」という方位指南機をつくり、脱出に成功。

逆襲の黄帝は応龍を放って蚩尤軍を攻めさせますが、蚩尤は風伯と雨師にめいじて大嵐を起こし、応龍を撃破。失望した黄帝はいよいよと切り札、自分の娘・魃に出陣を命じます。

魃はひどく醜い顔をしたはげ頭の娘で、常に青い衣をまとい、体内にはすべてを焼き尽くす灼熱のエネルギーがありました。魃が戦場に飛び出すや天には灼熱の太陽が現れ、蚩尤の兄弟何人かと苗族の兵の一部が倒れます。こうして大功を立てた魃は、しかしなぜか以後、二度と天に戻れなくなり、地上を放浪する彼女がいく先々では「干魃」が起こるようになりました。

さらに蚩尤の反撃、黄帝の迎撃。長期戦で士気が下がることを憂慮した黄帝は東海に住む「虁」なる神獣の川を使った軍鼓を作ります。この虁は自由に海に入ることができ、海から出ると必ず暴風雨が起きるという神通力をもっていたといいます。鳴き声は雷鳴。撥は竜頭人身の雷神を殺し、その骨を取り出して作られました。

この軍鼓を鳴らすと、すさまじい大音声が500里四方にとどろきます。9回、黄帝がこれをたたくと、天の色が変わり、蚩尤軍の士卒はみるみる力を失いました。この機を逃さず黄帝は突撃を命じ、右往左往する蚩尤軍を切り立てます。蚩尤たちは恐慌を来しますが敗北を認める者はおらず、巨人族の夸父を頼りました。

夸父族は異形の巨人ですが、気立てがよく善良であり、またなにより炎帝の子孫として蚩尤とは親族でした。彼らと同盟して助けを得た蚩尤たちは衰えた力を回復し、最後の決戦を挑みます。

黄帝はもはやいっさいの作戦が浮かびませんでしたが、このとき、西方母の腹心九天玄女が降りてきて黄帝に兵書を授けます。これをもとに作戦を立て、実行すると選挙区はおもしろいように黄帝有利に動きました。さらに黄帝は「玉をも泥のように斬る」とされる宝剣をこしらえ、武器と作戦を得た黄帝軍の前に蚩尤軍は圧倒されも包囲されます。このとき蚩尤たちにとどめをさしたのは最初いいところのなかった応龍で、逃げ場のない蚩尤たちを一人一人、殺していったとのことです。

蚩尤は最後にとらえられ、琢鹿の地で惨殺されました。蚩尤が暴れるのを恐れて死刑にするとき手枷と足枷を外さず、息絶えてからようやくそれを外したため、血で赤く染まり、投げ捨てられた枷はその後楓になったといいます。楓が毎年、秋頃に赤く染まるのは今なお蚩尤の恨みが残っているからだとか。

黄帝は苗族を皆殺しにしましたが、彼にもこの恨みを忘れませんでした。このため、中国歴代王朝にとり、苗族は手強い敵として存在するのだそうです。

ちなみに黄帝の部下に「蒼頡」という神様がいて、このひとが漢字を創出しました。もともとは家畜の管理用に作られたものが現在の中国文化の基になっているということです。

以上、中国編でした。次は韓国神話……といいたいですがさすがに韓国神話はほとんど知らないのですよね、ちゃんと書けるかどうか。その次はいよいよの日本神話をやろうかと思います。それでは、本日これにて。

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