別の誰かになろうとしないことの大切さ

偉大なる人々の名言

 かの有名なフランスのファッションデザイナー、ココ・シャネルは次のように述べています。

「簡単に取って替わられないためには、常に人と違っていなければならない」

 また、アメリカの詩人E・E・カミングスは次のように述べています。

「朝から晩まで絶え間なく、とてつもない勢いであなたに他人と同じであることを強要するこの世界の中で自分らしくあろうということは、要するに人間が直面しうる最も苛烈な戦いを、休みなく続けるということなのだ」

 ロッド・ジャドキンスは著書「クリエイティブの処方箋」の中で以下のように述べています。
(以下、引用)

「他人の劣化コピーでいるよりも、一番出来のいい自分でいよう」

(引用ここまで)

 いずれも最近知った言葉です。「売れるためには自分の個性を徹底的に捨て、世間の流行や需要に合わせなければならない」というようなことが一般的には言われがちですが、世の中にはこのような考え方もあるのかと目から鱗でした。果たして、どちらが本当なのでしょうね……。

 世間の需要と、自分のこだわり、どちらを優先させるべきかというのは多くのクリエイター(、特に初心者)が抱える悩みだと思います。明確な正解がある問いではないからこそ、自分なりの答えを探したいものです。現状、僕は同人エロゲを製作するにあたって、世間の需要というものは一切考えず、自分のこだわりを反映させることを優先しています。その結果として芳しくない売上・評価になったとしても、それはそれで仕方がないと思います。

同人エロゲのコンセプト

 誰もが納得する無難な作品を作ろうとするなら、ノンケの女の子が借金返済のためにオークやおっさんと戦い、負ければHイベントが始まりレ○プされてしまう、というようなコンセプトの作品にすることが最も適切でしょう。しかし、そのようなものを僕は決して作りたいとは思いません。自分以外の誰かが作っているのと同じようなものを作ってもそこにやりがいを見出すことが難しいですし、どうせ作るなら自分以外に誰もやっていないような奇抜で斬新な表現をやりたい、と僕なら考えます。だから僕の作る作品には、触手ヘアーを使って時速50kmで空を飛ぶ女の子や、レッサーパンダ耳のカチレズの女の子、アンキロサウルスの背中に乗って戦う恐竜ライダーの女の子が出てきます。

触手ヘアーとレッサーパンダ耳

 触手ヘアーの女の子とレッサーパンダ耳の女の子の百合を題材とする作品は、ほとんど聞いたことがありません。少ないを通り越して、下手をするとこの世に一つたりとも存在しないかもしれません。だからこそ、僕は「触手ヘアーの女の子とレッサーパンダ耳の女の子の百合は素晴らしい」ということを世間のみなさんに対して強く訴えたいのです。それを伝えるためには、ゲームを作って公開することが必要不可欠です。

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