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玲と悠馬の記事 (9)

神原だいず / 豆腐屋 2024/07/04 19:00

【再掲 / 玲と悠馬⑨】Embrasse-moi

 これぞ、最高の昼下がりと言うべきではないか…?

 部屋の中には、ページがめくれるかすれた音と、扇風機のファンが立てる間抜けなふぉおおおーん…という音だけしかない。
 おそらく外では猛威を振るう日差しも、窓とカーテンをすり抜けてしまえば、部屋の中では牙が抜けて柔らかなものに変わる。

 悠馬はフローリングの上に寝っ転がって、あたしは悠馬のお腹の上に頭をのっけて、二人で傍らに積んだマンガを延々と読み続けている。
 
 時間を贅沢に消費しているこの感覚がたまらない。
 映画鑑賞会もそうだが、あたしは悠馬とこういう風に、同じ作品を共有して楽しむ事が大好きなのかもしれない。
 あたしは読み終えた7巻目をパタンと閉じて8巻目に手を伸ばそうとした。

 しかし、傍らに積んだ山の一番上は9巻目だった。
 寝っ転がったまま、右側をちらりと見ると、8巻目は悠馬の手元にあった。

「ゆうまぁ」
 悠馬は漫画から顔を上げずに「ん」と生返事をする。
「7巻終わった」
「ん」
 その後、何か言うのかと思って待っていたが悠馬は何も言わない。

「8巻まだ読み終わらない?」
 悠馬の目は漫画を必死に見つめている。
 紙面を隅から隅まで見渡しているのか、ビー玉のように2つの黒目がころりころりと動く。
 返事はない。

「悠馬」
 少し大きめの声でもう一度悠馬を呼ぶ。
「ん?」
 語尾が上がっているから、これは疑問形なのだろう。
 「何?」程度のつもりだろうか。相変わらず彼は顔を上げてくれない。

「8巻まだ読み終わらない?」
「ん」

 起き上がって悠馬の方をじっと見る。
 あたしのこのじとりとした視線に、微塵も気づいてくれそうにないようだ。
 8巻も読めなければ、悠馬もこっちを見てくれない。なんだかちょっぴり面白くない。
 あたしは良い事を思い付いた。
 ちょっかいをかけたら、少なくともこっちを見てくれるはずだ。我ながら名案。
 悠馬の脇腹を、1回つんっとつついてみる。

 しかし、反応はない。相変わらず悠馬は、ページをめくり漫画を読み続けている。
 もう一度、つついてみる。やっぱり反応はない。
 さらに、続けて2回つんつん、とつついてみる。

 いつもなら、くすぐったがったり、笑い声を漏らしたりするのに、今日は一切何も反応を示してくれない。
 今度は、漫画の表紙をつかんでいる節くれだった指にそっと右手を這わせてみる。
 相変わらず彼は綺麗な手をしている。しかし、綺麗な手の主はやっぱり反応してくれない。

 もう、ここまでくるとわざと無視しているんじゃないか? 
 キスの一つでもすれば、こちらを見るくらいはしてくれるだろうか。
 あたしは右手を這わせた手と反対側の手に、触れるか触れないかくらいのキスを落とす。

 すると悠馬がようやくこちらを見た。じろり、と鋭い目つきで。
「今、いいとこなんだからあとにしろ」
 それだけ言ってまた目を漫画に戻してしまった。
 あたしは、悠馬の不機嫌そうに寄せた眉間を凝視した。

 「あとにしろ」だって? つれない反応だ。
 しかし、あたしだってこの程度でめげる女ではないのだ。
 生粋の恥ずかしがり屋かつ素直じゃないこの男と付き合っていくには、時に少々強引に事を進めなくてはいけない。

 あたしは、悠馬が読んでいる8巻を引っ掴んで、取り上げた。
「あっ。おい、返せ」
 不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、悠馬がこちらを睨んでくる。
 それ、たぶん世間一般だと恋人に向ける表情じゃないとあたしは思う。
 理不尽なクレーマーに当たった後の休憩室とか、無礼な振る舞いをしてくる他人に対する表情で、仮にも好き合っている彼女に向ける表情では絶対ない。

 しかし、このあたしは、これしきでめげる女ではないのだ。

「あたしに好きって言ってくれたら返す」
 さあー、どうだ! 
 これなら恥ずかしがって、可愛い真っ赤な顔を見せてくれるだろう。
 期待を込めた目で彼を見たが

「愛してる」

 その期待は、一瞬にして崩れ去った。
 悠馬は真正面からあたしの目を見据え、ぴくりと表情も変えずに、言い切った。

 まさか愛してるとまで言われるとは思っていなかったので、あたしは手から漫画を取り落とした。
 悠馬は何も言わず、そそくさと漫画を取り返し、再び作品の世界に没入し始めてしまった。

 あたしは、がっくりと崩れ落ちた。
 しっかりしろ、あたしは、これしきでめげる女ではない。ないはずだ。
 ないと言いたいが、ちょっとどうにも頬が熱くて考えがまとまらない。

 あたしから悠馬に対して、「好き」とか「可愛い」とか言う事はたくさんあっても、悠馬からあたしへ愛情表現をしてくれる事はそう多くない。
 さっきも言ったけど、この男は恥ずかしがり屋かつ素直じゃないから。

 そのくせ(それゆえ?)、時々とんでもないほど重い一撃を放ってくる事がある。
 しかも、全くもって予想していないタイミングで。

 そりゃ、恋人どうし「愛してる」ぐらい言われた事はある。
 でも、前言われた時は頬にキスされた後で顔がよく見えなかった。
 今回は真正面からだ。だめだ、言い訳が多い。

 はっきり言おう。完全に今の一撃に、あたしはやられてしまったようだ。

 だってさっきから、心臓の音がこんなにもうるさい。
 猛暑から逃れて部屋の中に避難しているのに、どうしてこんなに体の内側が熱いんだろうか。

 ていうか、この男は言いっぱなしで何もしてくれないうえに、フォローも無いのか? 
 と愛してると言ってもらったくせに、贅沢にもあたしは悠馬を睨んだ。
 しかし、すぐさまあたしは表情を緩める事になった。

「君、顔、真っ赤じゃん…」
 悠馬は耳まで真っ赤にしながら漫画を握りしめていた。
 絶対、もう内容は頭に入っていない。

「うるさい、黙れ、玲の方がよっぽど真っ赤だ」
 そういいながら、彼は赤くなった顔を隠すように、漫画を顔に近づけた。

 あたしはまたしても彼の手から漫画を取り上げた。
「もう、返せったら!」
 悠馬は手を振り回して漫画を取り返そうとしてくるので、あたしは8巻を部屋の隅に放り投げた。
「俺のだぞ、おま、え…」
 吹っ飛んでいく8巻の方を見ながら怒る悠馬の赤くなった頬を両手で挟むと、彼はたちまち大人しくなった。
 二人して、タコみたいに顔を真っ赤にして見つめ合っているこの光景がどんなに滑稽か。

 眼鏡の奥、悠馬の黒い目がぐらぐら揺れている。
 あたしの頭の奥でも思考がぐらぐら揺れている。
 ここからどうするか、何にも考えてなかった。キスしようにも、ちょっと恥ずかしすぎてできそうにない。

 そもそもなんで、あたしは8巻を放り投げて悠馬と見つめ合おうとしたのか。自殺行為に等しいじゃないか。
 いけない、変な汗出て来た気がする。どうしよう…。そう思った次の瞬間だった。


 悠馬は、あたしがしているのと同じように、あたしの頬を両手で挟んで顔を近づけて来た。
 必然的に、唇が重なる。


 キスと呼ぶにはあまりに可愛らしすぎた。
 一瞬だけ、そっと触れ合った程度。
 触れ合ったところから全身に電流が走ったように、二人は体を引き離す。

 あたしは、心臓の上を手で押さえながら必死で深呼吸をした。
 落ち着かなくては。
 とりあえず、この火照りをどうにかして覚まさなくては。
 顔を上げると、悠馬も同じように深呼吸を繰り返していた。

 ばちりと目が合うと、二人してまた慌てて逸らす。
 どうしてだ。
 いつももっとすごい事してるのに、なんで軽くキスした程度でこんなに恥ずかしいんだ。どうしたらいいんだ。 

 頭を抱えているうちに、あたしは急になんだかおかしくなってきてしまった。
 ふへ、と口角がゆるむ。
 それを境に、じわじわと口角が上がっていく。だめだ、どうにも抑えられそうにない。
 人間あまりにも恥ずかしくなると、もはや面白くなってくるのだな、といらない見地を手に入れた。

 あたしはついにこらえきれなくなって、吹き出してしまった。

 急に笑い出したあたしを見て悠馬がぎょっとした顔でこちらを見て来る。
「な、なんで笑って…どうした…」
 頭がおかしくなったと思ったのか、悠馬が眉を下げて困ったような顔をした。
 あたしは構わずひとしきり笑い続けた。

 やっと落ち着いて、指先で涙を拭いながらあたしは言った。
「ちゅ、中学生じゃあるまいし…。キスどころか、目が合っただけで照れて逸らすなんて、付き合う前にもなかった事だよ。はあ、おかしい」

 悠馬は、頭をかきながら「…付き合う前はしょっちゅう喧嘩してたからな」とつぶやいた。

「だいたい悠馬が先に怒り出すんだよね」
「ちょっかいをかけてくるのはいつもお前からだった」
「懐かしいね。こうやって、しょっちゅう言い合って、うるさいって先生にも怒られてさ」
「ほんとに迷惑だったんだからな。俺はいまだに数学の先生に怒られた時の事、忘れてないぞ」
 そう言いつつも悠馬は笑っていた。

 あたしは、彼のその表情を見て、胸の内側がじんわりと熱くなるのを感じた。
 だけど、その熱の正体がさっきと違う事になんとなく気づいていた。

「愛してるよ、悠馬」
 その言葉が自然と口をついて出た。
「……ありがとう、俺も愛してる」
 悠馬は今度も目を逸らさなかった。

 自分の心の内を見せる事が得意じゃなくて、それでもあたしへの思いはストレートにぶつけてくれるこの男の事が、あたしはどうにも好きでたまらない。

 あたしは悠馬の服の裾を引っ張った。
 言葉はいらなかった。悠馬は目を閉じた。
 二人の距離がまた0になる。

 唇を離そうとすると、今度は悠馬があたしの服の裾を引っ張った。
 あたしは彼を抱きしめて、また唇を重ねた。
 何度も、何度も。
 自らの胸の奥にある熱を、口移しで彼に流し込む。


 たくさん辛い思いをした彼の胸の内が、この先いつまでも穏やかでありますように。

 そう祈りながら。

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神原だいず / 豆腐屋 2024/07/03 19:01

【再掲 / 玲と悠馬⑧】酔いが回って

 全力で問いたい。
 一体何なのだ、この状況は。
 なんで悠馬にベッドに押し倒されているのだ。
 これじゃいつもと逆だ。
 いや、押し倒されたというような色気もない。
 クッションも巻き込んでベッドにタックルされたかのようなこの雑多さは、一体何なのだ。

「なんで、かまってくれないの!玲、おれの事きらいなの?」
 キスしようと悠馬が顔を近づけてくるので、手のひらで頬を押し返した。
「いや、嫌いとかじゃなくて、君べろべろに酔っぱらってるじゃん…」

 事の発端は30分前、私のスマホに突然悠馬から意味不明の怪文が送られてきた事から始まる。

『えいはうまそこみおりに?』
「え、急にスマホ壊れた…?」
 お風呂上りで体がほこほこ、なんだかいい気分。
 ベッドに寝転がりながらだらだらとスマホをいじっていた。
 すると、急に悠馬から一切意味の分からない文が送信されてきたのだ。

 スマホを何度かたたいてみるが、特に変化はない。
 再起動してみても全然メッセージの文面に変化はない。
 あれこれ試しているとポシュッと軽い着信音がして、友人から
『来週って語学のテストあったよね?』
 と、普通に意味が通る文が送られてきた。

 ということは、悠馬の文はスマホのバグなどではなく、悠馬のスマホから送られた文章そのままなのだろう。
 余計意味がわからなくなってしまったが。
「えいは、うま、そこ、みおりに?エイ?海で泳いでるあのエイ?うまは馬?そこって、ど、どこよ…?」
 みおりに?に至ってはもう推測しようもない。

 もしかして。
 小説やドラマで恋人や友人から怪文が送られてくるという時は、きわめて危険な状況に巻き込まれている。
 悠馬も必死にメッセージを残そうとしたのかも。これは暗号なのかも。

 真剣に考えなくては、と思ってカバンからルーズリーフと筆箱を取り出した瞬間。

 ピリリリリリ、ピリリリリリ。
 着信だ。それも悠馬から。

「はい、もしも」
「うわっ!三河ちゃんじゃん!久しぶりー!覚えてるー?俺の事」
 言い終わらないうちにテンション高めの声が聞こえてくる。
 このスピード感、声のトーンはもしや。

「浅尾くん?」
「えっ、覚えててくれたの!まじで嬉しい!」
「いや、だって全然変わってないもん、しゃべり方。浅尾くん、相変わらずうるさいよね」
 高校生の時から本当に変わっていない。
 いつも、クラスの中心でよく笑いよくはしゃぎよく怒られていたうるさい、否、元気がいい男の子だった。

「いや、辛辣すぎじゃね?」
「…さお、要件言わな…と…」
 浅尾くんの声の後ろで、これまた聞き覚えのある声がする。

「え、阿波崎くんもいるの?」
 しばしの空白があって、電話の声の主が変わった。

「三河さん、久しぶり」
「うわあー、久しぶり!元気してた?」
 阿波崎くんも変わってない。
 浅尾くんと正反対で大人しくて真面目だったけど、あまりにも正反対すぎて逆に話が合うのか、浅尾くんとよく仲良くしていた。
 高校3年のクラスで阿波崎くんと仲が良かった悠馬は、彼を通じて浅尾くんとも知り合い、仲良くしていた。

 ぶっきらぼうな悠馬と、穏やかな阿波崎くんと、にぎやかな浅尾くんの3人組は、クラスのみんなからは不思議な組み合わせだと思われていたみたいだけど。

「元気だよ。ごめんね、急に電話かけちゃって。今、渡の携帯からかけてるんだけど」
「うん、悠馬に何かあったの?」

「いや、それがね。僕と浅尾が夏休みに旅行でここの近くに来たもんだから、渡と3人で遊んでご飯食べに行ったんだけど…」
「うんうん」


「…ってわけで」
「ごめんなさい!!今すぐ、馬鹿悠馬を迎えに行きます!」

 お風呂上り、ほぼスッピン部屋着のままでマンションを飛び出し、電車に飛び乗った。


 事の経緯はこうだ。

 浅尾くんと阿波崎くんと悠馬は一緒に遊びに行ったあと、晩ご飯を食べに行った。
 悠馬はお酒が全く飲めないので、ソフトドリンクを頼み、阿波崎くんと浅尾くんはお酒を頼んでいた。
 全員で2杯目を頼んだ時に、事件は起こった。
 店員さんが、ソフトドリンクとアルコールを間違えて渡したのである。
 運が悪いことに、ジュースの色とアルコールの色がそっくりで見分けがつかなかった。

 そして悠馬は、阿波崎くんが頼んでいたお酒をジュースだと勘違いして飲んでしまい、完全に酔っぱらってしまったのだという。
 酔っぱらった悠馬は本当にたちが悪い。いつもの5倍くらいたちが悪い。
 私はお酒が飲めるから一度、映画鑑賞会の時にお酒を持って行ったことがあるのだが、悠馬がべろっべろに酔ってしまったので、それ以降二度と悠馬とお酒は飲まないと誓った。


 連絡を受けた店の前に着くと、ひらひらと浅尾くんが手を振っていた。
 阿波崎くんの肩にぐったりと悠馬がもたれかかっている。

「ほ、本当にごめんね…!」
 息を切らしながら彼らのもとに走り寄る。
「いや、大丈夫だよ。というか、こればっかりはどうしようもないよ」
「とりあえず、渡の家までタクシーで行こうぜ。三河ちゃん、案内よろしく」

 タクシーに悠馬を詰め込み、悠馬の家へと向かっている道中だった。
「…いや、でも三河さんと渡が仲良さそうにしてて僕、安心したな」
 タクシーの中で阿波崎くんがしみじみとつぶやく。

「ほんとそれ!渡、酔っぱらってから三河ちゃんの話しかしねぇし」
 助手席に座っていた浅尾くんも振り返って悠馬を指さしながら言う。
「いいじゃーん、愛し合ってるねー!」
「ほんとに浅尾くん、うるさいままだね」
「おま、ほんと辛辣だな!照れてんだろ!」
 別に照れてない。ちょっと嬉しかったな、とか全く思ってませんから。ええ。

「いや、浅尾くんと阿波崎くんこそどうなの?どうせ、今も仲良くお付き合いしてるんでしょ?」
 阿波崎くんの顔を覗き込むと、彼は照れもせずに
「うん、今も付き合ってるよ。僕は浅尾の事、大好きだな」
 と言い放った。

「だってよー、浅尾君」
「ねえねえ、なんとか言ってよ、浅尾ー」
 二人してニヤニヤと浅尾君をからかったが、彼は真っ赤になって何も言わなくなってしまった。
「浅尾、恥ずかしくなったら急に静かになるよね。かわいい」
「…だって、急に、言うから」
 付き合うまでも付き合ってからも、いろいろな事があって、悠馬と一緒に彼らの悩みを聞いたりした事もあった。
 時には、二人とも泣くほど思い詰めている時があった。
 だけど、今、二人が幸せそうに笑っているから、私はなんだかとっても嬉しい。

 悠馬をマンションの部屋に放り込んだあと、2人はホテルへ帰って行った。
「悪い、俺たち明日には帰るから今日はホテルに戻るわ」
「ほんとごめんね」
「いやいや、こっちこそほんと悠馬が迷惑かけちゃって、ごめんね」
 またこっちに来る時は連絡してね、と言って2人と別れた。

 …さて。
 このベッドでのびてる悠馬をどうにかしないと。
 ぴくりとも動かないけれど、死んでいやしないだろうか…。

 心なしかほっぺがいつもより赤い気がする。
 悠馬の顔に耳を近づけると、すうすうと寝息らしきものが聞こえたので、どうやら死んではいないらしい。
 メガネを取ってあげよう。寝返りした時に割れたら危ない。
 起こさないようにそっとそっと、メガネのつるに手をかけた瞬間だった。

 天地がひっくり返った。
「…玲ぃい…好き…」
 えへ、とだらしない笑みを浮かべる悠馬が私の上に覆いかぶさっているではないか。

 そして冒頭に戻るわけである。
「んんんんーーー!」
「だから今日はだめだってば。酔ってるでしょ」
 悠馬はほっぺを膨らませて拗ねた。

「なんで!いつもは強引にしてくるくせに!なんで俺が甘えた時はだめなの!」
 ぽかぽかと肩をグーでたたかれる。地味に痛い。
「だから、あなためちゃくちゃ酔ってるじゃんか…大人しくしてください」
「酔ってるとか関係ない!」

 悠馬が私の肩にしなだれかかってきた。
 私にだけ効果があるフェロモンでも出てるのか知らないけど、ものすごく甘い香りがする。
「かまって、ねえ、お願い…。素面じゃ、はずかしくてこんなこと、できないもん…」
 ほーう。そういう事言っちゃうか。必死で突き放して我慢してあげてたのにな。

「えい」
「あっ」
 私に覆いかぶさっている悠馬の脇腹にぎゅっとしがみつく。
 そのまま、壁側にぐるりと回転するとあら不思議。形勢逆転だ。
 おでこと頬に何回もキスを落とす。
「さて、これで満足かね、悠馬さん」

「…う…」
 なんだ、その顔は。
 めちゃくちゃ嬉しそうな顔してるじゃないか、その顔はなんですか?
 口角が上がっているよ、おでこをおててで押さえてるよ、ほっぺが真っ赤っかだよ、なにこの可愛い生き物。

「うれしい…」
 悠馬を酔わせてみれば、理性大決壊の音がする。
「覚悟しなさいよ、悠馬…」
 さんざん煽っておいて、無事に済むと思わないことね。


「ひっ、はうぅ…っ、んぅう、み、みみ、も、なめないでぇ…」
 悠馬は耳も絶対に弱いとは思っていたけど、実はきちんと虐めてあげた事がなかった。
 しかし、こんなに気持ちよさそうな声を出すなら、もっと早くに開発してあげればよかった。

「んっ、や、あ、…うぅう」
 右の耳たぶを食みながら、舌でじゅっ、と吸い上げた。
 左は耳の後ろや、耳穴のあたりをくるくると人差し指で触れるか触れないかくらいで、撫でてあげる。

「ひ、ぅう、ゃ、はう、んぅう…」
 必死で私の手を押しのけようとしているが、全く力が入らないらしい。
 手首を持っているだけになっている。

 耳の外側をゆっくり舌で舐め上げると、悠馬が体をよじらせて喘いだ。
「んんんぅ、それ、や…」
「あら、これが好きなんだね」
 もう一度、ゆっくり舐め上げ、折れ目の部分を舌でちゅるちゅると刺激する。

「ひっ、や、あぁ、みみ、や、やだ、あぁあん…」
 執拗に舐めていると、悠馬の声がどんどん熱を帯びていく。
 酔っているからか知らないが、いつもよりスイッチが入るのが早い気がしてきた。
 今日、ものすごい可愛い顔が見られるかもしれない。
 ちょっとだけ期待で胸がわくわくしてきた。

「ふーーっ」
「ひぅうう!?」
 息を唐突に耳に吹きかけると、悠馬はより一層高い声で鳴いた。
 よほど驚いたのか、目をキョロキョロさせている。

「へへ、かわいい…悠馬、もっと耳の奥まで犯したげようか」
「うぅ、う…」
 迷ってる迷ってる。素直に言うのが恥ずかしくて迷ってる。全然こっち見てくれない。

 お、目が合った。

「して…?」
 首かしげちゃうのまでワンセットなのが控えめに言って可愛すぎるな。
 私の彼氏、すごいな。
 これは全人類が平伏すレベルの可愛さだと思うし、なんなら自主的に平伏してほしい。

「いいよ」
 耳穴の周りを一周、れろっ、と舐め上げる。
「ひっ…」
「まだ、入り口だよ」
 もう一度、舐める。もう一度。
 少しずつ感覚を狭めていき、れろれろ、くちゅくちゅ、と音がするまで耳穴付近を虐め続ける。

「んはぁあ♡んっ、んぅう…」
 内ももどうしをすり合わせているのが視界の端に見える。
 きっと下着は少しずつ愛液でじっとりと濡れ始めているころだろう。まだ触ってあげないけども。
 わざと音を立てながら舐め続ける。
 時折、耳の穴の中に舌を割り入れると悠馬の体が一層大きく跳ねた。

「ぁあ、う、ぅうう、んん、ん♡」
 少しずつ耳の中に舌を進めていく。最初は浅くちろちろと素早く出し入れを繰り返した。
「んぅ、ひっ、あぁ、そ、それ…ぁ、ああ♡」
 悠馬が逃げようとするので、頬に手を添えてぐっ、と口元に近づけた。
 今度はゆっくり、奥深くまで舌を入れ、ぬろろっ、と引き抜く。

「んんんんぅう…」
 もう一度、ゆっくりゆっくり奥深くまで舌をねじこみ
「ひうぅう…んっ」
 またゆっくりゆっくり引き抜く。
「ぁ、や、やぁああ♡」

 これを何回も何回も繰り返す。
「悠馬、腰揺れてるね」
「…っだ、だってぇ…んんんっ」
 悠馬の腰がいやらしく揺れている。
 着衣でもこの色気なのに、脱がせたらもう我慢が効かないかもしれない。
「だめでしょ、耳だけでそんな色っぽい声出して腰揺らしてちゃ」

 ジーンズの上から悠馬のペニスをそっと撫でた。
「んっ、んぅ」
「まだズボンの上からしか触ってあげない」
 何度も軽く上下に撫でているだけなのに、悠馬はたちまち息を荒くして喘いでいる。
「ひ、ひぁ…っんんぅ、や、ぁ…っ!」

 やたら気持ちよさそうにしているので、耳を虐めるのも再開してあげると、悠馬はさっきよりも激しく身をよじりだした。
「んぅうう、はぁ…っ、ぁ、あ、ああ。れ、れいぃ…あ、だめ、いっぺんに、あ♡だめぇ…」
 少しずつ舌を抜き入れするスピードを速めていく。
 耳元からちゅこちゅこと、さらにいやらしい音がする。

「悠馬は、耳犯されてこんなに感じちゃうんだね」
「ぅ、ぅううん、はうぅ、や、ぁあああ、ひぁあっ♡」
 ちゅぐちゅぐちゅぐ、ぐちゃ、ちゅこ、ちゅく、水音がどんどん悠馬の脳を支配していく。

「脳まで犯してあげようか」
 手近にあったタオルを悠馬の目元に巻き付けて、視界を奪った。
 そして一気に耳の奥まで舌を割り入れ、できる限り早いスピードで悠馬の耳を○す。

 悠馬が口端から唾液を垂れ流しながら喘ぐ。
「ぁあああっ、こ、これ、だめ、ら、らめ、や、脳みそおかされちゃ、うっ…♡」
 ほんとに虐め甲斐があるな。
 ここまでぐずぐずに感じてくれるのは嬉しい反面、ほんといつも心配になってしまう。
 たまに突然ねっとり、ゆっくり舐めてあげると、折れるのではないだろうかと思うほど腰が跳ね上がる。

「ぁ、あ、あ、あ、あぁああ♡んんんっ、も、らめ、おかしくなる…っ、めかくし、とって、や、これ、らめ…」
 ついに悠馬の呂律が回らなくなってくる。
 ジーンズのチャックを下ろすと、すでに下着は濡れそぼっていた。
 やっぱりそうだ、今日、やたら感度が良すぎる…。
 目隠しされているのも相まって余計に感じているのだろうか。

 耳を犯し続けたまま、ふにふにと下着の上から悠馬の中心を刺激する。
「ひぐっ、ひぁ、ぁああ、んんっ」
「下着、めちゃくちゃ濡れてるね。気持ちよくて先走りいっぱい出しちゃったの?」
「んんんぅうーー…っ、ひっ、あぁ、う」
「答えて」
 悠馬のペニスをぎゅっと握る。

「ひうぅ!」
「答えてよ、ねえ」
「ぁ、ぁうう…きもち、くて、あ、う、いっ、ぱいでちゃ、でちゃったの…っあ、あぁ♡」
 だめだ、可愛すぎてもうどうにもできない。
 ちゃんと言えたご褒美に、キスをしてあげよう。

 口の中に舌を割り込ませると悠馬の熱い舌が必死に追いかけてきてくれる。
 よっぽど嬉しいのだろうか、なかなか離してくれない。
「ぅ、ふぅ…んっ」
 本当に可愛い。
 キスをしながら、下着の上からまた虐めると、悠馬の体は気持ちいいところをかすめる度に、びくびくと跳ねている。

 ちゅぱっ、と音がして二人の唇がやっと離れた。
「はふ…っ、ふ、う…も、おねがい、も、ちょくせつ、さわって、おねがい…」

 この声は本当にずるい。
 いつもの低くて落ち着いた声はどこへやら。
 ただでさえ、普段から悠馬のお願いなら何でも聞きたいと思っているのに。
 そんな切なそうに上ずった声で強請られたら、断る理由なんかどこにもない。
「いいよ」
 だから、無意識のうちに許してしまう。

 悠馬の下着をずり下ろしていく。
 直接、そっと優しく触れるとそれだけで悠馬は口元を抑えて声を我慢しようとしている。
「触っただけだよ…?」
「んぅ、だ、だって、みえないから…」
 ぬるっ、と上に手を滑らせる。
「んんんぅう」
 次は下に。
「ひぁぁあ」
 もう一回。また上に、下に。

 ぬるぬると手を滑らせて刺激すると悠馬はまた私の手首をつかんだ。
「や、はや、はやい…だめ、い、いっちゃ…」
「何言ってんの、1回イったくらいでやめたりしないから安心してよ」
 ぬちゃぬちゃといやらしい音が部屋を支配する。
 悠馬は体を弓なりに反らせて必死に快感を逃そうとしているが、もう限界が近いようだ。

「だ、だめ、い、いく、いっ、ちゃう…ぅう♡あぁああああん♡♡」
 大きくびくんっ、と悠馬の体が跳ねたあと、白濁がどくどくとあふれ出してくる。
「ぁ、ぁぁあ…っ、はう」
 そのまま間髪入れずに片手で先っぽをひっかいて、もう片手で上下にぬるぬると刺激すると悠馬はさらに乱れた。
「えっ、やっ、なに、なにしてるの、まって!ぁっ、ぁああ、ひうあ、やっ…」
「待ちません」
「ぁああ、やぁあん♡いま、い、いっ、いったからぁあ♡いま、だめ、らめ、い、いじっちゃ、あぁ、さきっぽ、らめぇ、らめ、はうううう♡♡」
 悠馬は首を横にいやいやと駄々をこねる子どものように振り続ける。
「もっかい、イこうね、悠馬」
「や、やだああ、やだああああ♡あ、ま、また、またいっちゃ…!」
 ベッドの上でのたうちまわる悠馬はひどくいじらしい。
 どうしてこんなに嬲りたくなるのだろう。不思議な人だ。

 前髪は汗を吸ってペタリとおでこにくっついている。
 耳や首まで真っ赤にしながら、必死に歯を食いしばって快感に耐えている様は何というか非常に嗜虐心を煽るというか。
 目隠しの下の目はどうなっているんだろう。

「~~~っっ!!♡」
 2回目はあまりの快感に、もう声も出ないまま悠馬は果てた。
 白濁はさっきより多くないがそれでもびゅく、びゅく、と零れ落ちている。

「な、なんでぇぇ、おねが、て、もう、とめて…っ、も、いけない…いけないぃいっ」
「やだよ、止めない。だいたい、悠馬もう勃ってきてるよ」
「ひぁ、も、ぁ、だめ、だめ、おかしくなる、せめて、めかくしとって、きもちいいのいっぱいきちゃうから…っ」
 悠馬の体を起こし、後ろから抱きかかえるような形にする。

「わかったわかった。じゃあ最後にするから、悠馬が気持ちいとこ全部虐めてあげるね」
 耳を犯しながら、右手は乳首に、左手はペニスに持っていく。
「らめ、いっぺんは、ほんと、らめ、こわれる、こわれちゃ、こわれちゃうから…っ」
「でも悠馬、期待してるでしょう。気持ちいいところ全部いっぺんになじられて、頭おかしくなっちゃうくらい気持ちよくされる事、期待してるでしょ」

 悠馬は、少しだけ考え込んだあと、ゆっくりとうなずいた。
 顔が見れないのが残念だけど、きっとすごく虐めたくなる顔をしているから、見るのはやめておこう。

 乳首をひっかき、ペニスを上下にしごき、耳の奥深くまで舌で○す。
 一度に三か所も責められて、悠馬はたまらず体をよじらせて逃げようとした。

 だけど、逃がしてあげない。逃がすわけにはいかない。
 乳首を虐めている腕で悠馬の上半身をがっ、と抱き寄せ、自分の脚を外側から悠馬の脚に絡めて、ぐっと外に広げる。

「はあうううう、らめ、あぁああ、ぁん♡も、だめ、これ、きもちよすぎて…あ、あ、ひうう♡も、おかしくな、る…っ」
 先っぽを親指でぐりぐりと虐めると、悠馬は体をひくひくと震わせた。
「ん、ん、んんんんぅう♡も、だめ、や、きもぢ、ひぅうううう」

「…好きだよ」
「やっ、あぁ、~~~~~っっ♡♡」
 悠馬は最後にがくがくと体を震わせながら精を吐き出した。
 3回連続で出したからさすがに薄くなってはいたが、手にはてらてらと悠馬の愛液が張り付いている。
 悠馬はぜえぜえと息をしながら、私の肩にもたれかかってきた。
 体に全く力が入らないようだ。

「ごめん…虐めすぎた…」
 事が終わると、急に頭がさえてきた。
 どう考えても、酔っぱらいにやる所業ではなかった。
 思いっきりがっついてしまった…。
 翌朝、殺されるのではないだろうか。冷や汗が滝のように流れ落ちる。

「あ、そういえば目隠し…」
 慌てて彼の目隠しを取り、顔を覗き込むと、ぐずぐずにとろけた瞳と視線がかち合う。
 虐めてる最中に目隠しを外さなくて心底よかったと思った。
 
 気持ちよさで放心状態になって、さっきから微妙に焦点が合ってない感じがする。
 ビー玉のような丸い黒目がころころと動くその様の色っぽさ。可愛い。
 じっと眺めていると悠馬が口を開いた。
「もうだめ…」

「え?」
 悠馬がずるるる、と崩れ落ちた。

「え、うそ、悠馬!悠馬!悠馬―――!」


「確かに昨日酔っぱらって、阿波崎にも浅尾にも玲にも迷惑かけた。それは本当に悪かった。ごめん。あとでお詫びに何かする。だけど、どう考えてもお前もやりすぎだよな?なあ?」
「申し訳ございません…」
 翌日、案の定悠馬に死ぬほど怒られて、平謝りをする羽目になった。

「何かお詫びします…。何なら今からデートしようよ、最近行けてなかったしさ」
 悠馬はしばらく黙ったあと、立ち上がってすたすた歩いて行ってしまった。
 ううん、さすがに今回ばかりは本気で怒らせたかもしれない。
 どうしよう…と思案するもつかのま。

「何ぼおっとしてるんだ、早く準備しろよ」
「えっ」
「行くんだろ、デート」
「えっ」
「えってなんだ、玲が言ったんだろ」

 悠馬が振り返った。面食らっている私を見て、少し照れたように笑った。
「…阿波崎と浅尾見たら、俺だって玲とデートしたくなったんだよ、ほら早く」

 すさまじい衝撃波をまともに食らってしまった。
 心臓が死ぬほどバクバクする。
 これは、やはり惚れた方が負け。何でもお願いを聞いてあげたくなってしまう声だ。
「しよう、デート!私は映画館と水族館とゲームセンターと最近できた新しいカフェとショッピングモールに行きたい!」
「どれか一つにしなさい」

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神原だいず / 豆腐屋 2024/07/03 19:00

【再掲 / 玲と悠馬⑦】7月13日

 俺が一体、何をしたって言うんだ。

「ひ、ぐっ…ぐぅ…っ」
 どうして、こんなにつらい目に合わなければならないんだ。

「やめて、おねが、おねがい、やめて…っ!
 どうして俺なんだ。


 それは、高校一年生の夏だった。
 今でも日付を覚えている。7月13日。
 身体を滑り落ちていく汗と涙、精液の不快さ。埃っぽい、社会科教室の床。
 ずきずきと痛む背中。
 もう顔も思い出せないけれど、俺を組み敷いたあのクラスメイトの、欲でぎらついた目。

 それから始まった真っ黒で救いがたい日々、恋焦がれた一人の女の子、安堵で崩れ落ちた瞬間。

 全部全部、一生忘れる事はないだろう。

 高校一年生。
 その日、日直だった俺は、先生に授業で使った地図の運搬を頼まれて資料庫と化した旧校舎にいた。
 社会科資料室の奥に地図を立てかけ、ふうと一息ついた時、後ろで扉がガチャリと音を立てた。
 振り返ると、同じクラスの男子が立っていた。
 どうしたんだ、と声をかける暇も無かった。

 そこから、初めてを暴力的にかっさらわれるまであっという間だったからである。

「あ、いた、いたい…っ」
「うるさい…っ!」
 クラスメイトは、自分が締めていたネクタイを外して、俺の口の中に無理やり突っ込んできた。
 苦い布を必死に噛み締め、痛みと屈辱に耐える事しかできない。

 気持ちよくなんかなかった。
 前戯もほぼなく、十分にほぐされもせず突っ込まれたせいで、すさまじい圧迫感と痛みが襲って、息ができなかった。
 クラスメイトが動く度に、貫かれた場所から痛みが広がる。

「むぐ、ぐ、ぐう…っ!う、うぅ…っ」
 俺の中心は完全に萎えきっていた。
 体を冷や汗が伝う。
 もう、やめてくれ。許してくれ。
 俺の何が悪かったのだろう。彼とは同じクラスになってから、二言三言会話をしただけなのに。

 血が出ているのだろうか、埃っぽい部屋は少しずついやらしい水音でいっぱいになっていく。耳元で荒い息が聞こえる。
 怖くて怖くて必死に目をつぶった。

 突然、彼は陰茎を抜き、俺の手首を離した。
 横目でちらと見ると、赤く痕が残っている。
 社会科資料室の床でぐたりと動けなくなった俺を見下ろしながら、彼は俺の体に向かって精を吐き出した。その瞬間、彼は小声でぼそりとつぶやいた。


 俺ではない男の名前を。


 口からネクタイがずるりと抜かれる。唾液でテラテラに光るネクタイはもはや何か気味の悪い生き物のようだ。


「悪かった」
 彼は一言それだけ残して部屋を出ていった。教室の外でガタガタと音がして、足音が遠ざかっていく。

 謝るなら俺のこの痛みを消し去ってくれ。
 こんな理不尽に体を暴かれて、挙句の果てそれが自分ではなく別の相手への欲情を発散するためだなんて。
 こんな事、誰にも相談できない。
 どうしたら、いいんだろう。怖いのに、痛いのに、一人で抱え込むしか方法がない。

「誰か助けて…」
 セミの鳴き声がどこか遠くの方で鳴り響いている。
 誰かのすすり泣きがひどく近くで聞こえるが、それは俺のものだったんだろうか。


 その事件以来、俺はクラスの誰にも心を開く事などなかった。
 それまでに友人は数人いたけれど、付き合いが浅かった事もあっていつしか、距離があいていった。
 いつも、教室の隅で一人ぼおっとしていた。
 誰かと関わる事が怖かった。
 また、何か危害を加えられてしまうんじゃないか。
 手が自分の方に向かって伸びてくるだけで、身構えてしまう。
 手が少し触れただけで、恐怖で声が出なくなる。

 俺を襲ってきたクラスメイトは、夏休み後に転校していた。
 文句の一つも言ってやる事ができなかった。

 情けなくて、苦しくて、だけど怖いから誰とも関わりたくなくて、学校も休みがちになったし、部活動もやめてしまった。
 小さいころから大好きだった剣道を、本当は続けたかったけど、それどころじゃなかった。

 そして、2学期のとある日。
 ついに出席日数が危うくなって、放課後に担任に呼び出されてしまった。

「渡、このままのペースで休み続けると、出席日数が足りなくなるかもしれない。お前は、成績はいい。だけど日数が足りない生徒は留年になるんだ。できるだけ学校に来てくれ」
「…はい」

 職員室の端。
 面談スペースと称されたその小部屋で、担任と向かい合って座って二人。
 机の下の手が震えている。個室で誰かと二人きりになる事も怖かった。
 担任がそんな事してくるはずないのに、恐怖で頭がいっぱいになる。

「何か、悩みごとでもあるのか。例えば…友人関係でうまくいってない事があるとか」
「いえ」
 いえるわけがない、あんな事。だいたい、もうあのクラスメイトはいないのに。

「親御さんと何かトラブルがあったわけではないよな」
「…いえ」
 早く、外に出してほしい。声が震える。
 そのとき、俺の様子がおかしいのに気づいたのか、担任が俺の肩に手を置いた。
 身体から一気に血の気が引いていく。

「だ、大丈夫か、お前」
「いや、あの、あ、ちが、大丈夫です」
「体調悪いんじゃないのか、顔真っ青だぞ。今すぐ一緒に保健室に行こう」
「ひ、ちが、やめて、なんでもない!なんでもないんです!失礼します!」

 俺は椅子から勢いよく立ち上がり、ダッシュで職員室から出た。
 泣きながらめちゃくちゃに走った。どこに向かっているかもわからない。
 何から逃げているのかもわからない。
 前も見ずに、無我夢中で走っていると

「うわっ!」

 突然誰かと思いっきりぶつかってしまった。
 正面衝突して、二人とも尻もちをつく。
「いたた、びっくりした…」
 目の前で、一人の女の子が困ったように笑っていた。
 セーラー服の右胸にある校章の色は、赤色。同じ学年だ。
 だけど、彼女の顔を見た事は一度も無かった。別のクラスの子だろうか。

「ご、ごめん。前見てなくて」
「いいよ、あたしも前見てなかったから。…あれ」
 彼女は、俺の顔を覗き込んできた。急に距離を詰められたので、一瞬後ずさる。

「あ、ごめん、距離近かったね。いや君、泣いてるのかなって、思ったんだけど」
「…」
「なんか、あったの?」
「…なんでもない」
「あ、彼女に振られたとか?」

 ニヤニヤと笑いながら聞いてくる彼女に、何だか無性に腹が立った。
 こっちは必死で悩んでいるというのに。一人で耐えているっていうのに。
「あんたには、関係ない!」

 そう叫んで、俺はその場を走り去った。
 二度と関わり合いになりたくない、あんな奴。
 いつの間にか、悲しい気持ちは完全に怒りへとシフトされていた。

 この時、ぶつかった女の子は一体誰なのか?
 そう、お察しの通り、三河 玲である。

 当時は彼女が俺を救ってくれる事になるなんて、つゆほども想像していなかったのだが。


 なんとか出席日数をぎりぎりでクリアし、2年生に進級するころには、少し気持ちも落ち着いてきていた。
 どうせ人と関わるのが怖いなら最初から関わる事もなく、のらりくらりと一人で過ごそうと決めて、始業式の日、教室に入った。
 苗字が「渡(わたり)」で万年名簿番号は一番最後なので、教室の一番隅の席に座る。

 教室は人がまばらだったが、しばらくするとがやがやと女子数人のグループが教室に入ってきた。
 部活の知り合いなのか、去年クラスが同じだったのか、ぺちゃくちゃとおしゃべりをして楽しそうだ。

 まあ、関わり合いになる事もないだろうと、机に突っ伏して眠ろうとしたその時だった。

 振り返ったグループの女子一人と目が合った。
 なんだか見覚えがあるような、ないような。
 次の瞬間、彼女が
「あーっ!」
 と大きな声を出した。

「なになに、どしたの、玲」
 周囲の女子はびっくりして彼女を見たが、彼女はお構いなく俺の席に近づいてきた。

「ねえねえ、去年さ、廊下でぶつかった人だよね。あの、泣いてた!」
「げっ」

 最低な気分だ。
 泣いてた事もばらされるし、一番関わり合いになりたくないタイプだと思っていた奴が同じクラスだし。

「やばいよ、あんた嫌がられてるじゃん」
「えー?ひどい、仲良くなりたいと思ったのに」
「やめときなって。一人でいるのが好きなんだって、きっと」
「そうなの?君、一人でいるのが好きなの?」
「…ほっといてくれよ」
「ほら、玲、行くよ」

 そうだそうだ、もうほっといてほしい。
 中途半端に関わって傷つけてくるなら、最初から関わり合わないでくれ。
 その時、彼女がぼそりとつぶやいた声が聞こえた。

「どうもそんな風には、見えないんだけどなぁ」
「…え」

 振り返った時には、彼女はもう友人たちと一緒に教室の中央に向かっていた。
 一人取り残された俺は、しばらく彼女から目を離す事ができなかった。
 あのヘラヘラ笑っている女が、本当にさっきの言葉を言ったんだろうか。

 最後に、彼女がぼそっと言った言葉の意味を考えあぐねていた。
 彼女は、俺の何を見て「本当は一人でいるのが好きじゃない」と思ったんだろうか。
 頭の中に、少しずつ少しずつ疑問符が生まれ始めていた。


 それからというもの、彼女はしょっちゅう俺に構ってくるようになった。
 今は、彼女がずっと話しかけてきてくれたおかげで、他人と再び関わり合う事に少し前向きになれたから、本当に感謝している。

 だけど、当時は全くそんな風に思ってなかった。

「わたりー、渡悠馬くーん」
「…うるさい」
「眉間に皺寄せちゃって、老けちゃいますよー」
「…しつこい」
「にこって笑ったら絶対可愛いのに!」
「いい加減にしろ!しつこいって言ってるだろ!」
 
 最初の席替えで、隣の席になった事が運のつきだった。
 彼女はいつもいつも暇さえあれば俺をからかった。
 授業中に問題を解いているときも、移動教室の準備をしているときも、朝学校に来て、夕方帰るまでずっと。
 友人が多い彼女は、おしゃべりが上手で、口下手な俺からすればかなりうるさい存在だった。

「三河さん、渡くん。仲良しなのは良い事だけど、静かにしなさい。授業中よ」
「いや、仲良しじゃな…」
「おしゃべりする暇があるなら、次の問題を解いてもらいましょうか。はい、じゃんけんで負けたほうが前に出て」

 数学担当の市川先生は口元に笑みを浮かべているが、全く目が笑っていない。
 相当に怒っているようだ。
 有無も言わさぬ迫力で、こちらをじろりと見つめてくる。
 ついでに、クラスメイトたちもにやにやとこちらを見つめてくる。

 隣の席にいた三河が、机をシャーペンでこんこんと叩いてきた。

「…ねえ、渡が解いてよ。あたし、あんな三角形とか円がぐるぐるしてる問題わかんないよ」
「俺だってわかるか。あれ、特進クラスが解くような問題だぞ」
「じゃあなおさら、あたしじゃ無理だよ。君、頭いいでしょ。解いてよ」
「無理だ。じゃんけんしてどっちかが怒られるしかない」

 二人して声を潜めて、問題の解答権を押し付け合う。
 その間に市川先生はしびれを切らしたのか、俺たちの机に向かってつかつかと歩いてきた。
 そして、勢いよく机の上に大量のプリントを叩きつけた。

「あの、せんせ?これは…」
 ぞっとする量だ。
 しかも、先生の手のひらの隙間から見える問題文も、かなり凶悪なレベルな気がする。

「以前から、私語が多い生徒に関してはペナルティを与えますと通告していました。次回の授業までに、全て終わらせて提出しなさい」
「いや、次回の授業って確か明日の一限じゃ…」
「いいですね」

 三河の悲痛な訴えをかき消すかのように、チャイムが鳴った。
 弁解のチャンスも完全になくなってしまった。
「では、本日はここまで!」


「お前のせいだからな…」
 放課後の教室。目の前に積みあがる片付かないプリントの山。
 カチカチと苛立たし気にシャーペンをノックする音。
 ひっきりなしにこぼれるため息。

 俺の恨み言に、三河がねちっこく反論する。
「渡がうだうだ言い訳して問題解かないから、先生が怒ったんだよ…」
「じゃあお前が解けばいいじゃないか」
「できないから頼んだんだよ。だいたい、そっちが叫んだせいで注意されたんだから!」
「ちょっかいかけてきたのはお前だ!」

 お互い、椅子から半立ち状態でにらみ合う。
 一触即発。
 どちらかが何かを言えばつかみ合いの喧嘩にでもなりそうな緊張感だ。
 しかし、しばらくして三河がふうとため息をついて椅子にもたれかかった。

「…やめよう、不毛だよ」
 プリントをまるで雑巾のようにつまみ、ふらふらと目の前で振りながら、三河は半ば死んだ目でこちらを見た。
 友人と話している時からは想像できないほど虚ろな表情に、一瞬どきりとするが、すぐに彼女は俺から目を逸らした。

「ここで言い争っても何にもならないよ。数学の課題は提出しなきゃいけないんだもん」
「…まあ。そうだけど」
「ちょっかいかけた事、気悪くしたなら、謝るよ。ただ、嫌がらせのつもりじゃなかった事だけはわかってほしい」

 彼女は当時、長い黒髪だった。
 初夏にしては蒸し暑いが、教室のクーラーはまだつけられない。
 彼女は右手首につけていたヘアゴムで、髪をまとめ始めた。
 その間、静かに彼女は話し続ける。

「新学期になってからずっと、渡と話してみたいと思ってたの。本当に一人が好きそうに思えなかったから。なんだか、本当は誰かと関わり合いたいのに、ずっと我慢してるように見えたんだよ」
「今は…?」
「ん?」

 嫌に喉が渇いている。言葉が喉にひっかかってうまく出てこない。どうしてだろう。
「今はどう見える…?」

「ううーん、そうだね…」 
 三河は少し考え込んだ。
 せっかく右手でまとめていた髪を手離して、腕組みをしている。
 変な気分だ。自分自身がどう見えているかを相手に問うだなんて。

「今も、一緒かな。一人が好きなようには、やっぱり見えないよ。理由は、うまく言えないんだけど、しゃべってるといつもそう感じる。ほんとは、自分自身の事、誰かに知ってほしいのかなぁって思うよ。正直、あたしの事うっとうしいでしょ?」
「うっとうしい。苦手」

 即答すると、三河は嫌そうな顔一つせず、けらけらと心底おかしそうに笑った。
「やっぱり。正直に言ってくれると思った。なんかね、良くも悪くも、人付き合いに誠実そうだなって思う。中途半端に付き合い持たれるの好きじゃないんでしょ。ずかずか無遠慮に入ってこられるのも好きじゃないよね、違う?」

「…違わない」
「渡のそういうところがすごいと思うよ。あたしは、適当に広く浅くお友達を増やしたからさ。楽しいけれど、渡みたいにきちんとお前の事が苦手だって言ってくれる人いないよ。変に気を遣って、うわべだけのふわふわした関係で」

 彼女は、頬杖をついて窓の外をぼんやりと眺めた。
 またしても、彼女の目は虚ろになっている。
 その目を見ると、心臓が急に締め付けられるような気分になってしまうのは、どうしてなんだろう。

「だけど、あたしも傷つくのが怖いから、へらへらしてるだけなんだよねぇ」
 彼女は、そのまままっすぐこちらを見た。
 さっきよりも長い時間、彼女の視線に絡めとられてしまう。
 どうして、息ができないんだろう。
 怖い以外の感情で、息ができなくなったのは久しぶりで、どうしていいのかわからない。

「渡とは、うわべの関係になりたくないなぁ」
「ならない!」
 自分でも思ってるより、大きい声が出た。
 三河は驚いたのか、目を丸くしてこちらを見ている。
 かくいう自分も驚いて、固まってしまった。

「な、なんで言った君が驚いてるのよ」
「わかんない…。だけど、ならない。ちゃんとお前のこういうところが嫌だって、正直に言うから。だから、だから」

 どうしてこんなに必死になっているんだろう。
「そんな悲しい目しないで」

 訪れる沈黙。
 何か言ってくれ、頼むから。
 顔を上げる事ができない。頬の中心から、耳へ首へ、じわじわと熱が広がっていく。
 耐えきれなくなって、机のプリントを急いでかき集めた。
 彼女の方をろくすっぽ見ないままカバンに適当に詰め込む。

「用事あるから、帰る」

 席を立ち、逃げるように教室から出ようとした瞬間だった。
 思いっきり手首を掴まれる。心臓が口から飛び出そうになった。
 一気に社会科教室の出来事がフラッシュバックする。

「帰らないで」
「う、あ」

 だめだ、恐怖でうまくしゃべれない。
 だけど、どうして、恐怖以外の感情が湧き上がりそうになってるんだろう。
 身体が崩れ落ちてしまいそうで、震えが止まらないのに、嫌悪感以外の何かが生まれている事に頭が混乱した。

「ねえ、こっち見て」
「やだ…っ」
「どうして」
「わかんない、も、わかんない、何も」

 声が震えだす。まずい、泣きそうになっている。
 どうしたら、どうしたら、ああ。
「渡、お願いこっち見て」
 ゆっくりと振り返る。
「君、初めて会った時もそんな顔して泣いてたね。真っ青で、何かを怖がってるみたいだった」
 三河がまっすぐにこちらを見た。
 その目に何もかも見透かされてしまいそう。

「何が怖いの」
「言えない、そんな事…」
 もう限界が近かった。頭がクラクラし始めている。考えがうまくまとまってくれない。
 三河は、次の言葉を言うかどうか迷っているように、視線を彷徨わせた。
 そして、こう言った。

「怖い事は、社会科教室と関係あったりする?」

 その瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。
「なんで…うそ、どうして…」
「去年の夏に、社会科教室で人が倒れてるのを見た。パニックになって、あたしその時逃げたの。顔はちょっとしか見えなかったけど」

 三河は座席から立って俺の元へ来た。そして側にしゃがみ込む。
「やっぱり渡だったんだ…そっか…」
 手首を握る三河の手に力が入ったのがわかった。
「ねえ、何があったの。あの日、社会科教室で、あなたは何をされたの」

 言ってしまえば楽になるのはわかっていた。
 だけど、受け入れてもらえなかったら?気持ち悪いと言われたら?
 また、傷つくなんて、嫌だ。
 それならいっそ一人でいた方がいい。だけど。

「…あんたには…」
 言いたくない。
「あんたには、関係ない…」
 言いたくない、本当はこんな事。

 手首から熱がゆっくりと遠ざかっていった。
「渡…」
「帰る」
 そのまま振り返らずに教室の外に出た。三河はもう、引き留めてこなかった。


 次の日から、俺は彼女を避けた。
 否、避けるしかできなかった。
 どんな顔をして話していいのかわからなかった。
 避けたその日、彼女の笑顔が凍りついたのがわかったけれど、どうしようもなかった。
 
 そのうち、彼女の屈託のない笑顔も、誰にも見せなかったあの虚ろな目も、こちらに向けられる事は無くなっていった。

 教室で彼女が友人と話している声を聞く度に、たまらなく寂しくなる。
 苦手だったはずなのに、どうしてこんなに胸が痛くなるんだろう。

 うわべだけの関係で、適当に意見を合わせてへらへら笑う事に、疲れ切っていないだろうか。
 彼女は、あの虚ろな感情を、もしかしたら誰にもぶつけられていないのではないだろうか。

 だけど、拒絶したのは自分の方なのだ。
 いつまでも怖がって、彼女の手を振り払い続けている。
 とことん嫌気がさす。

「えー、今回が前期最後の授業ですね!それでは今から課題を配ります」
 ブーイングが溢れる教室、セミの鳴き声、首筋を伝う汗、クーラーの唸り声、カレンダーに浮かび上がる忌まわしい7月13日、隣の席にいるはずなのに誰よりも遠い彼女。

 夏休みまで、あと3日。
 未だ、三河と俺の関係は、元に戻らないままだった。

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神原だいず / 豆腐屋 2024/07/01 19:01

【再掲 / 玲と悠馬⑥】今日は

 インターホンを押すとすぐに扉が開いた。
 少しこわばった顔をした悠馬が玄関先に立っていた。

「…入って」
「うん!」
 手土産はあなたが嫌いなショートケーキと私が嫌いなチーズケーキ。
 今日は甘い秘め事の日。


 食堂に入ってすぐ左に曲がったところにあるいつもの2人席スペース。
 そこに見慣れた背中を見つけた私は嬉しくなってついつい走り出してしまった。
 スマホを見ている彼に後ろから思いっきり体当たりする。
「ふっかーーつ!」
「うぐっ」
 悠馬がぎろっと睨みながらこちらを振り向いた。

「えーっ、せっかく彼女が体調不良から復活したってのに、その眼つきは無いんじゃないの?」
「お前が体当たりしなければ喜んで出迎えるつもりだった」
 また、眉間にしわを寄せて気難しそうな顔をしている。
 だが、隠しきれていないぞ。口元がちょっとゆるんでるよ。

「帰る前に寂しい寂しいってキスしてきたのはどこのだ、むぐ」
「うるさい!だから、ここでそういう事言うんじゃない!」
 悠馬が照れて必死にあたしの口を手のひらでふさいでいる。
 1日1回はこのやりとりをやらなくちゃ、寂しいと思ってしまう。

 木曜日に風邪を引いたあたしは、金曜日も続けて学校を休んだ。
 土・日は授業が無いから悠馬と会うのは3日ぶりだ。
 いやー、やっぱり悠馬は
「むぐぐ、むぐぐうむ!(今日も、かわいいね!)」
 親指をぐっと立てると、悠馬はふいと向こうをむいて拗ねてしまった。
「うるさい、俺は可愛くない!」
 なんで通じたんだろう?

「1日で復活できてほんとに良かったよ。明日、言語科目の小テストがあるから、連続で休むとまずかったんだよね」
 悠馬はA定食についてきた味噌汁をこくんと飲み込んでから
「言語、何取ってるんだっけな」と聞いてきた。
「中国語だよ、結構難しくてさ。というか教授が講義をすさまじいスピードで進めていくの。サークルの先輩に聞いたら、その教授ははずれの人だよって言われちゃった」
 私はそう言い終えてから、コンビニで買ってきたパンの袋を開けた。

「悠馬は?」
「スペイン語」
「えっ、スペイン語はやめとけって、友達が言ってたんだけど。難しくないの?」
 ぱくんとクリームパンをほおばる。
 うん、やっぱりイレブンマートのクリームパンは甘くておいしい。

「難しいな」
 そういうと悠馬は、はあと深くため息をついて、頬杖をついた。
「な、なに。どしたの」
「いや…俺も明日、テストだった事を思い出したから…」
「勉強は?」
 悠馬がカバンの中をごそごそ探って、テキストを取り出した。ページをめくる。試験範囲の部分だけ、見事に空白だった。つまり、そういう事である。
「どんまい。お互い頑張ろう」
「うん…」
 

 そういえば。
「前の約束はいつにする?」
「え?」
 悠馬がきょとんとした顔をしてこちらを見上げてきた。
 あーあー、ハンバーグのソース口の端についてるよ。

「やだなあ、悠馬が病院で頼んだんでしょ。あまや」
「わーっ!うわーっ!頭おかしいのか、お前は!」
 手をぶんぶん振り回して慌てている。
 これこれ。この反応が可愛いのだ。
 悠馬は、自分の方が騒いでいる事に気が付いたのか、すぐに声を落としてぶつぶつと文句を言ってくる。
「おまえ…そういうのは、せめて小声で言えよ…」
 仕方ない。ちゃんと小声で言ってあげよう。

 悠馬を手招きして、耳打ちする。
「ベッドで甘やかされるのは、いつが、いいの」
 悠馬の体がビクッと震えた。耳元でしゃべられるとくすぐったいのだろう。
「ねえ」
「ぅ…」
「答えて」

「あ、明日の夜…」
 明日は火曜日。そんでもって、確か水曜日は…。
「創立記念で全学休講日だろ。ちょうどいいかなって…」

 ちょうどいいじゃない。
 それは次の日が祝日だから、火曜日の夜に文字通り立てなくなるまで犯してもいいって言ってるようなものだけれども、悠馬さん。
 という言葉は飲み込んで。
「わかった。明日の夜ね」


 そんなわけで私は火曜日の夜、悠馬の家の玄関に立っているのだ。
「あの、さすがにお金払ってもらっちゃったから、これだけじゃよくないと思ってケーキ買ってきたんだ」
 かわいらしいピンクの小さな箱を悠馬に手渡すと、彼は「ありがと」とつぶやいて冷蔵庫へそれをしまいにいった。

「ベッド、座っといて」
 悠馬の固い声が台所の方から聞こえた。

 …悠馬が死ぬほど緊張しているから、あたしまでなんだか緊張してきてしまう。
 何度も来ているのに、なんだか知らない人の部屋に初めて来てしまったかのようだ。
 彼は今になって自分のしでかした事の大きさに気づいているのではないだろうか、それであんなに緊張しているのではないだろうかといらぬ妄想を膨らませる。

 悠馬が戻ってきて、あたしの横に音もたてず、そっと腰かけた。
「…」
 相変わらず悠馬の顔はこわばっている。
 部屋の空気は異様なまでに張り詰めていた。
 付き合い始めてから、初めて二人で一緒に帰った時のようで、懐かしいが少し息苦しい。

「悠馬」
 名前を呼ぶと、悠馬の身体がぴくりと動いた。
「こっち、向いて?」
 努めて優しく呼びかけると、悠馬はおずおずと顔をこちらに向けた。
 視線が交わる。目の奥で、ヌラリと湧き上がる欲の色。
 悠馬の瞳は、思ったよりも黒かった。

 悠馬の頬に手を添える。
 彼はあたしの手首をそっと握り、頬ずりをしてきた。猫みたいだ。
 自分が甘やかしてもらえることを知っている動きだった。
 親指を動かし、悠馬の唇をふに、と押してゆっくりとなぞる。
「いい?」
「…うん」
 悠馬が目を閉じた。ゆっくりと唇を近づける。

 まず、唇と唇どうしをそっと合わせる。また、合わせる。もう一度。
 慈しむように、再び。角度を変えて二、三度。
 下唇を食むようにすると、少しずつ悠馬の頬が火照る。マシュマロみたいな味がする。
 彼の唇はやらかくて、ふわふわで、溶けてしまいそうだ。
 少しずつ、少しずつ、悠馬のとろけた蜜が口の中に入ってくる。

 キスをしながら、首筋、背中、脇腹にそっと手を這わせていくと悠馬が少し身をよじる。
 くすぐったいのだろう。
 乾いた衣擦れの音が少しずつ、くちゅりと水気を含んだ音に支配されていく。
 
 悠馬があたしの背中に腕を回して、きゅうっと肩を掴んだ。
 あたしは、悠馬のさらに奥深くへと舌を進める。
 唇がマシュマロなら、彼の舌は熟れすぎたイチゴだ。
 吸う度、じゅぐ、ちゅぐ、と音がして崩れ落ちそうである。

「…んぅ、ふっ…」
 吐息が漏れ出す。
 体に這わせていた手を、悠馬の服のボタンへと持っていった。
 ご丁寧に第一ボタンまで留めているようだ。

 まず一つ目をぷつり。
「んぅ…ぅ」
 二つ目。
「んぁ、はぁ…」
 三つ目。
「ぁ、ふ、ぐ、ぅう」
 四つ目。徐々に体をベッドへと押し倒していく。
「んんぅ…ぁ、ん」
 五つ目。
「ゃ、う、ぅうん…っ」
 最後。前が完全にはだけた。いったん唇を離して、悠馬を組み敷く。

「期待してるね?」
 はだけたシャツの隙間に手を滑り込ませる。
「うぁっ…」
 直に肌を撫で上げると、悠馬はまたぴくんと体を震わせた。
 まだ、当たり障りのない場所にしか触れていない。

「んぅ、ぅ、は…」
 もう一度口づける。
 今度は、最初から激しく。
 口の中で舌を絡ませ、吸い上げる。
 息を継ぐ暇もないほどに、何度も何度も口の中を犯していく。

「ぁん、んぅ…っ、や、んんんぅ」
 手は止めない。
 たまにそっと、乳首のそばや、足の付け根あたりに触れるが、まだ核心には触れてあげない。

 口を離すと、悠馬はハクハクと口を動かし酸素を取り入れようとしている。
「悠馬、キス好き?」
 コクコクと悠馬がうなずく。
「あたしの事も好き?」
 またうなずく。
「よかった!じゃあ、効果があるね!」
 悠馬が首をかしげる。
「こうか…?なんの?」
「あのね、好きな人の唾液って媚薬効果があるんだってさ」
「びやく?」
「そう。だからキスしていっぱいあたしの唾液を飲んだら、悠馬はいっぱい気持ちよくなっちゃうってこと」
 悠馬の体にまた触れる。

「ねえねえ、悠馬。目を閉じて、少しだけ集中して、あたしに触られた感触を味わってみて」
 人差し指の先でつうっと悠馬の体をなぞる。
「んぅっ…」
「悠馬、両手上げて」
 言われた通り、悠馬は素直にバンザイをする。
 脇腹に手を差し込み、上から下へするするすると撫でおろす。

「ぅぅん、ぁっ、やっ…!」
「ねえねえ、いつもより気持ちよくないかな。当たり障りのないところを触ってるだけなのに、えっちな声、いっぱい出ちゃってないかな」
 悠馬の耳にふっ、と息を吹きかける。
「ひぁんっ!?」
 悠馬の腰が跳ねて、口からは高い声が漏れる。

「や、ぁう、なに、これ…」
 見開いた目からは涙が零れ落ちそうになっている。
「ふふ。やっぱり、効いてきてるんだね」

 悠馬の目を手のひらでそっと覆い、耳元でささやく。
「ねぇ、悠馬。もっと気持ちよくなりたくないかな。あたしとキスしていっぱいあたしの唾液飲んだら、体がとろけちゃうくらい気持ちよくなれるよ。いっぱいえっちな声出して、もうイきたくなくても体がビクンビクンして、何回も何回も悠馬はイっちゃうんだよ」

 我ながら酷い悪魔のささやきだな、と思う。
 だけど、彼がそれを望みさえすればいくらでも気持ちよくさせてあげよう。
 今日は普通に事を進めるつもりは全くない。道具だってたくさん持ってきたのだから。

 人差し指の爪でくるっと乳輪をなぞる。
「ぅうう、ぁ、ん」
「ねえ、ほら…いっぱい媚薬飲まされて、カリカリってここひっかかれたら、背筋がぞくぞくしてきっと気持ちいいよね?想像してみてよ、ここたくさん虐められちゃうの」
 手は意地悪く周辺をなぞり続けたままだ。
「やぁ、ん…ぁ」

「ふふ、可愛い。ねぇ、一番欲しいところを虐められたら悠馬の体はどうなっちゃうんだろうね?気持ちよくなりたくない?たっぷり時間をかけて虐められたくない?」
 はぁ、はぁ、と悠馬の息が上がっているのを、首筋に感じる。
 明らかに興奮している。否、混乱の方が正しいか。
 湧き上がる欲、背徳の予感、快楽へ溺れる事への恐怖と、期待。
 それらが彼の頭の中をぐるぐる高速で回っているのだ。
 今の彼に、まともな思考などできやしない。

「ぁ、う、ほし、い…」
「ん?」
「して、ほしい…っ、きす、いっぱい、してぇ…」
 どうやら、完全に堕ちたみたいだ。甘えた声でねだってくれる。
 今日は、もう徹底的に甘やかされたいらしい。
「じゃあ、悠馬。一つ約束できるかな」
 ぱっ、と目を覆っていた手を取る。
 悠馬のぐずぐずにとろけた瞳とバチリと視線が交わる。
 そのまま、彼の目の奥をじいっと見つめてこう告げる。

「今日は、私のすることとか、お願いは絶対拒否しないでね。抵抗しちゃだめだよ」
 彼の目の奥で意地悪な顔したあたしが笑ってる。
 嫌な顔だ。
 片頬だけ口角を釣り上げて笑う癖は君と一緒なのに、どうしてあたしの顔はこんなに卑しいんだろう。

「約束できる?」
「うん…」
 彼ははっきりとうなずいた。契約は成立だ。

「よし、じゃあいっぱいキスしてあげる」
 再び悠馬に口づける。
 あたしの唾液と悠馬の唾液がまじりあって、互いの口の端で泡立っている。
 できるだけ口の中に唾液を流し込むように。
 口移しで媚薬を彼に分け与える。

「んぅ…っぐ、く、ん…っ」
 悠馬の喉仏が時折上下している。
 たぶん、必死で唾液を飲もうとしているのだろう。
 いじらしくて、とても可愛い。

 息継ぎを挟みながら、ゆうに5分は互いの口を貪りあっただろうか。
 悠馬があたしの肩を押し返した。
「ぁ、も、も…のめない…」
「どうして?」

「からだ、あつい…。なんか、うちがわから、ずくずく、する…」
 確かに体全体がほんのりと火照っているようにも見える。
 皮膚が薄いところには、薄桃色がふわりと咲いている。
 何より、体をくねらせ、足をすり合わせ、シーツをきゅ、とつかみながら、疼きから逃れようとしている様は死ぬほど煽情的だ。

「まだ、だめだよ。もっと、飲んで」
「ぅ、あ、むり…むりぃ」
「さっき約束したじゃん。私のする事に抵抗しないでって」
「う…」
 押し黙ったところを強引に口づける。

「んんぅう…っ」
 まるでこれじゃあ捕食してるみたいだ。
 腰が少し浮いている。キスで感じているのだろう。とても可愛い。
 また、口を離した。

「ぁあん、…っ、はぁ、ぁ…」
 ビクビクと悠馬の体が震えている。
 もう、彼に抵抗する力は残っていない。
 彼のズボンを下ろす。下着には先走りがシミを作っていた。
 ツンツンとシミの部分をつつくと、「ゃん」と可愛い声が漏れた。

「あ、今の声すっごく可愛い。もう、イきそうになっちゃってるね。これからもっと気持ちいいことするのに」
「ら、らって…あんなに、きす、するから…」
 確かにそれはそうかもしれない。
 だけど、これは本当にまだ序の口だ。
 ベッドのそばに置いていたカバンをごそごそと探る。

「あ、あった、あった」
「なにするの?」
「んー?Mな悠馬に喜んでもらえるように準備したものがあるから、それを今からつけるの。悠馬、手上げて」
 カッチャン。

「え」
 ガチャガチャと手を動かすが、悠馬の両腕は頭上でひとまとめに拘束されたままだ。
 手錠はむなしく金属音を立ててぶつかりあっている。
「抵抗できないからね。したくても、できないから。悠馬は全部受け入れるだけ。怖くても気持ちよくても何もできなくて、全部受け入れるだけ。さて」
 かばんをごそごそと探り、もう一つの道具を取り出す。

「これで何すると思う?悠馬さん」
 取り出した道具を悠馬の顔で左右に振る。
「え…」
 じっとその道具を注視しているが、どうやら答えは出てこないようだ。
 あたしは、その道具の柄を持ち、くるっと回転させて、悠馬の頬をなぜた。
 絵の具を塗るときに使う筆を持ってきたのだ。しかも2本。

「んぅ…っ。くすぐった…い。ふふ…」
 チークをはたくときのように、くるくると頬骨あたりに円を描いたり、シェーディングを入れるように、こめかみから顎に向かって波のような曲線をするすると描いてみたりする。
 さすがにこの程度の刺激では快楽に繋がらないらしく、悠馬はくすぐったさにふにゃりと顔を崩して笑っている。

 だけど筆が首筋と耳を虐め始めたころから、彼の反応が変わりだした。
「んっ、ふふ、ん、ぁ…っ、んっ…んぅ」
 笑い声に混ざって、少しずつ色気づいていく声。
 耳の後ろをすうううっ、と撫ぜたり、耳の中を筆先をうまく使って刺激してみたり、首筋を上から下へ、下から上へと往復してみる。
「ぁっ、あ、ぁん、は、あ、ははっ、ゃんんぅ」
 筆が体の上をすべるごとに、ひくひくと体が震え始める。

 筆は、少しずつ体を滑り落ち始めた。
 鎖骨付近をざっと撫で上げると、「ひうっ」とまた高い声が漏れた。
「筆でくすぐられるの気持ちいい?」
「ぁ、ん、うん…」
 必死でコクコクとうなずいている。かわいい。
 そろそろ、彼が欲しがっている場所を責めてあげることにしよう。

 筆は乳首の周りをぐるっと一周した。
「んやぁ…ぁ」
 声が一段階高くなった。
 欲しいところに来た事への喜びか、それとも焦らされ続けた事による刺激の強さからか。

「乳首、筆でいじってほしい?」
「ぁ、ぁう…い、いじって…いっぱい、いじってぇえ…っ」
 悠馬はじっと私の目を覗き込んだ。
 まずい、こういう見つめ方をするときの彼は、きっと突拍子もなくものすごく可愛い事を言うに決まっている。
「も、じらしちゃ、やだ…」
 吐息に埋まりそうなほどの小声でぼそりと悠馬はつぶやいた。

 筆で右側のピンクのかわいらしい粒を、上から下へ同じ方向に何回も撫ぜる。
 回数を重ねるごとに粒はふっくりとより一層主張し、筆に引っかかるようになった。
 こうなると撫でるというよりは、弾いているようだ。
「ぁ、あ、ぁあ…ぁんん、や、ひだりは?ひだり、も、して、ひぁ」
「まだ、だめだよ。右をゆっくり虐めてから左だけでまたゆっくり虐めてあげるから」
 こんなもんでは終わらない。
 時間をかけて執拗にいじくりまわしてやるつもりなのだ。さんざん煽られたのだから。

 反応的には気持ちよさそうだ。
 下から上へ弾くのと、どちらが気持ちいいのだろう。
 筆を動かす向きを変えて、今度は下から上へ。ゆっ、くりと筆先に乳首をひっかけて、ぴんっ、と弾く。
 「んぅ、ぅ、ぁん、や」弾く度に悠馬の声は甘くなっていく。

 拘束具がカシャカシャと音を立てる。
 どうやら、腕を胸の前に持ってきて左の乳首を自分で弄ろうとしているようだが、そうはさせない。
 弾くスピードを元に戻すと、悠馬の体からくたりと力が抜けるので、そのタイミングで腕を頭上に戻す。

「やだぁ、ひだり、いじってぇ…いじめてよ…はぁ、ん、やっ、ひうっ」
「だからまだだめ」

 さっきの弾き方の方が、よく喘いでいた気がする。
 たぶん、上から下に弾かれるほうが好みなのだろう。
 今度は、筆先で乳首をちょん、ちょん、とつついていく。
「や、ぁ、それ、だめ、つつくの、や、いやぁ、えうっ」
 これはかなり反応がいい。つつかれるのが好きらしい。
 背を若干反らして、胸をこちらに突き出している。
 ほんとに、Mっ気が強くなってきた。

「いや、じゃないよね、悠馬」
「ゃ、ぁん、い、や…じゃないぃ」
「じゃあ、なんていうの」
「もっと、して、つついて、ちくび…」
「うん、きちんと言えたね。ご褒美だよ」
 スピードを上げていろんな角度からつついてあげると悠馬は嬉しそうに体をくねらせた。

「やん、はや、はやい…ぁ、そんな、いっぱい、ぁ、ああ、つついたら、ひうっ、きもち、い…まっ、ひぁあん」
「気持ちいいんでしょ。もっとしてほしいんじゃないの?えいっ」
 ベッドの傍らに置いていたもう1本の筆も手に取り、2本で悠馬の乳首をつつく。
 倍になった刺激に悠馬はたまらず腰を浮かせて、嬌声を上げる。

「ぁああん、や、まっ、ぁあ、それ、ぁ、きもちいい…っ、んっ、んはぁ、ぁあっ!」
「ふふ、悠馬気持ちよさそう」
 にしても感度が良すぎる気がする。
 本当に媚薬の効果を信じ切ってしまったのだろうか。
 プラシーボ効果とは恐ろしいものだ、と自分のした事は棚にあげた。

「ひぁ、や、あ、まっ、て、きもぢいい…だめ、っ、あ、まっ、やんん…」
「あ、まただめって言ったね。悪い子、もっと虐めてあげる」
 ぷっくりと浮き上がった乳首の横を2本の筆でしょりしょりとなぞる。
「やぁあ、それ、あ、も、おかしくなっちゃ、おねが、ぁあん」

 馬乗りになられたうえに両手を拘束されていては、抵抗したくてもほとんどできない。
 悠馬は今、受け入れるしかない。
 私が筆を動かすことによって、背筋に痛いほど走る快楽を受け入れるしかない。
 ぎゅっと目をつむり、首を左右に振って何とか快楽から逃れようとするが、もう逃げ場所などどこにもない。

「んぁああ、ゆるして、や、っ、はぁあん、あ…っ、ゆ、るしてぇ…ひぐっ、いぁああん…」
「ごめんなさいは?本当は気持ちよくてもっとやってほしいのに、だめって言ってごめんなさいって謝れる?」
 悠馬は怒られた子供のようにぷるぷると唇を震わせた。
 ぱちぱちとまばたきをするたびに、生理的にあふれてきた涙が大粒の雫になって頬を滑り落ちる。

「ぁ、あ、ごめんなさ、い…ひゃ、あ、ほ、ほんと、は、きもち、くて、ひんっ…、もっとしてほしい…の、に、やぁあ、らめって、いっ、て、ごめんなさい…」
 きちんと言えたね、という意を込めて悠馬の頭をなでると、悠馬の体から緊張がほどけていったのを感じた。

「じゃあ、お望み通りもっとしてあげるね、気持ちいい事」
 悠馬の目がかっと見開いた。
 そうだ、謝ったからって自分の体をはいずる快楽が緩まるわけじゃない。
 むしろ自分は今、もっとしてほしいと強請ってしまった事に気づいたのだろう。
 でも、彼の目には期待が見てとれる。だから、あたしは手を止めなかった。


 悠馬の右乳首にローションをたらすと、突然の冷たさに、彼は「ひっ」と声を漏らした。
 筆をくるくるとペン回しのように回転させながら、時折乳首の近くに筆を持っていくとそのたびに悠馬がぎゅうっ、と目をつぶる。

「ぁ、や、おねが、ま、って…おねがい…」
「なんでよ?もっとしてって言ったの、悠馬でしょ。ぽろぽろ泣いて喘ぎながら、もっとしてほしいって強請ったじゃん」
 よし、思いっきりねっとり嬲るように、筆を動かそう。
 ローションでテラテラとぬめる肌に筆をおいた。

「お、ねがい…や、ま、っ、て、ぁ、ぁあ、あ」
「待たない」
 ぬるううううっ、と筆を乳首の上から降ろす。
 ぴんっと立った粒に筆がさしかかった瞬間、私は筆を進めるスピードを緩めた。
 ローションを吸った筆は、悠馬の乳首を包み込み、ゆっくりと、長い時間をかけて彼を刺激する。

「ぁ、ああっ!や、あ、ぁああん♡」
 語尾にハートが付くほど、甘い声を上げている。
 相当気持ちいいと思う。
 ただでさえ、上から下へ弄られるのが好きなのに、その快楽がずっと長い事続くのだから。
「もう一回ね」
 はぁー、はぁー、と深く呼吸をして何とか平常を保とうとしている悠馬に追い打ちをかける。

「ひぁああ♡ぁぐ、ひんっ、はぁああん♡」
「がんばれ、がんばれ、これでイけたら左も虐めてあげるから」
「やぁあん♡♡もっ、あ、ゆ、ゆるしてぇ…」
「何言ってんの、許すも何もこれはきちんと謝れたご褒美なんだよ。悠馬がお願いしたことをしてあげてるんじゃん」

 いやらしく自分の口角が上がっていくのを感じる。
 自分でも意地悪な事を言うなあと思うし、たぶん後で正座させられて小一時間説教されるだろう。
 足がしびれて立てなくなることを覚悟するも、背中を伝う冷や汗が止まらない。

 でも、今は私が優位だから。
「ゆ、ゆるして…っ♡も、きもちよすぎて、これ、あ、ぁああ」
「きもちよすぎて、もっとしてほしいって?いいよ」
「ちがっ…ちがくないけど、や、ぁ、ら、らめぇえ♡♡」

 もう一度上から下に嬲ろうとして筆を乳首の寸前まで近づけて止める。
 刺激が来るものだと思って目をぎゅっとつぶっていた悠馬は、おそるおそる目を開けた。

 瞬間に筆を一気に下ろす。
「ひゃぁあん!?」
 予想していなかったタイミングで来たために、いつも以上に快感が来たのだろう。
 体をガクガクと震わせている。

「ぁあ、や、ん…も、だめ、だめ…こんなの、おかしくなっちゃうぅう…っ」
「悠馬、これくらいで弱音吐いてちゃだめだよ」
 両手に筆を持って悠馬の目の前で振る。
 そう、ほんとにこれくらいで弱音を吐かれては困るのだ。

 右手の筆を下ろす。
「ひぁああ、っ」
 続けて左手の筆も下ろす。
「ゃぁあああ!?」
 また右手の筆を下ろす、次に左手の筆、左右交互にさっきの2倍の刺激で。

「まっ、あ、まってぇええ、はや、い…っだめ、だめだめだめ、こんなのらめぇええええ♡」
「かあわいい、ほんとに気持ちいいんだね」
「や、や、れいい、やめて、ほんとにやめて、だめ、きちゃ、きちゃう…」
 彼が、「きちゃう」と言ったら絶頂が近いサインだ。
 あたしは、悠馬の汗で張り付いた髪をそっとかき上げて、額にキスをした。

「いいよ、イっても」
「や、ぁあ、だめ、ちくびで、イっちゃ、う、ぁああぅ♡だめ、こんなの、あ、あぁああ、あたま、ふわふわしちゃ、あ、あ、あ、あ、あああ―っ♡」
 浮かせた腰をカクカクと前後に揺らして悠馬は果てた。
 唯一身に着けていた下着にじわりじわりと愛液がにじむ。
 放心状態でぜえぜえと息をする悠馬の顔はとろけ切っていた。

「…気持ちよかった?」
 あまりの快感の波でしゃべることができないらしい。
 首をこくりと縦に動かしこちらを流し目で見る。
 その眼付の煽情的な事と言ったらない。まだ犯してほしいのだろうか、と勘違いしてしまいそうだ。
 私はぐずぐずに濡れた悠馬の下着に手をかけた。悠馬はもう抵抗しない。

 少しずつ下着を下ろしていく。
 彼の中心はかわいそうなほどにひくひくと震え、白濁をこぼし続けていた。
 くたりとベッドに沈む彼を見た。目の前で横たわる彼の全てが美しかった。
 足もふくらはぎも太ももも腕も指先も首も口も耳も鼻も目も。
 何もかもが美しくて、愛おしかった。

「だいすき」
 か細い声が悠馬の口から零れ落ちる。
 それとともに、はらはらと悠馬の目から涙があふれる。

 私は悠馬の手錠を外して、上半身を起こし、抱き寄せた。
 泣き止まない。しゃくりあげもせず、ただ涙を流し続けるだけ。吐息の震えで、ひそかに彼が泣いているのを感じる。
 ただただ彼は泣き止んでくれない。

「だいすきだよ」
 悠馬がもう一度、そう言った。
「あたしも」
 返事した時、あたしは自分が泣いている事に初めて気づいた。
 人は、誰かに受け入れられると安心して涙が出てきてしまうのかもしれないと、その時になんとなく思った。

 そっと彼に口づけた。
 頬に伝う涙を指で拭いながら何度も何度も口づけた。
 時折、首筋を強く吸うと「ぁあ…」と甘い声が降る。
 息が苦しくなっても、何度も深く口づけを交わして涙を流す。
 そのたびに悠馬がまた「だいすき」と喘ぎながら言う。

 キスをしながら私は少しずつ自然な姿に近づいていった。
 悠馬が脱がしたのかもしれないし、私が自分で脱いだのかもしれないけど、それはもうどうでもいい。
 ただ、2人生まれ落ちたままの姿で、目の前にいる人が愛おしくて愛おしくて、キスをしても体に触れても、互いの嬌声を聞いても、その思いが収まらない。

 どこからが自分の体でどこからがあなたの体なのかがもうわからない。
 夜が更けていく。
 あなたが、私が、崩れ落ちていく。ただ、1つに。溶けるように。

 結局甘やかされたのはどちらだったのかわからなくなるまで、あなたと触れ合う。


 ぼやける視界の中で目が覚めた。柔らかい光が部屋にあふれている。
 傍らですうすうと眠る玲の眼の縁は真っ赤だった。
 きっと互いに目が腫れているのだろう。
 彼女の頬を撫でた。
 すると、彼女の目からまた一筋涙が落ちた。
 優しくそれを指ですくうと、玲が目を覚ました。

「おはよう」
「…おはよ…」
 声がかすれている。可愛い。ただ、ずっとあなたの側にいたい。
 受け入れてくれたあなたの側にいさせてほしい。

「昨日くれたケーキを食べよう」
 あなたが好きなショートケーキと、俺が好きなチーズケーキ。
 今日は甘い約束の日。

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神原だいず / 豆腐屋 2024/07/01 19:00

【再掲 / 玲と悠馬⑤】発熱

 その日は、本当に特筆すべき事など何もない平和な一日のように思えた。

 朝は、遅刻するとも早起きともいえない時間に起き、朝ごはんもそこそこに、化粧をして髪型を整える。
 家を出れば、びっくりするほどいい天気でもなければ小雨がぱらつく鬱陶しい天気でもなく、道端の小石に躓くこともなく、バス停に着いた。

 バスは定刻どおりにやってきた。
 乗客はさほど多くなく、かといってガラガラでもなかった。
 学校にも時間通りに着いた。
 一足先に教室についていた友人が、こちらを振り返ってひらひらと手を振る。

 手を振り返しながら彼女のもとへと歩いていく。
「おはよー、みーちゃん」
 あたしの事をみーちゃん(あたしの苗字は三河)と呼ぶ彼女とは、大学からの付き合いだ。
 明日の課題の話や、気になっている化粧品の話など他愛もない話をして、講義が始まるまでの暇をつぶした。

 2限の授業が終わってから、悠馬に食堂の座席を取っておくと連絡する。
 1分後に、悠馬からいつも通り『わかった、ありがとう』と返事が来た。

 食堂は、授業を終えた生徒たちで混み始めていた。
 あちらこちらで笑い声や話し声が飛び交う。
 食堂を入ってすぐ左に曲がり、いつも座っている2人席のゾーンへと向かう。

 今日もいつもの場所が空いていたので、カバンを椅子の背にかけて、席に腰かけた。
 スマホを取り出し、『席取れたよ』と連絡すると
『ありがとう、昼は買ったか?』と返事が来た。
『今日はお弁当作って持ってきた』
『了解。もうすぐ着く。いつもの場所で合ってるよな』
『そう』
『OK』

 私はスマホのホームボタンを押した。
 画面が暗くなり、ただの箱になったスマホを机の上に置く。

 椅子の背にかけたカバンを開けて、お弁当を出した。
 最近、食費を浮かせたいから余裕がある時は、前日の夜にお弁当を作ることにしている。
 今日は食パンが余っていたからスクランブルエッグとハムを挟んでサンドイッチにした。

「玲」
 上から低くて少しかすれた声が降ってきた。悠馬だ。
「やっほ」

 悠馬はふうとため息をついてから、椅子に腰かけた。
 カバンを脇に置き、メガネを外して拭きながら
「悪いな、後期からずっと座席取ってもらって」と言った。
「いいよ、2限は教授が早く帰りたがって講義を10分くらい早めて終わらせるから」
「ありがとう」

 悠馬は、メガネをかちゃりとかけたあと、一瞬私の顔をじっと見た。
「何?」
「いや…なんでも。食べよう」
 二人で、いただきますと手を合わせてそれぞれの昼食に手をつけた。

 カバンの中からコンビニの袋を取り出した悠馬に
「今日、何買ったの」と聞く。
「ツナマヨのおにぎりと、調整豆乳と…」
「いつも思うんだけど豆乳とおにぎりって合うの?」
「合う。あとは…ん?」

 悠馬が袋の中を探っていた手をピタリと止めた。
「どうしたの?」
 悠馬は袋からパンを取り出した。パッケージにはでかでかと「ツナパン」と書かれている。

「…」
「…ツナ大好きだね」
「今、気づいた…」
「かわい、むぐぅ」
 悠馬が私の口にバッと手を当てた。

「むぐむぐ?(なになに?)」
 悠馬がジロリとこちらを睨んだ。
 いつも押し倒してる時は、もう少しとろけた目をしているので全然怖くないのだが、素面での悠馬の睨みは普通に怖い。

「今、ここで、俺に、可愛いって、言うな」
 一言一言絞り出すように悠馬が言った。
 ふむ、人目があるところで可愛いと言われるのは恥ずかしいという事らしい。
 耳が真っ赤だ。ここは一旦従おう。
 こくこくと素直に頷くと、悠馬は満足したように手を離した。

 すかさず、「耳、真っ赤だよ」と言う。
 すると悠馬の頬にぶわっと赤みが差した。
 リンゴみたいになった顔を腕で隠そうとして、彼は肘を思いっきりテーブルにぶつけた。
「いた…」
「何してるの、もう…」
 可愛いなあ。


 そう言おうとしたときだった。

 ボロボロッと目から何かが零れ落ちた。

 慌てて頬を拭う。
 涙か?なんの前触れもなく?突然どうしたのだろう?
 情緒が不安定すぎやしないか。
 まずい、止まらない。どうしよう、何も悲しい事なんかないのに、涙が後から後からあふれて止まらない。

 あたしから何も言葉が返ってこない事に気づいた悠馬が、顔を上げる。
 そして、こちらを見てぎょっとした顔になった。
「え、ど、え、え、どうした、玲」
 慌てている。
 そりゃそうだろう、なんの前触れもなく目の前で彼女が泣き始めたのだ。
 あたしもものすごく慌てている。

「…えうっ」
 違うの、大丈夫だよ、と言おうとしても涙がボロボロあふれてきて言葉がせき止められてしまう。溺れそうだ、と頭の片隅で思った。
「ひ、えぅ、ぅ、ゆうま、ゆうまぁ…」
 やっとの思いで言葉を紡いでも名前を呼ぶことしかできない。

 どうしよう、止まらない。
 あたしはパニックになりだしていた。
 心配そうにのぞき込む悠馬に弁解したいのに、しゃくりあげてしまって言葉が詰まる。
 あたしが泣き止まないので、悠馬は席を立って隣に膝立ちで座り、背中をさすってくれた。
「大丈夫、大丈夫」

 悠馬の空いている右手を必死に探した。
 何かにつかまっていないと、体の震えが止まらなくて、寒くて、どうしようもなく寂しくなってしまう。

 それを察したのか、悠馬の右手があたしの右手にするりと絡みついた。
 悠馬の熱が指、手の甲、手のひらをじわじわと伝う。
 少しずつ呼吸が落ち着いていくのを感じた。
「どうした、辛いことでもあったのか」
 首を振る。
「…俺、何かしたか」
 もっと首を振る。
「…お前、もしかして」
 悠馬が、顔を覗き込んできた。

 メガネの奥の目は、さっき睨んだ時の鋭さを失ってはいるものの、あたしを射抜くには十分だった。
 目が離せなくなる。

「体調悪いんじゃないのか。さっきも思ったんだけど、顔色悪いぞ」
 だから食堂に来た時、あたしの顔を一瞬じっと見たのか。
「ぅ、う…」
 体調が悪いのではないかと言われると、なんだかそんな気もする。
 事実、体からは一気に力が抜けていき、悠馬の肩にぐたりともたれかからなければ、体が支えられないほどになっていた。

 涙は止まりだしていたが、それと同時に体に悪寒が走り始めている。
 だけど体の内側は熱い。
 息を吸えば、マラソンを走り終えたあとのようにヒューヒューと不気味な音がする。
「うぅー、う、さむい…のに、あつ、あつい…」
「風邪だな」

 悠馬は、半分残っていたおにぎりを口にほおりこみ、机の上を片付け始めた。
「病院行くぞ、保険証持ってるよな」
「…え」
 今日は、木曜日で悠馬は3限も講義があるはずだ。

「こ、こうぎは…」
「3限の講義は出欠確認が無い。レジュメも教授がメーリングリストで生徒全員に一斉に送る。1回くらい飛んでも構わない。それで保険証は?」
「もってる…」
「わかった、行くぞ」
 悠馬は手をこちらに差し出した。
 いつのまにか、あたしのカバンも背負ってくれている。
 あたしは悠馬に連れられて学校に一番近い病院に向かった。


「うーん、検査の結果ではインフルエンザではなさそうです。お薬出しておきますので、安静になさってくださいね」
 病院で熱を測ると、37.9℃だった。
 季節外れでインフルエンザが流行っているらしいので、念のためとインフルエンザの検査もされたが、どうやらただの風邪だったようだ。

 お医者さんと看護師さんに頭を下げ部屋を出る。
 部屋の外にいたショートカットの看護師さんが、「三河さん、あとはお会計だけですので、待合室で座ってお待ちくださいね」と待合室まで案内してくれた。

 待合室では、悠馬が腕を組んでそわそわした様子でソファに座っていた。
 あたしが待合室に来るのを見た瞬間、ほっと息をつき、手招きした。

 悠馬の横に座る。
「…どうだった?」
「インフルじゃないみたい」
「そうか、よかった」
「あの…ありがとうね」
 講義を休んでまでついてきてくれた事に、ありがたさを感じるとともに、申し訳ない気分になった。
 食堂でも突然泣き出したあたしを優しくなだめてくれたし…。

「あの状態で玲一人を病院に行かせたところで、講義を落ち着いて聞いてられるとも思えない。したいようにしただけだから、別にお礼なんか言わなくていい」
 悠馬はカバンから財布を取り出しながらそう言った。
 いつもみたいに照れ隠しで言っているのかと思ったが、顔色一つ変えずに言い放ったあたり、たぶん本心を言っているのだろう。
 本当に優しい人。だけど、なんて不器用な人。

 そっと悠馬の肩にもたれかかった。
「…うん。でも、お礼言いたかったの。うれしかった…」
「変わったやつだな」
 そのセリフ、そっくりそのままお返しするよ。今のは照れ隠しで言ったんでしょう。

「三河さーん」
 受付の人が名前を呼んでいる。お会計を済ませないと。
 立ち上がろうとして悠馬に手で制された。
「いい、払う」
「え、でも悪いよ…」
「いいから」
 悠馬が耳元に口を近づけてきた。何か耳打ちしたいらしい。

「…今度、2人きりの時思いっきり甘やかしてくれたらいい。ベッドの上で。お願い」

 声帯に引っかかるようにして紡がれるかすれた言葉に、一瞬目の前が明滅する。
 その間に悠馬は受付のほうへスタスタと歩いて行ってしまった。

「…ふうー…」 
 ボスッとソファの背に体を預ける。
 あの人の色気は、体調不良の人間には刺激が強すぎるようだ。
 大体、あの人の照れるポイントがわからない。
 こんなに一緒にいるのに、予想もしてなかった事を平気でぽろっと言ったりするから、たまったもんじゃない。
 熱が上がりそうだ。
 受付で会計を済ませる悠馬の後ろ姿をぼんやりと見ながらそんな事を思った。


 あのあと、家まで送ってくれた悠馬はご親切におかゆを作ってくれた。
 食欲が無い時用にリンゴのすりおろしまで冷蔵庫に入っていたのを見た時はさすがに「お母さん…」とつぶやいてしまった。

 帰る寸前、悠馬は珍しくこれでもかとキスを落とした。
 額、まぶた、頬、耳、首筋、手首、最後に唇に。
「どうしたの、めずらしい…風邪うつっちゃうよ」
「明日は来ないだろ、学校」
「…うん、熱が下がっても念のため行かないかな」

 悠馬は足元をずっと見ている。
 たっぷり3秒は沈黙があった後にぼそりと悠馬が何かをつぶやいた。
「…ぃ、ら…」
「ん?」

 きゅっと眉を寄せて、悠馬はあたしの服のすそを掴んだ。
 そのまま抱き寄せられる。
「寂しいから…」
 この男、病院の時に耳打ちしてあんな事言ったのも、キスを落としまくったのも明日会えなくて寂しいからか…!

 熱のせいで思考力が落ちてる。
 今すぐ押し倒したい勢いで可愛いんですけどこの人、なんなの。
 玄関先だから耐えなきゃ…。
 何よりこれ以上近くにいると本当に悠馬に風邪がうつってしまいそうだ。

「なんで、そんなに、かわいいの…?」
 抱きしめ返しながらなんとか理性で欲を押し殺してそれだけ言う。
「かわいくない…寂しい。寂しい…」
 悠馬はうわごとのように寂しい、寂しいと繰り返している。
 これは早く治して大学に行ってあげないといけない。
 にしてもなんなんだ?ウサギか?お前は寂しがりやのウサギさんなのか?可愛いな?

 悠馬の頬にキスを返す。
「…早く治すよ。それで」
 えい、もうこれはあたしからのささやかな仕返しだ。
 耳元でぼそっとつぶやく。
「ベッドでいっぱい甘やかしてあげるから…」

 悠馬が膝から崩れ落ちる。
 耳に手を添え、ペタリと床に座り込んでしまった。
 蜂蜜をたらしたかのようにとろけてうるんでいる目がこちらを見上げている。
 わぁ、その目たまんないな。今すぐに食べてしまいたい。

「何?想像したの?」
 つとめて冷ややかな声を出そうとする。
 想像して興奮してるのはあたしだって一緒だけど、それを悟られるのはなんだか癪だ。 
 悠馬の顎に手を添え、くいっとこちらを向かせる。
「う…ぅ」
「お願いだよ、悠馬…これ以上、熱が上がりそうな事しないで。あたし、何するかわかんないから」

 その後に悠馬が言いそうなセリフが何となく頭に浮かんだから、バッと手のひらで悠馬の口を押えた。

「だめ、今日はもう、だめ。煽らないで、これ以上。ほんとに、だめ。」
 悠馬はこくりとうなずいた。
 あたしはそっと悠馬の口から手を離す。
 悠馬はゆっくりと立ち上がった。

「わかった。今日は帰る。…早く元気になって」
 ぽんぽんと頭を撫でられた。
「うん、ありがとう」
 悠馬が帰ったあと、私は布団に倒れ込んだ。

 早く元気になろう。
 そして、彼をどんな風にベッドの上でどろどろにとろかしてやろう…
 それをずっと考えているうちに、意識は深い深い底へ落ちていった。

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