活動報告277回目 「モッタイナイ」と「メンドクサイ」
こんばんは、坂下です。
先週の記事、思いがけず多くの方に御覧いただけまして、とても嬉しく思っています
!
イイネの数も4年ぶりに最高値を更新しまして、玲子様の外伝以来となりました。
考えれば先週、先々週連発でイラストや情報をお出ししていたので、そりゃ見ていただく回数も増えるのが必定。
逆に言えばこのブログがいつもは何の情報も出していない事の傍証になってしまったような気もしています。
また月刊で連載でも出来れば嬉しいですが、ひとまずは目の前の新作や依頼案件をこなしていきたいと思います!
話が変わりまして。基本的に坂下は服を買ったらビロンビロン(死語)になるまで着るのが基本です。物を大切にするのが好き。「モッタイナイ」の精神です。
去年捨てたコートなんかは十年程着てました。雨の日も風の日も、冬はいつでも共にありました。
既に両方のポケットに穴が開いてましたね。これぞ戦いの痕と言わんばかり、送り出す時にはどこか誇らしい気持ちになったものです。
……うん。「縫えよ」という声がどこからか聞こえてきそうです。
しかし坂下、「モッタイナイ」の精神と同時に「メンドクサイ」の精神も持ち合わせております。
捨てるのはモッタイナイ(まだ着れるし)。穴を縫うのはメンドクサイ(別に着れるし)。
この二つの気高い精神の魔結合により、両のポッケにブラックホールの古びたコートが存在していたわけです。
坂下は、こういった「タイパ」と「コスパ」の悪いとこ取りといいますか、「放漫」と「吝嗇」のダブルパンチ、「気弱」と「傲慢」の共存体制みたいな、本来とは少し違う精神の発露をしがちです。
もうちょっと角度や持ち方を改めれば上手く使いこなせるんでしょうが、小さい時に覚えた箸の持ち方を変えられない、今さら習字の勉強はしてられない。そんな小さな意地と共に、この齢まで古びたコートを引き摺って生きてきた次第です。
小さい子供が精神安定のように執着するものを「ライナスの毛布」と呼ぶ―ーこれは人口に膾炙しすぎたきらいはありますが、このおかしな意地の中には、どこか毛布を求める中年異常男性の情けない性(さが)がありそうです。
坂下の部屋にはまだまだ古いコートがあって、古びていくコートもあります。これからもやりたい事だけに目を向けて、気付いたらそんなコートを量産しつつ、執筆を続けていきたい次第です。
先週とは打って変わって何の報告もない回でしたが、以上となります。
(コートだけか? いいえ、嵩張らないので目立たないだけ、半そでのシャツやズボン、はたまたパンツまで残ってます。いやパンツは捨てよう。うん捨てよう)
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