咲崎弧瑠璃 2024/01/26 17:47

雨四十日、ノアは傘を後ろ手に

 §
 絹糸に似た雨は曇天に鈍く輝き、やがてその重さも増していった。土砂降りだった。無防備な街に人に仮借なく、いつしか人影も消えていた。
 
 昼なのか夕方なのかも判然としない厚雲の下、二人して走る。鞄を頭の上に掲げるも意味がない。道もけぶるような雨。先行く少女の足取りだけが軽い。
 目の前、ふわりと舞う銀髪。細く長い髪は輝きを残し、雫を漂わす。それもやがて雨を含むと、タイツの太ももを黒く濡らしていった。
 そして、はたと足を止めると。
「先生、こっちです」
 くるりと振り返り、ノアが言った。


 ──私たちが軒先に入った途端、雨脚は一挙に強まった。

「すぐにはやみそうにありませんね」
 ハンカチで軽く髪をぬぐいぬぐい、空を仰ぐノア。空は鉛に似てのっぺりと暗く重い。ノアの白さが眩しいくらいだ。
「タクシーは……、出払ってるみたいだね」
「D.U.といっても広いですから。運転手もたいていは学校の子たちですし」
「ミレニアムの無人タクシーを引っ張ってくるべきだったかな?」
「ふふ♪ 業務委託ならご相談に乗らせていただきますよ?」
 私の横に立ち軽やかに言うも、まだ呼吸は荒いまま。呼吸を抑え、それでも細く鳴る息づかいが生々しい。雨宿りの、どこか隔絶された雰囲気に包まれ少女と二人。雨闇に浮き上がってくる存在感が、私を落ち着かなくさせた。

「先生も、こちらをお使いください」
「……ん? うん。ありがとう」
 ノアがハンカチを差し出す。ラベンダー色の瞳が見上げれば、髪先から雫が落ちた。すっかり濡れている。
「パーカーを置いてきたのは、失敗でしたね」
 私の視線に気づき、羽織っていたジャケットを脱ぐ。ボタンを開き、色合いを重くした袖から腕を抜くと軽く雨を払った。
 私も、何気なくその所作を見やっていて。
 ドキリとしたのは、濡れてシャツが透けていたから。普段ぶかぶかなパーカーとスーツをまとっている分、ずいぶん華奢に見えるシャツ姿。細い肩から背は汗でほんのり汗ばみ、胸元は雨に濡れてぴっとりとブラの黒さを浮き出させている。……ジャケットを丸く膨らませるほどのボリュームが、そのまま浮かび上がれば想像以上の大きさに目を驚かせない訳がない。意識しないでいた生徒の艶やかさに、慌ててかぶりを振る。

「……とりあえず、羽織っておいて」
 打ちつけな申し出に目をパチリとしばたかせ、それからかすかに微笑むノア。白状するようなものだと知りつつ上着を手渡す、教師の態度をどう思ったのか。受け取らず、澄ました顔で自分のジャケットを羽織る。参った。今日はノアが、いつにもまして大人びて見える。
 
「……天気予報だと、元から雨だったみたいだね。夏の豪雨は予測しにくいと思っていたけど」
「うちの技術を使ってますから」
「でも、見なかったんだ」
「ミレニアム生らしくないと思いましたか?」
「……むしろ、逆かな」
 ノアは特に答えるでもなかったが、間違いではなかろう。彼女の端末は、バッグの中にしまったままだ。
 ──奇妙な話だが、正確無比なミレニアムの気象予報を、ミレニアムの生徒はしばしば見ずにおく。より厳密に言えば、見なかったことにする。意外性がないからだ。自己成就する予言のような天気予報は、生徒には少々退屈だった。
 あながち、子供だからという理由だけでもない。研究の多くはその実単調な確認が多く、同時に研究者として予想外の結果を期待している。占星術に興味を持つヒマリは、ある意味ミレニアム生らしいミレニアム生と言えるかもしれない。

 であるからして、多くの生徒は一瞥した予報をノイズとして処理する訳だが。
 ……気付くのが、少々遅かったかもしれない。
「──待って、ノアが天気予報を忘れることなんて……」
 ただ、少女は全てを待ってはくれなかった。

「先生、お部屋はお近くでしたよね?」
 淡々と記録を綴る少女は、私が断れないことを知っていた。

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