孤独でも大丈夫な人に憧れる
日本人は基本的に人に頼るのを嫌う癖に、人との和を大事にしようとする矛盾を抱えているように思う。和は孤独ではできないし、自分にできる事はやって、あとは人に頼れるところは頼るで成り立つように思う。自立と孤独をはき違えている所もまたありそう…。
私は孤独でも大丈夫な人になりたい。けれど人と話たがったりしてしまうし、人を基準にしてしまう。
個人的には孤独でも大丈夫な人とは一人キャンプができる人が最初の第一歩な気がしてならない。これは自分にはできた。
最終的には荒野で独りでも大丈夫な人になる事なのだろうけれど…これゲーム設定とかではよくあるけれど、最大の心配はご飯よね。町が崩壊してとかでなくて、自然の中で食べられるものを探せる人。トイレットペーパーだってないし。
自分にはまったくもってできない…これでは荒野で生き抜くのは無理だ。
色々問題も抱えているので、福祉に頼る羽目になっているが、この福祉や生活保護とかを極端に嫌う所がよくわからない。
最近コロナの影響で職を失い、コロナ鬱まで出始めている。
個人的な意見を言えば ざまぁみろ これで鬱の苦しみが解ったろうであるが…こんな心情は置いて置いて、生活保護を受けやすくしてほしいという署名運動が行われているらしい(これも心情的にはやっとかよであるが…)
生活保護を受けている人には単身者が多い。生活保護を受けてはいるが、一人で迷惑もかけず生活ができているなら、自立していると言えなくもないような気がするがどうだろう?
更にべーシックインカムと安楽死施設はセットでほしいと常々考えているが…これはなぜか?
体の言う事が本当に効かなくなったときや、何かあったときの為に必要だからだ。
今後も独り生活者は増えると思う。私自身は反出生主義者だが、仕事をして結婚して子供を産んでとか古臭い考え方もかわっていくようにおもう。
何かあったときに頼れる人を作る時代から、人によっては独りの時代へと変わっていくように思う。なにわともあれ、手段は多い方がいいと思うのだ。
認知症になるまで生きていたくないし、ボケた時の面倒を見させるために家庭を作りたくもない。
ダラダラと書いたが、私は孤独でも大丈夫な人になりたい。人に頼り、人と話し、愚痴をいうのでもなく、仕事は兎角、独りで生きられる存在になりたい。