ナリタブライアンになりたかったんだ。
友達と話していて、わかった。あやつは望むものは”平凡な日常”だといっていた。
だから親元でアルバイト生活でも満足しているし、それ以上望んでいないといっていた。
かくいう私は…ハリーポッターを見ていないからわからないが、みぞの鏡という、本心から望んでいるものが映る鏡があるらしい。
ハリーは両親だったが、自分はなにが映るかすらわからなかった、話をするうちに求めていたのは”完璧な自分”だと気が付いた。万能で完璧な自分…だからそうじゃない現状で鬱になったんだ。
ギターひとつとってみても、和嶋さんクラスを目指そうとしていたり…プロの中でもさらにうまい部類…その後はと…そりゃ、鬱にもなる。だが、わかった所でどうしたらいいのかわからない。
絵に関しても、アニメータークラスの人を目標に掲げていたり、何に対してもハードルが高すぎる。
未勝利で故障して引退した馬が、それでもやり直せたらナリタブライアンになれる!と思っているようなものだ。ハルウララにすらなれなかった馬がだ。
友達が言うには、わたしは英雄的思想が強いらしい、こうでなければならないとか普通の人は考えてないらしい。
考えてみれば ゲバラやカストロに憧れたり、憧れるだけでなく、そうなりたいと願ったりと、暇がない。
世間で言う一般人にすらなれなかったのにだ。中年にもなって諦めきれない、自分の限界がもうわかっていて、伸びしろがないのにも関わらず縋りついているんだ。
だから苦しい
何てかわいそうな体なんだ。
可哀想で無様な自分に今度は酔うんだ。
これをどうにかしない限り、いつまでもうつ病は付きまとうし、治らない。
学校での喧嘩でも、負け続けてばかりで、人を本気で殴る事すらできなかった。
やくざ者に絡まれた時もそうだ。殴るよりも刃物を出して事を大きくした。
病院でみた刺青の人たちにも恐怖を覚えるくらいに気が小さく、そんな完璧からは程遠い自分が嫌いでしょうがないんだ。
けれど、自分に課すことは大きい、だから嫌だと体が言っているんだ。
鬱の原因の大部分が分かったけれど、どうしたら良いのかはわからない。
数十年かけて、自分に課すハードルを下げ続けるしかないのか?
わからない…。わからないことだらけだ…。
わかったことは、やはり、未勝利馬の癖にナリタブライアンになれると信じていたという事だけだ。ナリタブライアンを思うように自分の事も思ってほしかった。だから過去にも固執する、やり直せたらと…やりなおせても多分かわらないだろうことがわかっているのに。
自己憐憫だらけの、そんな惨めで哀れで悲しい体だった。