火村龍 2020/10/31 18:01

【小説】エンゼルリリー ~狙われたエンゼルブーツ~ その1

次へ>>

 かんがえすぎだろうか。
 その光景は、なにか不吉なものを感じさせた。とはいえ、それはリリーにとって馴染みのあるものだった。深夜の街中、結界の張られた路地、エナジーを吸われかけた女の子、そして、魔界からやってきた悪魔――。
 状況自体はそこまで悪くない。最悪の事態は寸前で回避されている。彼女はまだエナジーを吸われてもいなければ犯されてもいない。悪魔は下位種で、それも一体しかいない。下位種ながら力はありそうだが、いまのリリーでもおそらく苦戦はしないだろう。
 だから、この不安は別のところから来ているのだ。
 リリーは襲われている女の子に目を向ける。彼女は悪魔に脚をつかまれ、履いているロングブーツを舐められていた。悪魔の分厚く長い舌が、ロングブーツのふくらはぎや、足首のしわのところを舐めていた。ブラウンの革が、悪魔の唾液でぬらぬらとしていた。
 ロングブーツ。これだろうか、不安の原因は。五月半ばに、ロングブーツを履いている女の子はそういない。ましてや、悪魔が欲しがるほどのエナジーを秘めているものなど。
 それに、この悪魔がロングブーツを舐めているということも奇妙だ。二足歩行のトカゲ型。全身が紫色の鱗に覆われ、腕や足は筋肉が発達し、強靱な尾でバランスを取っている。魔界でほかの悪魔と戦い、力をつけてきたのだろう、鱗のあちこちに傷がある。直情的で、○すときは相手を押さえつけ乱暴にするのを好むタイプだ。こんな風にブーツを舐めたりはしない。
 なにか歪なものを感じる。かんがえすぎだろうか。
 おそらく、コンディションが万全でないことも不安を増幅させているのだろう。この三日というもの、あちこちに現れた下位種の群れと戦い続けていたのだ。変身していないいまでも、身体がわずかに熱い。淫気が身体に残っている。
 無意識のうちに、手が首元に伸びていた。細い首には黒いチョーカーが巻かれている。そこにはハートの形をした蒼いクリスタルがある。人差し指でそれを撫でる。
 戦えるだろうか。
 だがためらっている暇はない。強気なエンゼルリリーでいなければならない。不安なまま戦えば淫気の侵蝕を許すことになる。仲間もほかの悪魔と戦っている。いま彼女を救うことができるのはリリーだけだ。
(だいじょうぶよ)リリーは自分に言い聞かせた。(変身すれば、リリーは無敵なんだから!)
 リリーは足を開き、腰に手を当て仁王立ちした。エンジニアブーツが立てる大きな靴音が路地に響いた。悪魔がびくりとしてリリーを見る。その顔に指を突きつけ叫ぶ。
「そこまでよ!!」

「なんだあ?」と悪魔はいった。いらだちというよりも、呆気にとられた声だ。つかんでいたロングブーツの足を離した。解放された女の子は路地の壁に寄りかかり「あ、あぁぁ……」と愛液を漏らしながらぞくぞくとする喘ぎ声を漏らした。
 しかし悪魔はもう、彼女への興味を失っていた。
「こいつはついてるぜ。一晩に二人もかかるなんてよ。え、それにどうだ……ずいぶんといい女じゃねえか」
 悪魔はそういって、リリーを頭の先からつま先までねっとりと眺めた。
 淫欲の化身が昂奮するのも無理はなかった。
 リリーは童顔で、可愛らしい顔だちをしていた。猫を思わせる顔だ。ふっくらと丸みを帯びながらも顎にかけて細くなる輪郭。いかにも気が強そうに眉尻があがった細眉。小ぶりな鼻にほどよい膨らみの唇。淡いブラウンが混ざった黒髪はシンプルなゴム紐で結び、肩よりも少し長い程度のツインテールにしている。
 だがやはり、見るものを惹きつけるのはその黒い瞳だ。澄み切った大きな目は一見吊り目な印象があるものの、よく見てみると目尻が垂れている。そこには意志の強さと、相手を挑発する生意気なものがあるが、それと同時に、どこか内気で、いじらしいものが滲みだしている。
 この日のリリーは淡い桃色のワンピースを着ていた。ゆったりとしたデザインで、袖は肘のあたりまである。その上からでも、その体つきは見て取れた。
 140センチ程度の小柄な身体は全体的にむちむちとしている。胸や尻は普通の女性よりもずっと大きく、それでいて、太っているという印象も与えない。コルセットで腰のところを締めているために、その胸の大きさはよく目立ち、腰もむっちりとはしているものの、引き締まっているのがわかる。
 そして、リリーの身体の中でもっとも目を引くのが、短いスカートから伸びた脚だった。
 リリー自身も、この脚にある種の自信を持っているのは明らかだった。黒いタイツで引き締めた太ももは柔らかく魅惑的な肉感で、リリーが悪魔をにらみつけるあいだもたぷたぷと揺れている。ふくらはぎも太ももと同じように肉づきがよく柔らかそうだが、そのほとんどがベージュのエンジニアブーツに隠されていた。おそらく、本来であればもっと丈が短いブーツなのだろうが、小柄なリリーが履くと、ほとんどロングブーツのようになっていた。
「いけないぜ、へ、へへ……」悪魔はいった。「こんな夜遅くに出歩いてちゃあよ……。うまそうじゃないか、え? 安心しろよ。殺しはしない。わかるか? きもちよくするだけさ。いただくぜ、お前の――」
 そういいかけたところで、悪魔は「おっ」と声をあげた。
「いや……どうだ! すげえエナジーじゃねえか! なんだよなんだよ。こいつよりすげえのがきたな。いいにおいがしやがる……どうだ、なんのにおいだ……? あぁ、桃か……桃だ!」
 そのとき、追い詰められていた女の子が崩れ落ちた。気を失ったのだ。
 まずは彼女だ。とリリーは思った。先にあの子をここから連れ出さないと。淫気の侵蝕が激しい。これ以上ここにいさせるわけにはいかない。
「おいおい、寝ちまったよ……。まあいいさ、こんな小物は。おいお前、へへへ、こっちにこいよ。俺が可愛がってやるぜ……。俺はな、紳士なんだ。わかるか、紳士だよ。毎日爪もきれいに磨いてるんだぜ」
 悪魔はそういって手を見せてきた。リリーの顔も容易くつかめる巨大な手に、リリーの手のひらほどもある爪が生えている。鋼鉄も容易く切り裂く悪魔の爪だ。
 リリーは鼻を鳴らし、蔑むような目で悪魔をにらんでいった。
「おことわりよ! 鏡でもみてきたら? なにが紳士よ、鼻息荒くして、女の子に群がる変態じゃない!」
「言葉に気をつけるんだな」悪魔は鼻の穴を膨らませた。「生意気いってると、優しくしてやらないぜ。え、だがそれもいいじゃねえか。お前、俺が怖くないのか?」
「あなたこそ、リリーを怖がった方がいいんじゃない?」
「あぁ?」
「見た目通り鈍いのね! これを見なさい!!」
 リリーは首に手をやり、チョーカーについているクリスタルを取って悪魔に見せつけた。
「あぁん?」
 悪魔は濁った目を細めた。まじまじとクリスタルを見つめていた。と、その目が見開かれた。なにかに気がついたのだ。欲情が敵意と焦りに変わり、悪魔はリリーに飛びかかる気配を見せた。
「ようやく気づいたようね! いくわよ、変身――エンゼルリリー!!」
 リリーはクリスタルにキスをして叫んだ。その途端、クリスタルから放たれた眩い光が路地を満たし、悪魔は叫び声をあげて両腕で顔を覆った。

 光は一瞬で収まった。悪魔は腕を下ろし、リリーが立っていた場所を見た。だがそこには誰もいない。目を細め、あちこちに視線を走らせる。徐々に焦りだしてくる。そしてふと、すぐ脇にいたはずの少女に目をやり、あっと叫んだ。リリーだけではなく、気絶していたはずの少女までいなくなっているのだ。
 そのとき、上の方から甲高い声が降ってきた。
「どこをみているの! リリーはここよ!」
 悪魔は声の方を見上げ、うっと呻いて後退った。
 ビルの古錆びた外階段にリリーが立ち、悪魔を見下ろしていた。
 その身体はまだ『変身』の途中にあった。変身を完了させるよりも、倒れた女の子を助けることを優先したのだ。着ていた服はすべて消え去り裸体になっている。しかし、その素肌を見ることはできない。全身が光の粒子に覆われているのだ。そしてよく見れば、完全な裸体でないことがわかる。粒子に覆われてはいるものの、脚にはすでにブーツを履いている。
 そして、悪魔が見ている前で変身は完了した。
 黒い髪は桃色に、黒い瞳は鮮やかな蒼に変わっていた。髪型はツインテールのままだが、髪を結っているのはゴム紐ではなく赤いリボンである。身につけているのは首元から股間までを覆う白と桃色のレオタード状密着スーツだ。そしてその胸元にはハートの形をしたクリスタルが収まっている。両腕には履き口に桃色のラインが入った肘までの白手袋をはめ、脚にはニーソックスとブーツを履いていた。太ももの半ばまである白いニーソックスは薄く、肌の色が透けている。膝下までのロングブーツは鮮やかなピンク色で、レインブーツにそっくりだ。分厚く、表面はつやつやとし、輪郭はレインブーツに特有の丸みがある。また胴回りもやはりレインブーツらしく、むっちりとしたふくらはぎとブーツのあいだにはかなりの隙間がある。そして履き口のところには白いラインが走っていた。
 はっと声をあげ、リリーは外階段から飛び降り悪魔の前に着地した。胸を張り、両手を腰に当てる。その口元には笑みすら浮かんでいる。きらきらと目を光らせ、眉をつり上げ、挑発的に悪魔をにらみつける。
 ――これがリリーの正体であった。人の姿をしているが、リリーはこの地上の住人ではない。
「あの子を探しても無駄よ。ここからはリリーが相手なんだから」
 そして腰に手を当てたまま、ブーツを見せつけるように右脚を前に出し名乗りを上げる。
「罪なき乙女を襲って、エナジーを奪おうとする悪魔は、リリーたち天使が許さない! 聖なるブーツで悪を蹴る! エンゼルリリー、ここに降臨!!」
 ――悪魔を倒すため、天界からやってきた天使である。

 悪魔はしばらく呆然としていた。だが、やがてわなわなと震えだした。それは天使に出会った恐怖でもなく、邪魔をされた怒りでもなかった。それは単純な欲望であった。欲望がもたらす昂奮であった。
「へへへ、どおりで濃いにおいがすると思ったぜ……。天使! おまえ天使か! おれぁはじめて見たぜ。おぉおぉ、いい格好じゃねえか。見せつけてくれるよ。お前を捕まえれば、すげえ力が手に入りそうだな」
「ふん!」リリーは鼻を鳴らした。「つかまえる? あなたみたいな下位種に、リリーをつかまえることなんてできないんだから。ひとつ聞きたいんだけど、あなたひとりだけ?」
「なんだ、怖いのか? へへ、仲間なんて邪魔なだけだぜ。見ての通り俺ひとりさ」
「怖い? そんなわけないじゃない。戦いがはやく終わるって思っただけよ。あなたこそ怖いんじゃない? 身体が大きいだけの下位種が、リリーに勝てると思ってるの?」
「そいつは戦ってからいってもらおうか。エンゼルリリー……見ろよ、こいつをよ」
 悪魔は股間を撫でた。体内に隠されていた巨大なペニスが伸びてきた。ほとんどトゲのような突起がカリのところをぐるりと囲むように生えたおぞましいものだ。
「もうこんなに硬くなっちまってるぜ。こいつがお前を欲しくてたまらねえってよ。え? そのちっこい身体で耐えられるかな? 思いきりぶちこんでやるからよ。お前みたいな生意気なのは、いきなりぶち込むのがいいんだ。泣き叫ぶ声が――おっと……へへへ、想像しただけででちまいそうだぜ」
 そういうと同時に、ペニスの先からどろりとした、精液のようなカウパーが溢れ出た。
 リリーは眉をひそめた。
「そういうと思ったわ。だったらもう、おしおきしてあげる!!」
 悪魔は素早くペニスを体内に戻し両腕を広げた。
「こいよ、エンゼルリリー」
 リリーは「はっ」と声をあげ、両腕を構え前に出た。悪魔はにやにやと笑いながら、右腕を横に振った。巨体から繰り出される攻撃はリリーのリーチを大きく上回っている。空気が大きく揺らぎ、風が生じる。凄まじい力だ。しかし、リリーはその攻撃を身を屈めてかわすと、ブーツの足を滑らせるようにしながら相手の懐に潜り込んだ。
「やぁぁっ!」真剣ではあるが、可愛らしい声をあげて白い腹に右のパンチを入れる。鋭く、腰の入った一撃だ。だが、声をあげたのは悪魔ではなくリリーだった。
「ふにゅっ!?」
 パンチが弾かれた。悪魔の腹には傷ひとつない。
「はあぁぁっ!」
 リリーは左右のパンチを連続で繰り出した。エンゼルグローブの白い拳を一瞬で十発以上叩きこむ。
 だが悪魔は平然としていた。苦しさを堪えているのではない。本当にダメージがないのだ。その顔ににやにやとした薄ら笑いが広がった。太い手が伸び、リリーの右腕をつかんだ。
「あっ、は、はなせえっ!!」
 悪魔の手は大きく、白手袋の腕がほとんどその中に隠れてしまう。リリーは力一杯それを振りほどこうとするが、反対に締め上げられ、思わず「ふにゅうっ」と声をあげた。
「いい声で啼くじゃねえか。だめだぜ、エンゼルリリー。そんな軽いパンチじゃ俺には効かねえよ」
 そして、唇を噛みしめ身体を揺するリリーをまじまじと見つめる。
「おぉおぉ、苦しいか? いいねえ、こんな近くで天使様を拝めるなんてよ。スーツがパツパツじゃねえか。誘ってくれるぜ、え? ちっこいくせに、なんて身体してやがる」
 悪魔は昂奮を露わにしながら、空いている右手をリリーの身体に伸ばした。人差し指の爪が、強い淫気を纏ってリリーの乳房に伸びる。
「この薄いスーツ――」
 悪魔がそういいかけたときだった。不意に悪魔は「うおっ」と声をあげた。「やあっ」という声とともに、リリーの膝蹴りが股間を打ったのである。手の力が抜け、リリーは悪魔の手から逃れた。だが、完全に逃れたわけでもなければ、悪魔に対して追加の攻撃をしかけられたわけでもない。逃れる寸前、悪魔が腕を振り、リリーを弾き飛ばしたのだ。
 リリーは宙で体勢を立て直し、猫のようにしなやかに着地した。桃色のブーツがぎゅむっとラバー質な音を立てる。
「おっと、逃がしちまったか」悪魔は悔しそうなどころか、楽しくてたまらないといった顔でいった。「へへへ、エンゼルリリーよ。俺は気づいちまったぜ。お前、天使は天使でも、まだ弱いな? あれだ、未覚醒ってやつだ。そうだろ? 俺のことを下位種だなんだといってたが、お前こそ半人前じゃねえか」
 悪魔はさらににやついた。
「いまのでわかったろ? お前の攻撃は俺には通用しないぜ。予想外か? 俺がそこらのひよっこの悪魔だと思ったか? ちがうんだよ、俺は強いぜ。ここからは狩りの時間だ。どうする? 逃げてもかまわないぜ。逃げられるかどうかは別にしてな。このまま戦うのも歓迎だ。生意気な天使様よ。お前を四つん這いにさせて、ケツから突いてやる。生意気な女にはしつけが必要だからな。そのぷりっぷりのケツを叩いてやる。おしおきってやつさ」
 悪魔のいうとおり、リリーは天使としては未熟であった。リリーが変身するために用いるクリスタル――これがリリーのコスチュームに流れるエナジーを制御するのだが、リリーの場合はクリスタルもスーツも未覚醒で、どれだけエナジーをもっていようと、十分な力を発揮できないのだ。
 だがリリーの攻撃が通じないのは、リリーが未熟だからでも、悪魔が硬いからでもなかった。
(ち、力が……)とリリーは思った。
 いつもの力がでない。連日の戦いで、リリーの身体以上にコスチュームがダメージを受けてしまっている。いまのパンチも、本来なら悪魔にダメージを与えるはずなのだ。
 コスチュームが熱い。実際のところ、リリーは変身したときから、そのことが気にかかっていた。淫気が染みこんでいるせいだけではない。蒸れているのだ。スーツの中、手袋の中、そしてエンゼルブーツの中が、わずかではあるが蒸れてしまっている。
 頬が熱くなるのを感じた。考えてはだめだ。いまは戦いに集中しなければならない。
 できれば、能力を使うことは避けたかった。だが仕方がない。使わなければ倒すことができない。
「たしかに硬いわね」
 とリリーはいった。強気に。挑発的に。弱っていることを悟られてはならない。
「力も強いし、身体も硬い。リリーの攻撃、効かないみたい――パンチはね」
「あん?」悪魔は首をひねった。
 リリーは構え、腰を落とした。
「光栄に思いなさい。見せてあげる、リリーの力――」
 蒼い瞳が光を帯びた。胸元のコアクリスタルが輝き、エナジーがブーツに流れ込む。そしてリリーはいった。
「聖舞――」
 次の瞬間、リリーの姿がかき消えた。

 一瞬のことだった。たしかにリリーを見ていたのに、悪魔は、どうやって消えたのかがわからなかった。リリーがいたところには桃色の粒子が残っているだけだ。
「お――」と悪魔がなにかいいかけたときだった。
 悪魔は驚愕と苦悶の声をあげつんのめった。背中に衝撃が走ったのである。
「なんだ!」と叫び、トカゲは背中に向けて裏拳を放った。
 だが、その攻撃も空を切った。巨大な拳が薙いだのは桃色の粒子だ。そして目を見開いた悪魔の横面を、またしても衝撃が襲った。
 悪魔は悲鳴をあげた。巨体が傾いで、それどころかわずかに宙に浮き上がり、壁に叩きつけられさえした。壁にひびが入った。
「みえねえ! くそ、どこにいやがる!!」悪魔はすぐさま身体を起こし叫んだ。
「ここよ」リリーがこたえた。
 悪魔は振り返った。リリーが腕を組んで立っていた。
「なにをしやがった」
「さあ? どうしたの、効かないんじゃなかったの?」とリリーはいった。
「黙れ! このちび天使が!!」
 悪魔は一瞬で距離を詰め、リリーに向かって爪を突き出した。だがやはり、爪が貫いたのはリリーの残像であった。
 オッ――と悪魔は目を見開いた。信じがたい光景があった。自分が突きだした腕に、リリーが乗っているのである。
 再び顔面に衝撃が走った。悪魔はよろめいた。倒れる――尾で身体を支えようとする。しかし力が入らない。崩れるようにして地面に倒れた。
 倒れた、この俺が? と悪魔は思った。身体が熱くなった。屈辱と恥辱がこみ上げてきた。それと同時に悪魔は気がついた。蹴りだ。エンゼルリリーは目に見えないほどの速度で動きながら、あの生意気な桃色のブーツで蹴ってきているのだ。
 聖舞天使――悪魔は思った。こいつは聖舞天使だ。聞いたことがある。聞いたことがあるぞ!
 悪魔は立ち上がり、咆吼とともに淫気を衝撃波のように放った。リリーは桃色の粒子を残して見えなくなったが、距離を置いたところに現れると、顔をしかめて耳を塞いだ。
 トカゲ悪魔は目を血走らせた。口を歪ませ牙を剥き出しにする。身体中に筋が浮かび上がる。淫気が昂まり、身体から湯気のように立ち上る。周りの空気が蜃気楼のように揺らぐ。
 受け止めてやる。迎え撃ってやる。こい、こい、お前は俺の獲物だ。
「こい、エンゼルリリー!!」悪魔は叫んだ。

 リリーは悪魔をにらみつけた。相手は攻撃を受け止めるつもりだ。いいわ、やってあげる、とリリーは思った。リリーの必殺技、受け止められるものならやってみなさい。
 だがそのとき、リリーは奇妙な感覚に襲われた。悪魔の瞳に妙な色が浮かんだ気がしたのだ。この悪魔には似合わない、ねっとりした欲望の色だ。
 リリーは腰を落とした。気のせいだ。たとえ悪魔がなにかを企んでいたとしても、この一撃で決めればいいことだ。
 コアクリスタルが光り、エンゼルブーツにエナジーが集中する。ブーツの底にはエナジーを溜めるための蒼い結晶体が埋め込まれている。それが光を放つ。リリーの全身からエナジーが噴き出す。蒼い瞳が悪魔を射抜く。力が高まる。
「聖舞!」リリーは叫んだ。
 ――聖舞とは天使の能力のひとつである。速度と足技を武器とし、悪魔の攻撃を防ぐのではなく、かわすことで戦う。力のほとんどはその脚と、脚を守ると同時に多彩な足技、速度を生み出すブーツに集中し、聖舞を極めた天使は未来を視る能力であっても、予知が間に合わないほどの速度を発揮するという。そんな聖舞天使の必殺技は、一点にエナジーを集中し、敵を貫くエンゼルキックである。リリーが得意とする技である。リリーはほかの能力を一切使うことができない代わりに、この能力を徹底的に磨いてきた。未覚醒でありながら、地上に降りることを許されるほどに。
 桃色の粒子を残し、リリーは加速する。一歩目から最高速度に到達し、悪魔に向かって疾駆する。それだけの速度を、リリーの瞳は捉えている。思考は研ぎ澄まされている。能力を発揮するあいだ、リリーのすべてが加速する。まるでリリー自身が速くなっているのではなく、世界が遅くなっているように。走り、地を蹴る。跳び上がり、宙で一回転し右脚を伸ばす。エンゼルブーツから放たれたエナジーが全身を包み、桃色の流星のようになったリリーは悪魔に突っ込んだ。
 正面から挑まれてなお、その速度に悪魔は反応しきれなかった。大きく遅れて淫気を纏った手を突き出す。エンゼルブーツと悪魔の爪がぶつかり合う――ぶつかり合うのと同時、悪魔の爪は粉々に砕け、エンゼルブーツの靴底が、悪魔の胸元にめり込んだ。
 リリーは宙を舞い、地面に着地した。エンゼルキックを終えたブーツから、桃色の粒子とともに煙が上がっていた。
 トカゲ悪魔はその場に立ったままだった。その胸にはブーツの靴底の形と、ハートのマークが刻まれている。と、不意にその身体が揺らぎ、ばったりと倒れた。
 悪魔はぴくりとも動かなかった。やがてその身がずぶずぶと音を立てて崩れだした。エンゼルブーツを通して撃ち込まれたエナジーが、悪魔の身体を灼いているのだ。
 終わったのだ。聖舞の力を使いはしたものの、ダメージを受けることなく倒すことができた。これで悪魔の結界は解ける。ここで起こっていたことや、路地の壁についた破壊のあとも消える。ほかに悪魔がいる様子もない。
 リリーは緊張を解いた。悪魔に背を向けた。そしてその途端、小さく声をあげた。

「ん……んっ……」
 頬が赤く染まった。リリーは唇を噛みしめた。悪魔と戦っていたときとは打って変わった、いじらしい色を瞳に浮かべ、太ももを擦り合わせた。
(ま、またエナジーを……あぁぁ、熱いぃ……)
 噛みしめていた唇が解け、浅く、熱を帯びた息が漏れる。脚の動きが大胆になり、エンゼルブーツのかかとが持ち上がる。
(エンゼルブーツが……リリーの、リリーのブーツが……)
「ふ、ふにゅ……はぁ……はぁ……」
 そのことを思うと、リリーは胸がどきどきとしはじめた。ブーツの中でソックスに包まれた足を動かす。右足も左足も繰り返し動かしてみる。ブーツのつま先が上がる。かかとが持ち上がる。右のブーツのつま先をあげ、左のそれに擦らせる。刺激が走り、リリーは「あっ」と声を漏らす。
(だ、だめ、こんなところで……! 帰らなくちゃ……はやく、休まないと……)
 ――そのときだった。
 なにかがエンゼルブーツをつかんだ。

 つかむ力は強烈だった。
「ふにゅうぅぅっ!?」
 完全に気を抜いていたリリーは、思わぬ刺激に声をあげた。
「な、なに!?」
 と、エンゼルブーツを見たリリーは、「あぁっ」と再び声をあげた。
 二つの手が、それぞれ左右のエンゼルブーツをつかんでいた。大きな手、鋭い爪――トカゲ悪魔の手だ。それが異様なのは一目でわかった。その手には腕がないのだ。手首から先だけしかない手が、思いきりブーツをつかんでいた。
「は、はなせぇっ! なによこれ!? 悪魔は――」
 倒したはず――。と、リリーは振り向こうとした。
 しかしその瞬間、トカゲの手から淫気の雷撃が放たれた。
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
 衝撃が脚を襲う。雷はリリーの全身に回らずブーツだけに集中している。エンゼルブーツが雷撃を受け止めているのではない。雷撃の方が、エンゼルブーツだけを襲っているのだ。
 リリーは仰け反り、太ももを激しく震わせて悶絶した。ブーツの脚ががに股に開きかけ、ブーツの中では苦しみのあまり足の指が固く丸まる。
 雷撃とともに、悪魔の手が崩れ消滅してゆく。それは時間にして五秒もないくらいだったが、リリーにダメージを与えるには十分な時間だった。
「あ、あはぁぁぁぁ……」
 雷撃が終わった。リリーは脚をガクガクとさせて呻いていた。
 エンゼルブーツから煙が上がっていた。とはいえ、それ以外にダメージは見られない。傷もなければ焦げていることもない。しかし、淫気は確実にリリーの足を灼いていた。
(ブーツが……ブーツがぁぁ……)
 エンゼルブーツが熱い。そして痺れている。ブーツだけでは受け止めきれず、リリーの足にまでダメージが及んでしまっている。脚がじんじんとしていた。痺れているのに、同時に感覚が鋭敏になり、ふくらはぎが裏地に擦れただけで快感が走る。
 リリーは焦った。もしこれが、消滅しかけているトカゲ悪魔が仕掛けた攻撃なのであればいい。だがもしも、それ以外の攻撃だったら――。
 聖舞天使のコスチュームはそのスピードを活かすため、最低限の防御しかもっていない。力の要であるエンゼルブーツだけは頑丈にできているが、それでもここまでのダメージを負ってしまった。危険な状態だった。ただでさえ消耗していたところに、こんな攻撃を受けてしまったら――。
 リリーは必死に振り向いた。そこには倒れ、消滅しかかったトカゲ悪魔がいるはずだ。
 だが振り向いた瞬間、リリーの腹になにかが直撃した。
 一瞬のことだった。大きな緑色の塊が見えた。硬い。もっちりとしたスーツの腹に食いこみ、直撃した勢いのままリリーを跳ね上げる。ブーツの底が宙に浮いた。エンゼルブーツの脚が地面を求めてじたばたと暴れた。しかし、それを止めることはできなかった。
「ふにゅううぅぅぅうっ!!」
 リリーは宙高く吹き飛ばされた。背中からビルの壁に衝突し、落下する。宙を掻くエンゼルグローブの手がビルの外階段の手すりをつかむ。リリーはもがき、身体を持ち上げようとした。しかし、右のブーツの足首になにかが噛みついた。鋭い歯がブーツに食いこんだ。
「あぁぁぁっ!!」
 リリーはビクビクと震え、三階の高さから落下してしまった。受け身も取れずコンクリートの地面に叩きつけられる。天使であるリリーは、それくらいの高さから落ちてもダメージはない。だが、その衝撃は敏感な脚を襲っていた。
「ひああぁぁ、こ、これ……あぁぁっ!!」
 仰け反り喘ぎ、両足で地面を掻く。右足を抱き寄せ、ブーツの足首を激しくさする。牙が食いこんだ感触があったが、幸いにも傷はない。まだエンゼルブーツは耐えてくれている。
「こ、これくらいぃっ!!」
 リリーは叫び立ち上がった。倒したトカゲ悪魔を見る。その身体はほとんど崩れかけている。原型を失いかけたその身体に、両手と頭部がないのを見て取った。
 背後から聞こえた小さな音にリリーは振り向いた。宙に浮かんだトカゲ悪魔の頭部が、歯を打ち鳴らしながら襲いかかってきた。リリーは身体を仰け反らせそれをかわすと、右足を跳ね上げ蹴り飛ばした。
「ふ、くぅぅぅ……ッ!!」
 だが、蹴った衝撃で脚に快感が走り、たまらず声を漏らしてしまう。
 トカゲの頭部は左右に揺らぎながらも体勢を立て直し、二メートルほど上空に留まった。リリーは構えたが、それ以上襲ってくる様子はなかった。その代わり、トカゲの頭部から声がした。
「やるわね」

 その声は路地の中に響き渡った。女の声だ。
「はじめまして、エンゼルリリー。嬉しいわ、あなたとお話しできて」
「だれ!?」
 リリーは鋭く尋ねた。
「ごめんなさい、こんな姿で。でも、わたしのことはまだ教えられないわ」
 新たな悪魔だ。トカゲ悪魔の頭部を操り話しかけてきている。先ほどブーツをつかんだ手も、雷撃も、すべてこの悪魔の仕業だろう。
 リリーは周囲を窺った。どこかに本体がいるはずだ。だが、どこにも気配はなかった。少なくとも、リリーの能力では探り出すことができない。
 危険な香りを、はやくもリリーは感じていた。悪魔の力がどんなものかも、どの程度なのかもわからない。だがそれ以上に、彼女の声から伝わるなにかが、リリーに危機感をもたらした。
 戦うか、退くか――。だがどちらを選ぶにしろ、肝心のエンゼルブーツが……。
「ふん、リリーが怖いの?」リリーは不安を押さえていった。
「ふふふ、怖いわ」悪魔は答えた。おもしろがっている口調だった。「あなたの戦い、しっかり見させてもらったわ。すごく強いのね。ぜんぜん見えないんだもの! 彼もそこそこやる方だけど、ああなったらおしまいね」
「仲間がやられてお怒り? つぎはあなたの番よ!」
「仲間? いいえ、仲間なんかじゃないわ。わたしはただ、利用しただけ。あなたをまっていたんだわ、エンゼルリリー」
「リリーを?」
「そうよ。ちょっと前にあなたを見かけて――もちろん、あなたはしらないでしょうけど――そのときからあなたに夢中だったわ。どうしてもあなたが欲しくて、あなたをいじめたくてたまらないの。ひとめぼれしたんだわ。それから夜も朝もあなたに恋い焦がれて、頭の中で何度も想像していたの。あなたをどうやって手に入れようか、どんな風に虐めようかって。あなたが感じて、啼くところを想像して、それだけできもちよくなった。ええ、ふふ、ごめんなさい、こんなにしゃべって。いつもはこんなにしゃべらないのだけど、はじめてお話できたものだから」
 悪魔はしゃべり続けた。ことばを重ねるたびに熱は増していった。
「それで、どうかしら、エンゼルリリー? わたしの愛を受け取ってくれるかしら? いいえ、いいえ! 受け取らなくていい! そうよ、受け取られたら困るもの。天使と悪魔が愛し合うなんて! そう、うふふふ、わたしの愛はつまり、嫌がるあなたを虐めて、虐めて、虐めて――そしてぐちょぐちょに汚すことだもの。ああ、リリー。変身してないときもかわいいけど、変身したあなたは最高だわ。そのコスチューム! ぱつぱつで、いやらしいむちむちの、はちきれそうな――ふふふ、見てるだけでイッてしまいそう……!!」
「ふにゅっ――」リリーはぞっとして両手を握りしめた。悪魔の、歪な劣情が淫気とともに身体を包んだのであった。悪魔の声には異様な執着心があった。そしてそれは、はっきりとリリーに向けられている。
 汗が滲むのを感じた。焦りと不安が募った。せめて本体の場所がわかれば。だが、目の前のトカゲの頭部から目が離せない。離した瞬間襲いかかられてしまうだろう。聖舞を発動するか? いや、それはできない。ブーツはまだ痺れているし、なにより、本体がどこにいるかわからないのに発動したところでこちらが消耗するだけだ。
「あぁっ! 欲しい! 欲しいわ!!」悪魔はなおも叫んだ。「エンゼルリリー! リリー、リリーちゃん! あなたが、あなたの――」
 と、言葉を切ってから悪魔はいった。
「エンゼルブーツ」
「なんですって――」
「ことば通り。リリーちゃんが履いてる、そのピンク色の、太くて分厚い、とってもエッチなブーツ……それが欲しいの。エンゼルブーツを虐めて、汚して、そしてエナジーをたあっぷり搾りとりたいの。さっきの女の子、見たでしょう? ブーツを舐められて。ああいう風に……」
 リリーの脳裏に、トカゲ悪魔に襲われていたあの少女の姿が浮かんだ。ブーツを這う舌。ぬらぬらと輝くロングブーツ。そして、悶えながら感じる少女の顔――。
 それでようやくわかった。トカゲ悪魔はこの悪魔の影響下にあったのだ。おそらく、トカゲ悪魔自身も気づかぬまま。
「そんなことさせない!!」リリーは叫んだ。
「できるかしら、いまのあなたに。効いているはずよ。なにしろ、リリーちゃんはもう三日間毎晩戦って、だいぶお疲れみたいだから」
 リリーは息を呑んだ。
(そこまで――!?)
「ええ、ずっと見ていたわ! チャンスを待ってた! ふふふ、もう辛いでしょう。ブーツを履いてるの……。熱くてたまらないでしょう。その『ながぐつ』……」
「な、なが……ちがうわ!! これは――!」
「やっぱり気にしてたのね! そんな気がしたの!! でもそんな顔で、ちっちゃくて――身体はむちむちですごいけど――そんなブーツ履いてたら、それはもうブーツじゃなくて『ながぐつ』よ! ふふふ、怒ったかしら。よくいわれてそうだものね」
「ば、ばかにするなぁっ! もうゆるさないんだから! でてきなさい、リリーがおしおきしてあげる!!」
「いいわ。たまらない! 天使と悪魔がおしおきし合うってわけね」と悪魔はいった。なぜかその口調には、勝ち誇った、いやらしいものがあった。
「でも……うふ、うふふふ……! リリーちゃん、実はもう、わたしでてきてるの」
「なんですって――」
「さっきからいってるはずよ! わたしが狙いはリリーちゃんのブーツだと!! 上ばかり見ていないで、大切なエンゼルブーツを見てみなさい!!」
「え――きゃあっ!! な、なによこれ!?」
 そういわれて下を見たリリーは悲鳴をあげた。足元の地面がアスファルトのそれではない。周囲一メートルほどが、いつの間にか赤紫色の粘液に変わっているのである。
「いやっ、きもちわるい!」
 リリーは慌てて脚を持ち上げようとする。だが、再び悲鳴をあげた。
「こ、こんなの――ん、んんっ――うそ、うごけない!?」
 エンゼルブーツをあげることができない。脚を上げると、ブーツの靴底にべっとりとへばりついた粘液が、いくつもの粘つく糸でもって地面に引き戻してくる。何度やっても同じだ。動けない。リリーは必死になって左右の脚を上げる。そのたびにぐちょぐちょ、ねちょねちょと音がする。
「ブ、ブーツが! あぁっ、ねばねばしてうごけないぃっ!!」
 それはリリーに対して完全に練り上げられた罠だった。聖舞天使の武器であるエンゼルブーツが完全に狙われている。動きを封じられてしまっている。
 そしてそれだけではない。ゆっくりと、しかし確実に、エンゼルブーツが粘液の中に沈んでゆく。
「なにこれ――リリー、沈んで……!」
 ただの粘液ではなかった。この粘液そのものが悪魔なのだ。
「んふふふ……」悪魔の声がする。「あぁぁ、夢にまでみたリリーちゃんのブーツ……! 招待してあげる。わたしのお腹の中――リリーちゃん……リリー、リリー……!」
 ずぶ……ずぶぶぶ……じゅぶぶ……ッ!! ブーツがさらに沈んでしまう。悪魔はリリーの全身を呑み込むつもりだ。
「ふにゅぅぅっ! そんなことさせないんだから! エンゼルブーツ! エンゼルブーツ!!」
 リリーは叫び、ブーツにエナジーを流し込む。少しでも力を高め粘液から逃れようとする。ぐっちょ、ねっちょ、ぐちょぬちょ――エンゼルブーツが粘液の中でもがく、凄まじい粘着音が響き渡る。しかし逃れられない。沈んでしまう。足首、そしてふくらはぎ、どんどん沈んでゆく。もしもリリーの力が万全であれば脱出できたかもしれない。だが元から力が消耗している上に、エンゼルブーツに集中攻撃を浴びてしまったせいで力がでない。脚が痺れる。エンゼルブーツが本来の力を発揮できない。
(だめぇぇっ! と、とめられない! 沈んじゃう! つかまっちゃうぅっ!! ねばねばだめなの、エンゼルブーツ狙われるのだめなのぉっ!!)
 にちゅ、ぐっちゅ、にちゅぐちゅ――! 鳴り響く粘音の中に、ちがう音が混じりだしているのに気づく。その音はブーツの中からしていた。汗の音だ。ブーツの中に溜まっていく汗が音を立てているのだ。
(あ、あぁぁぁ……! ブーツが、む、蒸れて……ッ!!)
 と、そのときだった。
「今度は足元ばっかり! 上に気をつけるのね!!」
 リリーはハッとした。上を見る。トカゲの頭部が迫ってきている。
 あっと叫び、リリーは咄嗟に両腕を交差させた。だが、予想していた衝撃はやってこなかった。その代わり、それは脚から伝わった。
 アァッ! とリリーは声をあげた。目を見開き、口を大きく開いて硬直した。トカゲの頭部が粘液に飛び込み、炸裂したのだ。頭部に溜まっていた淫気が放たれる。雷撃の形でリリーの全身を襲う。
「ふ、ふにゅううぅぅうぅうぅぅうっ!!」
 防ぐことなどできなかった。リリーは全身をガクガクと震わせ、悶絶し、なんとか抵抗しようとしていたが、ついにがっくりと脱力してしまった。
「う、ぁ……あはぁぁぁ……」
 意識が朦朧とするリリーを悪魔は呑み込んでゆく。エンゼルブーツが履き口まで沈む。ブーツが完全に呑まれる。膝が、太ももが、そして身体が。リリーはなにもできなかった。ただビクビクと痙攣していた。
 エンゼルリリーが粘液の中に消えた。そして粘液もまた、コンクリートの地面に溶け込むように消えていった。あとにはなにも残らない。路地に生暖かな風が吹いた。

次へ>>

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

最新の記事

月別アーカイブ

記事を検索