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2019年 08月の記事 (7)

鳥と9歳

小学三年の時、夏休みの自由研究に父親にアニメ制作のスクールに連れて行かれた。アニメとは言っても所謂アニメーションではなくストップモーションと呼ばれる粘土細工を少しずつ動かしては撮影し、それを繰り返すという形式のものだ。子供の頃の僕は羊のショーンというアニメが何故かとても恐ろしくてその手のアニメーションは苦手でどちらかというとワンピースなど2Dのアニメが好きだったのだが。後で聞いた話だけど僕が休み時間に友達と自由帳にポケモンばかり描いているというのを心配半分、期待半分に感じていたらしくその才能というかエネルギーを発散させないといけないと思ったらしい。そのアニメのストーリーだがうっすらと覚えている範囲で書くと、ピー助という鳥(ビジュアルは子供がよく描くクチバシ、丸い頭、羽、足で構成される鳥)が寝坊をしてしまい最終的に学校に遅刻しないようにジェット機に変身して学校に時間通り着いたね、良かったね。という物語だった。恐らくその頃から僕は遅刻ばかりしていたのだろう。ちなみにピー助という名前はドラえもんの恐竜の映画から来ていると思われる。あと当時鳥が大好きで図鑑でよく鳥を調べていた覚えがある。デュエルマスターズというカードゲームでもファイヤーバードという鳥の種族のキャラばかり使っていた。最近空を飛ぶ夢をよく見るんだけど鳥になりたいのかなあ。 BGM MISS WORLD - ART-SCHOOL

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Watercolor

数年前の夏休み、僕は美術予備校の夏季講習に参加していた。デッサンもままならなかった僕はまず丸を描くことからやらされたのだが最初の一週間のうちからやらかしてしまった。徹夜で"水彩の惑星"という小説を書いていたため、退屈な静物画デッサンの途中で居眠りしてしまったのだ。すぐさま塾長に個室に呼び出されて説教されるかと思いきやそんな事はなくやんわりと「君はどんな人なの?」ということを聞かれた。塾長はなんでも受験戦争時代の真っ只中で多摩美に入った人間でありペインターとして何年も作品を作り続けたが才能は実らず後進の育成に励むことにしたのだとか。僕はその質問に答えられなかった。僕の当時やっていたことと言えば大きめのスケッチブックにキャラクターの設定や立ち絵を描いて妄想に耽っていただけだった。それを塾長に見せると「漫画を描いてみたら?」と言われた。それから僕は一夏掛けて元々描いていた小説を漫画にする作業を始めた。それはとても稚拙で下らなく取るに足らない駄作だったのだが、それを持って上京し僕は東京の専門学校の入学資格を得ることが出来た。何がやりたいのか?それらまだ分からない。だから唯々出来ることをやっている。とりあえず文章を書く事はできる。それだけだ。 BGM 視界良好 - スカート

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生活音

夕方、僕はうとうとしていた。遠くで誰かが笑う。街中で暮らしていると大学生くらいの若い大きな笑い声が聞こえて来たりする事はしょっちゅうある。それが僕の耳に入る時の音量が何dbなのか分からないが隣人の悲鳴などよりよっぽど胸を締め付ける。それは恐らく僕にとってああいう風に道端で友人達と笑い合った経験があまり良い思い出ではないからなのだろう。僕の人生はあまり良いものではなかった。まだ四半世紀にも満たない時間であるのだが...。憂鬱なことを考えたとたんに視界がだんだん暗くなっていく。不快な音が近づいては遠ざかる。なんだか手が思うように動かない。不思議な感覚。苦しい。息が詰まる...。ハッとして目を覚ますと聴こえてくるのは換気扇の音。クーラーの音。付けっぱなしのNetflixで喋っている海外ドラマのセリフ。視界に入ってきたのは夕刻を跨いでまだ電気のついていない薄暗い部屋。どうやら不思議な夢の原因はどこからか迷い込んだ蚊が僕の指から血を喰らって痒かったかららしい。今年初めて蚊に喰われた。実家だったら薬箱からムヒを取ってくるのに。幼い頃、実家の隣の家から聴こえてくるピアノの音が心地良かったことを思い出す。たまに音がズレてリズムが外れて。二度と聴く機会は無いだろう。ショパンが好きなあの子にまた会いたいと思った。BGM Made my day - 唾奇

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永遠#1

僕は14歳のクリスマスに母と妹を亡くした。それだけの事は世界にとって大した事ではなく学校や父の仕事など何事も無かったかのような日常がただそこに残されていた。喪に服することを躊躇って僕はひたすら取り繕って笑った。冬休みだということもあり友人達とボウリングにも出掛けた。何事も無かったように振る舞う、そうでないとやりきれなかった。ただ、町中の人達が集まってくれた葬式の途中で僕はえぐえぐ泣いた。みんな哀れむような目で見ていた気がする。心に穴が空いたような、脳に空洞が生まれたような喪失感。それから僕は失くしたそれを埋めるために更に多くを失くすことになった。それでも足掻きもがいた。気付けば僕は完璧なもの、その輝きが永遠に近いものを酷く渇望していた。いつか必ず迎える終わりの事ばかり考えて幸せを遠ざけていた。その旅はひたすらに孤独だった。理解してくれる人なんて欲しいとも思わなかった。ただ天才と呼ばれる人になりたくてひたすら行動した。天才になって名作を作りそれが100年先にも残ればいい、それで全部チャラだ。そんな風に考えて17歳の時、高校を辞めた。そして、ギターとノートパソコンを持って原付の免許も持っていなかった僕は自転車で東京を目指した。#1 (続く)

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Ima

芸術家にとって今現在への認識、それがこの世界の全て。過去や未来を識ることは出来ない。歴史を学ぶのであれば今学ばねばならぬ。此処で行動を起こさなければその意志は過去と成り、存在しないも等価な何かになってしまう。存在は今を繰り返す。"今"という時間しか人間は変える事は出来ない。芸術に於いてもそうだと言える。芸術とは型の反復である。今が最も優れている。そうでなければ存在する価値が無いし、今生み出せる何かを創り出さなければ進歩は無い。真似ぶ(学ぶ)のも同じことである。歴史を学ぶにしろ、常に現在を見据え未来を見通した先にこそ歴史との相似を見出し前に進む事のみを目的にしなければならない。過去に従属してはならない。その上で歴史上偉大なアーティストは"共時代性"を持っている。それは"同時代性"とは似て非なる概念であり僕の造語だ。要はシンクロニティを利用し逆転的に超越論的な存在を実証し自己のオブジェクト構造を一つメタレベルに上げるという事である。芸術や哲学はそれを生成するための装置でしかない。神になること、と言っても良い。人間の基本原理は生存と種の繁栄だが物質世界に置いて存在に揺らぎが生じた時に神を必要とする。神性なるものを自己の内側に求めるか外側に求めるかの違いはあれどそれは"今"手の届くところにしか無いはずだ。 BGM アウトサイダー - Eve

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